崩れ去る夢
「奥様」
呼び掛けに振り返ると、ロロが手に大きな箱を三つ四つ抱えながら立っていた。その後ろにも、大小様々なラッピング済みの箱を大量に持っているフットマン達がいる。
手紙を書いていたペンを置き、立ち上がる。
「どうしたの?それ」
「全て旦那様からの贈り物でございます」
ロロがにこにこしながら言った。一瞬何を言われたのかが分からず眉をひそめる。念の為聞き返すと、ロロは同じ言葉を並べた。
途端にその箱たちが別のものに見えるようだった。
「……旦那様から、どうして」
ロロがもっている物の中から一つ引っ張り出す。
国内では有名なブティックのアクセサリーだった。蓋の真ん中に描かれているエンブレムを見ればそう分かるし、その重さから宝石だとすぐに分かった。
よくよく見れば届けられたものは全て有名所の品々たちで、ここにあるもの全て合わせれば、小さな家くらいは買えてしまうだろうと言うほどだった。
「どうしてこんなに……」
「良かったですね、奥様」
「え?」
「これ、きっとあの日のお詫びなのですよ」
ロロが言うあの日とは、私が旦那様に無礼を働いた、あの夜のことだ。
あの日から体調を崩し続けて、もう二ヶ月が経ってしまっていた。初めの一ヶ月は症状も酷く、旦那様への罪悪感、不安などから、毎日泣き続けた。
それでも少しでも歩ける日には旦那様の所へ行き、開かれることの無い執務室の前で謝罪を続け、最近になってようやくまた一緒に朝食を食べさせて貰えるようになった。
きっと旦那様は私のことを許されてはいないし、朝食の席の許可を下さったのも、ロロとリリから締めあげられたレイからの懇願のお陰だ。
旦那様はもう私の顔など見たくもないだろうし、その証拠に定期的に開かれている舞踏会や夜会のパートナーは、任せて頂けなくなった。
私はもう二度と失敗してはいけない。旦那様を失望させてはいけない。もう自分は崖の縁に足をかけている、そう思っていたのに。
「……お詫びって。……旦那様がそんなことをなさるはずがないわ。あれは私が悪いのだし…あれからもう日にちがかなり経っているわ。こんなに時間軸のずれた行動を旦那様がなさるはずないもの」
「細かいことはいいのです。こんなに沢山の贈り物をして下さるということは、奥様の機嫌を取りたくて仕方がないのですよ、旦那様は」
妻の機嫌がとりたいだなんて、愛し合っている夫婦にしかないものだろう。そうでなければ機嫌など取る必要もないし、取ろうだなんて思わないはず。
「……とりあえず、開けましょう」
私と旦那様の間には有り得ない。そう分かっていながらも、どこか胸が熱くなるのを感じていた。
もしかして、旦那様は私のことを許してくださったのだろうか、それともまたパートナーを努めさせてもらえるのか、そのためのドレスたちなのだろうか。
けれどそんな夢は、すぐに崩れ去る。
「……これもだわ」
試着してみていたドレスの胸元に手を置き、ふんわりと広がったドレスの裾を見つめた。
どれもこれも高級な素材で作られているものばかりで、素晴らしいドレスや装飾品たちだった。けれどどれもこれも、私には合わないものばかり。
ウエストが緩かったり、肩幅が大きすぎたり、靴に関してはきつかったり緩かったりと、いつものように体にぴったりと合うようなものが一つもなかった。
それにデザインも、今まで頂いていた物よりも私の好みから外れているように感じるし、それはロロとリリの反応でもよく分かった。
格段これらがおかしい訳では無い。考えてみれば、今までの物たちが私には合いすぎていたのだ。
思い出せば、いつもはドレスはレイが持ってくるのに、今回レイの姿はなかった。
旦那様は自分の補佐官、つまりご自分に一番近い存在であり、一番信頼しているレイを通してくださっていた。貴族の身分、しかも伯爵家ともなれば思いもよらないところで恨みを買うこともある。
そんな時に、使用人の中で最も位の高い者を通すということは、敬意を表すということになることもあるが、安全性や丁寧さを表すものであった。
いつもとちがう旦那様からの贈り物。姿を見せない旦那様の側近。私やロロ、リリに不信感を持たせるには充分だった。
「どういうことなのでしょう」
やや尖った声を含みつつ、リリが山積みになった箱を睨みつけた。それまで静まり返っていた部屋がロロとリリの文句が立ち込める。
それを聴きながらオフショルのドレスを脱ぎ、背中に手を回して自分でコルセットを緩めた。
袖を通していないものはいっぱいあったが、それらを見る気にすらなれなかった。
鏡に写った自分の顔は酷いものだった。
元々の血色の悪さに加え、急激な感情の変化からかさらに血の気が引き、今にも泣き出しそうに歪められた目元。濃い隈。引き結ばれた唇。乱れた髪。まるで伯爵夫人だとは思えない。
「…………これ」
鏡のなかにいる自分を見つめながら、それに話しかけるかのように声を出した。
「私への贈り物ではないのではないかしら……」
「え……」
サイズの合わないドレスと靴。側近を通さない注意が浅い方法、普通贈り物などしないおかしな時期。
私ではない誰かのもの。旦那様が私ではない他の女性に用意したもの。
そう思わせるには判断の材料が揃いすぎていた。
唇をかんで、左手に持ったそれをそばに立っていたリリに渡す。
それを受け取ったリリは信じられないというように自分の手の中を見つめ、それをすぐに箱の中にしまい込んだ。
そのドレスに一瞬でも触れていたくないとでもいうその仕草に、ますます悲しみが込み上げてくる。胸が引き絞られたように強く痛み、それから目を逸らした。
「……ロロ、リリ」
自分の声がみっともないほどに震えていて、息を吐き落ち着こうとしたけれど、不可能だった。
胸に手を当てて、口元に僅かな笑みを浮かべながら問う。
「これは、どちらの女性への贈り物なのかしら。」
「……ーーっそんなわけはありません!旦那様に限ってそんなことは……」
「そうです、奥様が嫁いでこられるまで、旦那様は女性に手を出すどころか興味もなく、近づいてくる方がいたら遠慮なくたたき出していたのですよ?」
そんな旦那様が、と続くリリの言葉は頭に入ってこなかった。
あの旦那様が、そんなわけは無い。そう思いたいけれど、もし、もし私を捨てて他の女性を愛したら、私には向けて下さらなかった笑顔や優しい言葉、愛の囁きをその方に送ったら、そしてその女性が伯爵夫人となってロロやリリ、みんなが仕えて、今の私のように、大切にされたら。
「…………っ」
なんて欲深い。
こんな幸せな生活は私には勿体ない。その癖に、みんなが良くしてくれるこの暮らしを誰かに渡したくない。
愛は頂けなくても、一番お傍で旦那様を見ていられるこの暮らしが、他の誰かの物になるだなんて嫌。
でも、私ではない他の誰かがこの家の女主人となることは、そう遠い未来ではないのかもしれない。
そしてその女性というのは、旦那様からの愛を頂ける方ということなんだわ。
「……これは、仕舞っておいて」
「……はい」
二人が男手を呼んでいる。その声が遠く聞こえて、耳を抑えた。
恐い。恐くてたまらない。ここにいることが出来なくなったら私はどこへ行けばいいのだろう。どこに行ったらこんないい人たちに出会える?こんなに優しい人達には会ったことがない。きっと、この先もそうだわ。
震える腕を掴んでその震えを抑えようとする。
この恐怖を理解してくれる人がいるだろうか、助けてくれる人がいるだろうか。私を助けられるのは、旦那様ただ一人。
その旦那様に捨てられるというのだから、酷く滑稽なものだ。