閑話4
ソフィアお嬢様とフランお姉様がローデリアに滞在していた三ヶ月間は、今でも本当に幸せな時間だったと思う。
帝都の下町に生まれた平凡な娘だった私に、お二人は様々な事を教えてくれた。
文字の読み書きや算術から始まり、商売のやり方やお金の流れ、政治という世の中の構造についてまで。
フランお姉様からは、護身術を教えてもらった。
外国の高位貴族のお姫様なのに、ソフィアお嬢様は下層民の私を見下すことなく、まるで本当のお友達のように接してくれて。
それが嬉しかったから、お二人の教えてくれる事は頑張って覚えた。
ソフィアお嬢様達と出会って二週間が経った頃――ちょうど私が文字が読めるようになった頃になると、私は国立図書館に連れて行ってもらった。
立ち入るには多額の補償金を預けて、入館証を購入しなければいけない場所で、貴族や豪商ならともかく、下層民の私なんかには一生縁がないと思っていた場所だ。
私の分の補償金を預けたソフィアお嬢様は、好きに読書して良いと仰ってくれて。
あまりにも大量にある蔵書に、私は目が回りそうになってお二人に笑われたっけ。
なにを読んだら良いのかわからないと告げると、それならと勧めてくれたのは、読書初心者向けの物語。
中原各地の古くから伝わる伝説や伝承を編纂したものだった。
当時は知ってる言葉や言い回しが少なかったから、ソフィアお嬢様やフラン様にたびたび意味を訊ねながらも読み進めて。
最後まで読み終える頃には、わたしは読書の魅力にすっかり取り込まれていた。
遥か大昔から現代にまで伝えられる知識。
それをさらに未来へと運ぶ――本という存在。
その後も私は次々に物語を読み進めたわ。
そして、物語の中に登場する言葉の意味を、別の本で調べるという事もソフィアお嬢様に教えてもらった。
なんでも知っていると思っていたソフィアお嬢様にもわからない事はあって、そういう時は本で調べるのだと。
その時になって、ようやく私はソフィアお嬢様が毎日のように国立図書館を訪れている理由が気になったのよね。
ひょっとしたら、ソフィアお嬢様もなにか知りたい事があるのかもしれない。
そう思って訊いてみると、ソフィアお嬢様は困ったように微笑んで、教えてくれたっけ。
――大切な人が魔法を使えなくて困ってる、と。
その症状を回復させる術を求めて、ソフィアお嬢様はローデリアに訪れたのだそうで。
けれど、ソフィアお嬢様が望むような知識や技術は、一向に見つからないのだという。
その話を聞いた私は、なんとかソフィアお嬢様のお力になりたくて。
折しもその頃、商売や政治を教えてもらっていたから、ひとつの考えが思い浮かび、それを口にしてしまった。
――お嬢様達だけで見つからないのなら、もっとたくさんの人を使ってみては?
あの頃は名案だと思った。
ソフィアお嬢様もフランお姉様も、私の案を褒めてくれた。
……けれど、それがその後の私の人生を大きく狂わせることになるとは、あの時は気づけなかった。
「――<叡智の果実>を預けられた私は、ヒトの魔道器官に干渉する術を探りました」
ソフィアお嬢様が集めた人達は、貴族や豪商、冒険者や在野の魔道士、果てはどこで見つけてきたのかプロの暗殺者まで――本当に多彩な人材ばかりで、その職種も多岐に渡った。
そんな彼らが、それぞれの得意分野で活動し、私の指示に従って情報を集めてくれて。
ソフィアお嬢様が目をつけただけあって、彼らは本当に優秀な人達だった。
「その過程で、様々な知識や技術が再発見され、あるいは新たに生み出されました」
それは組織をさらに発展させ――いつしか<叡智の果実>は<叡智の蛇>と名前を変えて、気づけば国を跨ぐほどの大規模組織にまでなっていた。
「言い訳に聞こえるかもしれませんが、研究に専念できるようにと言われ、私は組織運営から離れていたのです」
中原各地から日々集められる情報。
それを精査し、研究に反映させる毎日に、私は組織を運営する立場だという事をすっかり失念してしまっていた。
いや……本当は……
「それまで届いていたソフィアお嬢様からのお便りがなくなり、私は失望され、見捨てられたのだと思ったのです。
だから、なんとか成果を出して挽回しようと――研究に没頭して……」
フランお姉様を伺い見ると、彼女は目を伏せて黙したまま、続きを促すように顎をしゃくる。
「……違和感に気づいた時、ソフィアお嬢様が招いた人達の大半は組織を離れていて、あるいは行方知れずとなっていました……」
そして残ったのは、私を盟主と崇める狂信的な目をした会員達。
――不意に怖くなった。
初期メンバーのみんなは、彼らに消されてしまったのではないか。
そう気づいてしまってからは、怖くて怖くてたまらなくて……私は努めて会員達の望む盟主を演じるようになった。
身の危険を感じたのもそうだったけれど、同時に唯一のソフィアお嬢様達との繋がりがなくなってしまいそうで。
それだけは避けたかったんだ。
<叡智の蛇>は国際テロリストと呼ばれているのを知ったのもその頃だ。
たまたま街を歩いていて、冒険者ギルドの前を通りかかった時に、そう呼ばれているのを聞いた。
遺跡探索中の冒険者が何人も襲撃に遭っているだとか。
古代遺物を入手した貴族が襲われて、遺物を奪われただとか。
私が把握していない末端が、多くの違法行為に手を染めているのだと知って。
それでも恐怖に縛られた私は、動くことができなかった。
培った研究の成果で、確かに私は多くの魔道を修めた。
けれど、荒ごとなんて経験した事なんてない。
フランお姉様に護身術を教えてもらったけれど、それでも本格的な戦闘訓練なんてしたことのない小娘だ。
まともにぶつかったら、<叡智の蛇>が抱える戦士――<執行者>どころか、彼らが率いる戦闘員にすら敵わないだろう。
だから、私は私を囲う狂信者達――<使徒>と名乗る者達の望むがままに、盟主を演じ続けた。
想いと現実が乖離しているように感じる日々。
私が私ではないナニかに塗り替えられていくような感覚。
ソフィアお嬢様への懺悔と、不甲斐ない自分への悔恨に嘆き続ける毎日に、希望の光が指したのは、半年ほど前の事。
「……<使徒>ラインドルフがホルテッサ王国で敗れたと。そう聞きました。
ホルテッサ王太子の大規模魔道によってだと」
ソフィアお嬢様は諦めてはいなかったのだと――私はその時になって知った。
魔法が使えなかったはずのソフィアお嬢様の大切な人は、<使徒>を――様々な遺物や最新技術を使いこなす特別会員を打ち破るほどの魔道の使い手になったのだと。
「……だからっ! 私は表向きは盟主を演じながら……なんとか組織を抜けようと、動き始めたのです」
<使徒>や<執行者>にあれこれ理由をつけて戦闘訓練をつけてもらい、いつか訪れるであろう機会を探った。
「そして、今年の中原同盟会議がベルクオーロ公国で開催されると聞き、これだと思いました」
中原西域の入り口にあるベルクオーロまでは、私の足でも一ヶ月の旅程……辿り着けない距離ではない。
「折しも<使徒>筆頭アガッソ――ルキウス宰相もまた、合同会議に参加する為にローデリアを離れると知り、これを逃す手はないと思ったのです」
私の言葉に、フランお姉様はシーラ様と視線を交わして頷き合う。
「……リグノー局長」
「ええ、まさか<使徒>筆頭だとは思わなかったですけど」
お二人は深々と溜め息を吐いて。
「それで? あなたはわたし達に保護を求めてベルクオーロに逃げ延びて来たってワケ?」
腕組みして訊ねるフランお姉様に、私は首を横に振る。
「それも目的のひとつではありますが……」
私は深く息を吸って、フランお姉様を見つめる。
「<使徒>筆頭アガッソの目論見を砕いて頂きたいのです」
「ルキウス宰相の目論見?」
小首を傾げるシーラ様。
「はい。彼はすでに私の――<叡智の蛇>の思惑を離れて活動しているのです」
そうして私は、<使徒>筆頭アガッソが声高に語っていた計画を、お二人に説明する。
中原全域を巻き込みかねない、その最悪のシナリオを……
すべてを聞き終えて、お二人は重い面持ちで深く嘆息した。
「……それは……」
フランお姉様が言葉を選ぶように宙に視線を走らせて。
「わたし達の裁量権を超えているわ。
それが実行されるという確証はあるの?
相手は西の強国であるローデリアの宰相よ? 証拠がなければ、誹謗中傷と取られて国際問題になりかねないわ。
それこそ本末転倒……ルキウス宰相の思惑通りになってしまうわ」
「アガッソはエリス教団の神子と繋がっています。
そして、神子は先見の魔眼を持っているのです。
彼は神子の指示した地点で騒動を起こし、そこを起点にしようとしているはずです。
その点と点を結ぶようにして、陣が構築されているはずなのですが……」
わたしの言葉に、フランお姉様は後ろに控えた仮面の男性に目配せした。
「すぐに調べさせます」
仮面の男性は私に深々と一礼して、部屋を出て行った。
「まあ、陣の発見待ちね。そのうえで構築される魔道の解析をする必要があるわ」
「それが本当にエイラさんの言う通りのものなら……」
シーラ様の言葉に、フランお姉様は面白そうに笑みを浮かべる。
「わたしも魔王様に教えてもらって知ったんですけどね」
そう前置きして、彼女は人差し指を立てて片目を瞑って見せた。
「大規模な魔道が実行され、神器使いが危機に陥った際、とある現象が起こるそうなんですよ」
「へえ」
興味深げにシーラ様。
「――ご都合主義って言うそうなんですけどね」
その言葉に、シーラ様は噴き出した。
「あはっ! 覚えがあるある! わたしも何度か経験あるわ」
「うちのへたれもですよ。その現象で何度も状況をひっくり返してきてるんです。
……だから安心なさい、エイラ」
フランお姉様はまっすぐに私を見つめて頷く。
「あんたの願いは、うちのへたれが叶えるわ」
「……へたれ?」
小首を傾げる私に、けれどフランお姉様は両手を打ち合わせて立ち上がる。
「とはいえ、へたれは肝心なところで抜けてるものね。
根回しは必要だわ。
さてさて~」
どこからともなく手帳を取り出して、そこに書かれている内容に素早く目を走らせるフランお姉様。
「ふむ。これはソフィアお嬢様の見せ場ね」
「クレストス宰相代理が動くって事は、明日の事前調整会談かしら?」
シーラ様も立ち上がり、フランお姉様の手帳を後ろから覗き込む。
「ああ、やっぱり。なら、アリシアお姉様に話を通しておきますね。その方がクレストス宰相代理も動きやすいでしょう?」
「金薔薇様がご協力頂けるなら心強いです」
そうしてお二人は握手を交わす。
「――あ、あのっ!」
そんな二人に私もなにか力になりたくて。
「――開け、<道具袋>」
喚起詞を唄って、虚空に隠したそれを引っ張り出す。
本当に小さな――数ミリほどのサイズの青い石をトップに収めたペンダント。
「これ! ソフィアお嬢様に渡してください!」
それは長年の研究の成果。
素材も魔道も足りなくて、たった数ミリしか生成できなかったけれど、それでもきっとあの方の力になってくれるはず。
「――永久結晶って言う……冥府に咲くという願望器の、その再現です!」
私が差し出したペンダントをまじまじと見つめて。
フランお姉様は破顔する。
「どうやらご都合主義は、もう始まってるみたいだわ」




