第19話 8
芸術展覧会は公都の美術館を会場として開催された。
増築されたホールに、各国の芸術家が作り出した様々な美術品が展示され、貴族や商人、富豪が投機目的――あるいは、作家自身のパトロンとなる為に足を運んでいるらしい。
館内はそれなりに混雑していた。
「――あはは! 変なお顔っ!」
芸人達の公演までまだ時間があったから、俺はサラと手を繋ぎながら美術展示を見て回った。
「――サラ様、これは人の内面感情を描写したものでして……」
と、俺達に付き従う仮面執事のモンドが、なにやらサラに説明している。
やがて公演の時間が迫り、俺達は裏庭へと移動を始めた。
楽士などの芸人部門は美術館の裏庭が舞台となる。
半ドーム状の屋根が設けられた舞台は、半円の階段状になった観客席に向けての音響効果を考慮した造りになっていて、この会場自体が、ベルクオーロが誇る新進気鋭建築家ロデイル・ジーニの作品として、展示対象となっているそうだ。
俺達はアーチ状になった階段を上り、観客席最上段の貴賓席へ。
ボックス席になったそこで、俺とサラはテーブルを挟んで向かい合って座る。
「……すぐにお茶の用意をして参ります」
闘技場でもそうだったが、このコンサートホールにも貴族用の給湯施設が設けてあって、お茶や食事が取れるようになっているようだ。
モンドが給湯室に向かい、サラは物珍しそうに手摺りの向こうのホールに目を向ける。
「オレアお兄様、エリスお姉様とアリーシャお姉様の順番は?」
サラに尋ねられて、俺は会場入口で渡されたパンフレットを開いた。
「んー、最後の方だな。
でも、色んな国の出し物があるから、楽しみにすると良いぞ」
「――うん!」
騎士になりたいと、剣一辺倒に見えるサラだったが、義母となったクリスティアの影響か、令嬢としての習い事もしっかりと熟してるのだという。
刺繍はまだ拙いそうだが、ダンスや楽器の演奏、声楽は熱心に取り組んでいるのだと、叔父上から聞かされている。
だからこそ、今日の観覧に誘ってみたんだが、サラは思いの外乗り気だった。
一緒にサラと仲良くなったフランチェスカとティナも誘ったのだが、生憎とふたりは今日は別の予定があって、同行できないと断りとお詫びの手紙をもらった。
「サラねぇ、エリスお姉様のお歌、大好き」
「お、聞いたことあるのか?」
「前にね、お母様と一緒に、大劇場に見に行ったんだぁ。
エリスお姉様も、シンシアお姉様もすっごく綺麗だったんだよ!」
興奮した様子で笑顔を浮かべたサラは、テーブルに頬杖を突いて鼻歌を歌う。
聞いたことのない曲だが、きっとエリスが大劇場で披露した歌なのだろう。
「――お待たせしました」
やがてティーセットをカートに乗せて、モンドが戻ってきた。
俺達の前にそれぞれカップを運び、テーブル中央に茶菓子を設置。
……うん、今日もモンドのお茶はマズいな。
サラも微妙な顔をしている。
「たぶんね、お茶っ葉を入れすぎなんだよ」
サラが指摘すると、モンドは驚いたように目を見開く。
「多ければ多いほど、味が増すと思っていたのですが……」
「サラもね、お母様に教わる前はそう思ってたんだけど、てきりょーっていうのがあるみたい。
このくらいのポットだと、スプーン一杯で良いはずだよ」
そう言うと、サラはカップのお茶を飲み干して。
「モンド、おかわりするから試してみて」
サラに言われるがままに、モンドは給湯室に走り、すぐに戻ってくる。
サラのカップに新たにお茶が注がれると、彼女はひと口含んで、笑顔と共にカップをモンドに差し出した。
「うん、今度はごーかく。飲んでみて」
カップを手渡されたモンドは、遠慮がちに俺に視線を向けてくるから、頷きを返してやった。
「……それでは失礼して……」
ひと口。
「――これは……」
「ね? あとは温度とか、ちゅーしゅつ時間? も気にした方が良いってお母様は言ってたよ」
と、胸を張って説明するサラ。
俺もカップに残っていたマズいお茶を一息に飲み干し、モンドにおかわりを要求する。
新たに淹れられたお茶は、フランが淹れるものほどではなかったが、確かに飲める味になっていた。
「確かに旨くなってるな」
俺がモンドを褒めると。
「……サラ様、ご教授感謝します。
今後も精進致します」
モンドは胸に手を当てて、サラに頭を下げて見せた。
「……ホント、変わったよなぁ」
ポツリと呟く俺に、モンドは照れくさそうに顔をそらし、サラは不思議そうに首を傾げる。
――そんな俺達に。
「――あら、田舎臭い匂いがすると思ったら、隣は野蛮猿の席ですの?」
という声がかけられて。
俺は背後を振り返る。
隣のボックス席のそこには、金糸を織った派手なドレスの女と、ローデリア宰相ルキウスが座っていた。
「先日はどうも。オレア殿下」
模擬試合での出来事を悪びれることもなく、ルキウスはそう言って会釈。
「ああ……」
俺はそれにうなずきで応え、彼の対面に座る派手な女に目を向ける。
黄色がかった金髪を派手に結い上げていて、やたら細い目元に目立つ頬骨という容貌から、とある人物を連想して、俺は彼女が何者かを悟る。
「……キムナル王女か」
ローデリア神聖帝国内に樹立された、パルドス亡命政府の旗印。
パルドス第二王女のキムナル・パルドスだ。
「――汚らわしい猿が、わたくしの名前を勝手に呼ばないで頂戴」
その言葉に、俺はルキウスを睨む。
現在のあの女の責任者は彼のはずだ。
「申し訳ありません。彼女はいまだ、王族気分が抜けきっていないのですよ」
困ったように頭を下げるルキウス。
「ルキウス様が猿などに頭を下げる事はありませんわ!」
甘えるような声音で、ヤツはルキウスに訴える。
「――殿下! 殿下のお立場を忘れないでください!
パルドス再興には、ホルテッサを含む主要国の承認が必須なのですよ!」
強い口調でルキウスが諭すと。
「も、申し訳ありません……」
ヤツは声はしおらしく、しかし俯かせた顔の中で、目だけは強く俺を睨みつける。
「……噂では聞いていたが、ローデリアは本気でパルドス復興を狙っているんだな?」
俺の問いに、ルキウスは微笑を浮かべる。
「それこそが中原の安定に繋がるでしょう?」
「――ローデリアにとっての、だろ?」
パルドス王国に悩まされてきた周辺国家にとって、彼の国は現状のままの方が都合が良いんだ。
だが、ローデリアにとっては、中原中域がパルドスに煩わされていた方が都合が良いんだろう。
大戦後、中域の各国がパルドスの動静に注視している間に、ローデリアは西部でその版図を拡げてきた。
西部にかつて存在していた多くの中小国家は、隣接する中域の国家に救援を求めたが、パルドスによる背後からの急襲を恐れて、支援できなかったんだ。
笑顔のまま内心を探り合う俺とルキウス。
けれど、舞台の幕が左右に開き出して、それは打ち切られた。
「――はじまるようですね。
この話はいずれ相応しい場で……」
「……ああ」
正直、俺としてもその方が助かる。
腹の探り合いは苦手だ。
こういうのは、せめてソフィアが一緒の時にしたい。
俺は舞台に視線を向けて、意識から隣のボックス席を締め出した。
関わっても不快な気持ちにさせられるだけだ。
「――オレアお兄様、最初は――オーウれんごー王国の楽器演奏だって!」
と、いつの間にか俺の前からパンフレットを手繰り寄せていたサラが、それを読み上げながら教えてくれる。
荒みかけた気分が、わずかに和んだ。
「ああ、オーウは笛と太鼓が有名なんだ」
オーウは鬼属という独自文化を持つ民を主属としつつも、多様な獣属と共に成り立った多部族国家だ。
十数人の演者もまた様々な種属が入り混じっていて、演じられる楽曲も民族性の強いものだった。
力強く打ち鳴らされる太鼓の拍子に合わせて、高く響く横笛の音色が心地よい。
サラも目を輝かせながら、太鼓に合わせて手拍子を打っている。
やがて演奏が終わり、俺もサラも拍手を送ろうとしたのだが。
「――引っ込め! クソ演奏!」
「獣風情がヒトの真似してんじゃねえぞーっ!」
観客席の最前列から、ひどい野次が次々とあがる。
ついにはゴミまで投げ込む者まで出始めた。
「――おやめください! ゴミを投げつけないでください!」
司会が拡声の魔道器で訴えるが、野次はやまない。
「……お兄様、いまのサラはすごいなぁって思ったんだけど、ダメだった?」
不安げに訊ねるサラの頭を撫でて、落ち着かせる。
「……いや、俺も良かったと思うよ」
野次は幕が閉じるまで続けられ、しかし閉幕と同時にピタリと止む。
俺は身体強化の魔法で視力を強化して、野次ってた連中に注視した。
細い目つきに発達したエラ顎。
明らかにパルドス人とわかるその風貌に、視線を隣のボックスに向けると、あの女は満足げな笑みを浮かべて扇を広げていた。
……なるほどな。
パルドスらしい手段だな。
ヤツの手が読めて、俺は思わずため息をつく。
――パンフレットによれば。
この展覧会には、パルドスからの出演者もいるらしい。
そいつを引き立てるために、他の出演者を徹底的に批判して、相対的にパルドスの評価を上げようというのだろう。
この展覧会は、順位を決めたりするものではないんだがな……
その後も。
俺の予想通り、最前列に陣取ったパルドス人達は、演者達をひたすらに貶め続け、会場の雰囲気は最悪なものになっていった。