第5話 2
王城の裏手に架かった長い石橋を渡り、深い森の奥に踏み入る。
しばらく歩くと、森は開かれた空隙のような野原になる。
その片隅に建てられた小屋の脇で、腹ばいになって眠る巨体。
「――竜っ!?」
護衛でついてきたロイドが、腰の剣に手をかける。
「大丈夫だって。ロイド、ここ来るのはじめてだっけ?」
俺はそれを留めて、手を振ってみせた。
赤黒い鉱物のような鱗に、鋭い爪。
今はたたまれている翼は、広げると片翼だけで一〇メートルを超える。
寝そべっているというのに、肩の高さは俺達より高い。
竜――それは魔獣と一緒に考えられがちだが、鉱鱗類というまったく別の生き物だ。
人の言葉を理解し、歳を経ると喋るようにさえなる。
目の前に居るこの竜も、そうした歳経た竜の一頭で、彼女の場合は人語を話すどころか――
「お、カイ坊じゃないか」
竜がうっすら目を開き、俺達に語りかける。
カイというのは俺の幼名だ。
「久しいね。ずいぶん大きくなったじゃないか」
「ああ、久しぶりだ。コラーボ婆」
竜――コラーボ婆は翼と手足を伸ばして伸びをする。
「――今日はソフィー嬢ちゃんは一緒じゃないのかい?
その男は?」
ロイドに視線を向けて、そう尋ねる。
「は、はじめまして。ロイド・グレシアと申します」
顔を青ざめさせながら、ロイドが答えると、コラーボ婆は面白そうに、その金色の目を細めた。
「その赤毛でグレシアって事は、ガイ坊やの子かい? 懐かしいね。
あの子もリチャードと一緒に初めてここに来た時は、そんな風に顔を真っ青にしてたよ」
アハハと笑うと、コラーボ婆は再び腹這いになり。
「――よいしょっと……」
そう呟くと、コラーボ婆の背中が縦に開いて、中から異国風の衣装の女が這い出てくる。
鱗と同じ赤黒い髪に、金色の目。こめかみの辺りから耳の上に流れるように、左右それぞれに角が生えている。
浴衣みたいな前合わせの衣装から、零れ落ちそうになってる大きな胸。
年の頃は、人の二十代半ばに設定しているのだと、昔会った時に教えてくれた。
「どうだい? これなら怖くないだろう?」
そう告げる女に、ロイドは驚愕の目を向ける。
竜の背から降りて来て、彼女はロイドの肩を叩き。
「改めて、ホルテッサ王国の守護竜をしている、コラーボ・レイターだ。
気軽にコラちゃんでも良いぞ?」
ウィンクしてみせるコラーボ婆に、ロイドはぶんぶん首を振った。
そう。コラーボ婆は、歳を経て人化できるのだ。
彼女が言うには、すべての竜がそうではないようだが、コラーボ婆と同種の竜はできるのだという。
「さ、ふたりともおいで。茶でも出そう」
そうしてコラーボ婆に誘われて、俺達は小屋の中にお邪魔する。
ルキウス帝国が興るより、さらに大昔からこの地に住まう竜。
ホルテッサ家が帝国時代に貴族になれたのも、コラーボ婆と友誼を結べたからだ。
それ以来、この地はホルテッサ家の管理地となり、他家不可侵の地となっている。
伝承では恐ろしいとされる竜だったが、俺にしてみれば、基準がコラーボ婆となっているため、竜が恐ろしいという印象は少ない。
話が通じる分、魔獣や魔物よりずっと付き合いやすい存在だと思う。
俺とロイドが室内のテーブルにつくと、コラーボ婆は釜のような器具を持ってきて、テーブルに乗せる。
「――目覚めてもたらせ、アイスティーみっつ」
コラーボ婆が釜に手を乗せてそう呟くと、釜に埋められた赤い宝石が光る。
「はい、できた」
言いながら、コラーボ婆は釜の蓋を開いて、中からグラスに入った氷入りのアイスティーを取り出す。
「――なぁっ!? しゅ、守護竜様は魔女であらせられますか?」
ロイドが目を剥いて問うと、コラーボ婆はやんわりと微笑んで。
「それはわたしら竜の肩書のひとつだね」
こともなげにそう告げる。
「落ち着けよ、ロイド。ここにはこんなのばっかりだぞ」
懐かしいな。子供の頃は、ゲームキとかいうので遊びたくて、ソフィアと一緒に入り浸ってたっけ。
前世の記憶を取り戻す前は気づかなかったけど、あれ、どう考えても携帯ゲーム機だよな。
まあ、コラーボ婆の持ち物に深くツッコんだら負けだ。
「し、しかし……いえ、申し訳ありません。取り乱しました」
生真面目なロイドは頭を下げて、押し黙る。
「それで? カイ坊は今日はどんな用向きだい? いまさらゲームで遊びたいというわけでもないんだろう?」
「ああ。ちょっとコラーボ婆の知恵を借りたくてな」
俺は事情を説明しはじめる。
相談事というのは、特殊部隊の足についてだ。
「――というわけで、アシュレイ造船局長が困っててな」
「……カイ坊、それって戦に使えるんじゃないのかい?」
探るようなコラーボ婆の目。
「ああ。戦にも使えてしまうな」
俺が正直にうなずくと、コラーボ婆は苦笑して頭を掻く。
「バカな子だよ。ウソでも『そんな事には使わない』と言っとけばいいものを」
「俺がそうしたところで、次代が使わないとは限らない。なら、そんなウソに意味はない」
冷えた紅茶をすすりながら、俺がそう答えると、コラーボ婆は大声で笑った。
「だいぶ王らしくなってきたじゃないか。いいだろう。知恵を貸してやろうじゃないか。
――造船局だったね。明日から出向くから、伝えておいておくれ」
「あ、コラーボ婆、竜の姿で来るなよ? さすがに大騒ぎになるぞ」
「えー」
基本的にゴロゴロしているのが、大好きなコラーボ婆だ。
注意しておかないと本当に、竜の姿で来かねない。
コラーボ婆に約束を取り付けた俺とロイドは、そうして小屋を後にする。
次に向かうのは造船局のアシュレイ局長への仲介だ。
――そんな忙しくも、充実した日々を送っていたある日。
「――聖女?」
「ええ。街で噂になっていまして。
――この前、大聖堂に赴任してきた修道女が、癒やしの魔法で病気や怪我を治してくれるそうで」
ロイドの言葉に、俺は鼻を鳴らす。
「物好きなヤツも居たものだな」
癒やしの魔法と聞くと、どうしてもセリスを思い出してしまって、心が波打つ。
だから。
「それが……セリス様だそうですよ」
ロイドが続けた言葉が、俺にはすぐに理解できなかった。
「――は?」




