第21話 7
巨大な刃によって、エイダ様のお身体が袈裟懸けに引き裂かれた。
そのまま床まで断ち割られて、弾けるように破片が飛び散り、そして砂煙が舞う。
まるで時間がゆっくりと流れているように感じた。
断ち切られたエイダ様の上体が宙を飛び、残された胴から下も、衝撃によって椅子を弾き飛ばしながら床を滑る。
「――貴っ様ああああぁぁぁぁぁッ!!」
サヨ陛下が怒号あげて<天使>に駆けた。
その背後に魔芒陣が現れて。
「目覚めてもたらせっ! <魔王騎>!!」
サヨ陛下の詞に応じて、魔芒陣から漆黒の甲冑が這い出てくる。
ユメ様の<舞姫>を彷彿させる外装をした、サヨ陛下の専用<兵騎>。
その腹にサヨ陛下が呑み込まれ、面に濃紫の貌が描き出される。
並べられた椅子を吹き飛ばして、またたく間に<天使>との距離を詰めたサヨ陛下は、腰の剣を抜き放つ。
<天使>の左腕が切り飛ばされた。
『――あああああぁぁぁぁッ!?』
神子代理の悲鳴がホールに響く。
そこまでが一瞬の出来事だった。
<天使>が残された右腕をめちゃくちゃに振るって、サヨ陛下がそれをたやすく受け流していく。
ホールに重厚な剣戟の連打が響いた。
脚から力が抜ける。
「セリス!」
お兄様がへたり込みそうになるわたしを支えてくれて。
「エイダ様っ! ちくしょう、あんた魔女なんだろ!?
こんな事で死んでんじゃねえよ!」
気づくと、オレア殿下が断たれたエイダ様の身体をかき集めていた。
「待ってろ、今、なんとかしてやるから!」
涙声で叫びながら、殿下は癒やしの魔法を喚起して、エイダ様を癒そうとする。
「クソっ! 頼むよ。
あんた、こんな事で死んで良い人じゃないだろ?
孫が待ってるって言ってたじゃねえか……」
嗚咽するように震えた……殿下の声。
「ああ、ちくしょう。なんで俺は癒やしをちゃんと覚えとかなかったんだ……」
その言葉はひどく後悔に溢れたもので。
「……セリス」
お兄様がわたしに声をかける。
「セリス、わかるかい?」
「……え?」
呆然とするわたしの目を覗き込み、お兄様はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「君は殿下のお力になりたいと……<聖殻>という力を手に入れたようだけどね。
……戦う力は、殿下はすでに持ってるんだ」
そして、お兄様はわたしの肩を抱いて、殿下の方に身体を向ける。
「まあ、君が勘違いしちゃったのもわかるよ。
君の友人達は、みんな戦うための力を手にして――殿下のお役に立とうと努力を続けているもんね」
わたしの肩を抱くお兄様の手に、力が籠もったのがわかった。
「でも、君の力はそこじゃないだろう?
セリス。殿下は今こそ、君の力を必要としてるんじゃないかい?」
「お兄様……」
……そう。
お兄様の仰る通りだわ。
淑女同盟のみなさんは、その為の努力を続けて来たからこそ力を手にしたというのに。
わたしは……偶然、<聖殻>という力を手に入れただけなのに、みなさん同様に戦えると思い上がって……
しっかりと両脚に力を込めて、わたしは床を踏みしめる。
「……君は、君のできる事を全力ですべきなんだ」
そう告げるお兄様に背中を押されて、殿下の元へ一歩を踏み出す。
「――殿下!」
わたしが呼ぶと、彼は涙でぐちゃぐちゃになった顔でわたしを見返して。
「セリス! そうだ、セリスなら――!」
必死の声音で、わたしの名前を呼んだ。
……本当に、殿下は変わられたわ。
以前の彼は、誰かに執着する事なんてなかったし、誰かを頼るような事もなかった。
まして誰かの為に人前で涙する事なんて、絶対にしなかったわ。
それが今、彼はひどく人間らしく――突然の悲劇に戸惑う、当たり前の男の子みたいに――涙を流しながら、わたしを頼ってくれている。
それが……こんな時だというのに、不謹慎にも嬉しく感じてしまう。
……だから!
「セリス、頼む! エイダ様を助けてくれ!」
そう懇願する彼に駆け寄って、わたしは力強くうなずきを返す。
「――任せてください、オレア様!」
そう彼の名前を口にすると胸の奥が暖かくなって。
『……ようやく気づけたようだね』
そんな声が聞こえたような気がした。
胴を断たれたエイダ様を見下ろし、わたしは両手を掲げる。
「――女神サティリアの癒やしのご加護を……」
喚起した癒やしの魔法が白の燐光を放って、エイダ様のお身体を包むこむ。
まるで呼応するように、胸に着けたブローチが蒼の輝きを放ち始める。
わたしの胸の奥――魔道器官から詞が湧き上がって来た。
それを、わたしは声に乗せる。
「……とこしえの……眠りより目覚めて……」
蒼の輝きはいまやわたしを包み込んでいて。
「……セリス……」
殿下が静かにわたしの名前を呼ぶ。
壁に突き刺さっていた<聖殻>が、蒼の輝きを放ちながら動き出し。
「――女神の眷属たるその威を示せ、<癒やしの右手>っ!」
それは女神サティリアの従属神である癒やしの女神の名。
そして<聖殻>に与えられた、本来の銘。
喚起詞に応じて、<聖殻>はわたし達の頭上でその大きな手を広げ――手首から上の甲が分離して、わたし達の周囲を旋回し始める。
まるで結界のように、蒼の燐光を放つ半透明な壁が形成されて。
燐光が、エイダ様の断たれた身体に染み渡っていく。
まるで時を逆さまに流すように、その断面がゆっくりと繋がっていき……
オレア様が息を呑む。
エイダ様が静かに目を開けられて。
「……やれやれだよ。死ぬかと思った」
床に横たわったまま、優しい笑みをわたしに向けて、そう仰ったわ。
「だが、わかったろう? セリス、あんたの力の使い方……」
そして、いたずらめいた表情で、そう続ける。
ああ、その為に――間違えていたわたしにそれを教える為に、エイダ様はその身を挺してくださったのね……
「ありがとうございます……」
思わず零れそうになる涙を拭って、わたしはなんとかそう告げた。
「いいや、こちらこそだ。
言ったろ? あたしゃ、あんたを信じてるってさ」
と、再び優しい笑みを浮かべてエイダ様は仰って、視線をわたしの横――オレア様に向けられた。
「しかし、オレア坊や。ずいぶんとひどい顔してるじゃないか」
クツクツと笑うエイダ様に、オレア様は袖口で涙を拭って顔をそむけた。
「あんたが死にそうになるような真似するからでしょうが……」
「フフ、ありがとよ」
それからエイダ様はゆっくりと身体を起こして。
わたしは慌てて、彼女のその身を支えた。
「さあ、セリス。もうひと仕事だ。
瘴気に呑まれた哀れな連中を、救ってやらなきゃね」
と、彼女が見つめる先は、オレア様とサヨ陛下が倒したティアリス信徒達の名残り――床に滴る黒い粘液で。
「サティリアの聖女の力を、あの狂信者共に見せつけてやんな!」
だから、わたしは力強くうなずきを返して。
「はい!」
エイダ様の身をオレア様に預けて、わたしは瘴気溜まりに向かって歩き出す。




