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第10話 8

 首筋に突きつけられた冷たい感触を意識しながら。


 わたくしは姉様がログナー侯爵と呼んだ男を見据えた。


 確か外務副大臣だったと記憶している。


 現在の外務大臣であるカリスト殿下は、連合諸国を回っていて、今頃はミルドニアに着いている頃だろうか。


 遠隔地との会話を実現しているホルテッサとはいえ、これがあのカリスト殿下の指示によるものとは考えにくい。


 恐らくはログナー侯爵の独断。


 となれば、目的はなんだろうか。


 いくつか推測はできるけれど。


 体術を修めていない事が悔やまれる。


 北のダストア王国や、魔属の国ホツマでは女性でも戦う術を学べるのだという。


 事が無事に済んだのなら、それらの国の書物を調べて学ぼう。


 そんな事をざっと考える間にも、ログナーは姉様の向かいのソファに、その丸い身体を沈めた。


「――まさかおまえがミルドニアの皇女だったとはなぁ」


 まとわりつくような野太い猫撫で声。


 わたくしはそれだけで鳥肌が立つのを感じたのだけれど、姉様は平気なよう。


「どこからそれを知ったのか知らないけど、それとあたし達を拐う事の繋がりがわからないわ」


「それがおまえの素か。店でのおまえも良いが、そういうのも良いな」


 目を細めて舌なめずりするログナーに、わたくしは悲鳴をあげそうになる。


 よく姉様は平気でいられるものだと思う。


 娼婦とはここまで心が強いのか――それとも、姉様だからなのか。


 わたくしにはわからない。


「いいから答えて。

 なにをしたいの?

 あたしが目的なら、リリーシャは解放して!」


「そうはいかない。

 おまえにはな、リリーシャ殿下になってもらいたいのだよ」


「――はぁ?」


 怪訝な声をあげる姉様。


 けれど、わたくしはすぐに理解ができてしまった。


「――姉様をホルテッサの傀儡として、ミルドニアに送り込むつもり!?」


「さすがリリーシャ殿下。聡いですな。

 ……だが、少し違う」


 彼はわたくしを一瞥して、グラスを煽り。


「私はね、もうこの国にうんざりなんですよ。

 親パルドスのクソ共が居なくなって、ようやく大臣の椅子が回ってくるかと思えば、あのぼんくら王太子の一存で、放蕩王子が外務大臣になって、私はおこぼれの副大臣だ!

 わかるか!? この怒りが!

 ずっとあのクソ共の尻拭いをしてきたというのに!

 なぜ、私が大臣になれない!?」


 彼はローテーブルに叩きつけるようにグラスを置いた。


 勢いで中身がテーブルに飛び散る。


「――そんな時だ。

 リリーシャ皇女の双子の姉が――遺棄されたはずの皇女が、このホルテッサで今も生きているという話を聞いたのは。

 ――まさかおまえがそうだったとはな……アイシャ」


 ログナーは再び姉様を見据えて、薄気味悪い笑みを浮かべる。


 学園で一緒に居すぎた事でバレたのだろうか?


 となれば、彼の手先は学園にも居たということになる。


 それよりも――そもそも彼がどこから姉様の存在を知ったのかが重要だわ。


「――お互い知らん仲でもないだろう?

 おまえはリリーシャ殿下となり、私はその夫としてミルドニアに渡るのよ。

 おまえがリリーシャとして皇位継承権を放棄すれば、私は大臣待遇で迎えられると確約を取り付けてある。

 ――楽な生活ができるぞ?」


 彼の言い振りからすると、ミルドニアにパイプがあるという事。


 それも大臣ポストを用意できるほどの人物で……継承権に固執している人物。


 異母兄弟達の顔が次々と浮かんで、その中で最も可能性の高い人物を思い浮かべる。


 こういう陰湿な絡め手を使うのは――


「――ラインドルフ兄上ね?」


 わたくしの問いに、ログナーは目を丸くした。


「この話で、そこまで推測できるとは……さすが、あのお方が警戒なさるだけはある」


 ログナーはぐふふと笑って。


「――アイシャ。

 おまえとは何度も愛し合っただろう?

 それをより確かな――そう、真実の愛とするのだ!

 おまえを捨てた国に復讐するチャンスだぞ?

 共にミルドニアに渡り、幸せになろうじゃないか!」


 と、姉様の膝に置かれた手に、ログナーは手を重ねた。


 姉様は――不意にとろんとした表情を浮かべて、ログナーを見た。


「でもぉ、ログナー様には奥様がいらっしゃるじゃないですか~」


 普段より高く、そして甘い声色。


 あれが……姉様の娼婦としてのお顔なの?


 どうして今、そんな顔をなさるの?


「元々、家の為に結婚した仲だ。

 ――愛などない!

 私が愛しているのはおまえだ。癒やしの女神よ!」


「えぇ~? 嬉しい~!」


 まさか姉様……


「でもぉ、リリーシャはどうするんですかぁ?」


 姉様はログナーの隣にすり寄って。


 ご自身の顔を彼の顔に寄せて、甘く囁くように尋ねる。


「どうするもなにも、消えて――」


 その時になって、わたくしは気づく。


 姉様の目が虹色にきらめいている事に。


「――どうするんですかぁ?

 お優しいログナー様なら、きっと解放してくださいますよね~?」


「そうだ! おまえ達、なにをしている?

 リリーシャ殿下はもう不要だ! さっさと解放しろ!」


「――ロ、ログナー様?」


 戸惑う男達。


 姉様は彼らを見回して。


「――だそうよぉ?

 ああ、みなさんもお疲れなのね~?」


 虹色の魔眼に見つめて問われ、男達もまた素直にうなずく。


「じゃあ~、あたしがリリーシャを送ってきてあげるからぁ、みんなはちょっとここで待っててね~」


 言うが早いか、姉様はソファから立ち上がって、わたくしの手を取る。


「――ね、姉様!?」


「――長くは続かないの。逃げるよ」


 と、小さく囁いて、姉様はわたくしの手を引いて部屋を飛び出した。


 一瞬でも姉様を疑ってしまった自分が恥ずかしい。


「わたくしてっきり、本当にあの男と……」


 廊下を駆けながらそう呟くと。


「愛し合ってるかもって? そんなわけないじゃん!」


 ケタケタ笑って姉様は答える。


「ここだけの話ね?

 お店の評判に関わるから」


 ふたりとも道はわからないけれど、とにかく外への道を探して走った。


「……実はさ、あたしまだ誰にも抱かれた事なんてないんだよ」


「――は?」


 ――娼婦なのに?

 娼姫なんて呼ばれるくらいの人気なのに?


「それってどういう……」


「そういう雰囲気になった時に、魔眼でそういう夢を見せてやってたんだよ」


「つまり姉様は――」


「そこまで言わせる!?

 そうよ! まだ処女よ!」


 恥ずかしそうに顔を赤くして告げる姉様に、わたくしは思わず感嘆を漏らす。


 ああ。やっぱり姉様はすごい!


 ご自身の身体と力で。


 その身を守りながらも娼婦として、一流の立場を確立してらっしゃるなんて!


「あ、あたしだってさ。

 女なんだし、初めては好きになった人とって思っちゃったんだもん」


 姉様が可愛い。


 こんな時じゃなければ、抱きしめたいくらいだわ。


 代わりに握り合わせた手に力を込めた。


 階段が見えて、ふたりでそこを降りると、そこは玄関ホールになっていて。


「――アイシャーっ!」


 魔眼の効果が切れたのか、二階の廊下からログナーの叫び声が響いた。


 男達のものであろう、足音が近づいてくるのが聞こえる。


 わたくし達はドアを開けて、外へ飛び出す。


 周囲が森に囲まれていて、鉄柵の門が見えた。


 恐らくはログナーの別邸なのだろう。


 王都内にはこんな森はなかったもの。


「……どうしましょう。このままじゃ――」


 門まで走って、その先に見える細く長い道に、わたくしは絶望の声をあげた。


 けれど姉様は。


「ねえ、リリーシャ」


 わたくしの手を強く握って。


「こんな時になんだけど、笑わないで聞いてね」


 屋敷から飛び出してくる男達とログナーを見据える。


「あたしさ、小さい頃に母さんに聞かされた漆黒の狼剣士ってお話が大好きでね」


 双子だからだろうか。


 姉様がなにを言いたいのか、わかってしまった気がする。

 

「わたくしも大好きですわ」


 ふたりで視線を合わせて笑い合う。


「――特にお姫様が助け出されるところ!」


 声を合わせて告げると、思わず笑みがこぼれてしまう。


「――いらっしゃると思いますか?」


「なんでかな? そう思えてならないんだ」


 と、姉様は胸元を押さえながら答えた。


 ログナー達が駆けてきて。


「――どこに行こうというんだ、アイシャ!

 私はこんなにもおまえを愛しているというのに!

 おまえだって、何度も愛を囁いたじゃないか!」


 姉様はキッとログナーを見据えて。


 手に力がこもるのがわかった。


「――そんなものは夜の蝶が魅せる幻よ!

 あたしはあんたなんか愛しちゃいない!」


 ログナーの顔が真っ赤に染まるのがわかった。


「――なぜ私の真実の愛が伝わらない! あんなに、あんなに愛し合ったじゃないか!」


 ログナーが叫び。


 ――直後。


 不意に森から、漆黒の巨大な狼が飛び出してきた。


 その背には――


「――アリーシャ! リリーシャ殿下! 無事か!?」


 狼と同じ、漆黒の髪をした青年の姿。


「――ほらね。やっぱりあの方は……」


「……そうですわね。あの方こそ、わたくし達の――」


 わたくし達は手を握り合う。


 言葉にしなくても、きっと想いは一緒だから。


 ――わたくし達の漆黒の狼剣士。


 彼はその黒髪を風になびかせ、狼から飛び降りると。


「――ログナー侯爵。

 どういう事か、聞かせてもらえるよな?」


 腰の紅剣を引き抜きながら、ログナー達にそう告げた。

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