12 それからのバーレイ伯爵家 ~父クラークの疲労
ハリスの家は伯爵邸の近くにあった。今でもいるかどうかは賭けであったが、先々代からバーレイ家に仕えた忠義の家臣である。いると思った。
「おかえりなさいませ、クラーク様。無事のご帰還、何よりでございます」
ハリスはクラークに会うと頭を下げた。そしてエリアナを守れなかったことを詫びた。
「奥様には何度も考え直すよう訴えたのですが聞いてもらえず、この老いぼれに出来たのは、ソフィアに二人分の賄いを渡すことだけでした」
「いや、彼女に権限を与えたのは私だ。申し訳ない。体調不良で辞めたと聞いたが?」
ハリスは少し躊躇してから、言いづらそうに答えた。
「マリエッタ様に突き飛ばされて、少々腰を痛めただけですよ。それも数週間で完治したのです。まあ、体のいい厄介払いでしょうな」
クラークの中でブッチンと糸が切れた音がした。忠臣をあっさりとクビにした。しかもあの女の娘は、自分の罪をエリアナに擦り付けたのだ。クラークの手はワナワナと震えていた。
「私が不甲斐ないばかりに申し訳なかった。出来ればもう一度バーレイ家に戻ってきて貰えないか」
クラークはこれまでの経緯とジェシカと離婚するつもりであること、ラッセンが謹慎中であることを説明した。
「ふむ。まずは弁護士の手配でしょうな。エリアナ様の予算使い込みは横領罪、先代の宝石類を無断で持って行ったのは窃盗罪ですがいかがしますか?」
「ジェシカの実家に弁済させる。出来なきゃ牢獄送りになるだろう」
「承知しました。ではそのように通達します。エリアナ様の行方については、ソフィアが何か知っているかもしれません」
侍女のソフィアはエリアナの育ての親のようなものだ。クラークはハリスと共に屋敷に帰ると、使用人名簿からソフィアの住所を探す。王都の住所になっていた。
すぐにでも訪ねていきたいが、いかんせんやる事が多すぎる。
通達を受け、泡を食ってやって来たのはジェシカの父であるベント子爵だった。
「これは本当なのですかっ?」
ハリスが証拠の書類を見せると、子爵は絶句した。国から割り当てられた次期当主の予算を勝手に使い込んだだけでなく、離れに閉じ込め食事も与えず監禁したのだと伝えると、もはや顔面は青を通り越してどす黒くなっていた。
「殺人未遂に問われるでしょうか」
「その時はジェシカだけでなく一族全員に累が及ぶだろう。加護持ちを殺そうとするなんて、国家反逆罪を疑われてもおかしくない。ベント子爵家とバーレイ伯爵家の取り潰しだけなら可愛いものだ」
「あの子はなんという事を……」
「ともかく奪った宝石と金は返してもらう。あの二人はそちらで引き取ってくれ」
子爵は諦めたように無言で頷いた。
改めてラッセンを聴取し、他の使用人からも事情を聞いた。ラッセンは元々子爵家の執事だ。子爵を前にすると素直に質問に答えた。
自主的に辞めたとされる使用人のほとんどが一方的な解雇だったことや、クラークからエリアナに宛てた手紙がジェシカの指示により破棄されていたことが判明した。
メイドたちからは、マリエッタの傍若無人な態度が告発された。ドレスが気に入らないと物を投げつける。クビにすると脅す。食事に嫌いなものが出てきただけでヒステリーを起こす。
クラークはジェシカとマリエッタの部屋に残ったドレスや宝石をすべて押収して換金する作業から始めた。
ジェシカが毎月多くの買い物をしていたため、クローゼットの中はパンパンだった。
その作業が終わりを迎えるころ、離婚を通達されたジェシカとマリエッタが急いで領地へ戻って来た。
「あなた!」
「お義父さまっ」
次々と運び出される自分たちの荷物に母娘は慌てふためいた。新調したばかりの自慢のドレスたちが、業者によって値がつけられてゆく。
「これはどういう事なんですのっ?」
食ってかかるジェシカにクラークは淡々と返事をした。
「通知した通りだ。まさか読んでないのか? まあ、結婚契約書も読んでなかったようだからな。契約違反につき君とは離婚する」
契約違反と言われてジェシカは納得がいかない様子だ。
「わたくしは、言われた通りきちんと伯爵家を守りましたわ」
「次期当主を行方不明にしておいてどの口が言うか。いいか? どちらにせよバーレイ家はエリアナを失えば取り潰しになる。だから最優先事項としてエリアナの身の保全を一番目に明記したのだ」
「そんな馬鹿な……! いくら婿でも王家に認められれば家の存続は可能なはずです」
「フン、家の存続どころか、君がエリアナにしたことが王家にバレれば一族連座で処刑は免れないだろうよ」
「そうなのだよ、娘よ」
たまらず子爵が割って入り、ジェシカに国費横領と国家反逆罪に問われる可能性について説いた。
父親の話を聞くうちにジェシカの顔はみるみるうちに蒼白になり、ガクガク震えだした。
「わ、わたくしはエリアナを殺すつもりなんてなかったわ! 本邸への出入りは禁じたけれど監禁はしていません。何処へ行くにも自由でしたわ」
「そうやって君はソフィアを解雇してから後任の侍女もつけず、娘が自ら出て行くように仕向けたんだな!」
「お、お許しください。わたくしはあなたと本当の夫婦になりたかったんです」
恐ろしい剣幕にしおらしくなると、ジェシカは潤んだ瞳でクラークの顔をじっと見上げた。マリエッタも「私たちを見捨てないでください」と泣き落としにかかる。
そんな二人をハニートラップを仕掛ける女スパイのようだとクラークは感じた。殿下の護衛中、彼や自分に近づこうとした媚びた女たちと姿が重なった。
ジェシカが夫の手を取って自分の胸に持っていこうとしたその時、クラークは反射的に腕を振り払った。
「色仕掛けとは、私もずいぶん舐められたものだな」
怒気に満ちた鋭い眼光で睨みつけると母娘はピタッと沈黙した。軍職にあるクラークの迫力は伊達ではなかった。
離婚届にサインをすると身に着けていた豪華なドレスと宝石を取り上げられ、母娘は子爵に引き取られていった。
母親のジェシカが大人しく着ていたものを差し出したのに対し、マリエッタは首にかかったサファイヤのネックレスに異様なまでの執着を見せていた。
「これは私のものよっ。お義姉さまはズルイわ! なんでお義姉さまばっかり……」
暴れる手足を取り押さえ、エリアナのネックレスは無事に回収されたのだった。
後に彼女たちは、子爵の判断で規律の厳しい修道院へ預けられることになった。
諸所の書類の手続きを弁護士に託して、あとを家令のハリスに任せるとクラークは寝室でぐったりと横になった。
手にはエリアナの日記帳を持っている。表紙をそっと撫でる。
(いったいどこに行ってしまったんだ……)
無事でいるのか、お腹は空かせていないか、頭に浮かぶのはまだ十歳の頃の娘の姿であった。
不覚にも涙が零れ落ちた。日記帳を濡らしてしまい慌てて拭うと、次の瞬間、パッと金色に輝きヤモリが一匹飛び出した。
クラークは何が起きたのかとポカンと口を開けたまま、そのヤモリを見つめた。