閑話 1
パルドスからソフィアを連れ帰って数日後。
俺は非常に困っていた。
――ソフィアの顔がまともに見られない。
だってさあ……なあ?
アレだよ。
んー……
腕を組んで唸りながら、王城の廊下を歩いていると。
「あ――」
フランを連れて、書類を抱えたソフィアとばったり出くわした。
「――殿下。お疲れさま」
にこりと笑って、会釈するソフィア。
「お、おう」
これだよ。
あんな事があったのに、ソフィアの態度は以前と変わらない。
こいつにとって、その……アレなんて、本当に消毒くらいにしか考えてないのだろうか。
そんな事を考えていると、自然と視線はソフィアの唇に向けられていたようで。
ソフィアの顔にいたずらめいた笑みが浮かぶ。
「……なぁに? まだ気にしてるの?
言ったでしょう? 消毒よ。消毒。
――なんなら、もう一度してあげましょうか?」
唇に人差し指を当てて、上体を突き出し、ソフィアはそう告げてくる。
「――キスくらい、ですもんねー?」
フランもにやにやした笑みで乗っかった。
「う、うるせえ! そ、そうだ! 俺、ユメ達に用事があったんだった! 急がないとっ!」
俺は逃げ出すようにして駆け出した。
――クソっ!
なんだ、このやりにくさ!
そんなわけで、俺は王城の裏の橋を渡り、コラーボ婆の小屋へとやってきた。
ユメは今、この小屋に下宿しているんだ。
王城に部屋を用意すると言ったんだが、妙にコラーボ婆に懐いてるんだよな。
テーブルに座ってティーカップを傾ける、ユメとコラーボ婆は。
「――あははっ! それで逃げてきちゃったの?
相変わらずのへたれっぷりだねぇ。オレアくんは!」
「でも、この子は人の好意にニブいところがあるからね。少しくらい自分から意識するくらいで、ちょうどいいのかもしれないよ」
二人して好き勝手言いやがる。
あーあー、好きなだけ笑えばいいさ。どうせ俺はへたれ王太子だからな。
俺はお茶を飲んで一息ついて、コラーボ婆を見る。
「コラーボ婆。改めて、今回の事はありがとう。
おかげで兵や騎士の被害を最小に抑えて、ソフィアを救い出せた」
俺はコラーボ婆に頭を下げる。
あの日、俺達は国境前に集結したパルドス軍の上空で、連中を煽るだけ煽って、パルドス王都を目指した。
当然のように連中は追ってきて。
おかげで国境を守る我が国の軍には被害なし。
そこからは全速力でパルドス軍を置き去りにして、パルドス王都を目指したってわけだ。
いわゆる電撃戦ってやつだな。
「進水式から、そのまま実戦になるとは思わなかったけどね。急いだ甲斐はあったよ」
コラーボ婆に頼んだのは、あの空飛ぶ船の建造の基幹技術についてだ。
<狼騎>率いる特殊部隊を運用するに当たって、どうしてもネックになるのが移動速度。
それを解決するために思いついたのが、あの空飛ぶ船だったんだ。
せっかく魔法があるんだから、船が空飛んだっていいだろう、という俺のロマンを詰め込んだ計画第二弾だな。
造船局と宮廷魔道士を巻き込んで突き進んだ計画だったが、すぐに難局を迎えた。
浮かせるまではなんとかできた。
移動も、風と火の複合魔法でなんとかできる。
だが、それには儀式クラスの魔法運用が必要で、すぐに魔道士達がバテてしまうんだ。
そこで長生きで、魔道技術なんかにも詳しいコラーボ婆に助力を願った。
「――慣性制御と流体制御。魔道より科学の領域だよね」
ユメが目を細めて俺に告げる。
「おまえ、わかるのか?」
ほんわかのんびりした雰囲気のクセに、ユメは妙に知的な一面があるようだ。
「ふふん。昔居たところでね。もっと小さいお船だったけど、やっぱりそこでつまづいてたんだよね。
あっちでは仔竜を使って、強引に制御してたんだけどね。
コラちゃん、こっちではどうやってるの?」
ユメに尋ねられて、コラーボ婆は苦笑する。
「一緒さ。わたしが制御しとる。いわばあの船を竜体のように扱ってるわけだな」
「それってコラーボ婆が居ないと動かないって事じゃね?」
俺が首をひねると、コラーボ婆はうなずく。
「だから今、分体を造っておる」
「うわー、そこまで一緒なんだね」
うん。よくわからん。
「要するに、いずれはコラーボ婆なしでも飛べるようになると考えて良いのか?」
「そう待たせはしないよ。
そういえば、名前はどうするんだい? いつまでもあの船、じゃ締まらないだろう?」
問われて俺は首をひねる。
そういえば、全然考えてなかった。
「あ、はいはーい! わたし、良いの思いついた!」
俺とコラーボ婆は、手を差し出して、ユメを促す。
「ふふふ。あのお船、飛んでる時に風を切って、綺麗な声で唄うからね。
――<風切>なんてどうかな?」
ふむ。悪くないな。
「わかった。それで行こう」
「ホント? やった! これで名前もあの子の姉妹船だぁ!」
手を叩いて喜ぶユメ。
「さて、それでだ」
いよいよ俺は、今日、二人を訪ねた本題を切り出す。
「結局のところ、<エロゲーマー>ってなんだったんだ?
言葉の響きから、エロゲーやってるヤツって意味なのはわかるんだが」
ユメとコラーボ婆は顔を見合わせる。
「俺のような転生者とは違うんだろ?
アイツの言動や、世界の外って言葉から考えると……ここはゲームの中の世界って事なのか?」
ここ数日、戦後処理の書類を片付けながら、ずっと考えていた事だ。
コラーボ婆はため息と共に首を振る。
「アンタに前世の記憶が蘇ったって話は、ユメから聞いてる。
この世界より、ずっと進んだ世界の記憶があるってのもね。
でもね、その質問は世界の真理のひとつなんだ。
この世界の民が成長し、発展していって、自ら辿り着かなければ意味がない」
ユメも真剣な顔をして、俺を見つめ。
「わたし達はね、その成長を手助けはできるけど、過干渉はできないんだ。
でも、それだけじゃオレアくん、不安になっちゃうだろうから、ひとつだけ」
と、彼女は優しく微笑んで人差し指を立てる。
「この世界はゲームなんかじゃ決してないよ。
ちゃんと存在するし、みんな生きてる。
彼らの名前は、その性質を指してるだけのものだから、あまり深く考えないでね」
わかったような、よくわからないような。
誤魔化されたような感覚。
「ま、あんまり悩む必要もないよ。そうそう出くわすものでもない。
わたしが最後にあいつらを見たのも、そうだねぇ、確か数百年前だ。
――そうだね。あいつらの事はサティリア教会が伝える、悪魔憑きみたいなもんと思っておくと良い」
「あ、でもね、コラちゃん。神器使いは、なんでかアイツらと出会いやすいんだよ。
だからね、オレアくん」
ユメは右手を差し出して、にこりと顔を綻ばせる。
「しばらく君に付き合ってあげる。
――よろしくね!」
こうして、ユメは食客として、コラーボ婆の小屋に長期滞在する事が決まった。