第20話 5
ホールの入り口の方から衝撃音と悲鳴が聞こえて来た時、会場にいらっしゃった皆様の動きは、まるで淀みないものだった。
流れるようにホール中央に集まり、その周囲を使用人やそれに扮した護衛が取り囲む。
わたくしもまた、リリーシャ様と共にフローティア様に手を引かれて、その輪の中に加わる。
王族ばかりの集まりだからこそ、守られる事に慣れてらっしゃるのでしょうね。
リリーシャ様の付き人として同行していながら、わたくしは出遅れた事に気づいて、歯噛みしたわ。
いえ、悔しがるのは後回しね。
わたくしはリリーシャ様の壁になるように、人垣の外側に立ち、いつでも魔道を喚起できるように胸の前で拳を握る。
「……なにが起きたのかしら?」
周囲を見回しながら、わたくしはすぐ隣に立つ、フローティア様の護衛の女騎士――ルシア・ミンクス様に尋ねた。
「……シンシア様……申し訳ありません。わたしも詳しくは……」
と、彼女もまた、状況までは把握しているわけではないようで首を振る。
その間にも、開け放たれたホールの入り口からは、衝撃音と悲鳴が断続的に聞こえてきていて。
と、外庭を臨む大窓の向こうのテラスに、明らかに場違いな――みすぼらしい出で立ちをした男達が駆け込んで来たのが見えた。
彼らは手に鈍器や刃物を持っていて――そのうちのひとりが、大窓を打ち砕く。
硝子の砕ける音に、女給達は悲鳴をあげたのだけれど、護衛の輪の中の王族の皆様は息を呑む事すらしない。
「……あらあら、乱暴だこと」
フローティア様なんて、そんな風に楽しげな呟きさえ漏らしている。
「――見つけたぜ! 王族どもだ!」
次々に大窓を破って、男達はホールに踏み込んで来た。
「――何者だ!?」
護衛のひとりが男達に叫び。
途端、男達は激昂したように口々に暴言を喚き立て始める。
端的に聞き取れた内容は、彼らは税金で各国の王侯貴族が集まってパーティやお茶会をしているのが気に入らないというもので。
「――その様子じゃあ、俺達がずっとこの建物の外で、デモをしてたのも知らねえんだろう?」
男達の中から、ひとりの男が進み出て、そう発言する。
「――デモ? 確かに知らないけれど……なにを主張するものだったのかしら?」
まるで小馬鹿にするように、フローティア様が訊ねた。
「貴族しか得しない、この馬鹿げた会議を止めて、その分の税金を民に返すべきだろう?」
男の主張に、王族の皆様は一様に首を傾げた。
中には冷笑を漏らす方までいたわ。
……フローティア様なのだけれど。
「ねえ、あなた」
わたくしとルシア様の間から顔を出したフローティア様は、男に呼びかける。
声をかけられた男は、直接呼びかけられた事に気を良くしたのか、さらに一歩を進み出て、口を開こうとした。
「――ああ、名乗らなくて良いわ。どうせ覚えておく価値もないから」
けれど、フローティア様は手にした扇で口元を隠して、すげなくそう告げる。
「――なっ!?」
激昂して顔を赤くする男に、フローティア様は続ける。
「あなた、税金を返すべきと言ったけど、ベルクオーロは今回の会議のために増税をしたのかしら?」
まともな教育を受けていたなら、そんな事ありえないのはすぐにわかるはず。
中原各国の王侯貴族が集まる国際会議。
当然、そこに商機を見出して、中原中の多くの商人達もこの地に集まっている。
増税なんてしなくても、諸国連合会議の開催地はそれだけで経済的に潤うのよね。
「――だ、だが! 他国の王族や貴族をもてなすのに税金を使っているだろう!?」
「定められた税収から予算編成して行う催しの、なにが悪いのかしら?
あなただって、お客様がいらっしゃったら、自身の収入の中から精一杯もてなそうとするでしょう?
そんなの無駄だからと、お客様を追い返して、その浮いたもてなし費用を雇用主に返すのかしら?」
「――そういう事を言ってるんじゃない!」
顔を真っ赤にして怒鳴る男。
だが、フローティア様は涼しい顔ね。
「そういう事を言っているのでしょう」
王族の皆様も、呆れたようなため息と冷笑。
「そもそもの話、連合会議の催しを賄う為に、ベルクオーロの様々な業種には、その税金がおりているはずよ?
まともに働いていれば、たいていの職種はその恩恵に預かれるはずなのだけれど」
フローティア様は畳み掛けるように言葉を紡ぎ、いまや怒りに顔を赤黒くしている男を見据える。
「ねえ、あなたはどんなお仕事をしているのかしら?」
「……俺は……俺は……」
言葉に詰まる男に、フローティア様はクスクスと笑う。
「――まさか無職なんて仰らないでしょう?」
煽るように告げると、男は癇癪を起こしたように地団駄を踏み始める。
「――それもこれも、お前達王族の政治が! 社会が悪いんだ!」
大声で怒鳴る男。
わたくしは咄嗟の襲撃を警戒して、腰を落としたわ。
そんなわたくしの肩に手が置かれて、視線を向けると、リリーシャ様がすぐ後ろに立っていた。
「……おまえが無職なのは、おまえ自身の怠慢が原因でしょう?
諸国連合会議のおかげで、いまのベルクオーロは好景気でどこも人手不足だと聞いているわ。
デモだかなんだか知らないけれど、そんな事に時間を割く暇があったなら、働けばいいでしょう?
――社会や、ましてわたくし達の所為にしないでちょうだい」
肩に置かれたリリーシャ様の手は、微かに震えていたけれど。
男達に向けて放たれた言葉は、そんな事を微塵も感じさせない、強い声音だった。
「俺達はお前達より、社会をよくできるんだよ!」
「――まともに働きもしない者が、社会のなにをよくできると言うの?
おまえが言っているのは、所詮、妄想でしかないわ」
「――俺達の生活を知らないくせにっ!」
その言葉に、わたくしは頭に血がのぼるのを感じた。
……わたくしは知っているわ。
民を想い、民に混じって言葉を交わし、民の為に涙する王族がいる事を。
「――あなただって、王侯貴族がどれほどの重圧にさらされているか知らないでしょう?」
唸るように、わたくしは押し殺した声で男に言い放ち。
「あなた達は不平不満を叫んで、なんとかしろと言うだけだから、楽で良いわよね」
一歩を踏み出す。
「……王族の方々は、そんな声さえ聞き取って、より多くの民がよりよい未来を迎えられるように、日々苦悩なさっているのよ?
そんな事、想像したこともないでしょう?」
――オレア殿下の……あの方の苦悩を、こいつはどれほど想像できるというの?
「今だってそう。
皆様はあなた達を護衛に任せて、さっさと逃れる事だってできるのよ?
それをせずにいるのは、あなた達の言葉を聞こうとなさっているから」
「――へっ! 怖くて動けねえだけだろうが!」
「……これが、恐れている者の目だと言うの?」
わたくしは背後を振り返って、王族の皆様を指し示す。
皆様は一様に、哀れな者を見つめるような目を彼らに向けている。
その中から、リリーシャ様が進み出て、わたくしの隣に並んだ。
「――王族は、民の為なら、いつでもその身を捧げる覚悟をしているのよ。
……果たしておまえ達の中に、その覚悟を持った者がいるというの?」
貴族が着飾るのは、いつ命を散らす事になっても、みっともない様を晒さない為。
わたくしはお母様にそう教わったわ。
――貴族の娘として生まれた以上、いつでも命をかける覚悟をなさい、と。
「――いるわけないでしょう?」
フローティア様がクスクス笑う。
「彼らは、とにかく不満のはけ口を求めているだけなのだから。
王族を批判する事で、自分が王族以上だと思い込みたいのよねぇ?」
その言葉に、男達が激昂して口々に罵声をあげた。
「――図星を突かれて怒るくらいなら、はじめからこんな事をするものじゃないわ」
と、フローティア様は鼻を鳴らす。
「……いつでも身を捧げる覚悟ができてるだと?
じゃあ、見せてみろよ!
どうせ本当に危なくなったら、泣き叫んで助けを求めるに決まってる!」
そう叫んだリーダー格の男が、懐から黒色の球体を取り出す。
「そして見せてやる!
――俺の覚悟を!
目覚めてもたらせ。コード・リライター!」
男はその球体を胸に押し当て、喚起詞を紡いだ。
途端、それは赤黒く輝いて脈動し、男の胸にめり込んでいく。
その周囲に、まるで遠視板のような光の板が無数に浮き上がり、知らない文字が上から下へと流れた。
「ぐおおおぉぉ――――ッ!!」
――ホールに。
まるで獣声のような咆哮が響き渡る。
わたくし達の目の前で。
――男の体躯が歪にゆがみ、変貌していく。




