第21話 9
<聖殻>が再び手のひら部分を残して分離して、割れたパーツがホール中に広がり、そして旋回を始める。
ホールが蒼に染め上げられる中、セリスは跪いたまま頭上に両手を広げて。
「――女神サティリアの浄化の加護を!」
ホールの床に散らばった漆黒の粘液が、セリスの詞に応じるかのように、ふわりと浮かび上がって珠を作る。
「……エイダ様、セリスはなにを?」
俺が支えているエイダ様に問いかけると、彼女は見つめていたセリスから俺に視線を移した。
「あの狂信者達は、死を覚悟して『神の力』とやらを用いたわけだが……」
エイダ様は喉を鳴らして哂って。
「それをサヨ姫と、オレア坊や――あんたらは意に介さず蹂躙して見せたわけだ。
――そして……」
珠となった黒の粘液を指し示した。
「連中は無念のままに、瘴気に呑まれたわけだ。
――まあ連中にすれば、それでも神とやらのために戦えて満足かもしれん。
だからこそ、その信仰心を折り砕くっ!」
ニヤリと笑みを濃くするエイダ様。
ホールを旋回する<聖殻>のパーツが、甲高い――笛の音のような音を奏でる。
その音色に喚ばれたように、精霊光が舞い飛び始めた。
床に両膝をついて座るセリスは、両手を掲げて。
その青い目が見開かれて、宙に浮かぶ黒色の珠を捉えた。
「――とこしえの眠りより目覚めて開き、もたらせ……」
紡がれたセリスの詞に応じるように、珠の色がクルリと虹色へと転じる。
その輝きは周囲の精霊を巻き込んで上昇し、ホールの天井まで虹色の光の柱が立ち昇った。
セリスの胸で、永久結晶の蒼がより強く輝き、同時の彼女の頭上の<聖殻>もまた、蒼の輝きを濃くする。
その五指が珠に触れて。
セリスの両手も同じように触れた。
「……これは――」
背後からかけられた声に振り返れば――恐らくは鎮圧目的で駆けつけたのだろう――三大教派の聖騎士達が駆けつけてきていた。
……ったく、遅えんだよ。
状況はもう、クライマックスだ。
なまじ組織がでかいから、緊急対応ひとつ取っても、こんなに時間がかかってしまうのだろう。
駆けつけた聖騎士達は、ホールでセリスが描き出している幻想的な光景に、完全に魅せられていた。
「――いまこそ! 女神の眷属たるその威を示せ、<癒やしの右手>っ!」
ホールが蒼に染め上げられる。
しゃぼん玉が弾けるかのように、虹色へと転じた珠が弾けて。
瘴気に溶けたはずのティアリス聖教の信徒達が、次々と宙に現れて、ゆっくりと床に並べられた。
すぐに目覚めた彼らは、目の前の光景に驚きを隠せないのか、声もなく固まっている。
「――おい、拘束だ。せめてそれくらいの仕事しろよ」
俺が聖騎士長に声をかけると、長の号令の元、聖騎士達が慌ただしく動き始めた。
――ホールを照らし出していた輝きが、燐光となって精霊光と共に溶けて。
<聖殻>もまた、残光を残して消失する。
「――さあ、セリス嬢ちゃん、締めてやんな!」
エイダ様に促され、セリスは額の汗を拭いながら、拘束されたティアリス信徒を見回した。
彼らは驚きの表情を浮かべたまま。
「――神の……神の奇跡だ……」
と、口々に呟いている。
けれど、セリスは彼らに首を振って見せた。
「いいえ。これは人の力。
大昔に、誰かが傷つくのを赦せなかった人が生み出した力で……」
それから、俺とエイダ様の方に視線を向けて、わずかに微笑む。
「誰かが誰かを助けたいと願い、そんな誰かが無力だと嘆くのを止める為の――ただの人の力なんです」
そう語るセリスは、汗だくで髪もボサボサだってのに、ひどく美しく見えたんだ。
「――わたしは何度だって言います。
奇跡とは、人が織りなす努力の力であり、そこに神なんて不確かな存在が介入する余地なんてありません!」
セリスの詞にティアリス信徒達は気圧されたように、息を呑んだ。
「……そりゃ、あの娘がなにもしなけりゃ、死んでいたはずなんだからね」
エイダ様が皮肉げに哂う。
「今、あいつらは信仰と現実の狭間で戸惑ってるはずさ。
……だから――」
エイダ様が笑い、俺も拳を握りしめてセリスを見つめる。
――そうだ、セリス。言ってやれ!
「――現に、あなた方の命を救ったのは、あなた方の神などではなく、わたしの――わたし達の……この場に残った、人の力です!」
わざわざ言い直すところが、あいつらしいや。
「信じていたものを疑えというのは酷でしょうが……あなた方がなぜ瘴気に呑まれなければいけなかったのか。
それらも合わせて、よく考えてみてください……」
そこまでを言い切って、セリスは柔らかい笑みを浮かべた。
その顔色がひどく青白く、身体もふらつき始めてるのに俺は気づく。
「……ほれ、あたしのこたぁもう良いから、あの子のトコに行ってやんな」
エイダ様も気づいたようで、そう言ってくれた。
「オレア殿、代わろう」
と、サヨ陛下がエイダ様を反対側から支えてくれて。
モンドと共に神子代理を拘束してるノリスが、一歩を踏み出しかけていたが、俺が動き出したのに気づいて、その足を止めた。
その表情に苦笑が浮かんでるのを見て、俺は気恥ずかしくなって顔を逸らす。
「――セリスっ!」
肩を抱き寄せ、俺は彼女の名前を呼んだ。
俺の腕の中で、セリスは熱に浮かされるような目で俺を見上げて。
「――ああ、オレア様。申し訳……ありません」
いつもと違って名前を呼んでいるのにも気づかないセリスに、俺は首を振る。
「気にするな。今回は本当に助かった」
そうして、俺は彼女を横抱きにすると、ホールの入り口へと向かう。
「え!? え!? ええっ!? オ、オオオ、オレア様っ!?」
「おい、危ねえから、そう――首に手を回してだな。そうだ。医務室に運ぶから、眠かったら寝てしまえ」
強力な魔道器を使うと、どうしようもなく眠くなるのは、俺も何度も経験している。
セリスにそう言って、俺はホールを出ようとしたんだが……
「――お待ち下さい、オレア殿下!」
三大教派のトップが、顔を揃えて俺の行く手を遮った。
「……なんだ? 見ての通り、俺は急ぎなんだ。
そんな俺を呼び止めるだけの理由が、おまえらにあるのか?」
緊急事態に逃げ出したのは――良くはないが、まあ立場的に仕方ないとも思う。
戦えもしないジジイどもに居残られても邪魔だしな。
だが、聖騎士をすぐに動かさなかったのは頂けない。
恐らくは派閥だのの政治力学が働いて、すぐに動かせなかったのだろうが、そんな事は俺には関係ない事だ。
「俺の《《大事な女》》を早く休ませてやりたいんだ」
「――だ、だだ……わ、わたしが大事な……」
セリスが腕の中で、ブツブツうるさい。
休んでろつってんのに。
「その<聖女>殿の事です。オレア殿下!
彼女はサティリア教会の修道女! 休ませるなら、我々が――」
「いや待て!」
「いやいや、そちらこそ待ちなさい!」
三代教派のトップが、それぞれ睨み合いながら言い募る。
要するに、瘴気に呑まれて死んだ者すら、生き返らせてみせたセリスを、なんとか囲い込んでおきたいということか。
俺はため息ひとつ、両手はセリスを抱えて埋まっていたから、静かに右足を上げて――力任せに振り下ろした。
ホールに響く炸裂音。
大理石張りの床に、音を立てて亀裂が走る。
ジジイどもが悲鳴を上げて、聖騎士達が彼らを守るため、俺との間を遮るように立ち並んだ。
けれど、俺に退く気なんてない。
「――良いか? 恥ずかしいんだから、何度も言わせんなよ?
俺は、《《大事な女》》を早く休ませたいんだ」
目を細めて、俺はジジイどもを見回す。
「三大教派のトップかなんか知らねえが、セリスはホルテッサの民なんだ。
こいつの意向を無視しようってえんなら、俺が相手になるぞ?」
「――なあっ!?」
俺の言葉に呻くジジイ共。
そして。
「まあ、そうなったら、当然、我も味方するぞ」
エイダ様に肩を貸しながら、サヨ陛下が腰の太刀に手をかけて、俺のすぐ隣に立ち。
「……殿下、私はいつでも動けます」
いつの間にか背後にやってきていたモンドが、殺気を滲ませながら聖騎士達を見据える。
……決して短くない睨み合いの後。
根負けしたのは、ジジイ共だった。
聖騎士達が左右に割れて、ジジイ共ともども、俺に道を譲る。
「……オレア殿下、最後に……」
背後からかけられた声に、俺は首だけで振り返る。
「聖女セリスの力が必要な時は、ご助力頂けますな?」
「――それはセリスが判断することだ。
ま、こいつを利用しようって言うんじゃなければ、俺はそれで良い」
「……肝に銘じましょう。我らも国と事を構えたいわけではないので……」
「ああ、なら良い」
そうして、俺は医務室へと向けて歩き出して。
「……大事な女って大事な女って大事な女って――」
真っ赤な顔で目をぐるぐるさせながら、ぶつぶつ呟いてるセリスを見下ろす。
なんか熱まで出てねーか?
とにかく今は、こいつをベットに叩き込まねえとな。
今回の最大の功労者なんだから、きちんと労わねえと。




