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第10話 5

 お姉様はわたくしが泣き止むまで、優しく抱きしめ続けてくださった。


 実際に出会うまで、わたくしは自分がこんな風になるなんて思っていなかったわ。


 もっとしっかりとご挨拶して、笑顔のままでいられると思っていた。


 それがどうでしょう。


 オレア殿下に連れられて、この建物にやってきたら、どんどん鼓動が速くなって。


 拒絶されたらどうしよう。


 いまさらなんの用だと罵られたら、どう答えたらと。


 悪い考えばかりが浮かんだわ。


 部屋の前まで来たら、ついには立ち竦んでしまったもの。


 そんなわたくしにオレア殿下は大丈夫と肩を叩いて、いつものはにかむような笑みでわたくしの返事を待たずにドアを開けてしまった。


 部屋はそれほど広くない――浴槽とベッドが置かれただけの部屋で。


 ベッドに腰掛けた少女は、お化粧の所為か、あまりわたくしには似てないように見えた。


 けれど、その赤みを帯びた紫水晶のような髪色は、明らかにわたくしと似たもので。


 殿下を疑うわけではないけれど。


 想像以上の早さでお姉様が見つかった事に戸惑ってしまって、魔法による姿変えではないかと、気づけばわたくしは魔眼を使っていたわ。


 しかし、髪色は魔法によるものではなくて。


 わたくしが魔眼を使ったのに気づいたのか、彼女もまた目を虹色に染める。


 ……ああ。そんなところまで一緒なのね。


「……あ、あの――」


 どうしよう。


 言葉が出てこない。


 そう思ったら、彼女は静かにベッドから立ち上がり、わたくしの方へ。


 ――殴られる!


 咄嗟にそう思った。


 そうされても仕方ない事を、ミルドニア皇家はやったのだもの。


 そして本来ならお姉様も享受できたはずの、当たり前の幸福をわたくしだけが与えられてしまった。


 目を瞑って衝撃を待つ。


 けれど衝撃はやってこなくて。


 代わりに柔らかなぬくもりに、わたくしは包まれた。


 ふわりとした薔薇の香りに目を開くと、彼女はわたくしを抱きしめていた。


「――はじめまして、でいいのかな?

 あたしはアリーシャ。

 あなたの名前は? 妹ちゃん」


 その言葉で――もう限界だった。


「……あ……あぁあ……おね、おねえ……さまあぁ」


 気づけば涙が溢れ出して止められない。


 妹と――いまさら現れたわたくしを、妹として受け入れて下さった。


 それだけで心が満たされていくのを感じる。


 どれだけそうしていたのか。


 気づけば部屋にはわたくし達ふたりだけで。


 オレア殿下も、護衛のロイド殿もいつに間にか居なくなっていた。


 ――あの方は。


 鈍いクセに、こういう気遣いだけは当たり前のようにできるのだから、タチが悪い。


 本当にひどい人。


 お姉様はわたくしをベッドに座らせて、優しく微笑みます。


「それで、あたしはあなたをなんて呼べば良いのかな?

 ――名前を教えて」


 そう言われて、わたくしはいまだに名乗ってすらいない事に気づきました。


 なんて恥ずかしい。


「も、申し訳ありません!

 リ、リリーシャです。

 お姉様と同じく、お母様が付けてくださったそうです」


 途端、お姉様は目を見開きます。


「そっか。そうだったんだね」


 正直なところ。


 名前はそのままを名乗っているとは、わたくしは思っていなかった。


 素性を隠す為に乳母によって別のを与えられて、それを名乗っているのではないかと。


 けれど、お母様やわたくしの想像していた以上に、お姉様を託された乳母は律儀な人物だったようで。


 お姉様はアリーシャという、お母様に与えられた名前をそのまま使っていたなんて。


「――リリーシャ。

 あんたが会いたいって言ってくれて、あたしはすごく嬉しい。

 でもさ、ひとつ聞いて欲しいんだ。

 その上であたしを姉と呼ぶかを考えて欲しい」


 そうして、お姉様はご自身の生活を教えてくれた。


 ここは娼館で。


 お姉様はスラムで育って、今は娼婦をしていて。


「……ご苦労、なさったんですね……」


 余りにも明るく語られるお姉様の日常に、わたくしはそれしか言えません。


「ところが、そうでもないんだよね。

 確かに楽な生活じゃなかったけどさ。

 あたしは胸を張って言えるよ?

 あたしは王都いちの娼姫<癒やしの女神>のアイシャだってね」


 そうしてお姉様は満面の笑みを見せます。


「……そう、背中を押してくれた人がいたからね。

 あの方が誇れるような、そんなあたしでいたいんだよ」


 そう言って目を向ける先はドアの方で。


 あの方というのが、誰を指すのか、その視線と表情でわかってしまった。


 ――本当にひどいお方だわ。


 思わず頬を膨らませそうになるわたくしに、お姉様は苦笑しながら首を傾げる。


「――どう? 軽蔑する?

 姉なんて呼びたくなくなった?」


 自嘲気味に告げられるその言葉に、わたくしは声を張り上げた。


「――そんな事っ!」


 まっすぐにお姉様を見つめる。


「お姉様。わたくしは母国で女性の地位向上を志して務めています。

 その中には娼婦もまた含まれていますわ。

 その身ひとつを拠り所に殿方に尽くして対価を得る。

 どうして軽蔑されようものでしょうか。

 むしろわたくし、そんな偏見を無くしたくて、勉学に励んでおりますのよ?」


 そもそも歴史を紐解けば。


 女性の最も古い職業は、古代の信仰の巫女が転じた娼婦だ。


 彼女達もまた、男性を癒やす事を目的にその身を差し出していたのだという。


「娼婦が偏見の目で見られるのは、やましい気持ちを持つ男性と、その美しさに嫉妬する女性によるものですわ!

 そんなものでお姉様や彼女達が蔑まれて良いはずがありません!」


 ミルドニアの――それも最下層に暮らす女性達を思う。


 彼女達だって、他に手段があれば別の道を選ぶことだってできるだろう。


 それができないのは、わたくし達政に携わる者の怠慢によるもので。


 それでも逞しく、その身ひとつで生き抜いている彼女達を蔑んで良いはずがない。


「ははっ。リリーシャもオレア殿下と同じような事を言うんだね」


 まくしたてるわたくしの頭を撫でて、お姉様は微笑む。


 わたくしがあの方と?


「あんたもあの方と同じ。

 誰かの為に一生懸命になれるヤツだ。

 ……きっと、いろいろ辛いでしょ?」


 ぐっと。


 わたくしは息を呑む。


 鼻の奥がツーンとなって、また涙が零れそうになる。


「ありがとう。リリーシャ。あたしを受け入れてくれて。

 さあ、次はあんたの番だよ。

 こういう仕事をしてるからね。

 あたし、聞くのは得意なんだ。

 溜まってるものを、全部吐き出しちゃいな」


 そう告げられて。


 ああ。


 涙が止まらない。


 お姉様が癒やしの女神と呼ばれているのがわかる気がする。


 ホルテッサがそうしたように、ミルドニアのスラムをどうにか救いたい事。


 けれど、わたくしには力がなくて、お兄様やお姉様、他の兄弟達に邪魔されている事。


 兄弟姉妹の王座を巡っての、しがらみやいがみ合い。


 貴族達ばかりが優遇される、ミルドニアという国の体質。


 そして、病に伏してしまったお母様。


 気づけばわたくしは、母国での悩みを吐き出していた。


 お姉様は時々相槌を打ちながら、しっかりと聞いてくれて。


 時折、アドバイスまでしてくれる。


 話しながら、政治の話をしっかり理解できているお姉様に少しだけ驚く。


「ここは高級娼館だからね。

 お客さんにはお役人様や騎士様もいるから、自然に覚えちゃった」


 お姉様はなんでもない事のように言うけれど、きっとすごく賢いのだと思う。


 きちんと学びさえすれば、わたくしよりきっと――


 色んなピースがハマっていくような感覚。


 本人がそれを望んでくれるかが問題だけど。


 まずは手始めに。


「お姉様、それだけの頭脳を眠らせておくのは惜しいです!

 あの――学園に通ってみませんか?」


「ええ? あたしが?

 ムリムリ! お貴族様に混じって勉強なんて、付いていけないと思うよ!」


 ええ。お姉様が断るのはわかっていた。


 だから、わたくしはちょっとズルをする事にした。


「ちゃんと学を付けたなら……今よりきっとオレア殿下のお役に立てると思いますよ?」


 お姉様が目を見開く。


 ごめんなさい。お姉様。


 わたくし、目的の為なら手段を選びませんの。


 でも、ウソではないのよ?


 お姉様の頭脳は、きっとあの方のお役に立つ日が来ると思うわ。


「ね、お姉様。一緒に学園に通いましょう?」


 ねだるように尋ねれば、お姉様は迷いの表情を浮かべて。


「……一晩考えさせて。さすがにすぐには返事できないよ」


 お姉様の心が肯定に傾きかけた確信を得て。


 わたくしはうなずきを返しました。


 お姉様の制服姿、きっと素敵なのでしょうねぇ。

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