第22話 8
休憩を終えて、あたしとライルは殿下達と別れて捜査を続ける事になった。
殿下ってば、バラけた方が効率が良いなんて言い出したのよね。
……名目上、あたし達は殿下の護衛のはずなんだけど……
あの殿下がそこらのヤツにどうにかできるとは思えないし、同じくらい強いザクソン先輩まで一緒なんだから、危害を加えられるはずもないんだろうけど。
なんとなく戦力外って言われたようで気に入らないわ。
なにかあったら、遠話の魔道器で連絡するよう言われて、殿下とザクソン先輩は慣れた様子で雑踏に消えていった。
「一緒に視察してた時も思ったけど、殿下って街慣れしすぎだと思わない?」
不満をぶつけるようにライルに言うと、彼はいつもの困ったような笑みを浮かべる。
「実際、ちょくちょく王城を抜け出してたみたいだしね。
たぶん、僕らよりよっぽど城下――それも下町なんかにも慣れてるんじゃないかな」
「どーせ、あたしは慣れてないわよ」
露店での買い食いの仕方さえ知らなくて、殿下やザクソン先輩に笑われたのを思い出して、あたしは唇を尖らせる。
「あー、それは僕も一緒だったじゃない。まさか銀貨で嫌な顔されるとは思わなかったなぁ……」
「それ! あたし、銅貨なんて初めて見たし、使ったわ」
普段、買い物は家の使用人がしてくれたし、視察で王国内を巡った時は、さすがに自分でもお店でお買い物したけど、あの時はお札を出して、銀貨でお釣りが返ってきてたもの。
殿下が言うには、露店は庶民――それも労働者なんかの下層階級の人向けの商品が多いみたい。
だから、価格も安くて、銅貨でのやり取りが主なんだって。
銀貨だと用意してたお釣りが足りなくなっちゃうから、あまり好まれないそうよ。
殿下も初めての時は同じ失敗をして、ガル公爵閣下に笑われたって言ってた。
「――四獣士隊は即応部隊として、いろんな土地を回る事になるから。
ひょっとしたら市井での経験を積ませる為に、殿下達は僕らふたりで回るように言ってくれたのかもね」
「むぅ……」
騎士になる為に鍛錬してきたけど、確かにこういう経験はしてこなかったわ。
「あの視察の旅で、世の中の事を知ったつもりになってたけど、まだまだって事ね……」
あたしの吐き出すような呟きに、ライルはあたしの肩を叩いて微笑む。
「せっかく機会をもらったんだからさ。一緒に覚えていこう」
こういうのをさらっと言えちゃうから、ライルってズルい。
思わず熱くなった顔を見られないように、あたしはライルから顔を逸す。
「じゃ、じゃあ。さっそく練習してみるわ。
――あ、果物売ってる! 買ってくるから待ってなさい」
たまたま顔を向けた先の露店で、切り分けた果物を串に刺して売っているのを見つけて、あたしはライルから逃げ出すようにして露店に飛び込む。
ポーチからお財布を取り出して、手書きの値札を確認。
ベルクオーロは<大戦>後の新興国だけあって、流通してる銅貨もまだピカピカ。
使い慣れてるホルテッサの銀貨は、時々、欠けてたり表面の彫刻がかすれてたりするものがあるのよね。
値札通りに二本分の銅貨を摘み上げて、店主の恰幅の良いおば様に差し出すと、彼女は笑顔でお礼を言って果物の串を手渡してくれた。
あたしもお礼を返して――これもさっき、殿下に教わったのよね。そういうルールだって――ライルの元へ戻る。
「はい、あんたの分。ソフィア様が好きだって殿下が言ってたから、気になってたのよね」
「――実は僕も」
ライルも同意してふたりで果物にかぶりつく。
あたしも一応、淑女の端くれで、行儀が悪いと思うのだけれど、ホルテッサが誇る淑女の中の淑女――ソフィア様もやってたって話だし、これは庶民のルールなんだわ。
冷蔵の魔道器でも使っていたのか、よく冷やされた果物は、口の中にたくさんの果汁を溢れさせて。
「んーっ! すっぱぁ……」
目をしばたかせて果汁を飲み込むと、遅れてやってくる濃厚な甘み。
「ほんとだ。初めて食べる果物だけど、これってベルクオーロの特産なのかな?
あ、でも後味は好きかも」
串に刺された果物は三種類あって、黄色い果肉のもの、緑の果肉に細かな黒い種が散らばってるもの、真っ赤な果肉のものが上から順に連なってる。
「果物の名前も聞けば良かったわね。うっかりしてたわ」
買う事に夢中になってたのよ。
「あ、次のは甘いけど、ほんのり酸っぱい感じ」
早くも一番上を食べ切ったライルは、二段目の緑の果実に取り掛かってる。
歩きながら食べる事自体に慣れてないあたしは、どうしてももたついてしまって。
知らず向こうから歩いて来た人にぶつかりそうになった。
――でも。
「――パーラちゃん、こっち」
不意にライルに手を引かれて、あたしはよろけてしまう。
けれど、ライルはあたしを抱き止めて、ふんわりと微笑む。
「危なかったね。やっぱりどっか座れるトコ探そうっか?」
――か、顔が近いっ!
「あ、あ、あ……」
気遣ってくれるライルに、けれど、あたしはバカみたいに言葉が出てこない。
胸はすごくドキドキしてるし、たぶん顔も真っ赤。
「――だ、大丈夫よっ!」
素直になれないあたしは、そう声を張り上げて、ライルから身を引き剥がした。
メノアが別行動で本当に良かったわ。
あの娘が一緒だったら、絶対にからかわれてた。
跳ね回る鼓動を抑え込む為に、あたしはライルに気付かれないように背中を向けて、深く深く息をする。
喉がカラカラで、果物をかじって果汁で喉を潤した。
相変わらず一段目のそれはものすごく酸っぱかったけれど、後味はなぜかさっきよりも甘いような気がした。
火照った顔を手を振って仰ぐと、あたしと同じ果物串を口に咥えた子供達が、歓声をあげながらスイスイと通行人の間を縫って行くのが見えた。
「うぅ……情けない」
「まあまあ、僕らは初めてだしさ」
そう言いながら、ライルはあたしの手を引いて通りの端に歩いて行く。
それから壁にもたれかかって。
「とりあえず、立ったまま食べる事に慣れるとこから練習かな?」
「そ、そうね」
あたしもライルに倣って壁にもたれかかって、食べるのを再開する。
いつの間にかライルは食べ終わっていて、通りを楽しげに見回していたわ。
そんな彼の横顔をチラチラと覗き見ながら、あたしは残りの果物に口をつけていく。
なんだか、あたしだけさっきの出来事を気にしてるみたいで、ちょっと気に食わない。
でもそれを口にしたら、ライルはきっとまた困ったような笑みを浮かべながら、もっと恥ずかしい事をさらりと言ってくるんだわ。
だからあたしは、黙って残りの果物を食べ続ける。
ようやく食べ終わると、ライルはごく自然にあたしから串を受け取って、自分の鞄に放り込んだ。
――なんなの!? この気遣い!
お城の侍女さん達が書いてる――ロマンス小説!
あ、あれのヒーローみたいな事を、さらっとやっちゃって!
ああ、またドキドキしてきちゃった。
そんな内心を隠しながら、あたしはハンカチで口元を拭って。
「そ、それじゃ行きましょ」
なんでもない風を装って、ライルの手を取って歩き出す。
そうしていくつかの露店を回りながら、通りを歩いて。
しばらく歩いた頃、ふと、わたしは立ち止まる。
「――パーラちゃん、どうしたの?」
妙な違和感。
うなじから背筋へと冷たい指を這わされたような……
ライルが不思議そうに声をかけてくる。
「なんだろ? 変な感じがするのよね……」
感覚的なものだから、うまく言葉にできないのがもどかしい。
冷たい感覚はさらに下へと伝い降りて、足の裏へ抜けていくような感覚があった。
まるで身体の中の何かが引っ張られるようなその感覚に、あたしは周囲を見回す。
抜けて行く先は細い路地に向けられているみたい。
「……ライル、生体、魔道の探査の魔法を喚起して」
低く押さえたあたしの声に、ライルは無言で頷いた。
人ひとりがようやく通れるくらいの、その薄暗い路地の向こうからは人の気配は感じられない。
――でも。
あたしの直感が、この先になにかあると告げている。
「――あの通りの先――二〇メートルほど先に偽装の魔法が施されて……多分、刻印の反応がある」
ライルの返事に、あたしは頷いた。
「――見つけたのかも」
にやりと笑って見せると、ライルは呆れたように苦笑。
「パーラちゃんのそういうトコって、ホントすごいと思う」
「もっと褒めても良いのよ」
ふたりで笑い合って、あたし達は手を打ち合わせた。
それから遠話の魔道器で殿下達に連絡を取る。
「――殿下、すぐに来てください!」
人の気配は感じないとはいえ、もう無茶はしない。
なにが潜んでいるかわからない以上、最悪を想定して動くべきというのは、視察の旅で一番学んだ事だもの。
――あたしだって、少しは成長してるのよ。




