侯爵の独白
「どういうことだ?」
「分かりません。それ以上聞き出すことはできませんでした」
報告を受けた陛下は額に手を当て唸った。
「本物になる...。貴族令嬢として本物になるということでしょうか。それとも力を扱えるようになるという意味で本物の聖女になる?」
今日は皇后陛下は不在だった。代わりにフェリクスとフェリシアが参席している。皇后陛下の次に社交界で権威を持つフェリシアは、次期皇太子妃として今回の任務についても知らされている。
いや、とすぐさま否定した俺に訝し気な目を向けた。見当がついているの、と聞かれたので首を振る。見当などない。けど、そのどちらでもないと言い切れる。
初めから聖女が本性を隠していたとは考えにくい。だが、十中八九侯爵に何かを入れ知恵されていると踏んでいたこちらの予想も外れていると考えたほうがいい。
「初めから聖女は加担していた可能性は、どうでしょうか?」
「加担ですか?何に」
「侯爵が後から聖女に声をかけたわけではなく、元々協力関係にあったとしたら」
フェリクスが表情を硬くした。
その可能性を寸分も予想していなかったことが悔やまれる。前提が変われば付随して打つ手も変わっていってしまう。先手を取られたどころではなく、初めから道を誤っていたことになる。
「待て。まだ何も確証がない状態だ。それに元々手を組んでいたとして、なぜ初めから養子に迎えなかった?」
「それこそ、侯爵側の計画を悟られたくなかったのだろう。恐らく聖女が現れるよりも前から綿密に組み立ててきた組織が、聖女のせいで露見しては身も蓋もない」
「ではなぜ今頃になって...何か新たな情報を得たと考えるのが妥当ですね。恐らくそれは侯爵にとって、あるいは聖女にとって何よりも優先して構わないものだった」
フェリシアの言葉にうなずく。
「だろうな」
「ならば聖女に関する情報とやらをすぐに集める必要があるな」
「はい、陛下。それに関しては既にリアム様に頼まれ、私が動いています」
フェリシアが陛下に答える。
彼女には神殿内部の調査をしてもらうことになっている。幼少期に神殿に奉公に出向いていたことがあり、伝手があるためだ。
貴族の婦女子には珍しくないことで、幼少期でなくとも成人してから奉公に行く者も少なくない。神殿で修練したという経験が貴族令息からの受けがよく、閉鎖的な神殿とのつながりを得られるからだ。
フェリシアなら上手くやるだろうが、それだけで掴みたい情報が得られるとは思っていない。
同じように思ったのか、陛下が後手に回ったな、と息を吐いた。
「もう一つご報告があります」
「申せ」
懐から取り出した書類を陛下に渡す。
「当家の影に前々から目星をつけた場所を見張らせていたところ、ある違法賭博場で異国人と見られる男を捕らえました。その男が所持していたものです」
男は出身をライアナと答えた。西にある近隣諸国の一つで、産業の発達が他国と比べても遅く、出稼ぎに男手がやってくることが多い。公用語が帝国語ではなく、国全体の識字率も低いため、違法労働力としての価値が高く、今回もそこを買われたのだろう。
そして油断した上司はその男に、輸入品目が書かれた紙を渡していた。運悪く男は帝国に長く住んでいて、帝国語を流暢に扱うことができ、その書類の価値の高さについても十分に理解していたというだけの話だ。
「調べたところ元締めはメルト子爵。マクベル侯爵の親類に当たる家門です」
「武器の密輸、か。いよいよ管理が杜撰になってきているな」
厳しい視線が俺を射抜いた。
「して、伯爵。余はそなたに聖女の気を引けと命を下したはずだ。そなたがそれ以上の行動をとれば、こちらの動きを悟られやすくなる。ただでさえ聖女に近づいたことで侯爵の注意を引いていることは、理解しているはずだろう」
情けはない。冷たい声音が降り注いだ。
妄信的に聖女に入れ込んだ愚者を演じることが俺の任務であり、侯爵の計画を阻止するために動くのはフェリクスの役目だった。それは次期皇帝としてフェリクスに与えられた試練のようなものであり、そこに干渉することは本来許されていない。将来の主君を冒涜するようなものだ。
ましてや俺が動いていることに気づかれれば、全ては策略であると瞬時に見破られてしまうことにな。
全て分かっていながら、それでも動かずにはいられなかった。
漠然とした不安が常に肩にのしかかっている。帝国の未来がかかっているからか。この任務の要を担っているからなのか。
分からない。けれど、寂寥にも似た焦りに常に追われているように感じる。
任務に集中しなければと思うのに、頭の中には常に彼女のことが思い浮かぶ。そしてその度に、一刻も早くこの騒動を収めなければと動かずにはいられなくなる。
「お許しください。すべて理解したうえでの行動です」
「...お前の腕を信用していないわけではない。だが、自分が今どんな顔をしているのか分かっているのか」
「...ひどい顔色だ、リアム。任務を始めてから、いや...夫人と離れてから、日に日に何かに追い詰められているように感じる」
フェリクスに言われ、初めて自分がどんな表情をしているのかに思い至った。お願いだから睡眠をとれと騒ぐレイと、大袈裟に騒ぐ使用人の声が蘇る。
そういえば、先日は俺の体調が悪いようだと医者を呼ばれかけた。
「...夫人と離れたのがそんなに辛いか」
「...そのような、理由では......」
否定しきれない俺を見て、陛下がため息を吐いた。
「今日はもういい。そなたが何を思ってこの場にいるのかは理解しているつもりだ。調査に加わることも許す。それほどの思いがあるのなら必ずやいい働きをするだろうからな」
「......はい。御前、失礼いたします」
陛下の口ぶりは、俺が自覚していないものに気が付いているようだった。
俺は一体、何に追われているんだ。
呆然と連絡廊を渡っているとき、目の前に立ち塞がる一人の男性がいた。
雪をまぶしたように白髪が交じるが、まだ輝きを残す銀色の髪、皺が刻まれてはいるものの若い頃の端正な顔立ちを思い出させる彫りの深い顔。見る者を怯えさせる程鋭い眼光。
愛する妻の父親、フェンデル侯爵だった。
「…フェンデル侯」
驚いたように立ち尽くした俺ににつかつかと歩み寄った侯爵は、何をするかと思えば右手の拳を固く握りしめ、それは俺の左頬に叩き込まれた。
若い頃は騎士としても活躍していたその拳に、無防備な状態だったこともありいとも簡単に吹き飛ばされ、殴られた衝撃で数歩後ろに倒れ込む。
目の前に仁王立ちする侯爵を見上げた。
「…きな臭いことをしていると思えば」
「...ご存じですか」
陛下の側近中の側近だ。知らされていてもおかしくはないが、この様子ではリヴェーラの父と言うこともあり、今の今まで伝えられていなかったのだろう。
フェンデル侯のことなら、陛下が吐くまで問い詰めることもやりそうだ。
「だから許されるとでも思っているのか」
侯爵の手が胸元を掴みあげる。その目には、常に冷静に行動し、長年皇帝を支え続けてきたフェンデル侯爵からは想像もつかない、激しい怒りが宿っていた。
「娘がどれだけ今回のことで打ちのめされていたか分かっているのか」
驚きで咄嗟に声が出なかった俺を、激しく睨みつけた。
「いいや分かっていない。伯爵は、…何も」
荒々しく手を離した侯爵は、胸元から紙の束を取り出した。そしてそれを、まだ倒れ込んだ姿勢のままの俺に投げやる。
「娘が書き残した手紙だ」
それに目をやり息を呑む。封筒には滑らかな字体でリアム・アルカディル様へと書かれていた。
「出されることなく引き出しの中で眠っていたのをあの子の姉が見つけた」
震える手でそれを掴んだ俺を見下ろしたあと、侯爵は服を払い身を翻した。
「妻が渡してこいと言うから渡したが、…勘違いするな。…アルカディル伯爵。そなたに娘を任せたのは間違いだった」
その言葉が、侯爵の感情の全てを物語っていた。
侯爵が去った後、時間をかけて立ち上がり、手紙の束を抱きかかえて歩き出す。途中何人か顔見知りとすれ違ったが、誰も声をかけてこなかった。
尋常ではない様子で戻った俺を見た馭者も、また同じだった。
馬車に乗り込んだ後静かにその手紙を開き、気が付けば、頬に涙が伝っていた。
◇◇
「これは私の推測ですが、…お嬢様の奇病は、過度なストレスによって引き起こされるものであり、…その、…私が調べた結果、発作が起きる時はいつも、…決まっていて、…その」
「早く言え。娘の病の原因はなんだ」
すぐ側のベットでは、娘が大粒の汗を額に浮かべながら苦しそうに呻いている。妻が泣きながらその手を握り、目が見えていない娘にしきりに話しかけていた。
「…お嬢様の病は、お嬢様にとって最も影響力のある人物から受けるストレスで、引き起こされているのかもしれません。…私の個人的な見解でありますが、…現在の対象は、恐れながら…侯爵様、かと」
医師が大量の脂汗を流しながらそう言った。
やけに言い淀むと思った。仕方がないだろう。娘の病はお前のせいだと突きつけるのだから。
聞いた時、衝撃が体に走った。幼い頃からリヴェーラが苦しみ、妻が嘆き自分を責め、ミランジェが涙を零した。家族全員で苦しんできた末娘の病気の原因が、まさか、自分だったとはと。
あくまで推測でしかないと繰り返す医者を丁重に帰す。思い当たる節はあった。自分と接した後によく発作が起きていたことに気づかないふりをしていた。
リヴェーラに歩み寄り、その額に手を置く。火傷してしまいそうな勢いで熱を持ち、顔には苦悶の表情が浮かんでいる。
リヴェーラとミランジェはどちらも母親似だった。リヴェーラのミルクティー色の髪も、新緑の瞳も、全て母方の祖父や祖母から譲り受けていた。
ミランジェがあれほど快活なのだ。リヴェーラも病さえもちあわせていなければ、明るい性格に育っていたかもしれない。決して、周りに迷惑をかける存在でしかないと、自分を卑下することは無かったはずだ。
「…ごめんねリヴェーラ。……私が、もっと丈夫な子に産んであげられていたら…」
「…お前のせいでは無い」
すべて、私のせいだ。
リヴェーラの病の原因が自分であると知ってからは、距離を置いた。なるべくリヴェーラと関わらないようにし、顔も合わせないように使用人にも言いつけ徹底した。
リヴェーラが父親にまで見捨てられた思ってはいけないという妻の助言通りに、家族との時間のために断り続けていた皇宮での仕事を引き受け、忙しいという名目で家を空けるようになった。
それでもリヴェーラの発作は止まらなかった。どうやら、家に私の面影を見つける度に私の役に立てない自分を責めているらしい。
一度リヴェーラと話をしようとリヴェーラの部屋へ訪れたこともある。決してお前に失望などしていないと。病を持っていてもお前はミランジェと同じく、大事な私の娘だと。役になど立たなくていいと。
そう伝えようとした私の顔を見た瞬間、リヴェーラの発作は始まった。家を空けている間に、症状は深刻化していた。もはや手の施しようがなかった。
地獄にも似た日々を過ごしていたある日、陛下からある縁談の話を持ちかけられた。
相手は国の英雄の子孫、アルカディル伯爵。伯爵の方からリヴェーラを望んでいた。
アルカディル伯爵と言えば、帝国でも屈指の権力者で、皇帝からの信頼も厚い。娘の病のための薬は高額だが、それを賄えるだけの財力もある。
自分からリヴェーラを欲したのだから、娘を愛し慈しむはず。
加えてアルカディル伯爵家に嫁げば、これまで病のために発揮されなかったリヴェーラの才能が開花するかもしれない。私の役に立ちたいと長年勉学に励んだ結晶が活きる場所になるかもしれない。
そう考えた私は、リヴェーラに結婚するように伝えた。
今思えば、早く自分から離れて欲しかったのだろう。私のそばに居ては、ずっと苦しむことになるだろうから。いや、私が、これ以上苦しむあの子を見ていられなかった。
きっと娘は伯爵家で幸せになる。そう信じていたからこそ、ずっと大切に守り続けてきたリヴェーラを伯爵の元へ嫁がせた。
「…あれはもう、私の娘では無い」
「…侯爵様」
自分の期待は実に愚かなものだった。
窓の外には、痩せ細って、今にも死んでしまいそうなほど青白い顔をして泣きじゃくるリヴェーラの姿があった。
娘が嫁いでから二年。不穏な噂ばかりが耳に入り、そろそろ帰郷することを伯爵に申しでようかと考えていた矢先。
愛する娘は、変わり果てた姿で帰ってきた。
幸せに暮らしていたのではなかったのか。送られてくる手紙には、とてもよくしてもらっている、初めて人を愛することが出来たと、そう書かれていたはずだった。
喜んで涙を流しながらその手紙を何度も読み返す妻の隣に寄り添っていた時間が、つい先日のことだというのに。
なぜ泣いている。なぜ傷つけられている。
伯爵のおかげで幸せになれたと、そう、言っていただろう。
その姿はもう、私の娘では無かった。
私が思い描いていた、幸せそうに笑う私の娘ではなかった。
娘が嫁いだ時に顔合わせをして以来、二年間ぶりに伯爵と顔を合わせた。
顔を殴り飛ばした時、拳に伝わってきた骨の感触。長年騎士としても皇帝に仕えて来ていたはずの鍛え上げられているであろう肉体にしては、軽すぎる。
見下ろせば、二年前よりもずっと痩せて、弱っていた。
私が投げやった手紙を震える手で掴むその姿が、二年前の私と重なった。
あぁ、この男もまた、自分を責めている。何も出来ない、何もしてやれない、むしろ何よりも大切なリヴェーラを苦しめる自分のことを。
今になって妻が手紙を渡してこいと言った理由を理解した。
娘と引き合わせてやるつもりもなかった。恐らくこの男はことが収まった後、伯爵家の別邸へと足を運ぶのだろう。そしてそこに娘がいないと知るやいなや、私のもとに来るはずだ。
私たちの家にも、もう娘の姿はない。空になった部屋を見て、この男は何を思うのだろうか。
「リヴェーラを、連れていくことを許して頂きたいのです」
馬車に乗り込みながら、そう言ってきた娘の憎き夫の弟の顔を思い出した。
心底娘に惚れたような顔をして、真剣に頼み込んできた。伯爵によく似た顔。同じ色の瞳。なのに、その目に宿る決意だけが違っていた。
「…お前は、リヴェーラを救えるのか?」
私は救えなかった。伯爵も救えなかった。
ルーランチェから送られてくる手紙には、また、幸せにやっていると書かれていた。
とても優しい人達に出会って、仕事も貰って、毎日が本当に幸せだと。
今度はそれが、偽りでなければいい。
そう願いながら、侯爵は家への帰路についた。




