17 伯爵様と結婚します?
「エリー嬢の調査結果が届いた。彼女は隣国の神の加護持ちの三家門の一つ、エリアナ・バーレイ伯爵令嬢だ」
エリアナは思わず声を漏らしそうになり、慌てて両手で口を塞いだ。自分の素性をわざわざ調べさせたことに驚愕する。やはりこの辺境は、のほほんとした単なる片田舎ではない。
「それは確かですか」
執事の問いに、シモンズ伯爵は「ああ」と自信ありげに肯定した。
「イーストン男爵と共に隣国から入国したことはハッキリしている。平民を装っているが、あの立ち振る舞いは貴族だ。かの国で亜麻色の髪と藍色の瞳を持つ貴族令嬢を調べさせたら、該当するのはバーレイ家の一人娘だけだった。次期当主として王宮にも登録がある。つまり彼女が神の加護を持つ者ということだ」
「なるほど。神の加護を我が国に取り込むつもりなのですね」
「どういう経緯かは知らないが、滅多に自国を出ない加護持ちが自ら離れてくれたんだ。しかもこの日照りのせいで王家の権威はガタ落ちだ。もう一つの家門ハルフォードも力が弱く存在感がないときている。あそこは神の加護への信仰で成り立っている国だぞ。切り崩すには絶好の機会じゃないか。『世界の食糧庫』が我が国のものになれば、王もお喜びになるだろう」
「かの国はいつ反乱が起きてもおかしくないと聞き及んでおります。ほんの少し民衆を煽りたてれば、わざわざ大量の軍を送り込まずとも手中に収めることが出来そうですね」
「エリー嬢は自身を雨女と言っていた。おそらく『雨』か『水』の加護を持っているのだろう。ここにいる限り、あの国には雨が降らず間もなく混乱に陥る。偶然にも彼女がこの地へ訪れたことは幸運だったな」
「はい」
「ともかく彼女にプロポーズするのが先だ。受けると思うか?」
「そりゃ、受けるでしょう。ジャック様に言い寄られてなびかない令嬢はいません。実際、あなた様に見つめられて赤面してるじゃないですか。どちらにせよ、エリー嬢をこの領地から出さなければいい話です」
エリアナはそこまで聞くとゆっくりとその場を離れ、足音を立てないようにそっと引き返した。心臓がバクバクと音を立てている。指先が震えて、部屋の扉を開けるのに苦労した。
(何てことなの!)
つまりシモンズ伯爵は母国を侵略するつもりなのだ。
神の加護への信仰ゆえに民は王を支持し、他国は天罰を恐れて積極的には手を出してこない。そういう国だ。
「豊穣」と「晴れ」の加護の力が失墜し「雨」の加護が国を去ったということは、母国に神の加護など無いに等しい。伯爵の言う通り、かの国を手に入れる千載一遇のチャンスと言えるのだ。同じように考える者は、きっと他にもいるだろう。だが友好国であり、砦を持たないこの長閑な辺境の地からとは完全に盲点である。
「リアム君、た、大変よ!」
エリアナは自分の部屋に滑り込むと小声でリアム君を呼ぶ。しかし部屋にその姿はなかった。
「リアム君……?」
キョロキョロと辺りを見回す。
「ここだヨ」
声のするほうを見るとヤモリ姿のリアム君が背中にへばりついていた。
「な、なんでこんな所に?」
「こんな夜更けにキミを一人で部屋の外に出すわけないじゃないか。危ないだろう?」
そう言ってリアム君は美青年に戻る。
やっぱりリアム君は騎士様みたいだと、エリアナの胸はジンと熱くなった。
「話は聞いていたよ。それでキミはアイツと結婚するつもりなの?」
「え、そっちの話? 母国の危機は?」
「こっちのほうが、ずっと重要じゃないか」
リアム君に詰め寄られ、エリアナはタジタジになった。
「アイツのことが好きなら――――」と切り出され、それはない、とエリアナは思った。
虎視眈々と母国を狙っているのである。親切にしたのも、優しくエスコートをしたのも思惑あってのことなのだ。そんな男にどうして心を奪われようか。
「ないない! 好きじゃないわ」
「本当に?」
「本当だって。王子様っぽいから、ちょっとドキドキしただけよ」
エリアナが否定するとリアム君はホッとした表情になる。
「よかった。キミの気持ちが一番だからね。アイツと結婚したいなら僕は反対できない」
「結婚を己の野望に利用するヤツよ? そんな人より、リアム君の方がずっといいわ。勉強はちょっとスパルタだけど、カッコイイし、頼りになるし、物語の騎士様みたいだもの。守護霊獣じゃなかったら、お婿さんにしたいくらいよ」
「き、キミは……」
リアム君は頬を染めて肩を震わせている。
言ったことは、エリアナの本心であった。気づけばいつも傍で見守ってくれて、困ったときは助けてくれる。そして誰よりも信頼できる唯一無二の存在である。
「リアム君が人間だったらよかったのにね」
エリアナが照れ隠しで笑いかけると、リアム君にぎゅっと抱きしめられた。
「キミは守護霊獣をなんだと思ってるんだ? まさか、ただ守護するだけだとか思ってないよね」
「おおお、お、思ってますケド」
急に腕の中に閉じ込められ、頭がパニックになりかけるエリアナである。そんなエリアナの様子にリアム君は、はぁ~と大きなため息を吐く。
「守護霊獣について正しく伝承されていないんだな。いいかい? 守護霊獣はもともと加護持ちの伴侶となるべく遣わされた存在なんだよ」
「ええっ! 守護するためじゃないの?」
「自分のお嫁さんを命がけで守るのは当然だろう?」
衝撃的な事実であった。リアム君の説明によると、守護霊獣は加護持ちの魂に惹かれて降りてくる。理屈ではなく「あ、この人だ」と感じるのだという。そして結婚することにより人間になれるのだそうだ。
「もっと早く言ってくれればよかったのに」
さっき悩んでいたのはいったい何だったのかと拍子抜けしていると、リアム君は「もう少し大人になったら伝えるつもりだった」と言い訳をする。
「ああ、でもよかった。あと少し遅かったらアイツにプロポーズされるところだった。いくら僕がキミを好きでも、伴侶に選ばれないこともあるから焦ったよ」
「選ばれないこともあるの?」
「過去には政略結婚した王もいたよ。好きな人の幸せを見守るのも愛だけど、もう会えなくなるから切ないよね」
「あら、会えなくなっちゃうの? そんなの嫌だわ。リアム君がいなくなるって考えただけで悲しくなっちゃう。私は絶対に政略結婚なんてしないわよ。ジャック様のプロポーズだってハッキリ断るんだから」
「正確にはキミたちからは守護霊獣が見えなくなるのさ。でも、もうキミは僕のものだからね」
その心配はないと、リアム君は嬉しそうにエリアナのおでこにキスをした。
「さ、善は急げだ」
キスされてポーッと惚けていたエリアナはリアム君の声で我に返った。
いくら「断ってやる」と息巻いても、身分制度の定められた国では格上からの求婚を断ることは難しい。そもそも貴族と平民の身分差婚など滅多にないことなのである。
執事らしき声の主は「領地から出さない」などと物騒なことも言っていた。
エリアナたちは求婚される前にトンズラすることに決めた。