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第19話 9

 観客席と舞台左右の舞台裏を隔てる大壁の内側には、演者控え用の個室がいくつも用意されていた。


 演者の数によって部屋のサイズが変わるみたいで、あたし達が割り当てられた控室は、それほど大きくなかったけれど、化粧用の鏡の他に、衣装合わせに使う姿見もちゃんと備え付けられた造りになっていて。


「――ええ!? エリス、あんた自分で化粧できないの?」


 化粧台の前でオロオロしてるエリスに、あたしは驚いて聞き返す。


「だって、今までの舞台はおウチの侍女がやってくれてたんだもの!」


 胸の前で両拳を振って訴えるエリス。


 言われてみれば、そうよね。


 孤児院時代はお化粧なんて必要ない歳だったし、グレシア家に引き取られてからは侍女の仕事だったろう。


 そもそもベルクオーロに来たのも、あたしのお付きって名目だったから、エリスは侍女を連れてきてないのよね。


「もう、仕方ないねぇ」


 手早く自分の化粧を済ませたあたしは、エリスを振り向かせて化粧道具を向けた。


 あたしはこれでも<女神の泉>で、新人の子に化粧を施した経験もある。


 娼婦と舞台演者じゃ、化粧の仕方は違うのだろうけど、エリスの公演は何度か見てるからね。


 再現はそれほど難しくなかった。


「ありがとう~、アリーシャ~」


 最後の口紅を指し終えると、エリスは小さい頃によくそうしていたように、抱きついてくる。


「はいはい。それより着替えちゃおうね」


 あたしはエリスの抱擁を解いて、事前に運び込まれていた衣装を手に取る。


 ダストアで大人気のブランドだという、<華園>製のドレス。


 エリスのはミッドナイトブルーを地に、銀糸で流れる川をイメージさせる意匠が凝らされた造りをしている。


 王族晩餐会でダストアの王女様が身につけていたような、透ける生地のショールは長めで、腕に絡ませて使うのだという。


 あたしのドレスはリリーシャの青紫を映したような色をしている。


 スカートの前面が太腿までカットされた奇抜な造りで、後ろがエリスのショール同様に透けた生地で足首まで降ろされる造り。


「――アリーシャ、本当にそのドレスで出るの?」


 なんだかんだでお嬢様なエリスは、あたしが脚を出すのに反対のようね。


「足で太鼓の拍子を刻むんだもの。

 この方がやりやすいのよ」


 エイダ様くらいに響律魔芒陣に熟練すれば、普通のスカートでも難なくできるんでしょうけどね。


 未熟なあたしじゃ、スカートに気を取られて演奏の邪魔になりかねない。


「その辺りを相談したら、きっちりと仕上げてくれたわ。

 さすがは<華園>よね」


 あたしの思いつきで急遽決まった、芸術展覧会への出演。


 一番困ったのは、衣装の手配だったのよね。


 なにせ決めたのは王族晩餐会の夜なんだもの。


 エリスに恥をかかせない為にも、あたしが相談したのはシンシア様で。


 あたし達を妹のように思ってくれている彼女は、なんとか手配してみると請け負ってくれて。


 なんでもリリーシャを通じて、お茶会で仲良くなったダストアの王女――フローティア様に頼んでくれたのだとか。


 そんな裏話をエリスに説明したら……まあ、呆れられたよね。


 ――思いつきだけで、一流ブランドを振り回すなんて……


 ってさ。


 でも、フローティア様って、聞いてたよりずっと話しやすかったんだよね。


 殿下はめちゃくちゃやばい人みたいに言ってたけど、あたしがエリスの歌声を世界に広めたいって願いを、真剣に聞いてくれたもの。


 そんな事を思い出しながら、あたしとエリスは互いに手伝ってドレスを着付ける。


 すっかり準備を終えて、あたし達は舞台袖に向かった。


 せっかくだから、他国の芸人を見たくなったんだよね。


 ……けれど。


「――なにコレ……」


 舞台はひどい有り様だった。


 演奏や歌唱の最中なのに、最前列の観客が野次を飛ばしまくってるの。


 中にはゴミを投げ込むヤツまでいて。


 そんな中でまともな芸なんてできるはずもなくて、中には演奏が続けられずに泣き出しちゃう娘もいたよ。


「……パルドスのクソどもが……」


 同じように舞台袖にいた獣属の男性が、鼻にシワを寄せて吐き捨てる。


「――どういうこと?」


 その男性を掴まえて訊ねると、彼は不機嫌そうに首を振って。


「あいつら、毎年なのさ。

 自分達の評価を押し上げる為に、他の出演者を野次ってダメにしやがる」


「……なにそれ、ひどい……」


「王家が滅んだって聞いて、今年はまともな演奏ができると期待してたんだがな……亡命政府なんて作って、今年もやりやがった……」


 呻くように答えて、男性は悔しそうに唇を噛む。


 現在、パルドスから他国への渡航は禁止されているのだけれど、国境閉鎖前に渡航していた者達は、亡命政府の元に続々と集っているのだという。


 そして、今回の連合諸国会議に亡命政府と共に乗り込んできたんでしょうね。


「そんなデタラメやって評価されたって、嬉しくないでしょうに……」


「それで満足できるのが、パルドス人なのさ。

 他者を見下す為なら、なんでもやるんだよ!」


「……だと思う。

 わたしはそれほどパルドス人を知ってるわけじゃないけど……少なくとも第二王子のキムジュンはそういう人だったわ」


 エリスも嫌悪感をむき出しにして告げた。


 あたしもまた、娼館でパルドス人やパルドスと関わりの深かったお役人のお相手をしたことがあるから、あの民族の精神的醜悪さはよく理解しているつもりだったんだけどね。


 ……芸そのもので競うのではなく、他人の芸を貶めるなんて……


 なんか胸がムカムカしてきた。


「――で? 当のパルドスのご自慢の芸ってのは、どれほどのモンなの?」


 あたしが腕組みしながら、獣属の男性に訊ねると。


「――コソコソ人の人の悪口とは、品性を疑うな」


 キノコを彷彿させる、パルドス人の民族的髪型をした男達が背後から声をかけてきた。


 細い目に突き出た頬骨。


 兄弟のように良く似た容貌をした五人組だ。


「まあまあ、奴隷とサルなんだから、多めに見てあげなよ」


「これだから文化水準の低い土人国家の民は嫌なんだ」


 ――などと。


 連中は露骨に上から目線で、あたし達をコケにしてきた。


 話していた獣属の男性が――関わり合いになりたくないんだろう――、舌打ちして去っていく。


「……へえ」


 低く押し殺した声に、あたしはそれがエリスの声だとすぐには気づけなかった。


「それほどまでに仰るなら、さぞかしパルドスの芸とは素晴らしいものなんでしょうね?」


 笑顔を貼り付けて、エリスが皮肉交じりに訊ねる。


 けれど、彼らはそれを理解せず、純粋に称賛されたと捉えたらしい。


「そりゃあね。ボクらはローデリア王立歌劇場を満員にするほどだからね」


「王女サマの頼みだから、ベルクオーロなんて田舎まで出てきたんだよ」


「本当なら、俺達だけの公演にすべきなんだ」


「そうそう! 他国の低俗な芸なんかと比べられて、良い迷惑だ!」


 口々に言い募る。


「……そうですか。じゃあ、楽しみにしていますね」


 エリスは笑顔のまま、そう会話を打ち切ろうとしたんだけど……


「――ホルテッサ猿の中にも、見る目のある女がいるようだ。

 なんならこの後、一緒に食事をしてやっても良いぞ」


 と、端にいたヤツがエリスの手を握ろうとしたから、あたしはそれをはたき落として舞台を指す。


「ほら、司会が呼んでるよ。

 <宝石団>ってあんたらじゃないの?」


「ああ。後でまた話してやろう」

 と、そいつはエリスに流し目を送って、舞台に上がって行った。


「あー、やだやだ。典型的なパルドス人じゃない」


 なぜかあいつらって、他国の女にモテてるって絶対的に信じ込んでるんだよね。


 よその国じゃどうかしらないけど、少なくともホルテッサの下町では、絶対的に嫌われてたんだけどね。


 娼館でも姐さん達が「パルドス人には気をつけろ」って注意するくらい。


 エリスに視線を向けると、彼女は笑顔のまま舞台に視線を向けていた。


 あたしも同じように舞台に目を向けると、ちょうど連中の芸が始まるところで。


 幕が左右に開いて、魔道器から事前録音した音楽が流れ出す。


 ポーズを決めていた彼らは、音に合わせて踊りだす。


 クネクネと手足をくねらせ、やたらと腰を振りたくる性的なダンス。


 最前列に陣取ったパルドス人達が、これでもかと歓声を張り上げる一方、中列以降は完全にシラけ切っている。


 ダンスに合わせて紡がれるのは、嬌声を彷彿させる気持ちの悪い裏声の歌。


 歌詞などなにもなくて、「あー」だの「うー」だの「ふー」だのといった声を、曲に合わせているだけのもので。


 (ことば)だけなら、殿下やエリスが使う古式魔法の原初の唄に似ているけれど、アレはあんな風に気持ち悪い裏声なんか使わない。


 古式魔法は、もっと心地よい韻律を含んだ、魂の唄なんだ。


 ……この程度の芸で、他者の芸を貶めていたというの?


 あたしはイラつきと気持ちの悪さが押さえ切れなくなって、舞台からエリスに目を向ける。


「……エリス?」


 ――怒っていた。


 顔は笑顔のままだけど。


 幼い頃から一緒だから、はっきりとわかる。


 エリスは滅多な事じゃ怒らない性格だけど、大切にしているものを貶された時には、まるでその髪色みたいに、真っ赤に燃え上がるんだ。


「……アリーシャ。

 突然で悪いけど、演目変更するわ」


「は?」


 本来の演目は、エイダ様から教わった『希望を求める星の唄』だ。


 それをこの土壇場で変更?


「――昨日、練習の後、ずっと考えてたの。

 希望を求める星の唄は、確かに素晴らしい曲だけど……教わったものをそのまま演じて、それでわたしの唄って言えるのかなって……」


 そうしてエリスはあたしの手を引っ張って、控室に戻る。


「――コレ! 曲はあるの。

 希望を求める星の唄を聴いた時から、ずっと引っかかってたの!」


 鞄から取り出した楽譜をあたしに押し付けて、エリスは告げる。


「……これって……」


 音符を読み取り、その曲の内容にあたしは目を見開く。


 あたしの扱う楽器種に合わせて、多少のアレンジがされているけど、これは……


「そう! 孤児院の先生が教えてくれた、あの曲!

 これってきっと、希望を求める星の唄の返歌なんだと思う」


 エイダ様から教わった曲は、シルトヴェール王国に古くから伝わるものなのだそうで。


 エリスが示した曲もまた、ホルテッサがまだルキウス帝国だった昔から伝わるのだという、古い古い曲だ。


「――おねがい、アリーシャ。

 わたしはこの曲で……ホルテッサの曲で、あいつらに勝ち……ううん。そうじゃないね。

 お客様に音楽を楽しんでもらいたい!」


 胸の前で拳を握って懇願するエリス。


 あたしは思わず苦笑した。


 こうなったエリスは止まらないもんね。


「……わかった。

 ぶっつけ本番、やってみせるよ。

 あたしだって、あんな音楽をバカにしてるような連中、そのままにしておきたくないしね」


「――アリーシャ!

 ありがとうっ! 大好きっ!」


 感極まってきて抱きついてきたエリスの頭を撫でて、あたしは再度、楽譜を読み込む。


 ――あたしが最初に覚えた曲。


 鍵盤楽器を弾けるようになって、よく年下の子らに聴かせてたっけ。


 お家に引き取られるまでは、エリスも一緒に歌ってさ。


 だから、ぶっつけ本番でも、きっとできるはずだよ。


 あたし達は再び舞台袖に向かい、控えていた司会の男性に、演目変更を伝える。


 <宝石団>の連中は歌い終えて、反対の舞台袖に降りていくのが見えた。


 緞帳の向こうで、最前列のパルドス人達がいまだに興奮の声をあげているのが聞こえる。


 そんな中で、あたし達は手を繋いで、舞台中央へと進んだ。


 司会が緞帳の向こうで、あたし達を紹介する声が聞こえる。


「――それでは歌ってもらいましょう!

 ホルテッサ民謡『星を願う乙女の唄』です!」


 ――幕が左右に割れる。

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