第19話 10
下品なパルドスの芸と、隣から聞こえてくるキムナル王女の甲高い歓声に辟易していたところで、俺達の席に来客があった。
ひとりはサラ達の襲撃犯を尋問していたヴァルトで、もうひとりは珍しく素面っぽいエイダ様だ。
「――あ、エイダ様。ごきげんよー!」
パルドスの意味不明な芸に飽きていたサラは、椅子から飛び降りてエイダ様に抱きつく。
先日からの交流で、すっかり懐いているようだ。
エイダ様も、サラと同じ年頃の孫らいるらしく、サラの扱いには手慣れた感じで、抱きついたサラの頭を撫でると、膝に抱いて椅子に座った。
「……そろそろあの子らの番だろう?」
「僕は報告があって訪れたのですが、入り口で偶然、お会いしまして……」
と、ヴァルトはモンドの隣に立って、そう告げる。
「……報告っていうと、アレか?」
襲撃犯の尋問の件以外にはないだろう。
「――ええ」
ヴァルトの視線が隣のルキウスの後ろ頭に向けられていて、だから俺は席を立った。
「モンド、少し外す。サラを頼むぞ」
「――お任せください」
そうして俺はヴァルトをともなって、アーチ状階段を降りた。
「――んで?」
「はい。尋問の結果、捕縛したニ名は在ベルクオーロのパルドス人組織から依頼を受けたのだと判明しました」
「あ? 在ベルクオーロのって……パルドス周辺国では、パルドス人はみんな送り返したんじゃねえのか?」
俺の問いに、ヴァルトは憎々しげに顔を歪ませる。
「連中は二世三世なのを理由に、この地に留まった組織なのです。
半分はベルクオーロの血が混じっているのだと、そう主張して帰国事業を逃れたそうですよ」
「……ひょっとしてホルテッサにも、そういう組織あったりするのか?」
「フラン先輩を通じて調べてもらったところ、結構な数が存在するようですね」
「戻り次第、摘発して帰国するか、ウチに帰順を誓うか選ばせねえとな……」
俺は手帳を取り出して書きつける。
完全に盲点だった。
二世三世とはいえ、親、あるいは祖父母がパルドス人である以上、そいつらは一世からホルテッサへの怨恨を教育されているはずだ。
そんな連中を内に抱えていては、余計な騒動を引き起こしかねない。
「で、肝心の組織とやらはどうした?」
「それが……」
ヴァルトにしては歯切れ悪く、目線をそらして言い淀む。
「僕とエリィがアジトを急襲した時点で、壊滅させられていました」
「――は?」
「どうも別口で襲撃があったようでして。
現在、実行した者――あるいは組織の痕跡をエリィが探っているところです」
「人手が欲しいって事か……」
それもヴァルトやエリィ並に動ける人手が。
「はい。モンドをお借りしても?」
「……わかった。連れてけ」
そうして俺達は席へと戻り、モンドにヴァルトの手伝いをするよう指示を出す。
「移動しながら事情を説明しますので、行きますよ」
ヴァルトがモンドにそう告げると、彼は俺に一礼してヴァルトに続いた。
「――なんだい、忙しないね?」
手ずからお茶をポットから注ぎ、エイダ様が俺に訊ねる。
「まあ、先日の件で色々と」
チラリとエイダ様の膝の上のサラを見ると、エイダ様は納得したようにうなずいて、俺の背後にいるルキウスを流し見た。
「……なるほどねぇ」
表立って口に出せない以上、それでこの話題は終わりだ。
「――しかし、下品だねえ。
男が腰振って、アンアンウォーウォー。
ハハッ、まるでケダモノじゃないか」
と、エイダ様は舞台で歌っているパルドスの芸人をこき下ろす。
それを聞きつけたのか。
「――ハァッ!?
世界が認めた<宝石団>のどこが下品なのよ!」
テーブルを叩いたキムナル王女が、席を立ってエイダ様に食ってかかる。
「……オレア坊や、こいつは誰だい?」
キムナル王女のデカい声を意に介さず、エイダ様は優雅にカップを傾けて、一息。俺に悠然と問いかける。
「――パルドス亡命政府の……」
「ああ、魚人属の末裔かい」
エイダ様が鼻で哂ってキムナル王女を見据えれば。
「――差別! 差別よ! 誰かこの差別主義者をつまみ出してちょ――」
こいつ、王族名乗ってるくせに貴属に歯向かうとか、正気か!?
エイダ様は事実を言っただけだろうに、なにが差別なのか。
「――まあまあ、殿下」
と、ルキウス宰相が慌ててキムナル王女の口を塞いで羽交い締めにする。
「……ローデリアの。
ずいぶんと軽い神輿を見つけたもんだねぇ」
挑発するようにエイダ様が告げると、ルキウス宰相は表情を引き締めて。
「それでも大義は必要でしょう?」
「……お題目は結構だけどね、あたしはあんたらのそういうやり方が大嫌いさ。
シルトヴェールの王もそれで踊らされたからね。
今回、あたしがわざわざ国外に出張った理由を、よく考えるんだね」
不意に。
エイダ様はそれまでの優しげな笑みから、魔女と呼ばれるに相応しい凄みのある顔へと表情を変貌させて、ルキウス宰相を見据えた。
「――ヒッ!?」
キムナル王女がルキウス宰相の腕の中で竦み上がる。
「そ、それは我々の敵に回るという事でしょうか?」
「それはあんた次第さ……」
エイダ様に凄まれて、ルキウス宰相は撤退を選択したようだ。
一礼して、その場を去ろうと踵を返す。
――けれど。
「――待ちな」
エイダ様はルキウス宰相を呼び止める。
「そこの娘は置いて行くんだよ」
「へ?」
指さされたキムナル王女は、射竦められたように伸び上がる。
「あの程度の芸で、あたしにイキり散らかしたんだ。
さぞかし芸術の審美眼があるんだろうさ。
せっかくだから、あたしの教え子達の芸も見ていきな」
エイダ様に座るよう促されて、ルキウス宰相は諦めたように、キムナル王女を席に座らせて、自らも椅子に腰を下ろす。
ちょうどパルドスの曲が終わり、緞帳が閉じられたところだった。
下階の最前列で、熱狂的な歓声があがる一方、中列以降は完全にシラけた空気なのが、最上段席のここからはよく見える。
キムナル王女には、この光景が見えていないのだろうか?
サラもパルドスの芸には飽きていたようで、いつの間にかパンフレットを開いて、美術品の写真と注釈を読み上げていた。
エイダ様はそんなサラの肩を叩いて、教えてやる。
「さあ、サラちゃん。
次はいよいよエリスとアリーシャの番だよ」
「――ホントっ!?」
途端、サラはエイダ様の膝から飛び降りて、貴賓席の手摺りに齧りつく。
司会が幕横から登場して、エリスとアリーシャを紹介した。
「――それでは歌ってもらいましょう!
ホルテッサ民謡『星を願う乙女の唄』です!」
……む?
「――ほぅ。見つけたようだね……」
首を傾げる俺の正面で、エイダ様が微笑みを浮かべる。
パンフレットによれば、エリス達が披露する曲は、エイダ様に教わった『希望を目指す星の唄』だったはずだ。
土壇場で、ホルテッサの民謡に替えたのか?
幕が左右に開いて、中央にエリスとアリーシャが手を繋いで登場する。
「ラァ――――……」
高らかに響くソプラノによる、単音からなる原初の唄。
エリスは初っ端から全開だった。
この会場で唯一の音響構造である舞台の半ドームが、エリスの圧倒的な声量を響かせて、会場を包み込む。
エリスが緩やかに右手を振ると、会場にステージが開いて、右手から波打つように大量の精霊光が出現した。
たっぷり三十秒に渡って響き渡ったエリスの単音の独唱に、中列以降の観客達が喝采を送った。
それで我に返ったように、最前列のパルドス人達が野次を飛ばそうと立ち上がり始める。
――直後。
アリーシャが舞台を踏み鳴らし、その周囲に響律魔芒陣を展開する。
ステップに合わせてドラム音が鳴り響き、前方左手から振るわれた右手が魔芒陣の文字列に触れて、ピアノの音を音階を奏でる。
真横に突き出された左手の指が、触れた小陣の中で複雑に動き、トランペットの音を響かせた。
その間も右手もまた、右の小陣に触れる。
奏でられるのはバイオリンで、指運と手首の捻りに応じて曲が弾き鳴らされる。
「――引っ込め、ホルテッサ猿がぁッ!!」
パルドス人のひとりがわめいて、ゴミを放り投げた。
……けれど。
「……あの人が旅だった朝に――」
エリスの歌唱が始まり、彼女は定められた振り付けのように、右手を客席に差し伸べる。
まるでその動作を反映したかのように。
弧を描いて宙を飛んだゴミは、下からすくい上げられるように上昇し、勢いを失ってそのまま床へと落ちる。
エリスの歌は続く。
――星を願う乙女の唄。
それはホルテッサが王国となる以前から、土地の民が歌い継いできた古い古い唄だ。
英雄を志して村を旅立った幼馴染の無事を祈り、その帰りを待ち続ける乙女の唄。
やがて噂話で彼が本当に英雄になった事を知り、喜びと寂しさを感じながらも、それでも彼を信じて待ち続ける……国内の音楽家や民俗学者の間でも、たびたび解釈が論じられる曲だ。
歌詞の内容に反して、曲調がアップテンポで希望に満ちているのがその原因なのだとか。
唄の一節が終わり、間奏が始まる。
そこでエリスはアリーシャのそばへ。
首から下げたペンダントを持ち上げ、アリーシャに微笑んで見せる。
アリーシャがうなずきを返し、彼女もまたペンダントトップを指先で弾く。
響律魔芒陣に変化。
真ん中から半円に割れて、アリーシャの動きがさらに勢いを増す。
「――ふん、良いね。
そう、それが東西に分かたれた、あの曲の真の形さ」
エイダ様が呟き、エリス達に見せつけるように親指を立てる。
「さあ、聴かせてごらん。
――現代に蘇った、『星と巡る竜の唄』を!」
まるで応じるように、エリスの周囲の景色が揺らぎ、ステージが唄いだす。