11 それからのバーレイ伯爵家 ~父クラークの怒り
クラークが伯爵邸に到着すると、突然の領主の帰還に使用人たちは右往左往し始めた。
家令のラッセンは息を切らせて主人の前にやって来ると、恭しく頭を下げる。
「ご主人様、お初にお目にかかります。ハリスの後任のラッセンです。先触れを出していただければ、すぐお出迎えに上がりましたのに」
クラークは新しい家令のラッセンに会うのは初めてだ。ぐるりと辺りを見回すが、知った顔は一人もいなかった。
「構わない。エリアナに用があってやって来たのだ。娘は部屋にいるか?」
スタスタと歩みを止めずにまっすぐエリアナの部屋へ向かう。扉をノックすると、「ちょっと、あの、ご主人様」とあたふたしながらラッセンは追いかける。
「なんだ?」
「いえ、あの、到着したばかりですし、先ずは着替えて寛いではいかがですか?」
「いや、いい。エリアナ、エリアナ、お父さんだっ! 入るぞ」
「あっ」とラッセンが止めようとするが、クラークは無視して扉を開けた。
ガランとしており、何年も使われていないかのように殺伐としている。机には埃が溜まっていた。
「ここはエリアナの部屋だったはずだが?」
クラークが問うと、ラッセンはばつの悪そうな顔を浮かべた。
「あの……お嬢様は離れに移られました」
「そうか」
そのまま踵を返し、離れに向かった。後ろから付いて来ようとするラッセンを制し、自分がいない間の帳簿と使用人名簿を執務室に持ってくるように命じる。彼は何か言いたげだったが、黙って帳簿を取りに行った。
長い間手入れのされていない離れは、別館というよりは掘っ立て小屋と言ったほうが正しく、周囲は雑草だらけでとても人がいるようには思えなかった。
入口にたどり着いたが人の気配が全くしない。それでもノックをするとクラークはギィと建付けの悪い扉を引いた。
「エリアナ……?」
呼びかけながら部屋に入る。換気のされていない湿気た臭いが鼻を衝いた。
誰もいない。
タンスを開けてみるが、何もなかった。部屋の隅に茶ばんで埃の被った日傘があり、ここに自分の娘が確かにいたのだという痕跡だけが見て取れた。
(どこにいるんだ?)
クラークは娘に何かあったのではないかと不安になりながら、机の引き出しに手をかける。奥に日記帳らしきノートが一冊。一ページ目は出兵から三年目の日付だった。ペラペラとめくると、エリアナの誕生日が目に入る。十三歳だ。
――今日、侍女のソフィアが解雇になりました。
――最後の挨拶に来て、白いレースの日傘をプレゼントしてくれました。
――ずっと傍にいてくれた侍女だったのに、何も出来なくて申し訳ない……。
――明日からひとりで不安だけど、頑張ろうと思います。
もう一ページ、ペラリとめくる。
――朝から誰もやってきません。今まではソフィアが賄いをくすねてきてくれたけれど、これから食事はどうなるのかしら?
――見かねたリアム君がキッチンからリンゴとパンを盗んできてくれました。
――リアム君は自分がいるから大丈夫だと言ってくれます。
――リアム君が洗濯をしてくれました。
クラークは首を傾げる。
(ソフィアが解雇になった?)
彼女は侍女の中でも古参の一人だ。結婚退職と聞いている。それにリアム君とは誰だろう。クラークの記憶する限り、そんな名前の使用人はいない。
クラークは日記を小脇に挟むと離れを後にした。とにかく今は現状把握が最優先だ。逸る心を抑えクラークは冷静になろうと努めた。
執務室に入ると既にラッセンが帳簿類を揃えて待機していた。ビクビクと目が泳いでいる。何か知っているに違いない。クラークは落ち着いた口調でラッセンに問いかけた。
「ラッセン、エリアナはどこにいる?」
「この屋敷にはいらっしゃいません…………」
「ならばどこだ?」
「わ、わかりません…………」
「いつからだ?」
「気がついた時にはもう………………」
クラークにギロリと睨まれ、ラッセンは無言になった。ハンカチで額の汗を拭っている。
「ジェシカは知っているのか?」
「…………はい……」
「捜索状況を説明せよ」
「…………」
「なんだ、まさか探していないのか? 次期当主だぞ」
「申し訳……ございません」
クラークは、はぁと深いため息を吐くと「もういい」と言った。途端にラッセンの緊張が解ける。
「処分が決まるまで部屋で謹慎するように」
ラッセンは想定外とばかりに目を見張った。
クラークが胸倉を掴むと苦しそうに顔を歪める。
「まさかお咎めなしとでも思ったか? お前は家令でありながらバーレイ家で最も重要な職務を怠ったんだっ」
「しかし、私は奥様のご命令通りに……」
「そうだな、妻に任せた私が馬鹿だった。今、この時よりジェシカの女主人としての権限をすべてはく奪する。その上で、契約違反により離婚手続きを進める」
クラークは屋敷の警備兵にラッセンを部屋から出さないように命じた。それから、使用人をすべて広間に集めると、ジェシカとラッセンの処遇を伝え、エリアナについて知っていることはないか尋ねてみる。
「この家にはマリエッタお嬢様しかいないんじゃ……」
このような呟きがボソボソと聞こえるだけで、誰一人、エリアナを知る者はいなかった。行き先ではなく、主家の次期当主の存在すら知らない。この由々しき事態にクラークは頭を抱えた。
執務室で帳簿に目を通す。
王家より割り当てられたエリアナのための予算が、ジェシカとマリエッタの宝石やドレスに使われていた。エリアナのドレスを仕立てた形跡がない。ディナー用の食材は二人分。一人分足りない。
使用人名簿は、人の入れ替わりが激しい。自分が出兵して一年後には半数が、三年目までに全員入れ替わっている。長年勤めた忠義の家令ハリスでさえ、健康上の理由で辞めている。マリエッタはエリアナが怪我をさせたと言っていたが、そんな報告はクラークのもとには上がってこなかった。
次に日記を読むことにした。
離れでソフィアが下働きの仕事をやりながら細々と生活する様子が綴られていた。本邸への出入りが禁止され、ソフィアがこっそり持ってくる使用人用の賄いで食いつなぐ日々。少ない衣類を着まわす。冬は隙間風が吹いて、部屋の中は手がかじかむほど寒い。
彼女が辞めてからは「リアム君」が頻繁に登場する。男の子と思しき彼が令嬢の身の回りを世話し、勉強まで教えている。本邸のキッチンから食料を盗み、食いつないでいるのは以前と変わらない。
誰も訪ねてこない単調な日々。変化があらわれるのは日記帳が終わる七日前だ。この日、娘はバーレイ家を出て行く決意を固めた。行き先は――書いていない。
クラークは目を閉じた。
まさか実の娘がこんな扱いを受けていたとは。
今まで妻や家令の報告を鵜吞みにして何も知らずにいたことに腹が立ってくる。
「情けない父親だな」
クラークは込み上げる怒りを必死で抑えながら、まだやるべきことがあるのだと己に言い聞かせ、ハリスの家を訪ねるために部屋を出て行った。