第10話 7
リリーシャのおかげで、あたしは学園にはすぐに馴染む事ができた。
初めは貴族の集まる学院だから、お客さんに出くわしてしまうのではないかとビクビクしていたんだけど。
髪は地のものに戻して、化粧も仕事用ではない薄めのものにしているからか、誰もあたしが癒やしの女神のアイシャだとは気づかない。
そう。
結局あたし、リリーシャに押し切られちゃったんだよね。
娼婦として、色んな人達を癒やす仕事は今でも好き。
でも、学をつければ、もっと色んな人の役に立てるんじゃないかって思っちゃったんだ。
勉強そのものは嫌いじゃないしね。
知らない事を知って、それが誰かの助けになるのはすごく嬉しいもの。
<女神の泉>のオーナーもみんなも、学園に通うのを応援してくれてる。
いずれなにかの形で恩返しできたら良いんだけど。
学園に通うに当たって、あたしはリリーシャの遠縁の娘という事になっている。
リリーシャはいっそ姉と公表したかったようなんだけど、第一皇子が近々来訪するらしくて、彼にはあたしの存在を知らせたくないので、すぐにはできないと謝られた。
兄弟間での政争激しいミルドニアらしい話だと思った。
あたしは玉座なんてこれっぽっちも興味がないんだけど、向こうがどう考えるかわからないんだって。
あたしとリリーシャは赤ん坊の時に引き離されても、こんなにもすぐ仲良くなれたのに。
同じ兄弟でも、双子とは違うものなのだろうか。
学園が休日の今日は、あたしはリリーシャとふたりで街歩きをしていた。
リリーシャってば、お姫様のクセに結構頻繁に街歩きしてるみたいで、いろんなお店に詳しい。
あたしは下町のお店なら詳しいんだけど、さすがにそんなところにリリーシャを連れて行くわけにもいかないから、彼女に誘われるがままに大通りを巡った。
「――あ、姉様。あそこですわ!」
と、リリーシャが楽しげな笑みを浮かべて指差すのは、大通りから見える裏路地への入口。
「あそこでわたくし、オレア殿下に助けて頂きましたの!」
「――助けてって、まさか襲われたの!?」
「いいえ、ナンパ? というものをされまして。
そこにあの方が……」
リリーシャはその時の出来事を身振り付きで詳しく教えてくれる。
「……それって殿下、絶対に助けたつもりないよ」
あの方がちょくちょくお忍びで街歩きしているのは、実は有名な話だ。
リリーシャもそんな時に出会ったのだろう。
それにしたって、やり方があるでしょうに。
ナンパ男に娼館を勧めて女の子を助けるなんて。
「わかっておりますわ。
実際、その後のパーティーで正式にご挨拶させて頂いた時も、まるでそんな事なんでもないかのように振る舞っておられましたからね
――でも……」
と、リリーシャは柔らかな笑みを浮かべて王城の方を見つめる。
「――助けて頂いたと思うのは、わたくしの自由ですわよね」
この子まさか……
うん、きっと間違いない。
「……あの、さ。ひょっとしてリリーシャって――」
「――姉様もでしょう?」
被せられるように尋ねられて、あたしは思わず息を呑む。
「――双子って、地味に厄介だね。
すぐに気持ちがわかっちゃう」
「ホントですわね」
そうしてあたし達は笑い合って。
「どこかお店に入って、お茶でもしながら話しましょうか?」
「そうだね。喉も乾いてきたし」
大通りに面したカフェに視線を向ける。
エリスと何度か入った事のあるカフェだ。
自分だけでは決して入ろうとは思わないけど、お客様への話題になると言われて連れて行かれたんだっけ。
「あそこにしよ」
と、あたしはリリーシャの手を引いて歩き出そうとした所で。
「――失礼」
スーツ姿の男がぶつかって来て、静かにそう告げる。
「いえ、こちらこそ――っ!?」
謝罪しかけたあたしの腹に、気づけばナイフが突きつけられていて。
「――騒がないで頂きたい。アリーシャ殿下」
――こいつ、あたしの素性を知っている!?
振り返ると、リリーシャも別の男に背後を取られていて。
「――姉様……」
青ざめた顔であたしを呼ぶ。
「悪いようにはしません。少々、お時間を頂きたいのですよ。
――ご同行、頂けますね?」
「あたしに用があるなら、リリーシャは離してくれない?」
「その判断は私にはできかねますので。ご一緒して頂くことになります」
クソ。
「リリーシャになにかしてみろ。絶対に赦さないからな」
下町言葉で告げると、男はせせら笑うように肩を竦めた。
「それはきっと、あなた次第ですね」
そうしてあたし達は裏路地に停められた馬車に乗せられると目隠しされた。
「リリーシャ……大丈夫だからね」
リリーシャと繋いだ手の温もりと。
いつも胸ポケットに忍ばせているアレが。
あたしに勇気を与えてくれる。
きっと助かるチャンスはあるはずだ。
こいつらの言葉ぶりからすると、指示を出したヤツのところに連れて行かれるはず。
そいつの顔を拝んでから、なんとかして吠え面をかかせてやる。
馬車はずいぶんと走ったように思えた。
やがて停まると、あたし達は男達に腕を取られて馬車から降ろされる。
目隠しされたまま歩かされ。
どこかの部屋に通されたのが、ドアの軋む音でわかった。
目隠しが取られて、ソファに座らされる。
咄嗟にリリーシャの姿を探すと、ドアの横で後ろ手を掴まれ、首元にナイフを突きつけられた彼女の姿が映って。
「――リリーシャも離せ!」
「それは貴女次第です。アリーシャ殿下」
続きの部屋から、ブランデーグラス片手に小太りな男が姿を現す。
「それともいつものように、アイシャと呼ぼうか?
――久しぶりだな」
「……ログナー侯爵……」
<女神の泉>の常連客であるその名を呼んで。
あたしは彼を睨みつける。