19 帰還
追手に捕らえられる寸前でリアム君の転移魔法が発動し、エリアナたちはその場から搔き消えた。
歪んだ視界が元に戻ると、そこは懐かしのバーレイ伯爵邸の正門に続く一本道である。
「開門! 開門!」
興奮する二頭の馬の勢いと馬上の領主たちのドロドロになった異様な姿に圧倒され、門番は慌てて門を開いた。
エリアナたちが門を滑り込み屋敷の玄関前に到着するなり、落ち着きを払って出迎えたのは家令のハリスである。
「おかえりなさいませ、ご主人様。エリアナ様もご無事で何よりです」
「ハリス!」
エリアナがクビになったはずの家令が復帰していることに驚嘆して駆け寄ると、「それよりこちら様は……」とハリスはリアム君に視線を移した。
今のリアム君は美青年の姿で、プラチナブロンドの髪に藍色の目をしている。
「彼はリアム君。私のお婿さんになる人よ」
エリアナの紹介は簡潔かつ的確だった。
寝耳に水の話にクラークは口をあんぐりと開け、ハリスは一瞬目を見開いたものの恭しく礼をした。
「お嬢様のご婚約者とはつゆ知らず失礼いたしました。リアム様、私はバーレイ家の家令ハリスでございます。どうぞよろしくお願いいたします」
「バーレイ家にあなたのような家令がいることは、私たちにとって頼もしいことです。これからよろしくお願いします」
リアム君がエリアナの肩を引き寄せ悠然と応じると、ハリスの顔がほころんだ。
「ちょ、ちょっと、お父さんは聞いてないぞ!? お婿さんってなんだ。それにリアム君の容姿が先程と全く違うんだが……」
「これがリアム君の本当の姿なのよ。素敵でしょう?」
狼狽する父親にエリアナはあっけらかんと答えた。
「クラーク様、心情はお察ししますが落ち着いてください。その藍の瞳……リアム様は守護霊獣でございましょう? ならばお二人が結ばれるのは当然のこと」
「あら、ハリスは守護霊獣を知ってるの?」
「実際に目にするのは初めてですが、私は先々代からこの家に仕えておりますゆえ、守護霊獣が将来の伴侶となるべき存在であることは伝え聞いております」
「お、お父さんは聞いてないぞ!」
やっと娘と会えたのにもう他の男に取られてしまうのかと、もはやクラークは涙目であった。
「さあ、ともかく湯あみをして着替えてから、お食事に致しましょう。お話はそのあとです」
拗ねて横を向く主を無視して、有能な家令は彼らを屋敷の中へ誘った。
エリアナは本邸の自室でひと眠りしたあと、執務室のソファでくつろぎながら、父親の離婚騒動の顛末を聞いた。室内にはリアム君とクラークとハリスの四人だけである。
「じゃあ、もうお義母様たちはいないのね」
「ああ、エリアナ、もうあんな人をお義母様なんて呼ぶんじゃない。そもそもあの女をこの家に迎えたお父さんが悪かったんだ。ごめんな、本当に悪かった」
クラークはひたすらペコペコと謝罪を繰り返した。
「もういいんです。よくよく考えてみれば、見る目のないお父様に成長した私の姿がわかるはずがなかったんです。領地にいると信じ込まされていれば、なおさらです」
なんとも辛辣な言われようだが、とりあえず許して貰えたようだとホッとした様子のクラークである。
「今、彼女たちは修道院にいる。エリアナの気が済まなければ窃盗と横領で裁判にかけるがどうする?」
父親に問われ、エリアナは首を振る。
「これ以上私たちに迷惑をかけなければどうでもいいです。離縁されただけでも世間体が悪いのに、弁済するならいずれ親子で働きに出ないといけないでしょう? 虚栄心の塊みたいな彼女たちには耐えられないはずです。そのうえ、大嫌いだった私の幸せを見せつけられるんですよ? もう充分でしょう」
「キミは優しいな」
エリアナは隣にいるリアム君と微笑みあう。人は自分が幸せになると他人に優しく出来るものなのである。
二人の世界を見せつけられ、クラークのこめかみがピクピクと引きつっていた。
「それでお嬢様たちは東国で何があったんですか?」
ハリスに尋ねられてエリアナは雨の中を逃亡していた理由を明かす。
「とにかくこの国の危機なんです!」
「危うくお嬢様は拉致される寸前だったと言う訳ですな? 実にけしからん!」
エリアナは声を張り上げ、ハリスは怒りのあまり手をフルフルと震わせている。
この家令はエリアナが生まれたときからお世話してきたのだ。常に冷静な彼も、この時ばかりは感情が露わになった。
「しかしシモンズ伯爵領にあれほど統制された軍隊がいるとは、完全に油断していたな。弱ったことに五年も戦争していた我が国には軍備に余力がない」
ほんの少し領内に足を踏み入れただけで、すぐさまエリアナたちに巻き込まれて逃げることになったのだが、軍人のクラークには何か感ずるところがあったようだ。
「クラーク様、お嬢様の話によると、相手は大軍を投入するつもりはないようです。敵が内乱に乗じるのであれば、その隙を作らないことが肝要かと」
「神の加護のある国を表立って侵略すれば非難される。当然、それなりの大義名分がいるだろう。国を救うのに一番いいのは王家の権威を元に戻すことだが、このままでは難しい」
「要は雨が降って豊作になればいいのよね?」
王家の加護の力が証明されれば国民の不安は解消され、口さがない人々も黙らざるを得ないだろう。内乱を目論む輩も大義名分を失う。
エリアナが考え込むと黙って話を聞いていたリアム君がやっと口を開いた。
「内乱が起きても王家の自業自得だと僕は思うけど、キミがそれを阻止したいと望むなら手っ取り早く王家の加護を取り戻す方法があるよ」
「あるの!? 教えて、リアム君!」
「強力な加護持ちのキミが龍神にお願いして取り成して貰えばいい。神様同士は友達だからね」
王家の加護持ちである女王陛下と一緒に神殿で祈るだけだとリアム君は言う。
「簡単だろ? ついでに『晴れ』の加護持ちも一緒に連れて行って取り成して貰えばいいよ。三つの加護はバランスが大事だからね」
「どうしてハルフォード家の加護は弱くなったの?」
「弱くなったというよりは、日頃必要とされてる自覚があまりないから力が眠っちゃってるだけ。だからちょっと龍が喜んだくらいで雨が降って、キミに日傘が必要になるんだよ」
「そうだったのね。こうなったら絶対に叩き起こしてやるわ!」
エリアナは決意を新たに立ち上がり、ハッとする。出国のときはザガリーに、帰国はズルしてリアム君の魔法に頼ってしまった。不法出国に不法入国である。王宮に行けば逮捕されてしまうかもしれない。
「あー、その件なら我々にお咎めはない。リアム君の助言で女王直々に言質を取ったから安心していい」
クラークの告白で、エリアナは二人が密会していたことを知る。そう言えば父は最初からリアム君の名前を呼んでいた。
「私はまたリアム君に助けられたのね」
「僕は優秀なキミのお婿さんだからね」
うっとりとした眼差しで見つめ合う二人を父クラークはあきらめの境地で見守っていた。