閑話
「――それで興奮したジュリア様は、寝不足で決勝戦に臨んで敗退。
模擬試合はランベルクの優勝で幕を下ろしたってわけ」
ベルクオーロ公都の下町にある喫茶店で。
わたしは正面に座るミリィにそう告げる。
お茶をひと口含んだ彼女は、周囲に視線を走らせた後、わたしに顔を寄せてきて。
「そんな事より、フラン局長。
あたし達、こんなとこでお茶してて良いんですか?
遊んでるくらいなら、あたし、サラお嬢様のおそばに居たいんですけど」
「あら、ずいぶんと懐いたものね」
わたしはケーキを切り分けて口に運びながら、驚いて尋ねる。
「そりゃもう、お嬢様は素直で可愛らしいですもの!
教えたことをすぐに覚えてくれますし。
それにあの子……異能ですよね?」
後半はさらに声を落として尋ねてくる。
「ええ。幼年学校入学の際の審査で、少なくとも三つ以上は保有してるって判定されてるわね」
入学審査前から、魔道が見える魔眼は持っているだろうと、殿下やガル公爵も予想していたのよね。
じゃなきゃ、あの魔法や<型>の習得速度は異常すぎる。
いかに魔属って言ったって、わずか七歳で身体強化の魔法を使いこなし、訓練とはいえ<地獄の番犬>隊の精鋭を相手に負け知らずなんて、異能持ちでしかありえない。
そうして実際に審査してみたら――計測不能だったのよね。
最低でも三つ――多ければ十近い異能を保有しているという結果よ。
サヨ陛下が仰るには、魔道視以外にも、霊脈感知や幸運偏差も持っているはずだって。
霊脈感知は、霊脈の流れを視たり干渉したりできる異能で。
ホルテッサなら、守護竜であるコラーボ様が持ってらっしゃる異能で、魔道的に土地の管理をするのに用いるのだという。
幸運偏差は、彼の<大戦>で蒼の勇者様が持ってらした異能らしい。
どんな逆境においても、まるで世界に祝福されたように、幸運に救われるのだとか。
サラ様は先祖返り的に、妖属の血が濃く顕れていて、貴属に片足突っ込んでる状態らしい。
この世の理の外に存在する貴属は、様々な異能を操るって言うものね。
……幼い頃から遊んでもらっていた竜属――コラーボ様を知る身としては、とてもそうは思えないのだけれど。
「行く行くはホルテッサの勇者となるのかしらね。
サヨ陛下は、本人が望むなら、魔王位を譲っても良いとまで仰ってるわ」
「だからこそ、あたしはあの子を正しく導きたいんです……
……それが殿下へのご恩返しになるはずですから……」
わたしはカップを傾け、思わず笑う。
「――本当に、変わるものなのねぇ……」
わたしの言葉に、ミリィは俯く。
「……局長、聞いてもらえます?」
「なに?」
「あたし、執行者になる前は、学校か孤児院の先生になりたかったんですよ」
「へえ……」
彼女の意外な過去に、わたしは驚く。
今、目の前にいる彼女は、いまでこそミリィを名乗っているけれど、ひと月前までは別の名を持っていた。
――ミレディ・ログナー。
<亜神>事変を引き起こした張本人だ。
本来ならば死罪に処するほどの事件を引き起こした主犯にも関わらず、カイ君は彼女を赦した。
表向きは処刑した事にしてまで、彼女を助けちゃったのよねぇ。
ミレディの能力が有用だからとかどうとか言ってたけど、結局のところ、彼女が抱えていたラインドルフへの想いにほだされちゃったんでしょうね。
……あの子が、そういう感情を理解できるようになったってのは、良い事だと思うわ。
新たな名と身分を与えられた彼女は、興されたばかりで人手不足だったガル公爵家に、侍女兼サラ様の教育係として身を寄せる一方で、もうひとつの役割を与えられた。
中原連合諸国会議を控えて、本格的に活動を始めたホルテッサ諜報機関<竜の瞳>の諜報員だ。
機関長は予定通りお父様で、実働局の局長はわたし。
その部下としてミリィと名を改めた、ミレディが配属されたというわけ。
個人で<亜神>発生まで漕ぎ着けた実務能力が買われたのね。
もちろん、いまはまだ観察期間ということで、彼女の首には魔道器の首輪が装着されている。
自分では外せないようになっているそれは、位置特定と――反逆の意思を見せた際には、速やかに命を刈り取る魔道が仕込まれている。
……まあ、反逆に関しては、無用な心配だと思うのよね。
この一ヶ月、彼女とは折に触れて接触してきたけれど、今の生活――サラ様の育成に、すごくやりがいを感じているように見えるもの。
「それはまたなんで?」
恥ずかしそうにもじもじしているミリィに、わたしは続きを促す。
「あたし、ミルドニアの孤児院で育ったんです。
そこに毎週、学院の先生が無償で勉強を教えに来てくれてて……」
読み書きや算術、マナーに至るまで、様々な事を教えてくれたのだという。
「先生のおかげで、学ぶ楽しさを知れて。
あたしもあんな人になりたいなぁって、そう思ってたんですよ」
寂しそうに告げるミリィに、わたしは少しだけ同情する。
彼女が居た孤児院は、<叡智の蛇>の下部組織のひとつで。
優秀な彼女は、そのまま執行者育成コースに進む事になったのだという。
そこでは執行者として活動する為、様々な異能を人工的に植え付けられ――要するに人体実験よね。
そして、組織に対する忠誠を徹底的に植え付けられたのだという。
それでも彼女は、組織よりラインドルフ個人への想いを選択した。
――選べた。
それがどれほどすごい事なのか。
他の誰にもわからなくても、暗部に身を置くわたしだけは、きっと理解してあげられると思う。
わたしの同情の表情を読み取った彼女は、やはり優秀なのだろう。
パタパタと手を振って、照れたように苦笑して見せる。
「あ、でも執行者時代も、悪い事ばかりじゃなかったんですよ?
部下の育成は、先生になれたみたいで嬉しかったですし、ラインドルフ様と出会う事もできましたしね」
おっと、ちょっと同情したらコレだ。
ラインドルフと想いが通じ合ったミリィは、隙きあらばノロケようとする。
「……まあ、アンタがサラ様と仲が良いのは良いことだわ」
話題を戻して、わたしは頬杖を突く。
サラ様はガル公爵家の令嬢ではあるけれど、養子の為、王位継承権は発生していない。
けれど、サヨ陛下がノリと勢いだけで、ホツマ王の後継者として指名しているものだから、話がややこしくなっているのよね。
――あくまで本人が望むなら、という条件があるとはいえ……
その身に宿した異能の才と、内々に告知されたホツマ王位継承権。
その異能を求めて拐おうと考える者や、幼い内に取り入ろうと考える輩も出てくるだろう。
サラ様はいまや、王族並みに警護が必要な存在だ。
けれど、過度な警護はホツマ王位継承権の噂に、真実味を与えてしまう事になる。
……だから。
「――ミリィ、ここらで子供を拐うとしたら、どこに身を潜ませる?」
それを調べるのが、今日、わたし達が下町をブラブラしている理由。
いわゆる下見ってことね。
わたしはすでにいくつか当たりをつけているけれど、あえてミリィに尋ねる。
「えっと、あの路地の陰とあそこの二階の空き部屋。
あとは、露天に偽装するって手段も考えられるでしょうか?
……動物――犬や猫を使って誘い出すっていう手もありますね」
ふむ。
「さすがね。
動物という発想はなかったわ」
彼女のこういう視点を、わたしは買っている。
恐らくは執行者として培われたものなのだろう。
「――じゃあ、明日はそういう事に注意して、サラ様達を警護するように」
明日、サラ様は仲良くなったミルドニアのお嬢様と、街歩きを愉しまれる予定なのよね。
いかに本人が大人顔負けの強さを持っていたとしても、一緒に居るお嬢様は別だ。
人質に取られでもしたら、根が真っ直ぐなあの子は、進んでその身を危険に晒すだろう。
「……サラ様が狙われてるというのですか?」
「未確定情報だけどね。
あの子がガル公爵に拾われる前は、人拐いのところにいたのは知っているでしょう?」
わたしはカップに残ったお茶を一息に飲み干し、ミリィの目を見る。
「その人拐いの実行犯が、最近、ホツマで捕らえられたの」
ガル公爵は捕らわれた魔属を助け出しただけで、実行犯達は放置してしまってたから、ホツマはずっと捜索していたそうで。
「大半はパルドスへの奴隷目的だったそうだけど、サラ様だけは別のところに送る予定だったそうよ」
「――まさか……」
息を呑むミリィに、わたしはうなずく。
その予想は正しい。
「――<叡智の蛇>。
あれだけの異能の才だもの。不思議じゃないわよね。
……冒険者に助け出されて、行方知れずだったはずの異能の子が、ホルテッサで公爵令嬢となって見つかったってわけ。
今までは手が出せずにいたようだけど、都合よくその標的が、ベルクオーロにやってきたのよ?
……各国の諜報機関が入り乱れるこの時期に、連中が動かないわけがないでしょう?」
どこの組織の仕業か、曖昧にできるのだもの。
同時に、これはミリィにとっての試練だ。
「アンタ、古巣を相手にできるかしら?」
わたしの問いに、ミリィは迷うこと無くうなずきを返す。
「それがあたしの忠誠を示す事に繋がるのなら……」
ぐっと身を乗り出して、彼女は告げた。
「――自らが生み出したモノの力を、あいつらに思い知らせて見せます!」