第17話 2
「お、お久しぶりです。フローティア様……」
彼女の前では、どうしても声も顔も強張ってしまう。
一方、フローティア様はというと、笑顔のままで。
「ええ、お久しぶりでございますわね」
涼しい声色でそう告げる。
思い出されるのは、過去の出来事。
連合諸国会議には、俺は十歳の頃に初めて参加したんだが、その時、ダストア王家からは王子王女全員が参加してたんだ。
長い会議期間の間に催された、子供だけの軽いお茶会。
各国の次代同士の交流とか、そんな名目だったと思う。
そこで俺に話しかけてきたのが、ダストアの末姫様であるアレーティア様で。
ふたつ年下のはずだから、当時は八つか。
あの頃から<兵騎>や魔道器に入れ込んでいた彼女は、ウチの<王騎>や<竜騎>について訊ねようと、話しかけてきたんだ。
俺も子供だったし、自国の<兵騎>に興味を持ってもらえるのが嬉しくてさ、そりゃもうふたりで大いに盛り上がったわけだ。
そこをアレーティア様の兄姉ふたりに見つかって……
ふたりはいわゆるシスコンだ。
兄王子であるルシオン殿は、それでもまだ常識的で、妹ふたりに分け隔てなく接している良性のシスコンなのだが、フローティア様はダメだ。
ややヤンデレ気質の入った、真性のシスコンだ。
そんな彼女が、大好きな妹と他国の王子が仲良くしてるのを見て、平気でいられるわけなんてなくて。
それからというもの、彼女は事あるごとに俺に難癖をつけてくるようになった。
なまじアレーティア様が俺を気に入っているものだから、直接的ではなく、ネチネチと嫌味を言ってくるんだよ。
正直、苦手を通り越して、天敵と言っても良い。
今日はなにを言われるのだろうか。
俺は萎縮する気持ちを押し殺して、顔に笑みを貼り付ける。
「会えてよかったわ。
殿下には、ぜひお礼を言いたかったの」
「――は?」
お礼、だと?
「いくつかあるのだけれどね。
――まずはラインドルフ討伐の件」
「ああ、そういえばヤツは、ダストアでも暗躍していたのでしたか」
「ええ。彼の指示で動いていたと思われた<執行者>までは、ウチの勇者が討伐してくれたのだけれど、それ以降も残党がウロチョロしててうっとうしかったのよね」
紅の扇で口元を隠しながら、フローティア様の目が弧を描く。
「でも、そちらでラインドルフが討伐されてからは、ピタリと止んだから」
ダストアでは、<執行者>とラインドルフの繋がりまでは、明らかにできていなかったらしい。
結果として、ラインドルフ討伐後は、その残党からの被害がなくなったから、やはり関係があったのだろうと、そう断定したというわけだ。
「本当なら、ウチの双華に討伐させたかったのですけどね」
「――双華?」
耳慣れないその言葉に、俺は首をひねる。
「わたくしの懐刀、といえばわかりますでしょう?」
「ああ、金薔薇殿と銀華殿ですか」
彼女達の噂は、ホルテッサにも届いている。
令嬢の中の令嬢と謳われるふたりだ。
舞踏会の華としてだけではなく、武闘の面にも秀でていて――フローティア様が仰った、<執行者>を討伐した勇者というのが、その片割れ――銀華殿の事だ。
「ふたりも連れてきているから、機会があったら紹介いたしますわ」
噂によると、銀華殿は神器使いなんだとか。
俺、ユメ以外の神器使いを知らないから、ちょっと興味があったんだよな。
「それと、先日、あなたの遣いでいらしたユメ様と守護竜様のお陰で、我が国の<兵騎>技術が格段に進歩したと、アレーティアも喜んでおりましたの。
<舞姫>と仰いましたかしら?
あの騎体の改修に携わってから、あの子、すごく上機嫌でしてね」
「……その節はご迷惑をおかけいたしました……」
一応だな、俺も王城に帰ってから、すぐに礼状を送ったんだぜ?
返事には、今、フローティア様が仰ったそのままが書かれてたんだけどさ。
やっぱり文面だけだと、感情まではわからねえから、今回会ったら絶対にネチネチ言われると思ってたんだよ。
けど、フローティア様の表情は言葉通りに、笑顔のままで。
……これは、赦されていると思って良いのか?
とりあえず俺は平静を装う。
「ダストアで改修してくれたおかげで、ウチで発生した<亜神>をどうにか調伏できました」
改めて礼を告げると、彼女はそっと身を寄せてきて、扇で俺達の顔を隠す。
「……それよ。
オレア、このところホルテッサは随分物騒なようじゃない?」
声を押さえて、素の口調で告げてくる。
普段の姫様然とした態度の時はともかく、こうなったフローティア様が比較的優しい事を知っている俺は、内心胸を撫で下ろしながらうなずく。
「なんの巡り合せか、この一年は本当に大変だった……
騒動の全部がそうとは言えねえが、どうも<叡智の蛇>がウチを狙ってる節がある」
「なによ、あなた、それが素?
婚約者に捨てられてから、人が変わったって聞いてたけど……」
そう言えば、こちらが素を見せるのは初めてか。
「ああ。真面目で優しい王子様は、バカ見るだけだから止めたんだ」
そう言ってニヤリと笑って見せれば、フローティア様もまた目を細めて喉を鳴らす。
「良いわ。あなた、そっちの方がぜんぜん良いじゃない。
これでもね、幼馴染のあなたが政を取り仕切ってるって聞いて、心配してたのよ?」
そんな風に思って頂けていたとは、ちょっと予想外だ。
「……聞こえてくる話だと、貴族の粛清もしたっていうじゃない?
去年会ったあなたから、粛清なんて想像もできないもの。
体よく貴族の言いなりになって、政争に巻き込まれてるんじゃないかって思ってたわ」
「むしろそういう、俺を利用しようとする連中のクビから切ってやったんだ」
俺の言葉に、今度こそ彼女は吹き出した。
「良いわね。そういう事なら、あなたを誘っても平気そう」
そうして彼女は、目線で窓の向こうテラスを示し、ついてくるよう促す。
その雰囲気から、艶っぽいお誘いではない事が伝わってくる。
俺はソフィアに待ってるように手で示して、フローティア様の後に続いた。
ふたりで大窓を開けてテラスに出ると、白と赤の月が浮かんでいて、夜風がワインで火照った身体に心地よかった。
フローティア様が右手を振るって、周囲に結界を張る。
「……念入りだな?」
「そりゃあね。まだ誰が敵味方かわからないもの」
「俺は敵じゃない、と?
――いったい、なにをしようとしてるんだ?」
首を傾げる俺に、フローティア様は手にした扇を閉じて、まっすぐに俺を見据えた。
「――ローデリア神聖帝国から、婚姻の申し入れがあったわ」
その言葉に、俺は厄介事の匂いを嗅ぎ取って、思わず顔をしかめてしまった。