15 雨の加護が役に立ちました
翌日、エリアナがイーストン商会へ出勤すると商会長のザガリーに呼ばれた。
「レイトン夫人は元気だったか?」
「はい! お陰様で久しぶりにたくさん話が出来ました」
ザガリーがソフィアの父と親交があるお陰で、今回の訪問が叶ったのだ。エリアナが家を出る前に届いたソフィアからの手紙は、義母によって破棄されてしまった。ザガリー邸に住んでからは、エリーという名前の「訳あり」だったので、おおっぴらに文通するのは憚られていた。
エリアナは母国に雨が降らないという話を伝えると、ザガリーは少し困った顔をした。
「それがな、あの国だけじゃないようなんだ。東国でも国境に面した穀倉地帯の伯爵領に雨が降らなくなってね」
「そうなんですか?」
「ああ、こんなことは初めてだ」
「なんだか心配です。私、国に戻って様子を見てこようかと思います」
せっかくザガリーに連れて来てもらったけれど、国を出たことが良くなかったのかもしれないとエリアナは考え始めていた。
「一度、不法に国境を越えたんだ。戻るには骨が折れるぞ。逮捕される可能性もあるし、安易に行動しては危険だ」
「そうですね……」
逮捕と言われ、ドキッとする。
「それより伯爵領に行ってみないか? 知恵を借りたいと言われてね、あそこなら何かわかるかもしれない」
「本当ですか! 是非一緒に行きたいです。でも私が行くと伯爵様のご迷惑では? 身分違いですし」
ザガリーはこの国で男爵位を持っているが、エリアナの今の立場はただの平民だ。伯爵の招待に相応しい身分とは言い難い。
「古くからの付き合いだから気にしなくていい。それに伯爵は最近代替わりして、二十歳とまだ若いんだ。少なくともおじさんを相手にするよりは気楽だと思うよ」
ハハハとザガリーは笑うが、エリアナはどう返していいのかわからず曖昧に微笑んだ。
シモンズ伯爵領は国内随一の穀倉地帯だ。辺境としては珍しく一面の麦畑で、国防のための砦や兵といった物々しさがない。それだけ隣国との関係が良いとも言えるが、「豊穣」の加護のおこぼれを当てにしているのが見て取れた。
「ザガリー殿、それにエリー嬢もこのような田舎へようこそ」
自虐的な出迎えだが、若き伯爵の顔は全く卑屈になっておらず堂々としたものだった。
(さすが伯爵家当主ね)
エリアナは腰を折って丁寧にお辞儀をする。ソフィアの淑女教育はこんな時でも役に立つ。
「この度は私のような者にも快く滞在をお許しいただき、ありがとうございます。このように壮観な麦畑を見るのは初めてです。一生の思い出になることでしょう」
顔を上げるとシモンズ伯爵が目をぱちくりさせている。「君……」と言いかけるとザガリーの声が上から被せられた。
「早速、畑を見せていただきたいのだが……」
「あ、そうですね。とりあえず荷物を置いてからにしましょう。どうぞこちらへ」
シモンズ伯爵が慌てて動き出す。執事とメイドに指示を出し、ザガリーとエリアナの荷物が運び込まれていった。
「私、何か失敗しちゃったかしら?」
エリアナがポツリと呟くと、肩にいるヤモリのリアム君も呟き返す。
「あれじゃ、挨拶が立派すぎて庶民に見えないヨ……」
昔の砦の面影を残す邸宅は、バーレイ家本邸の倍はあろうかというほど広々としていた。とはいえ現在機能しているのは屋敷の半分ほどで、残りは武器庫や備蓄庫として使用されているらしい。有事の際は農民たちが兵として戦うのだという。
(逆じゃないのかしら?)
エリアナはシモンズ伯爵に屋敷の中を案内されながら勘考した。
平時に兵たちが農業をしているのだ。辺境の在り方としてはそのほうがしっくりとくる。
屋敷の使用人たちは皆、訓練を受けたかのように一分の隙も無い動きだ。男たちは屈強で、軍籍にある父クラークと通じるものがある。若き当主の眼光は鋭く、初めて会った時のザガリーを彷彿とさせた。
牧歌的な風情を装いながら、その実体はこの領全体が強固な軍隊で組織された国防の要の一つなのだ。
麦畑は遠目では一見異常はないが、近づくと発育がやや遅く土が乾いているのがわかる。水が不足しているのだ。
「これ以上雨が降らなければ、収穫量は格段に減るでしょう」
「だがなぁ、肥料ならどうにかなるが、まさか水を運んでくるわけにはいくまい」
二人の会話を聞きながら、エリアナは黙って日傘を閉じた。
「キミ、キミ、雨を降らせるつもりなの?」
リアム君がコッソリと尋ねる。
「私に出来るのはこれくらいだから」
ここの小麦が不作になれば国が食糧不足に陥るのだ。もし母国がこれと同じ状況であれば、餓死者が出る恐れもある。
母国は穀物を大量に輸出している世界の食糧庫である。飢饉になれば、王家の信用は失墜し反乱が起きるだろう。少ない食料を求めて世界大戦が勃発する可能性すらあるのだ。
「豊穣」の加護持ちである王家が解決すべき問題であっても、知らんぷりは出来ない。焼石に水の行為だとしてもエリアナは自分に出来ることをしたかった。
やがてポツリポツリと雨が降り始める。
「雨……?」
シモンズ伯爵は信じられないという顔をしている。
エリアナはザガリーと目が合った。
もしかしたら彼はわざと自分をここに連れてきたのかもしれない。だとしたらバーレイ家にまつわる噂を知ってはいても、どんな加護であるかまでは確信できず賭けであったに違いない。
「私、超がつくほど雨女なんです」
ニッコリ笑いかけるとエリアナは踵を返した。
一度降り始めた雨はすぐには止まない。びしょ濡れになって肌に纏わりつく服の不快感はもうコリゴリだ。
段々と強まる雨にザガリーたちも小走りにエリアナの後を追った。
「あなたは幸運の女神ですね」
夕食の席でシモンズ伯爵は優美に微笑んだ。
誰もはっきりとは口にしないが、おそらく東国の王より辺境伯の地位を拝しているであろう彼は、三代前の王女の血筋だという。それを証明するかのように王家に受け継がれるのと同じ金髪と青い瞳の端正な顔をしていて、話し方からワイングラスに触る指先に至るまで品が良い。
(まるで王子様ね)
その王子様に「女神」と持ち上げられ、エリアナの顔が赤くなった。
「幼少の頃は雨女だと嫌われていたのです。皆が楽しみにしていたガーデンパーティやピクニックが雨で台無しになるのですから当然ですけれど」
「もしや、エリー嬢は貴族なのですか?」
緊張のあまり失言してしまったことにエリアナは気づいた。庶民の少女たちはガーデンパーティとは無縁だろう。
「……今は平民です」
伯爵の問いをやり過ごす。幸いこれ以上の追及はなかった。
ただ、暫く領に滞在して欲しいと懇願されて了承することになった。
「是非、エリー嬢の力をお借りしたいのです」
シモンズ伯爵は食事が終わるとエリアナを部屋までエスコートし「おやすみなさい」と手の甲に口づけてから去っていった。
初めての経験に、エリアナの顔はまた赤くなった。