第22話 17
――そう来るのね……
わたしは表情を表に出さないよう努めて笑顔を保ったまま、会議室の中央に立つフェリクス皇子を見据えた。
彼の言葉に、大会議室に集まった各国代表がざわめいているわね。
「……おい、ソフィア。知ってたか?」
ヴァルトが顔を寄せて、わたしに耳打ちしてくる。
「いいえ。けれど、どこかで仕掛けて来るのは想定していたでしょう?」
わたしも声を落として囁くようにして応えれば、ヴァルトはあからさまに顔をしかめてため息を吐く。
「だが、これは想定外だろう? まさかこんな手札を切ってくるとは……」
遠話器による国際伝心網の普及と、それに関する国際法がこのままでは乗っ取られると懸念しているのね。
「まあ、まずはその中身を聞いてみましょう。反論はそれからよ」
少なくとも我が国が生み出した遠話器は、国際特許を取得できているのよ。
なら、ローデリアの遠話器は、それ以外の方式という事になる。
今、我が国が提案した大伝心網は、あくまで中原各国から信頼を獲得する為の手段であって、利権独占を目的としたものではないわ。
選ぶのは利用者であって、異なる遠話方式があったとしても、これといって問題はないと思う。
――それがまっとうな方式なのであれば、だけどね。
ローデリアの背後に<叡智の蛇>が見え隠れする以上、どうしても警戒心は沸き起こってしまうけれど。
護陵家のヴァルトなら、その気持ちはなおさらでしょうね。
「――傍聴人。席に戻ってください。あなたの発言は認められない」
カルロス大公がフェリクス皇子に注意した。
けれど。
「――別の遠話法があるのなら、この法案に適しているか、あるいは修正が必要ないか、審議すべきではないか?」
常任理事国のひとつ――シルトヴェール王国のソフィスト宰相が手を挙げて、そう発言する。
「長距離遠話の方法をホルテッサ一国の技術に頼るのもまた、問題だと私も思う」
同じく常任理事国のテラール陽王国のジルドリウス外務大臣も、それに賛同する。
下座の連合加盟国――特にホルテッサに不審感を抱いている西側諸国の代表もまた、フェリクス皇子に発言させるよう声を挙げ出して。
「――静粛に! わかりました。賛同者多数と認め、特例としてローデリア神聖帝国の発言を認めます」
「――感謝する」
カルロス大公がそう告げると、フェリクス皇子は芝居がかった素振りで大公に会釈した。
「それでは説明させて頂こう」
フェリクス皇子が目配せをすると、傍聴席に控えていた彼のお付きの男が鞄を開き、中から資料を取り出した。
――随分と用意周到なこと。
最初からウチの法案に乗っかろうとは考えていなかったはずよ。
わたしがこの会議に際して、議案内容として提出した題目は『連合各国との交渉手段について』だもの。
そこから遠話器を想像するのは難しいはずよ。
恐らくフェリクス皇子は、ローデリア式の遠話器について切り出す機会を探っていたはず。
そこにたまたまわたしが遠話器について切り出したから、法案提出の可決を待って、自国の遠話器を売り出しにかかったというところなのでしょうね。
傍聴人の立場からでは、法案そのものに介入するのは難しいもの。
フェリクス皇子の目的は、あくまで自国魔道器の国際社会への売り込み。
彼の発言について、常任理事国であるシルトヴェール王国とテラール陽王国がまっさきに賛同していたのは、きっとすでに根回しが済んでいるという事でしょう。
たぶん、ホルテッサが大伝心網について発議しなければ、両国が提案してフェリクス皇子に説明を求めていたはずよ。
各国に資料が配られ、わたしの元にもそれが届く。
――伝神柱。
遠話と遠視の魔法が付与された大型魔道器を各地に設置し、その付近であれば、誰でも遠話遠視が可能となるのだという。
特筆すべきはその利用法ね。
従来の――特異な魔道器官を持つ、限られた魔道士だけが使える従来の遠話遠視の魔法と異なり、ローデリアが独自開発した新魔法を記憶する事によって、利用者本人は魔道器を携帯する事なく、誰でも遠話できるという点。
ホルテッサ式では、遠話だけならイヤーカフサイズまで小型化できているけれど、遠視もとなると、どうしても手の平サイズの魔道器が必要となる。
一方、ローデリア式ではそういった魔道器の携行が必要なくなり、伝神柱の効果範囲内なら、いつでも誰でも利用できるのは、確かに魅力的に映る。
……でも。
「――この伝神柱、資料を拝見したところ大型魔道器ですよね?
製造、設置にはそれなりの費用がかかるのでは?」
ミルドニア皇国のリーンハルト皇子が、フェリクス皇子に質問する。
「その件だが、この魔道器は我が国の最新魔道技術が盛り込まれており、他国への技術公開は時期尚早というのが、我が国の意向なのだ。
とはいえ、他国に売り込みたいという意向も確かにある。
ホルテッサ王国が技術公開すると言う以上、我が国もそれなりの利益を連合諸国に示さなければならないという理屈は理解できるつもりだ」
フェリクス皇子はぐるりと周囲を見回し、柔らかな笑みを浮かべた。
「そこで、伝神柱の製造は我が国で無償で行おうと思う。設置に関しても我が国の専門の魔道士を派遣しよう!」
まるで演説のように両手を広げて、フェリクス皇子は各国に宣言した。
資産に乏しい小国から驚きの声があがる。
「――よ、よろしいので? それでは貴国にメリットがないのでは?」
当然のように上がった疑問に、けれどフェリクス皇子は笑みを浮かべたまま首を振ったわ。
「我が国の試算では、新魔法の販売で十分に利益が見込めるそうだ。
伝神柱の製造、設置はその為の先行投資だ」
……理屈はわかるわ。
伝神柱は一度設置してしまえば長期間維持されるもので、経年劣化による交換は必要かもしれないけれど、資料によれば屋外設置を想定しているようだから、それなりの対策もされているはず。
効果範囲は一〇キロ四方のようだけれど、伝神柱同士を中継器として遠方との遠話も可能。
各都市と主街道を繋いでしまえば遠話が維持されるのだから、自ずと魔道器そのものの売上は頭打ちになる。
なら、最初から魔道器の売上は考慮せず、それを利用するための魔法で利益をあげようというのね。
これなら確かに技術そのものは秘匿したまま、利益を上げる事はできるでしょうね。
以前、カイが話していた鉄道敷設の話に似ている。
カイがあの案を出した時、わたしは敷設先の領主に敷設資金を供出させるべきと提案したわ。
鉄道が敷かれたなら、その領には多くの人と物が流れ込んで潤う事になるのだもの。先行投資として、資金を出させるべきだと思ったのよね。
けれど、カイはその案を否定したわ。
――敷設工事の費用は乗客の運賃で回収できるんだから、国で賄うべきだ。
アレも前世とやらの知識なのかしらね。
確かに一度線路を敷設してしまえば、乗客が利用し続ける限り、運賃が国に舞い込む事になるわ。
――だから領主には、工事費用を出させるくらいなら、乗客が減らないように地域振興に金を使わせるべきなんだ。
乗客がまた鉄道を利用したいと思うように、と。
領主にとっても、鉄道利用者が増えれば、人と物が流れ込んで、結果、収入が増える事になるのだから、理屈にかなっているわね。
……先行投資によって、長期に渡って投資費用以上の収支を得る。
カイは前世の知識の受け売りだ、なんて苦笑いしてたけど……
それと同じような発想をして見せたフェリクス皇子が問題だわ。
わたしは会議室の真ん中に立って、各国代表の質問に次々と答えているフェリクス皇子を見る。
――フェリクス・オーティス・ローデリア。
ローデリア神聖帝国の第三皇子。
これだけの政治的判断ができる人物なのにも関わらず、彼に関する情報は驚くほど少ない。
かつてお父様と共にローデリアを訪れた際も、挨拶を交わしたのは第一皇子――現皇帝のみで、歓迎の宴に彼の姿はなかった。
ここ数年で急に頭角を現した可能性はあるけれど……
わたしは知らずしらずに親指の爪を噛んでいた。
カイを知っているから――彼の『前世の記憶がある』という言葉を聞かされているから、わたしは警戒せざるを得ない。
カイと同様に、先を行き過ぎている発想力を持つフェリクス皇子もまた――そうなのではないか、と。
あるいはキムジュン王子のような存在である可能性も考えられるわ。
悪魔憑き――あるいはコラーボお婆様やユメさんが言う、<外なる者>である可能性。
「……どちらであったとしても……」
わたしは深く息を吸い込んで、気持ちを引き締める。
――ええ、認めるわ。
彼はだたローデリア神聖帝国の意向を伝えるメッセンジャーではない。
自身の判断で動き思考する、わたしの対戦相手だわ。
それも、わたしの常識の外から発想を持ち出す、とびきりの相手。
おおよその質問を受け切って、フェリクス皇子は再び各国代表を見回したわ。
「――いかがだろうか? 我が国の遠話方式も、ぜひ検討してみて欲しい」
小国――特に後進国に分類される国々が拍手を始める。
特にホルテッサに良い印象を抱いていない西域諸国がこぞって喝采しているようね。
「――我が国としても、魔道器の運搬費用が上乗せされるホルテッサの魔道器より、無償提供されるローデリアの方が魅力的に見えるな」
シルトヴェール王国のソフィスト宰相がそう告げたのを皮切りに、西側諸国の声はますます大きくなったわ。
「……ソフィア」
ヴァルトが心配そうに声をかけてくる。
普段は冷静な態度を崩さないクセに、すっかり場に呑まれてしまっているわね。
わたしは思わず鼻を鳴らして笑ってしまったわ。
「あなたがこれからも殿下の四天王を名乗り続けるなら、これくらいで動揺するものじゃないわ」
王城では、こんなやりとりは日常茶飯事なのだから。
……さて。それじゃあここからどう切り返そうかしら。
扇を広げて黒羽根に触れ、その感触を感じながら、わたしは思考を巡らせる。
――技術開示をしないという点から攻めるのが定石なのでしょうけれど……
問題はどう切り出すべきか、ね。
ヘタな言い方をしたら、難癖を付けたいだけと各国に受け取られて、心象を悪くしかねない。
そうなったら遠話の魔道器のシェアは一気にローデリアに傾くでしょうね。
「――ソフィア様。恐らく貴女にも案はあるのでしょうけど、まずはわたくしに譲ってくださらない?」
と、思考するわたしの右手に、アリシア様が触れて来た。
広げた扇で口元を隠し、そっと耳打ちしてくる彼女に、わたしは首を傾げる。
「わたくし、この魔道器には因縁がありますの。
資料には載ってない――いいえ、あえて載せていないのでしょうけれど、重大な秘密を明らかにして見せますわ」
そう囁いて微笑む彼女に、わたしは頷きを返す。
その彼女が断言する以上、なにかしらの切り札があるのでしょう。
「――ダストアが誇る金薔薇様のお手並み、拝見させて頂きます」
わたしの返答に満足げに頷き。
「ご満足頂けるよう、精一杯、咲き誇らせて頂きますわ」
そうして彼女は右手を挙げて、カルロス大公に発言を求める。
「――ローデリア神聖帝国代表、この資料には、重大な説明漏れがありますわね?」




