10 それからのバーレイ伯爵家 ~父クラークの心情
エリアナの父クラーク視点のお話になります。
凱旋の祝賀会の大雨以来、この国には一滴の雨も降らなくなった。
春が終わり夏になっても晴れか曇りの日が続き、作物への影響が懸念されるようになった頃、バーレイ伯爵家当主代理クラークは王宮へ密かに呼び出された。
「この数か月、雨が降っておらぬ。このままでは作物に影響がでてこよう。どうやら龍神の加護の力を借りる時が来たようだ。バーレイ卿、エリアナ嬢には早急に雨降らしの行脚をお願いしたい。ついては一度王宮に連れてくるように」
女王に命令され、クラークは「仰せのままに」と頭を垂れた。
「エリアナ嬢はもうすぐ十六歳になるのであったな。王立学園に入学する予定はないようだが、どうしておる?」
「はい、領地にて恙無く暮らしております」
クラークは、眉間に皺が寄りそうになるのを辛うじて堪えた。
娘の近況を聞かれても、そう答えるのが精々である。
クラークは出兵してから娘に会っていない。社交シーズンで家族が王都の屋敷にやって来たが、その中にエリアナの姿はなかった。
祝賀会のあと、何度か王宮の茶会の招待を受けているのに、エリアナは一度も出席していない。
「あの子ったら、王都には行きたくないと駄々をこねるのですもの。わたくしの言うことなど、全く聞きやしないのですわ」
その他にも家庭教師に反発してクビにする、食事のメニューに難癖をつける、ドレスや宝石が気に入らないと怒りだす……。
妻ジェシカの報告をクラークは信じがたい気持ちで聞いていた。出兵前のエリアナは素直で優しい娘だったのに。
誕生日に贈ったサファイヤのネックレスをとても喜び、「一生大切にしますね」とはしゃいでいたのをクラークは昨日のことのように憶えている。
王都の屋敷の戻ったその日、そのネックレスが義娘のマリエッタの首にあった。
「気に入らないからとお義姉さまにいただきました」
クラークはショックだった。それから何度か領地のエリアナに宛てて手紙を出したが返事は来ない。新しい家令のラッセンによると、何度も返事を書くように促しているが無視しているという。
一度、様子を見に行こうとしたが、帰還したばかりで忙しかった。新しい妻とその娘とはほとんど初対面のようなものだったので、家族関係を一から築いていかねばならない。
自分の娘が彼女たちに我が儘を言って困らせていたのかと、申し訳ない気持ちもあった。
それでついついエリアナのことは後回しになっていたのである。
しかし、王命ともなれば、いつまでも放って置くわけにはいくまい。
クラークは、ふと祝賀会の昼に孤児院で会った平民の少女を思い出す。
自分と同じ亜麻色の髪と亡き妻のような藍色の瞳を持った少女。エリアナが成長したらきっとこんな感じなのだろうと、気づけば声を掛けていた。
「君も孤児院に寄付しに来たのかい? 偉いね」
似ているのは外見だけ。裕福ではないはずの平民の少女ですら施しをしているというのに、領地で何不自由なく暮らしている我が娘ときたら、自分勝手で他者を思い遣る気持ちもないのだと情けなくなる。
突然声を掛けたからだろう。その少女は驚いて口をパクパクさせていた。悪いことをしたと思い、建物から出て来たホフマン公爵令嬢とすぐにその場を後にした。
領地から出たがらないのに、王都や地方に雨を降らしに行くことなど素直に了承するだろうか。クラークはエリアナのことを考えると気が重かった。
「明日、領地の様子を見てこようと思う。馬なら半日も掛からずに着くだろう」
帰るなりクラークはジェシカに告げた。エリアナを連れて帰るつもりだと言うと、ジェシカは目を見開いた。
「嫌がるものを無理に連れてこなくともいいではありませんか」
「そうですよ、お義父様。また暴れて面倒になるだけです。前家令のハリスだって、それで怪我をして辞めざるを得なかったんですから」
クラークの遠縁だからか二人とも亜麻色の髪をしており、見た目だけは本物の家族のようである。マリエッタはクラークに対しては従順で愛想がよかった。
今日も新しいドレスを着ていたが、「お義父様」と懐かれると浪費を咎める気持ちも失せていた。
「登城させよとの王命なのだ。いつまでも好きにさせておくわけにはいくまい」
「王命ですって!?」
妻の過剰な反応にクラークの方が驚いた。
バーレイ家の加護については伏せている。どう返答しようか考えた。
「エリアナは次期当主だ。そろそろ女王の謁見を賜ってもおかしくはない」
「あなた、あの子は次期当主にふさわしくありませんわ」
妻の言い分は尤もだが、エリアナの性格に難があろうと加護を持つ者がこの家の当主になるのである。そろそろジェシカにもこの家の真実を話すべきだろう。
そう思って口を開きかけると、ジェシカは興奮気味に語りだす。
「この際、次期当主はマリエッタにすべきです。幸いわたくしたちは遠縁ですし、実の親子ではありませんが一族としての血の繋がりはあります。何も問題はありません」
妙な話の展開にクラークは開きかけた口を閉じた。夫が黙っているのをいいことに、ジェシカはマリエッタが次期当主としていかに素晴らしいかを力説し、その正当性を主張した。
「もしくは、わたくしたちの間に子どもを作ればよいのですわ」
この時、僅かに妻への疑念が生じた。
バーレイを名乗ってはいるがマリエッタは正式な養女とはなっていない。それがこの結婚をする上での契約の一つだったからだ。
クラークが求めるのはあくまで自分の留守を預かる女主人として、エリアナの母親の代わりとしてであって、新たに子をもうけることなど望んでいない。
だからこそ子育てと女主人、両方の経験を持つ彼女を即戦力として選んだのだ。いわば夫を亡くし、行き場を失っていた女性へ就職先を世話する感覚であった。
かりそめの結婚であることは契約書にも明確に記してある。とはいえ一度迎え入れたからには円満な関係を築こうとクラークは努力していた。
クラークは実直な男だった。騎士団に所属していた彼はその実直さがバーレイ家の先々代の目に留まり、婿にと請われた。それゆえに女王の信頼を得て、第二王子の護衛として出兵することにもなったのだ。
「私は婿で、バーレイ家の直系はエリアナだけだ。彼女が次期当主であることは王家の承認も得ている。他の者には爵位を継げないのだよ」
静かに告げると、ジェシカが青くなった。
「む、婿……?」
「君は結婚契約書を読んでいないのか? 書いてあったはずだが」
彼女の父親であるベント子爵はバーレイ家が「雨」の加護持ちであることを知る数少ない一人だ。その彼がすべて承知の上で持ち込んだ縁談だった。親戚筋であるその子爵をクラークは信頼していたのだが……。
なんだか嫌な予感がする。
「わたくしも一緒に領地へまいります」
「いや、馬で行く。そなたは乗馬が出来ないだろう」
「せ、せめて先触れを出させてください」
「直接行ったほうが早い」
追いすがる妻を振り切って、クラークは夜が明けきらぬうちに愛馬に跨ると、バーレイ伯爵領まで続く一本道を猛スピードで駆け抜けた。