第20話 8
――シンシアが立ちすくんだその瞬間。
自分でもびっくりするくらい、自然に身体が動いてくれた。
リック先生が護身用にと渡してくれた、魔道器の腕輪に魔道を通す。
「――目覚めてもたらせ!」
略唱の喚起詞と共に、床を蹴って結界の外へ。
腕輪が黒色の手甲へと変わり、わたくしはシンシアの前に。
飛び込んでくる異形に向けて、拳を振り抜いた。
手甲に覆われた拳は、虚ろな目をした異形の顔面を捉える。
「――<剛力甲>!」
正規の喚起詞に応じて、魔道器はその効果を発揮する。
水蒸気の輪が散って、異形が吹き飛んだ。
拳を振り抜いた勢いで身を回し、わたくしは追撃を警戒して身構える。
「――リリーシャ様っ!?」
シンシアが驚いた声で、わたくしの名前を呼んだわ。
「オレア殿下じゃなくて悪いわね」
「――なっ、なんでそれをっ!?」
顔を赤く染めてうろたえるシンシアに、わたくしは片目をつむって応える。
「同じ状況なら、わたくしもあの方を思い描くからよ」
助けを求める誰かの為に、自らを省みずに真っ先に飛び込んでしまう、わたくし達の漆黒の狼剣士様。
なにも知らなかった時のわたくしは、あの方には怖いものなんてない、勇気に溢れる方なのだと思っていたわ。
……そんな人、居るはずもないのに。
ホルテッサの守護竜様に、あの方はむしろ臆病なくらいだと教えられて。
オレア殿下は、勇気に溢れているのではなく――ただ、お優しい為に、誰も見捨てられないのだと気づかされたわ。
そして、わたくしはただ守られているだけの自分を、恥ずかしく思った。
だから、力を求めたわ。
周囲を見回した時――淑女同盟のみなさんは、全員が全員、なにかに秀でていて。
――わたくしはひどく中途半端だった。
得意と思っていた政治分野では、ソフィア様にまるで及ばない。
魔眼があって有利だと考えていた魔道に関しても、お姉様はおろか、エリスやシンシアにも及ばなかった。
武に関しても、ジュリアやユメさんのように、幼い頃から鍛錬しているわけじゃない。
なにもかも中途半端だったわたくしは、それでもせめて守られるだけは嫌だったから、武術を学ぼうと考えたのよね。
そんなわたくしに、リック先生は言ったわ。
――逆に言えば、全部、それなりにできるって事じゃねえか?
リック先生が言うには、四天王をまとめているザクソン先生が、そういうタイプなんだとか。
――おまえは難しく考えすぎなんだよ。
と、先生は続けたのよね。
なにかひとつに絞る必要はない。
わたくしはわたくしができるすべてで、オレア殿下を支えれば良い。
リック先生の見ている世界は、きっとひどく単純なのでしょうね。
……けれど。
その発想に、わたくしは救われたわ。
この場はシンシアに出遅れてしまったけれど。
積み重ねた努力は裏切ることなく、シンシアを守るのに役立ってくれた。
「――あの人形を使っている間は、身を守れないのでしょう?
あなたはこのままわたくしが守るわ」
わたくしがシンシアに告げると、彼女は力強くうなずく。
「――お願いしますっ!」
賢い彼女は、判断も早い。
再び両手を振り上げて、舞いの型をなぞり始める。
その四肢から、そして指先から。
無数の魔道が虹色に輝く糸のように伸びて、傀儡達につながってきらめく。
魔道を見通すわたくしの魔眼は、魔道傀儡の原理を正確に見抜いた。
十基近い人形魔道器を、シンシアは魔道の糸で操りきっていたのよ。
それは彼女自身もまた、努力を続けていた証で。
いいえ、彼女だけじゃないわね。
淑女同盟のみなさんは、日々、努力と成長を続けているもの。
「……負けてられないわよね」
傀儡達が異形と戦うのを横目で見ながら、わたくしも牽制のために攻性魔法を放ち、くぐり抜けてきた異形を拳で迎え撃つ。
結界を張った護衛達も戦線に復帰し、異形の数はみるみる床に倒れ伏していく。
その時、庭の方で一際まばゆい真紅の閃光が走った。
直後、虚ろな表情だった異形達が、不意に苦悶の表情を浮かべる。
その胸に、漆黒の渦が生まれて。
まるでその渦に吸い込まれるかのように、異形達の身体がねじれながら収縮していく。
「――――ッ!?」
異形達が悲鳴をあげた。
渦は完全に異形を呑み込み、拳大のいびつな鈍色の球体が宙に残される。
それらは、そのまま次々と金属音を響かせて床に落ちた。
突然の出来事に、ホールに静寂が訪れる。
わたくしもシンシアも、護衛達同様に周囲を見回して、警戒を解かない。
そんなホールに。
「――やれやれ、手間取っちまったよ。歳は取りたくないもんだ」
割れた大窓をくぐって、エイダ様が戻ってくる。
「――エイダ様! これは……」
わたくしは床に転がったままの鈍色の球体を見回した。
「禁忌に触れた者の成れの果てさ。
遺体が残らず、歪められた魔道器官だけが残されるんだ。
まったくひどい事をするもんだね」
そうして、エイダ様はホールの天井を見上げて。
「……手間取ってるようだね。どれ――」
そう呟くと、彼女はおもむろに手にした拳銃型の魔道器をそちらに向ける。
真紅の輝きがホールを照らし出して。
駆け抜けた光条は天井を貫いて大穴を空ける。
そこから、人影が落ちてきた。
白磁の肌をした――鬼属を思わせる角を額から生やした異形。
「――あんたがこの騒動の仕掛け人だろう?
なんて言ったか……」
首をひねるエイダ様。
頭上に空いた穴から、さらに人影がふたつ落ちてきて。
「……<執行者>です。
お手を煩わせて申し訳ありません」
仮面をつけた侍従姿の男――モンドがエイダ様に会釈する。
……あの人が他者に頭を下げるなんて――本当に変わったのね。
身構える白磁の異形――<執行者>に、同じくミリィも身構えて。
「いいさ。禁忌に手を染める奴のツラを拝んでおきたかったしね」
エイダ様は肩を竦めて、異形を見据える。
「……魔物由来のバイオスーツかい。
どうやら禁忌はステータス書き換えだけじゃないようだね?
いろいろと歌ってもらわないといけないねぇ」
銃口を向けて訊ねられても、異形は無言のまま。
「――とはいえ、だ」
銃把を離して、エイダ様は苦笑。
その指先に引っかかって、魔道器がくるりと回る。
異形が、じりじりとこちらに退くのがわかった。
「あたしじゃ、あんたを殺しちまいかねない。
……あんたらもそうだろう?」
エイダ様が左右のモンドとミリィに問いかけると、二人は正面を向いたままうなずきを返した。
「……残念ながら、ヤツが<鬼装束>を纏ってしまった以上、手加減は難しいですね」
「その前に仕留めたかったのですが……」
モンドとミリィの答えに、エイダ様は銃型魔道器をくるくる回して、腰のポーチにしまうと、不意にわたくしとシンシアに視線を向けた。
「……あんた達、やれるね?」
居並ぶ護衛達ではなく。
最果ての魔女であるエイダ様は、わたくし達に問いかけてきた。
親指で自身の首元を指差し。
「それを持つにふさわしいってトコを……」
にやりと笑う。
わたくしとシンシア様は、同時に自分の首元を押さえる。
そこには、先日、エイダ様から頂いた青い石のペンダントがある。
「――あたしに見せておくれよ」
ジュリアもエリスもお姉様も。
この石を預かったみんなは、その努力を証明してきた。
なら、わたくし達も負けてられない。
「……シンシア、ご覧頂きましょうか」
わたくしが背後に呟けば。
「ええ。もはやわたくし達は守られるだけの存在ではないのだと。
殿下にも、ご承知頂く良い機会ですわ!」
わたくしの気持ちを、そのまま言葉に乗せてシンシアがうなずいて、わたくしの隣に並ぶ。
異形の周囲を、シンシアが操る魔道傀儡が取り囲む。
「――異形のあなた。
お相手願えますかしら?」
ダンスの作法に従って。
わたくし達は、右手を異形に差し出して。
こちらに身構える彼は、応じたということで良いのでしょう。
――だから。
わたくし達はふたり並んで、彼に優雅にカーテシー。




