1 侍女が解雇されました
22話で完結します。
どうぞよろしくお願いします。
侍女のソフィアが大きな荷物を抱え、エリアナが住むボロボロの離れに最後の挨拶にやって来たのは、昼に近い午前中のことであった。
彼女はエリアナ・バーレイ伯爵令嬢に仕える唯一の侍女だったが、今朝解雇されたのだ。
「お、お嬢様を残していくことになって、誠に申し訳ございませんっ」
えぐっ、えぐっと大粒の涙をブラウスの袖で拭いながら謝罪する侍女に、エリアナは困り顔でハンカチを差し出した。
「まあ、ソフィア! あなたが謝る事じゃないわ。むしろクビになったのは私のせいよね、ごめんなさい。私が普通のお嬢様だったら、こんな苦労をしないで済んだのに」
今日はエリアナの十三歳の誕生日だ。そんなめでたい日にずっと傍にいてくれた侍女を解雇するだなんて、嫌がらせに決まっている。
いつもだったら家令のハリスが止めてくれたのだろうが、残念ながら三か月前に腰を悪くしたため、年も年なので隠居することになった。現在の家令ラッセンは義母の味方で、エリアナには為す術がなかったのだ。
「ぐずっ、私のことはいいんです。それよりも明日から身の回りのお世話をする者がいなくなって、お嬢様のことが心配です」
「あら、大丈夫よぉ。私ひとりだって生活できるわ」
「本当に?」
エリアナが気丈に答えると、ソフィアから怪訝な顔を向けられた。
「ほ、ほんとよ」
「お嬢様は、昔から少しボーッとしたところがあるから」
「そ、そうかしら?」
「そうですよ」
ソフィアはガサゴソとポケットから住所を書いたメモを取り出すと、エリアナの手に押し付けた。
「我が家の住所です。もし何かあったら、必ず頼ってください。いいですね、必ずですよ?」
「わかったわ」
エリアナはそのメモを受け取り、失くさないようにポシェットの中に仕舞った。
「それから、これ」
ソフィアは小脇に抱えていた傘をエリアナに差し出した。白いレースの日傘だった。
「誕生日プレゼントです。よかったら」
「ありがとう。大切にするわ」
優しい人だとエリアナは思った。今あるのはもう古びて茶ばんでいるのを、この侍女は気にしていたのだ。
彼女自身も貧乏男爵家の娘でお金に余裕などないのに、それでもこの美しい日傘をプレゼントし、困ったときは頼るように言ってくれた。
「ソフィア、今まで本当にありがとう。あなたの幸せを祈ってるわ」
エリアナは泣かないように瞼にグッと力を入れ、無理やり口角を上げて笑顔を作った。そして、まだグズグズと泣いている侍女だった人を促すように別れを告げると、ソフィアは何度も頭を下げて去っていった。
パタン、と戸が閉まり静寂が戻った。ベッドと机とタンスだけの簡素な部屋の中を改めて見渡すと、いつもより幾分広く感じられる。
隙間風の吹くこのボロ屋がいつも清潔に保たれていたのも、洗い立てのシーツで眠れたのも、下働きのメイドの仕事を侍女のソフィアが担ってくれたからだ。
エリアナが食べ物に窮しなかったのも、彼女が使用人の賄いをキッチンからくすねてきてくれたお陰である。それだけではない。
「伯爵家の跡取りとして、恥ずかしくない教養を身に付けなければ。いずれ旦那様がお戻りになれば、王都の学園に通うこともあるかもしれません。それまでは私で我慢してくださいね」
そう言って、勉強だけでなくマナーや淑女としての立ち振る舞いなど、出来る限りの教育をしてくれた。
エリアナは感謝の気持ちでいっぱいだった。
「ソフィアは、もう行ってしまったのかい?」
チョロチョロと姿を現したリアム君は、しゃべるヤモリである。エリアナが物心つく前から一緒にいる。
本人曰く「ヤモリじゃないヨ。キミを守護する霊獣だヨ」とのことだが、エリアナにはヤモリにしか見えない。
「うん、行っちゃった。明日からひとりね」
エリアナは思わず白い日傘をぎゅっと抱きしめる。それを見たリアム君はマロン色の髪と瞳をした少年に変身して傍に寄り添った。
「キミはひとりじゃないヨ。いつだってボクは……ボクだけはずっとキミと一緒だからネ」
「うん、リアム君は私の守護霊だからね」
「ち、違うヨ! 守護霊じゃなくて、守護霊獣だってば。龍神サマの使いだヨ」
まったくキミってやつは……とリアム君が呆れるのを無視して、ソフィアに貰った白い日傘を渡す。リアム君がふぅ~と息を吹きかけ、まじないをかけると「これで良し!」とエリアナに返した。
「ありがとう、リアム君」
エリアナは究極の雨女である。
外へ出ると雨が降ってしまうので、このまじない付きの日傘が手放せないのだ。
ちょっと街に出ようとすると雨が降る。裏庭の花を愛でていても雨が降る。とにかくエリアナが外へ出ると、なんでもかんでも雨が降る。
貴族の子どもたちを集めた女王主催のガーデンパーティでは、到着するなり土砂降りの雨が降り出して中止になってしまった。
「龍神の加護持ちを招待した、わらわが愚かだったのだ」
女王はため息を吐き、それ以来、そういった催しには呼ばれなくなった。
だがこの日傘を差している間だけは、晴れた空の下を歩けるのだ。
というのもバーレイ伯爵家は龍神の「雨」の加護を持つ家系なのだ。
この国に加護を持つ家門は三つある。
バーレイ伯爵家の他は、女神の「豊穣」の加護を持つ王家と太陽神の「晴れ」の加護を持つハルフォード伯爵家である。
加護が受け継がれるのは加護持ちの子のうち一人だけで、性別を問わず加護があらわれた者が跡取りとなる。
ちなみに女王の即位前は第三王女であり、エリアナの母が生きていた頃は彼女が伯爵家当主であった。
また、王家が「豊穣」の加護で権威を示しているのに対し、他の二家門の加護については公にはなっていない。まことしやかに流れる噂は曖昧で、謎に包まれた存在として世間に認知されている。
加護持ちの中でも王家の「豊穣」は皆から敬愛され、「晴れ」は目立たない。そして困ったことに「雨」は疎まれやすかった。
なにせ茶会、ピクニック、旅行など、子どもたちが楽しみにしているイベントがことごとく雨になるのである。
「もうっ、エリアナちゃんがいると必ず雨になっちゃうんだから!」
などと誰からともなく言い始め、早くも七歳の頃には社交界から爪弾きになっていた。
こんな時のために「晴れ」の加護があるのでは? とエリアナは理不尽に感じたが、それほどまでに「雨」の加護の力が強すぎたのだ。
エリアナの母のときは日常生活に支障が出るほどの力はなく、せいぜい結婚式や式典などの重要行事にパラパラと雨を降らせるだけの普通の雨女だったので、社会に順応出来ていた。
「エリアナが外に出ると龍たちが喜んで騒ぐのサ。それにボクみたいな守護霊獣は力の強い加護持ちにしか現れないヨ。キミは龍神に愛されてるのサ。誇るべきことだヨ」
そうリアム君は得意気に説明するけれど、晴れた日にまじない付きの日傘なしで外を歩いてみたいと思うエリアナなのであった。