第19話 7
それから二日間、わたしとアリーシャは、エイダ様にみっちりと魔道の指導を受けた。
ホツマへの留学で、それなりに古式魔法に習熟していたつもりだったのに、エイダ様の講義はさらに深く踏み込んだもので。
魔族の先生も教えてくれないような事を、エイダ様は惜しみなく教えてくれた。
たとえば精霊光を唄や動作で操る方法。
その発光色さえ、唄に込める想いで変えられるなんて、先生達からは教えてもらわなかった。
ホツマで教わった古式魔法は、定められた魔道を再現するもので。
エイダ様が教えてくれたものは、それらを組み立てる為の根本の技と言ったら良いのかしら?
古式魔法を古式魔法として成り立たせる、基礎を徹底的に叩き込まれたの。
呼吸ひとつで魔道器官の稼働効率が変わるなんて、論文にして発表したら、きっと注目の的になるんじゃないかな。
まあ、わたしは論文の書き方なんて知らないんだけどね。
とにかく、エイダ様の特訓のお陰で、わたしは魔法の腕だけじゃなく、声域もかなり広がった。
高音域で二オクターブ、苦手だった低音域も一オクターブほど広がったの。
「――唄は魔法の基礎だからね」
って、エイダ様はなんでもない事のように言っていたけど、お母さんに教わった以外は、学園の授業くらいでしか、歌唱法を教わっていなかったわたしにとって、エイダ様の教えは、かなりありがたかった。
わたしがエイダ様が言う、古代魔法を教わっている間、アリーシャもまた、響律魔芒陣の扱いを教わっていた。
鍵盤と弦楽器、それにドラムの音しか出せていなかったアリーシャは、エイダ様に教わって、楽器音をどんどん増やしていって。
最終的には、管楽器二種に打楽器三種、それに鈴の音も出せるようになっていたわ。
「――いやはや、才能だねぇ。
それに加えてしっかり努力するんだから、覚えが早いのも納得さ。
ウチの孫にも見習わせたいもんだよ」
休憩時間に苦笑交じりに漏らしたエイダ様に。
「エイダ様のお孫さん?」
興味を引かれたわたし達が尋ねる。
「ああ。クレアって名前でね、サラ嬢ちゃんくらいなんだがね。
才能はあるんだけどさ……興味のある事には熱心なんだが、そうじゃないものは、すぐにサボろうとするのさ。
古代魔法――音楽関係は特に逃げようとするね」
不満げな言葉を言い放ちながらも、その表情は優しい微笑みが浮かべられていて。
エイダ様がお孫さんを、すごく大事に思っているのが伝わってきた。
「ねえ、エイダ様。
シルフィードには乗せてみた?」
アリーシャがそんな事を尋ねる。
「いや、まだだね。
せめて響律魔芒陣くらい開けなきゃね」
「それだよ!」
エイダ様に顔を寄せるアリーシャ。
「あたしさ、シルフィードに乗せてもらって――まっすぐ飛ばしただけだったけど、動かせて、すごく楽しかったんだ」
アリーシャの言いたい事がわかって、わたしも同意する。
あの体験は大型船の<風切>とは、また違った気持ち良さがあったものね。
壁だけじゃなく、床まで透明になるから、まるで本当に空を飛んでるみたいな気持ちになれたの。
「一度、シルフィードに乗せてみてはどうでしょう?
案外、それで興味を持つかもしれませんよ?」
「そうそう。小さい子なら、きっと興味持つよ!」
わたし達の説明に、エイダ様は腕を組んで空を見上げる。
「……確かに。
わたしが響律魔芒陣に興味も持ったのも、シルフィードと飛びたかったからだったね」
そう呟いて、納得したようにわたし達に笑顔を向ける。
「ありがとうよ。
娘の忘れ形見と思うと、どうしても強く言えなくてね。
正直、困ってたんだよ」
エイダ様のお嬢様は、すでにお亡くなりになっているということなんだと思う。
だからこそ、お孫さんを大切にしようとしているのが、すごく伝わってくる。
わたしとアリーシャも温かい気持ちになって笑顔を返せば、エイダ様は照れたように鼻を鳴らして、<風切>の横で寝そべっているシルフィードを顎で指し示した。
「芸術展覧会に出てくる芸人が、どれほどの腕前かは知らないけどね。
シルフィードが満足するくらいの腕があれば、それなりの評価をされるだろうさ」
昨日はみっちり基礎訓練で。
展覧会を明日に控えた今日は、シルフィードを曲と唄に合わせて、踊らせ、唄わせるという課題をわたし達は与えられていた。
午前中は見向きもしてくれなかったシルフィードだけど、お昼を過ぎてからは、曲に合わせて尻尾を揺らしてくれるようになってきたわ。
あと少しな感じがする。
課題曲は、シルフィードが大好きな『希望を求める星の唄』よ。
エイダ様が言うには、わたしもアリーシャも技術は十分なのだそう。
――あとは想いを込めるだけ。
けれど、それが上手く行かないの。
この曲は、歌詞は星になった男視点なのに、曲調そのものは彼を慕う人々の感情を表現したものになっていて。
どちらの感情で唄って良いのか、わからなくなってしまうのよ。
アリーシャも同じ感覚で困ってるみたい。
エイダ様の演奏や歌唱を真似してみても、シルフィードは尻尾を動かす以上の反応は見せてくれなくて。
「――まあ、悩むんだね。
こればっかりは感覚的なもんさ。
あんたらが見つけ出すしかない。それが芸ってもんだろう?」
ニヤリと笑うエイダ様に、わたし達は気合を入れ直して立ち上がる。
せっかく各国を代表する芸人に混じって舞台に立つんだもの。
どうせなら、最高のものにしたい。
その気持ちはアリーシャも一緒みたい。
わたしの唄を世界に届けるなんて冗談めかして言ってるけど、この幼馴染がわたしの唄を大切に思ってくれているのは、すごくよくわかってる。
その気持ちに、少しでも応えたい。
「ああ、そういえば……」
エイダ様は手を打ち合わせて、腰のポーチを開いた。
「これをさ、あんたらにあげようと思ってたんだよ」
と、取り出したのは、蒼い半円状の石を付けたペンダントで。
「数が少ないから、半分ずつになっちまったけどね。
――永久結晶のペンダントさ」
その言葉に、わたし達は思わず顔を見合わせる。
「――ジュリア様を守ったっていう?」
先日の<兵騎>展覧会での模擬試合の話は、ジュリア様本人から聞かされている。
だからアリーシャは、手渡されたペンダントを、珍しそうに日に透かして尋ねる。
「……極小の願望器という話でしたっけ?」
わたしも恐る恐る受け取って、アリーシャと同じように頭上に掲げた。
蒼の石は、太陽の輝きを受けて不思議な虹色にきらめく。
「さすがに半分になったら、願望器としての効果なんて期待できないだろうけどね。
お守り代わりにゃなるだろうさ。
現代に古代魔法を復活させようっていう、あんたらへのご褒美さ」
「……でも、良いのでしょうか?」
ジュリア様がステフ先輩から教わった話では、永久結晶って準神器っていうシロモノなんじゃ……
そんな大それた物を、わたしなんかが貰っちゃっても、本当に良いの?
尻込みするわたしに、エイダ様は手をひらひらさせて、笑ってみせる。
「言ったろう? お守りだって。
先だっての<兵騎>の模擬試合でもそうだったけどね。
どうも今年はキナ臭くて良くないよ。
――エリス、アリーシャ。
あたしはあんたらふたりを気に入ったからね。
……少しでも助けになりたいのさ」
優しげな声色で、そう告げて。
エイダ様はわたし達にそれぞれペンダントをかけてくれる。
それからふたつのペンダントトップを合わせて見せて。
「――なにかあったら、こうしてふたりで願うと良いさ。
ジュリア嬢ちゃんの例もある。
案外、願いが叶うかもしれないよ」
その言葉に、わたしとアリーシャは視線を合わせる。
「ふたりで……」
幼い頃から、つらい時も楽しい時も一緒に過ごしてきたものね。
わたしだけお父様に引き取られてしまって、孤児院を後にする時、わたしはすごく後ろめたい気持ちになったけど……
だけど、アリーシャは自分の事のように喜んでくれて。
わたしのかけがえのない、大切な親友。
アリーシャもそう思ってくれてると良いな……
わたしがアリーシャの目を覗き込むと、彼女はわかってるとばかりにうなずいて。
「ふたりでひとつ。
あたし達らしいじゃん」
ニヤリと笑って、わたしの肩を抱きながら、そう告げてくる。
「――エリス、正直言うとね。
あたし、シンシア様に嫉妬してたんだ。あと、エリスにも嫉妬してた」
「へ?」
きっと今、わたしはすごく間抜けな顔をしてるわ。
「だってさ、昔から知ってるふたりがだよ? あたしそっちのけで舞台に立ってさ。
……置いてかれたみたいな気持ちになってた」
だから、響律魔芒陣を見つけた時は、すごく嬉しかったのだと、アリーシャは語る。
「これであたしも、ふたりの隣に立てるかもって、本当に嬉しかったんだよね」
「そんな事言ったら、わたしだって、リリーシャ様に嫉妬してたよ!
アリーシャを取られたみたいに思ってた!
ふたりって、本当に仲良しだし!」
「そりゃ、ようやく会えた妹だし……」
困ったように眉尻を下げるアリーシャに、わたしは思わず噴き出す。
それから、ふたりで幼い頃にそうしていたように、おでこを合わせて。
「……ふたりでひとつ」
孤児院では、ずっとそうしてたもんね。
ふたりで永久結晶を見つめて、同じように呟いて。
それを思いついたのは、たぶん同時。
「――ね?」
アリーシャが答え合わせを求めるように笑顔を向けてきて。
「――たぶん、そういう事なんだね」
未熟なわたし達では、エイダ様のようにはできない。
でも、わたし達はふたりなんだもの。
――きっとこれが正解なはず。
わたし達はエイダ様に顔を向けて。
「エイダ様! 見ててください!」
今度はうまく行くはずよ。
「――わたし達の今できる、最高の一曲を!」