ルーランチェにて 2
「まだ事態が飲み込めていないようだな」
中身を顕にされた木箱、そして大量の金貨が教会の地下に隠されていた。
昨夜、ルーランチェに到着しその足で教会に忍び込んだリアムが見つけたのは、今目の前に広げられている密輸品を教会の地下へと運び入れる子供たちの姿だった。
木箱の中身は魔法とやらの研究のための器具。ガラスの器や成分不明の濁った薬品、動物の死骸など、酷い有様だ。
「そのまま黙っていたとしても、処罰は免れない。子供に手をあげようとしていた保護動物の密売人も既に捕らえている」
流石に表立って買い入れることは出来ない教会は、裏の筋から魔法を研究するための材料を仕入れていた。もちろん違法として国が取り締まっているため、当人と取引をした者も処罰の対象になる。
「これ以上罪をさらけ出されるのが恐ろしいか?例えば…この金貨をどのように手に入れたか」
リアムの問いに、神官長は顔を青くして俯いた。所詮地方教会の神官ごときに、侯爵への忠誠を通すことは不可能であろう。リアムと神官の周囲は、武装した騎士が包囲している。
「木箱の中身を使って何をしていた?ああ、答える必要はない。既に調査は終わっている。地下室の研究所も今頃部下たちが制圧している頃だろう。反逆罪で全員牢屋行きのうえ、違法薬物所持、青少年保護違反まで数えて、全員死刑判決が下りるだろうな」
その言葉に、身を寄せ合っていた神官が悲鳴を上げた。なんで私が、その後は言葉にならない叫び声が大きく開いた口から漏れ出ている。
誘発されるようにすすり泣く声が連鎖していく。リアムはその様子を冷めた目で見降ろしていた。
殴り飛ばされ意識不明の少年をはじめ、木箱の搬入を強制されていた子供たちは全員痩せこけ、体に痣がある者もいた。
人間以下の扱いをしておきながら、いざ自分たちが裁かれようという時には、ほんの少しの脅迫で泣いて命乞いをする。
「そう悲観することはない。罪を犯した者にも、その命を救うための最後の手段ぐらい用意されている」
跳ね上げるように顔を挙げた神官は、目線を合わせたリアムを見て体を震わせた。その頭に手を乗せたリアムは顔を近づけ囁く。
「この金を与えたのは誰だ?」
「あ…あ、わ私は、なにも、しらな…っ」
「そうか、お前は知らないのか」
リアムはあっさりと体を離す。おもむろに手を挙げ、それを見た騎士がその神官を無理やり立たせ、奥の部屋へ連れていく。
「な、なんだ?知らない!私は知らないんだぞ!」
リアムが残りの神官に向きなおる。全員、顔面蒼白で息も絶え絶えだった。
灰色の双眸に射抜かれた神官がびくりと後ずさる。
「お前は?」
「ひいっ!私は、何もしらな…。ほ、本当です!あの男は嘘をついたかもしれないけど、私は本当に何も知らないのよ!」
「そうか」
「いやだ!どこへ連れて行くの!いやああっ」
仲間の悲痛な叫びに耐えきれなくなった者が、濡れた顔を歪ませてうずくまる。中には何も知らされていない一般の神官もいるかもしれない。それを部屋へ連行した者が罪人か否か、それを洗い出している暇はない。
侯爵に悟られぬように、表立った遠征ではないため、同伴している騎士は全員リアムの部下だ。つまり、近衛騎士隊ではなく影部隊。任務遂行のためであれば多少の荒事は認可されている。そしてその全権はリアムの手中である。
「この場で答えを持ちえない者の命は保証しない」
周囲には既に抜刀した黒ずくめの騎士に包囲され、悪事は全てステンドグラスから差し込む月光のもとにむき出しにされている。正気を保てる者が何人いようか。
「マ、マクベル候です…」
か細い声を鳴らしたのは奥の方で抱きしめあう数人の神官の中心にいた、まだ年の若そうな神官だ。隣にいた黒髪の女神官が、告発した神官の口を手のひらで覆う。
胸元から垂れ下がっていた十字架を逆手に持ったかと思うと、振りかぶった。
リアムの背後にいた騎士が動く。女の腕を掴み十字架を取り上げると、躊躇なくその腕を折った。ぼきり、と嫌な音が鳴る。組み敷かれていた神官はその音の正体を察して顔を背ける。
くぐもった唸りが静まり返った空間に響いた。女を拘束する騎士以外、誰も微動だにしなかった。
「お前は内情を知らされていたようだな。今、何をしようとした」
「決まっているだろう!!この裏切り者を殺すのよ!!二度と息が出来ないようにしなくては…ああ、我々を守護する神よ、豊穣をもたらす主よ!」
腕の痛みなどとうに忘れたように、恍惚とした表情で天井を振り仰いでいる。
「研究費用として協会はマクベル侯爵から多額の援助を受けていた、ここが違法研究の本拠地であることは調べがついている。侯爵の関与はお前の様に精神を蝕んだ神官には、天から遣わされた恵みであったということか」
「ふざけるな!!あんな一介の貴族ごときが恵みであるものか!!」
血走った目でリアムを睨みつけた。
「聖女様こそが我々にとっての恵み。マクベル候などただの金づるに過ぎない。たったそれだけで聖女様のおそばに侍ることを許されるなど…どうして!?私たちの方が…っ聖女様と同じく魔法を扱う私たちにその権利が与えられて然るべきはずなのに!!」
叫ぶ女の目には光が灯っていなかった。だんだんと、金切り声を漏らすたびに濁りが混じっていく。過ぎた聖女信仰が人間を否定し、心を蝕んでいるのだ。
共鳴するように何人かの神官も狂ったように頭を抱えた。
「聖女様…何よりも尊いお方。このような汚れた世界でもなお、人間を救わんと涙を流して奇跡をもたらす神の愛され子。私たちは尽くさなければならない、そのお傍で、その隣で!そしてその力を私たちにもたらしてくださいませ!!どうか私を救って!そして、そしたら…」
背筋が泡立った。
「元の世界へ、帰して差し上げなくては」
聖女の降臨は、帝国を歓喜に包んだ。彼女が扱う奇跡の力に期待し、嫉妬し、時には奪わんとする。その権威を利用しようとする者は盲目的になり、聖女を争いの中に閉じ込める。
彼らは気が付いているのだろうか。歓喜し、献身し、溺れるような聖女への愛に狂気が混じることを。この女の様に、いずれ聖女に手をかけることを心の底からの聖女への愛だと妄信している者がいることを。
「きっと聖女様は醜い人間に捕らわれて苦しんでいるのよ。あんなにお美しい聖女様だもの。独占するために檻に入れて、鎖でつないで、いずれ聖女様は輝きを失う。汚れてしまう!!そうなる前に私が、お救いします、聖女様…」
凍り付いて動かない腕に、誰かが触れた。頼りない手だ。細い指が絡みつく。爪が食い込む。やがてリアムの皮膚を破り、血を流しても、彼女は力を緩めない。
月の光がシーツのしわを撫でるように照らし、光の波の中で横たわる彼女は、恨めしそうに俺を見上げている。
「…様、主様!」
部下の声で我に返る。腕を掴んでいるのは彼だ。かつての妻ではない。
「…ああ。なんでもない。あの女は猿轡を噛ませて縛っておけ。告発者は連れ帰る。重要な証言人だ」
ひどい頭痛がした。
割れるような痛みで、視界が白く濁っていく。
***
鐘の音で目を覚ました。出航の合図が早朝にあることは知っていたが、予想よりも近い音であまり寝覚めはよくない。そもそも制圧後、日が昇るまでの仮眠のつもりであったため気にはしない。
ただ、ぴんと張った糸をなぞるような頭痛が続いていた。
「ハウスの開館までは一刻あったな」
「はい」
傍に控えた部下が答えた。この後は貿易関係を洗うためにリトレルに接触する予定だった。忙しくしているようだし、開館前に訪ねる方が無難だろう。
元々連絡をつけてから訪問するような仲でもない。簡単に支度を済ませ、一人で教会を出た。
教会の聖女派の神官たちは部下に任せてあるとはいえ、出来るだけ早く皇都へ帰還したい。急ぎ足で街を縫い歩き、リトレルの勤めるアンバーミッドハウスを目指した。
まだ早朝だというのに、せわしなく開店準備をする店主、花に水をやりながら通行人に声をかける老夫婦。リアムもまた、同様に挨拶をされ、返した。
リトレルがこの街で暮らしていると思うと、不思議な感覚だった。潮の香りと共に穏やかに流れる時間。正午を過ぎるころにはきっと異国語が飛び交い、喧騒に包まれる。
人々は鐘の音と共に起床して、友人や愛する者と食事をし、笑い、汗を流しながら仕事をして、沈む夕日を見ながら帰路に着く。
リトレルがこの街でそうやって日々を暮らしている様子が想像できる。羨ましい、と素直に思った。その感情にもはや驚くことはない。今までも己の中でふつふつと煮立っていた。
気が付かないようにしていただけで、影としての任務や、英雄の子孫としての責任を捨てることが出来たら、自分もこんな場所で生きたいと願望を抱いていた気がする。だが今は、そうではない。
(捨てることなど…できない)
捨てたいとも思わない。かつては冷たい牢獄の中で生きるのは自分だけでいいと思っていたし、夢に飛び立ったくせに兄を心配し続ける義理堅い弟への嫉妬など、考えたこともない。
だが、もし、自分がどこへでも行ける身になったとしたなら。もしその時に隣にリヴェーラがいるのだとしたら。
自分はきっと、こんな街に彼女を連れてきたいと思うのだろう。
馬鹿な話だ、と嘲笑を浮かべて、赤レンガ造りのハウスを見上げた。
カチッとわずかな音と共に、窓の鍵が開いた。静かに押し開いて体を滑り込ませる。
さすがに開館前にも警備の目は抜かりないようだが、職員寮の方までは十分に警戒していないようだ。難なく手紙で聞いていたリトレルの部屋に侵入した。
中へ降りたってあたりを見回すが、どうやら私室というより仕事部屋らしく、左側面の壁にはぎっしり詰まった本棚と、二つ作業机が置いてあるばかりだ。
弟の仕事部屋にしては、掃除が行き届いていて、妙に温かみがあるなと思い見渡す。
机が二つあるということは誰かと兼用しているのだろう。そこへただでさえ無断で踏み込んでいるため、じろじろと見て回るのも気が引ける。
扉に近い机には花が飾られていた。女性が使っているらしい。
かたん、と隣で物音がした。何かを落としたような音だ。壁は薄いらしく、ベッドがきしむ音がわずかに聞こえた。
リトレルならばそれでいいが、と思っていると、今度は反対側の部屋からも人の気配がする。一瞬退散も考え、足音が聞きなれた者であることに気が付いた。
部屋を出て、廊下を歩き、リアムがいる仕事部屋の扉を開ける。
向こう側に立つ人物は部屋の中にいるリアムを見て、驚愕の表情を浮かべた。胸元に手を当てているのを見ると、侵入されたことに気が付き必要とあらば応戦する気でいたらしい。
それなりに武術を仕込んだつもりでいたが、忘れていないことに安堵した。
「兄さん…!?」
「久しぶりだな。悪い、少し用がある。無断で入らせてもらった」
隣室に居る人間を気遣ってか、リトレルは押し殺した声で驚きを現した。同じように囁き声で返すと、リトレルは動揺を隠せない仕草で扉を閉めた。
無言で自分のつま先を見つめた後、向きなおったその顔は怒気をはらんでいた。
「何の用で?連絡くらいくれてもいいだろう」
「丘の上の教会で任務があった。お前にも聞きたいことがあったのでついでに、な。お前だっていつも予告なしに押し掛けるだろう」
何をいまさら、と眉を顰めると、何故か虚を衝かれたような顔をした。目線が泳ぐ。何か考え事をするときの弟の癖だ。
「…俺に用があるなら、外で話そう」
「………何か問題が起こっているのか?俺はお前にしか用事はないつもりで来たが」
「分かった。どうせ窓から入ってきたんだろう。近道になるしそこから出よう」
リトレルが肩をすくめて背後にある窓に近づく。すれ違う時に目を合わせる。いつも通りの弟の顔に戻っていた。
「俺に言いたいことがあるだろう」
人気のない海辺まで無言で歩き、立ち止まったところで背中に声をかけた。潮風がリトレルの柔らかい髪をさらい、口元を隠すようにはためいている。表情がうまく読み取れなかった。
「ああ、もちろんあるよ」
「最後に会ったのは…どれくらい前だったか」
「…兄さんがリヴェーラを別邸へ追いやってすぐだろ?」
「ああ、そう、だったな。今日は仕事で来たが、それ以上にお前に話さなきゃならないことがたくさんある…が、詳細を伝えている暇はないから手短に」
「そんなことより、今リヴェーラはどうしてる?」
「………ウィリアムに任せてある。連絡がないということは大事ないということだろう。事情があって、こちらからは連絡を取れない」
話しながら、違和感を感じていた。
敵側に動向を見張られている可能性は十分ある。最終局面とはいえ、リヴェーラの居場所が知られることだけはあってはならない。だからこそ、こんなにも会いたいと叫ぶ心を抑えつけている。
リトレルはリヴェーラとも親しくしていたと思う。二人で話しているところも何度か見かけたことがある。彼女を心配しているはずだ、現状を訪ねても何ら不思議なことはない。
「……兄さんは、リヴェーラが今どうしているか、自分の目で確かめようとは思わないの。今どんな表情をしているのか、どんな人間と関わっているのか、知りたいとは思わないんだ」
「…知りたくても、今はできない」
だが、何かが引っかかる。あまり気持ちがいいものとは言えない予感が首をもたげているような。
「リヴェーラが!!…兄さんに捨てられて、今どんな思いでいるのか、考えたことないの…」
弟の怒号。それを聞くのは、リヴェーラと離れることを決めた時、乗り込んできたリトレルに叱責されて以来だった。
肩で荒く息をつくリトレルは、振り返ろうとしない。リアムは嫌でも悟るしかなかった。
自分は今見放されかけている。
絶縁すらしかねない怒りを抱えて、今弟は自分の前に立っているのだと。




