第12話 12
……泣き声が聞こえる。
それは押し殺したすすり泣くような声で。
……そういうトコは変わらないなぁ
あの日も、パーラちゃんは路地の陰でそうして泣いてたっけ。
だから、僕はパーラちゃんを泣かせた、あの男が赦せなくて。
立ち向かったけど、まるで相手にならなくて。
僕にできたのは、とにかくあいつを足止めする為に、足にしがみつくくらいだった。
パーラちゃんが助けてくれてありがとう、なんていうから。
僕も調子に乗って、騎士を目指してるから当たり前なんて言っちゃったけどさ。
あの時、衛士が来てくれなかったら、パーラちゃんも僕も拐われていたかもしれない。
家に帰ってから、両親にそう叱られて。
僕は怖くて仕方なくなった。
僕が拐われる可能性があった事じゃなく。
――じゃあ、あたしも騎士になるわ!
腕組みして照れくさそうに、僕にそう告げたパーラちゃんの横顔が過ぎったから。
あの頃のパーラちゃんは、いつも僕の真似をしたがった。
だから、同じような事があったら、きっとあの日の僕のように立ち向かおうとしてしまうだろう。
それが怖くて怖くて仕方なかった。
僕の所為で、パーラちゃんが危ない目にあってしまう事が。
だから、僕はパーラちゃんから離れようと思ったんだ。
いつか自信を持って、パーラちゃんを守れるくらいになったら、その時は……
そう思って、父さんや兄さんに鍛えてもらってたけど。
――おまえは騎士には向かないんじゃないか?
鍛錬中、父さんが何気なく発した言葉が僕の胸に突き刺さる。
兄さんができていた事が、同じ年齢になっても僕はできない。
父さんとしては、僕が魔道の才能があるのに気づいて、無理に騎士にならなくても良いという想いからの言葉だったのだろうけど。
――悔しかった。
剣では兄さんどころか、同年代の中でも秀でているわけでもない。
父さんの勧めで、リステロ師匠に弟子入りしたけれど、そこでも先輩達にバカにされる毎日だ。
――悔しかった。
だから必死に身体を鍛えて、魔道を勉強して……
それでも僕は中途半端なままで。
そうして学園に入学して。
パーラちゃんと同じクラスになった時は驚いたなぁ。
――あたしは騎士になるのよ!
自信満々に、そう自己紹介するパーラちゃんはすっかり見違えていて。
すごく綺麗になっていた。
そして、あの日の約束のままに、真っ直ぐに騎士を目指していて。
僕は罪悪感に捕らわれた。
彼女をそうさせたのは僕だ。
僕はそれまで以上に、鍛錬に打ち込んだ。
パーラちゃんが騎士を目指すなら……それを焚き付けた僕は、彼女を守らなくちゃならない。
そう思って三年間、僕はひたすらに身体を、魔道を鍛え続けたんだ。
なるべくパーラちゃんからは距離を置いて。
もうこれ以上、彼女に変な影響を与えたくなかったから。
そうして卒業間近になって、僕は宮廷魔道士の研修生として。
パーラちゃんは騎士の研修生として、王城に出仕する事になって。
殿下の国内視察の旅に、パーラちゃんとメノアくんが選抜されたと耳にした時、僕は焦った。
無鉄砲な彼女が、旅先で余計な騒動を起こすのは目に見えていた。
魔境探索教練でも、野営教練でもそうだったから。
教練の時は、こっそり後をついて行ってフォローできたけど。
殿下の視察にこっそりついていく事はできない。
だから、僕は師匠に相談して、同行させてもらえるよう頼み込んだんだ。
そう、元々僕は、パーラちゃんをフォローするつもりで、この旅に同行したんだ。
けど、そんな事関係なく、殿下が僕に魔法剣士なんて道を示してくださったのは、嬉しかったなぁ。
これだって思ったよ。
剣も魔道も中途半端な僕だけど。
これなら僕でも前に進めるかもしれない。
そう思ったんだ。
――泣き声が聞こえる。
あの日のように、押し殺したすすり泣くような声が。
「――誰か、助けてよぉ……」
その悲痛な声音に胸が締め付けられて。
「……大丈夫だよ。
僕がいるじゃないか……」
あの日、彼女にかけた言葉を口にする。
「――ライルっ!?」
名前を呼ばれて。
僕は意識を失ってた事を自覚した。
おでこがすごく痛い。
目を開けると、僕はパーラちゃんの背中に覆いかぶさるように倒れていて。
「――う、うわぁ!? ゴメン!」
慌てて彼女の上から転がり退いて。
おでこのぬめる感触に、僕が出血してる事に気づく。
「いったい、どうなって――うわっ!?」
パーラちゃんが僕の頭を抱えるようにして抱きついてきた。
「ライル! 死んじゃうかと思った! よかった……本当によかった」
「パ、パーラちゃん! 血、血で汚れちゃうから!」
パーラちゃんを引き剥がしてそう告げると。
「そうよ! 血を止めなきゃ! ライルがぁ……」
「これくらいなんでもないよ」
頭の怪我は出血が派手だから、驚くんだよね。
ちょっとフラつきながら、僕は治癒魔法を使って傷口を塞ぐ。
治癒魔法はかじった程度だから、完治まではできないけど出血を止めるくらいはできる。
それから鞄から包帯を取り出して、自分で頭に巻いた。
その間、パーラちゃん……パーラくんは黙って僕のする事を見ていたけれど、作業が終わると、いつもの調子を取り戻したのか。
「――な、なによ。アンタも持ってたのね」
地面に座り込んだまま、腕組みして顔をそらした。
「メノアくんに渡されてね。
はぐれた時の為にって。
まさか役立つとは思わなかったなぁ」
少し頭がフラつくけど、手足はどこも折れてない。
身体の調子を確認した僕は、それから周囲を見回した。
「ここは……崖の下?」
「そう。登れるトコを探そうと思ったんだけど……」
「そうか。メノアくんとオリーさんが心配してるかもしれない。
はやく戻らないとね」
そう言って立ち上がり、僕はパーラくんに手を差し出した。
けれど、彼女は顔をそらしたまま、立ち上がろうとしない。
「……どうしたの?」
「――足……」
足?
見ると、彼女はまるで足首をかばうように横座りしていて。
「――見せて!」
慌てて靴と靴下を剥ぎ取って見ると、折れてはいないようだったけど、パーラくんの足は青黒く腫れてしまっていた。
「これじゃ、僕の魔法じゃ……」
所詮、僕の治癒魔法はかじった程度だから。
傷口を塞ぐ程度の事しかできない。
僕は彼女に背を向けてしゃがみ込み。
「……イヤかもしれないけどさ。
僕が背負うから、乗って」
「……イヤって――」
そう呟きながらも、パーラくんは黙って僕に背負われた。
来た方角を聞くと、黙って右手を指し示す。
だから、僕は反対側に歩き出した。
しばらく歩いて。
「……さっき、パーラちゃんって呼んだ……」
不意にパーラくんが口を開いた。
「ああ、イヤだった? ごめんね?
昔の夢を見ててさ。つい……」
僕が苦笑を漏らすと、パーラくんは僕の首に回した腕に力を込める。
「……<爵騎>にも<騎兵騎>にも乗れないから、騎士を諦めたって本当?」
「そうだよ。僕なんかの腕じゃ、<騎兵騎>騎士にはなれないって、父さんにも言われたからね」
「そんな事で騎士を諦めちゃうの?
あの日、一緒に騎士になろうって約束したのに?
あたしだって……魔道不足で<騎兵騎>適性は絶望的って言われたけど……それでも頑張って来たんだよ?」
ああ、そうか。
ウィンスターは代々、魔道が弱くて<爵騎>を動かせる人が居ないんだっけ。
それでも彼女はあの日の約束の為に、研修生に選ばれるほどに努力してきたんだ。
罪悪感が強くなる。
「ハハ。まだ覚えてたんだ。
あんな約束、忘れてくれてもよかったのに……」
僕が笑い飛ばしてみせると。
「――バカっ!」
後頭部に容赦なく頭突きされて。
僕は思わず前のめりに倒れ込んだ。
「――ライルのバカっ!
忘れられるワケないじゃない!
勝手に会わなくなって! 学園でも他人行儀で!」
右頬を張られた。
「ちょ、ちょっと待って! 僕、まだ――ぶっ!?」
止めようとしたら、裏拳で左頬を殴られた。
襟首を掴まれて揺さぶられる。
「――あたしが気づいてないと思った?
いつもあたしを見てニヤニヤしてて!
知らないフリして、いつもこっそり助けてくれてて!」
――バレてた!?
そういえばオリーさんの視線にも気づいてたっけ。
彼女を侮っていた。
殴られたより、そっちの方が衝撃が大きい。
「アンタ、なにがしたいのよ!
あたしが怒っても、いつもへらへらしてて!
ぐうぅぅ……なんでなのよぉ」
ついにはパーラ……ちゃんは、僕の胸におでこをくっつけて泣き出してしまった。
「……言うつもりはなかったんだけどさ。
バレてたんだね……」
僕はため息をついて。
「本当はさ――君を守れるくらい強くなるまでは、君と距離を置こうと思ってたんだ。
でも、君はどんどん強くなっちゃうから……」
「……なんでそんなイジワルするのよぉ」
こうなったら、すべて白状するしかないだろう。
「――あの日の事がすごく怖くなったんだ」
君を巻き込んでしまうのが怖かった。
君が傷つくのが怖かった。
「……だって、君ははじめて会った日から、僕の宝物だったから」
今でも思い出せるよ。
屋敷の生け垣から、ひょっこり顔を出してきて、照れくさそうに笑う君の笑顔。
「僕は君がさ……」
この際だから、覚悟を決めて全部言ってやろうとしたその時。
「――ひゃあああぁぁぁぁっ!」
「――あの声、メノア!?」
声のした方を見ると、パーラちゃんの言う通り、メノアくんがこちらに走ってくる。
そしてその後ろを追いかけてくるのは――
「――魔獣!?」
体表に赤く光る文様を走らせたイノシシが、全部で六頭。
僕はメノアくんと魔獣の間を遮るように、魔法で土壁を打ち立てる。
ズンと鈍い音が連続して、土壁が揺れた。
きっと時間稼ぎにしかならない。
「た、助かったよ~。
ふたりとも無事だったんだね」
「そうでもないんだ。
パーラちゃんが足を捻挫してる。
メノアくんは手当を頼む」
そして僕は、今も鈍い打突音を響かせて揺れる土壁に向かおうとして。
「――ライル!」
パーラちゃんに左手を引かれた。
「……<爵騎>があれば……また騎士を目指してくれる?」
真剣な眼差しで見つめられて。
「そうだね。そうなったなら……もう一度、僕は頑張れるかもしれない」
「――なら……」
パーラちゃんは襟首をたぐって、ネックレスをはずす。
「……アンタにその為の力をあげる」
細い銀の鎖に通されているのは、ウィンスター嫡子の指輪で。
彼女はそれを鎖から外すと、握ったままの僕の手袋を外して。
サイズが違うから、本来は人差し指に通されるはずのそれは、不器用な手付きで人差し指から順に中指へと巡り、薬指に収まる。
そして、彼女は嬉しそうに告げる。
「――目覚めてもたらせ。<古代騎>」
「――えっ!?」
驚く僕の背後に魔芒陣が開いて。
無骨な人型が現れたかと思うと、その胴が開いて僕を呑み込んだ。
四肢が拘束されて、面が付けられる。
――<未登録リアクターの搭載を確認>
――<システムおよび外殻、神経系の最適化を開始します>
面の裏側にそんな古代文字が表示された。
騎体が輝きを放って変貌しているのがわかる。
かつてのウィンスター当主が好んだ形状から――より僕に合った形へと。
それは昔、パーラちゃんの家で読んだ、騎士物語の絵本に出てくる銀色の甲冑騎士の姿に似ていて。
胸の奥から四肢へと、なにかが繋がる感覚がする。
ああ……これが合一するという感覚なのか。
「……見てて。パーラちゃん」
僕は土壁に向けて歩き出す。
「――僕は今度こそ君の騎士になるよ!」
土壁が砕けた。