第15話 4
足早に歩くヴァルトは大図書館のある学術区画を目指し――最短距離を行こうというのだろう――、慣れた様子で路地裏を縫って行く。
「――ヴァルト……殿は、ずいぶん土地に明るいんだな」
いまだに殿を付けて呼びかけるのに慣れない。
先を進むヴァルトに声をかけると、ヤツは振り向きもせずに。
「一度通った道は覚えているものでしょう?」
そうだったよ。
こいつはそういうヤツだった。
頭脳面ではソフィアやステフに並ぶ能力を持っていて。
特に魔道と戦術面に長けている。
戦術盤教練では、ソフィアを抑え込んでクラスで一位だったもんな。
俺は苦笑してしまう。
「……それはたぶん才能だよ」
特別秀でたものがない俺だから。
ダチの優れたトコは素直にすごいと思うし、尊敬できる。
呟きを聞きつけたのか、不意にヴァルトは足を止め、驚いたように俺に振り返った。
「……そう言ってくれる人は少ないのですよ」
そしてはにかむような微笑。
再会してから、初めて見る笑顔だ。
ヴァルトは女に限らず、人そのものを嫌っている節があって。
あえて嫌われようとしているかのように、露悪的な言動ばかりする。
再び歩き出しながら。
「人は優れた者を目の当たりにした時、取り入ろうとするか、恐れを抱いて嫌悪するものです」
幼い頃から魔道と知性に優れていたヴァルトは、そういう人間達を多く目にしてきたのだと、そう学生時代に語っていた。
いつしか人との関わりが面倒になってしまい、あえて離れていくよう、今のような言動を取るようになったのだと。
それは一種の選別のようなもので。
露悪的な言葉を不快に思って離れていくのならば、それでも良かったのだろう。
あえて嫌われる事で人との距離を置こうとしたヴァルトと。
いつも笑顔でいる事で、人に悪意を抱かせないようにしていた俺と。
やり方は真逆だったけれど、俺達は良く似ていた。
当時を思い出しながら考える俺に、ヴァルトは続ける。
「こう見えても、仕事柄人を見る目は鍛えられていまして。
いまの貴女の言葉は、本当に思ったままのものだった。
……そんな人は極めて稀で……懐かしい人を思い出しましたよ」
と、ヴァルトは歩調を緩めて俺の隣を歩きながら言った。
そんなヤツの肩にリックが肘を乗せて。
「おいおい、頼むから惚れたとか言うなよ?
オレーリアはソフィアからの大切な預かりモンなんだからな?」
「この僕が、そんな即物的な判断をするわけがないでしょう?」
ヴァルトはリックの肘を払って、不快そうに応える。
「そういやおまえ、女嫌いだったな」
ニヤリと笑ったリックは、ヴァルトと肩を組んで笑う。
「君だって似たようなものだろう?」
「まあなぁ……学生時代に嫌なもん見過ぎちまったからなぁ……」
しみじみと呟くリックに、俺は首を傾げる。
「――どういう事だ?」
「あー、婚約者の居たオレアやザクソンはともかく、俺とヴァルトはそういうのが居なかったからよ。
結構、女どもから言い寄られてたんだ」
それは覚えている。
ふたりともタイプは違うが、良い男だからな。
冷徹だが知的なヴァルトと、ガサツだが包容力に溢れるリック。
ふたりは良く女子に囲まれていたっけな。
「中には俺達の気を引くために、無茶する奴もいてよ。
別の女にいじめられてるから助けてくれってウソついたりよ」
「……あったな。
一番笑ったのは、ソフィアにいじめられていると訴えてきた女だ」
「あー、ソフィアはおまえが話す、数少ない女子だったからな。
嫉妬したんだろうよ」
「――ソフィアが本気で潰そうと考えたなら、いじめなんて、すぐバレるような手段を取るわけがないだろうに」
「そもそもなんでいじめられたって?」
「あいつが僕に惚れていて、同じく僕に気のあるその女が気に食わなかったんだそうだ」
途端、リックは腹を抱えて笑い出した。
「ソフィアが誰かに惚れるもんかよ!」
「毎日のように男子に光曜樹に呼び出されても、頑なに断り続けていたというのにな」
ヴァルトまでもが声を押し殺して笑っている。
俺はエリスの件で教えられるまで知らなかったんだが、ふたりはソフィアが学生時代にモテていた事を知ってたようだ。
「そういえば俺も、ステフにいじめられてるから、どうにかして欲しいって言われた事があるな」
「君はいつもステフと一緒に居たからな。
どう対処したんだ?」
「あいつなら気に食わないヤツにはすぐ手が出る。
いじめなんて面倒な事するわけがないって言ってやった」
腕組みして胸を張るリック。
するとヴァルトは再び喉を鳴らして笑った。
「ちがいない。
王族であるオレア様でさえ、気に食わなければぶん殴る奴だ」
「――だよな?
そう言ってやったら、顔真っ赤にして逃げてったよ」
なにやら、ふたりして楽しそうだ。
俺、そんな思い出ねえな。
だいたいソフィアかセリスが一緒だったからか?
「しかし、その手の話をすれば、やっぱ不思議なのはミレディだよな?」
「鈍い君でも気づいていたか。
僕も当時の印象があったから、彼女が墳墓を訪れた時に警戒したんだ」
あー、一個だけあったわ。そんな思い出。
ふたりが話してる、ミレディの奴だ。
「あいつ、気味が悪いくらい、こっちの考えを言い当ててたよな?」
「……正確に言うなら、当時悩んでいた事を、だな」
そう。
二年のなかば頃にログナーの養女として学園に編入してきたミレディは、三年が始まると、俺達、生徒会男子メンバーに、猛烈にアピールを初めてきた。
「俺は弟の事について、相談に乗るって言われたな……
学園で弟の事なんか話した事なんてねえのに、あいつが病弱なのを知ってやがった」
リックに弟がいるのは俺も知っていたが。
病弱ってのは先日、開拓村で再会するまで俺ですら知らなかったことだ。
「僕にはもっと人を信じろと囁いていたな。
僕がオレア様と君ら以外を信用していないのを見透かしているようで、薄気味悪かった」
鼻を鳴らしながらヴァルトも答える。
――俺には、魔法が使えなくても大丈夫と言ってたな。
その事は、一部の上位貴族しか知らないはずだったんだがな。
まあ、ログナー侯もその『一部』に含まれていたから、親父から聞いたんだろうと当時は思っていたし、ミレディにも口止めもしたんだけど。
言われてみれば、確かに不気味だ。
「――当時も調べてみたんだが、ログナー候の養女というのは周知だったが、『それ以前』について知っている者は誰もいなかった」
ヴァルトは深々とため息をつき。
「そうしている間にソフィア様が繰り上げ卒業し、続くようにオレア様も繰り上げ卒業なさって、ミレディからの接触が止んだからな。
そのまま放置してしまった事が悔やまれる……」
「そう考えると、あの頃のミレディの目的はオレアだったのかね?」
「……当時は僕もそう考えた。
ログナー候にとって、コンノート家は財務閥にも関わらず外務省を頭越しにして外交を行う点で敵対していたからな」
当時の省を跨いでの派閥政争を、ヴァルトは正確に把握していた。
「セリスに取って代わって、ミレディを王太子妃候補にしようと画策していたのではないかと考えたんだが……」
ヴァルトは言葉を切って、首を振る。
「――その後、ログナー侯がオレア様にミレディを接触させようとしたという話は聞こえてこなかったからな。
ミレディの独断行動で、オレア様が学園を去ったので諦めたんだと思ったのだが……」
路地の向こうから、学術塔の根本にある大図書館が見え始める。
「……別に目的があったのかもしれない、と?」
俺の問いに、ヴァルトはうなずく。
「今は情報が少なすぎます。
まずは彼女の出自を探るところからです」
真剣な声音で告げるヴァルト。
俺達は言い知れない不気味さに急かされるように、歩速を上げていた。