第18話 8
――まるであの日の再現のように。
風を巻いて飛び込んできた漆黒の巨狼は、結界を張ってボクの周囲を覆う。
虹色にきらめく結界の中で、巨狼は見る間にその姿を人型へと変えた。
狼を象った冑から流れるたてがみは、長く腰まで伸びた銀色で。
まるでドレスのような銀の装甲服の上に、女性らしい丸みを帯びた漆黒の胸甲と腰甲。
<狼騎>よりやや横に伸びて小振りな肩甲にも、複雑な紋様が透かし織られた装甲布が揺れている。
漆黒の騎体には、ほそく虹色にほの光る紋様が刻まれていて。
胸の中央に埋め込まれた透明な結晶がきらめくと、胸甲がせり上がって鞍をあらわにした。
ボクは迷わず鞍に飛び込む。
四肢が固定され、面が着けられた。
面の内側に古代文字が綴り流れていく。
<狼姫>の無貌の面に赤の紋様が走って、貌を象る。
視界が開いた。
――ああ、オレア様が雌型に拘るわけだ。
性が合致した騎体というのは、こんなにも自由なんだ。
ボクはこれまで雄型しか駆った事がなかったから知らなかった。
<狼騎>の時にあった――乗っているという感覚がまるでない。
<狼姫>はいまや、もうひとつのボクの身体だ。
胸の結晶が澄んだ蒼へと変わり、周囲の結界がほどける。
まるでそれを待ち構えていたように、獣が宙を跳んで襲いかかって来た。
ボクは右に跳んでそれをかわす。
『――よしっ! それじゃあユリアン、反撃ダ!』
遠話器から響く、ステフの声。
応じるように視界の隅に兵装選択が飛び出て。
『――<狼姫>の牙を見せてヤレ!』
――魔道剣と魔道刃。
きっとライルがステフにもらったっていう、あの魔道器のことだろう。
「ぶっつけ本番なんて、ムチャ言うね」
ライルは刀身を安定させるのに、ずいぶんと練習したって言ってたよ。
『――おマエはやれる子だ! あたしゃ信じてる!』
根拠のない声援を受けて、ボクは二種の魔道器を喚起する。
両手首から飛び出したそれを、左右の手で掴み取れば、純白の光刃が長剣と短剣の長さで安定した。
『ホレ、ミロ! やっぱデキんじゃネーかっ!』
ステフの声を聞きながら、ボクは右の長剣を前に、半身に構えて短剣を背後に。
警戒したように、獣は左右にうろつきながらこちらの様子を窺う。
だからボクは右足に力を込めて、一気に加速した。
地を踏み割る感触。
大気をも貫いて、一気に獣に肉薄したボクは、長剣を横薙ぎに振るう。
『――ガッ!』
獣が吠えて、左の鉤爪で受け止めようとしたけれど、魔道の刃は止まらない!
獣の黒色の鉤爪は音もなく切り裂かれ、弧を描いて宙を飛ぶ。
振るった勢いを回転に変えて、ボクはさらに右の短剣を斜めに振り下ろす。
――瞬間。
『――ガアアアァァァァッ!!』
獣の腹の大口が吠えて、騎体が後ろに吹き飛ばされる。
浮遊の魔法を喚起。
それは、ずっと練習していたけれど、<狼騎>ではどうしてもできなかった動作。
――兵装選択。
『目覚めてもたらせ。結晶結界!』
上下逆さまに宙を舞う<狼姫>の足元に、虹色の結界が出現する。
それを足場に、ボクは獣を見据えた。
結界を踏み割って、ボクは跳ぶ。
『――ナンソレ!? なんダそれっ!?』
ステフが遠話でうるさい。
連続で結界を足場に宙を跳んで加速。
……ボクはさ。
王都でオレア様が<天使>と戦った時、なにもできなかった。
それがずっと悔しくてさ。
だから、ボクなりに空を飛ぶ練習をしてたんだ。
それを今、新たなボクの宝物が実現してくれている!
上方からの攻撃に、獣は残った右の鉤爪を前に突き出して受けようとしたけれど。
――遅いっ!
さらに足元に結界を喚起し、騎体に縦の回転を加える。
ユメさんから教わったホヅキ流を、ボクなりにアレンジした技だ。
「――ハアッ!」
長剣が獣の右手を斬り飛ばし、続く短剣が肩を貫いた。
――着地。
轟音と共に砂煙が舞う。
『――ゴアアアアァァァァッ!?』
獣の残った右腕から鉛色の血が噴き出し、ヤツの悲鳴が会場に響き渡った。
「……それが痛みだ」
再び構えを取って、ボクは告げる。
『ヤだよ、ホント!
オレアちんの周りは、こんなんばっかダ!
ホント、ナンナン? さっきの動き!』
ステフの声を無視して、ボクは獣を見据えた。
ヤツは狂ったように右腕を振り回し、辺りを鉛色に染めていく。
と、地団駄踏んで鳴き喚いていた獣は、不意にピタリと動きを止め。
「――――」
ニタリと、こちらを見て哂った。
そして、肩口に噛みつき、そのまま喰い千切る。
おびただしい鉛色の鮮血が噴き出す中、獣は自らの腕を腹の大口に放り込んだ。
骨を砕く不気味な咀嚼音が会場に響く。
女性客の悲鳴や、子供が泣き出す声が聞こえた。
ゴクリと、嚥下する音が響いて。
噴き出していた鮮血が逆戻しのように、抉れた肩に集まり、やがて腕の形を取っていく。
先程までの獣毛に覆われたものと違い、ツルリとした陶器質な腕が再生していた。
『……再生能力持ちかョ。厄介だナ』
魔物の中にも、そういう能力を持ったヤツが存在する。
だから、ボクは対処法を学んでいた。
「――なら、再生が追いつかないくらいに斬り刻む!」
言って、ボクは再度、距離を詰める為に身を沈めた。
――そこへ。
獣が不意に駆け出して。
『ゴアッ!』
いまだに会場に横たわったままだった<戦乙女>を担ぎ上げ、ボクへと放って来た。
「――アイツっ!!」
何処まで騎士の戦いを愚弄するんだ!
宙を飛んで落ちてくる<戦乙女>を受け止め。
「――審判! 彼女を場外へ!」
叫びながら、<戦乙女>を地に下ろしたところで、獣の腹の大口がゲタゲタと哄笑する。
そして。
トカゲのような顔が長い舌をだらりと垂らしながら、笑みを浮かべた。
「――ガアアアアァァァァッ!」
大口から放たれる咆哮。
「――結晶結界!」
前面に展開される虹色の結晶。
けれど、結界は振動圧に負けて、音を立てて砕け散る。
騎体が縫い留められた。
獣が両拳を組み合わせる。
また、アレが来るのか。
トカゲの口が動いて。
『ギ、ギジドハ……』
喋れるのかっ!?
『ギジドハ、ゾドビデ、ダビヲマボルダベニゾンザイズル、ヂガラダギボドドヤイバダ』
あいつ、ボクの言葉を――
嘲るように首を傾げた獣は、再び舌を垂らして笑う。
『ヤデミゼロョ』
そう告げて、獣は地を這うように、滑るようにしてボクに肉薄する。
両拳が胸甲を打ち。
『――――ッ!!』
トカゲの口腔から振動波が放たれる。
硝子が砕けるような音がして。
合一が解けて、騎体が砕け飛ぶ。
その瞬間。
『――この結晶って意味あるんですか?
ただの飾り?』
こちらを見下ろして指差しながら、横を向いて尋ねるオレア様の姿。
場所は駐騎場だろうか?
首をひねるオレア様の横に、銀髪の美しい女性が並んだ。
『――ああ、そりゃこの子のキモさ。
冥府の果てにある古代樹から取れた結晶華を加工したもんでね。
ウチの国でも、もう五つしか残ってないんだ』
女性もまたこちらを覗き込み、優しい手付きて撫でる。
『永久結晶って言ってね。
今の子にわかりやすく言うなら、神器の原型ってトコかね。
――最小の願望器さ』
『――なんっ!?』
驚くオレア様に、女性は肩を竦める。
『とは言え、ひとつじゃ願掛けみたいなもんさ。
オレア坊や、ちょうど良いからあんた、なにか願ってみるかい?』
女性に問われて、オレア様は胡散臭そうな表情を見せたけれど。
こちらに手を乗せて、優しい顔つきで告げる。
『……じゃあ、さ。
どうか、ユリアンが騎士として、ユリアンらしくいられるように、守ってやってくれよ』
『――そんなんで良いのかい?』
『願掛けなんでしょう?
それに、あいつはすげえヤツだからさ。
俺の願いなんてなくても、きっと騎士として名を残すはずなんだ……』
……オレア様。
視界が現実に戻ってくる。
ボクの目の前には、澄んだ蒼をした結晶が輝いていて。
その蒼の向こうに、驚愕に顔を歪めた獣が見えた。
吹き飛んだはずの騎体の破片が、まるで衝撃に抗うかのような、虹色の紋様の輝きに引き止められて、宙に留まっている。
「……これは……」
『――邪魔するよ』
と、不意に遠話器から響く声。
たったいま幻視した光景の、銀髪の女性の声だ。
『――嬢ちゃん、視たんだろう?
坊やの願いが、あんたを、騎体を守ったのさ』
その言葉に、ボクは貴賓席のオレア様を見る。
拳を握りしめ、ただボクを見据えるオレア様。
その目は、ボクの勝利を信じているように思えて。
『本来、一基じゃ事象改変なんてできないはずなんだがね。
それだけ坊やの想いが純粋だったってこった』
鼻で笑って、女性は続ける。
『さあ、嬢ちゃん。
目の前にあるのは最小の願望器だ!
あんたはなにを願う?』
問われて、ボクは蒼い結晶を見る。
「……ボクは――」
四肢に力を込めれば、<狼姫>は応えて動いてくれる。
吹き飛びそうな欠片達が、徐々に集まってくるのがわかった。
<狼姫>はまだ応えてくれる。
なら、ボクが願うのはただひとつ――
「――ボクは騎士だ!
オレア様の願いに応えられる騎士になるんだっ!」
『アッハハハ!
ホント、あんたらは良い主従だ!
――ならば唄いな!』
虹色の紋様が破片を引き戻す勢いが強くなる。
『――喚起詞はもう、わかっているだろう?』
砕けた面が顔に戻り、ボクはうなずく。
胸の魔道器官が蒼の結晶と繋がる感覚。
「……目覚めてもたらせ。<ひと欠片の勇気>」
虹色の紋様が収束し、ボクは再び<狼姫>となる。
胸の蒼の輝きが、強く周囲を照らし出した。
「――オレア様、見ててください!」
獣を見据えて、ボクは叫ぶ。
――あなたの想いに応えてみせる!