新境地
「リヴェーラ、大丈夫?」
その声と共に、体を揺さぶられる感覚が戻ってくる。目をうっすらと開けると、心配そうに私を覗きこむリトレルの顔があった。
「あ、……私、眠ってしまってたのね」
「疲れていたんだろう。もう少し眠ってていいと言いたいところなんだけど、もうすぐ到着なんだ」
馬車の窓が開かれ、感じたことの無い風が頬を撫でた。すこし磯の香りがするその風に、自分は今旅に出ているのだと再確認する。太陽の眩しさに目を細めながら外を覗き、目を見開いた。
「わぁ……!」
色とりどりの屋台が並び、見たこともない産物が列を成していた。通りは様々な髪色、肌の色をした人々にあふれ、異国に来たのかと錯覚してしまう。
街の建物さえも王都のものとはデザインが異なり、その石造りの材質も貿易の街ならではの新鮮さがある。
今目に映る全てのものが、初めて見る、初めて知る、初めて触れるものばかりで、私は興奮から窓枠を握りしめた。
「リトレル、すごいわね、ルーランチェは。人々の笑い声が耐えない、素敵な街だわ」
その勢いで振り返って、少し驚いてしまった。リトレルが僅かに頬を染め、私よりもずっと幸せそうな顔で私を見つめていたからだ。
強い海風に弄ばれた私の髪を撫で付けながら、リトレルは笑った。
「そうだろう、ずっとリヴェーラに見せたかったんだ」
くしゃりと笑ったその顔からは弾けるような喜びを感じる。それで私は自分が今、この馬車に乗ってから初めてはしゃいだことに気がついた。育った地を離れて新境地へ行くというのに、ずっと重苦しさを感じさせてしまっていたのだろうか。
リトレルは、私がルーランチェへ共に行くと決めてから、私のことを義姉さん、ではなく、名前で呼ぶようになった。彼の義姉であるということは、旦那様の妻であるという象徴になる、彼はそう思ったのだろう。私が義姉であったための敬語も無くなり、私とリトレルは対等な関係になった。
私はもう、彼の兄の妻ではなくなった。その事実に辛く思うところもあるけれど、リトレルとの関係が義姉と義弟でなくなったことには、居心地の良さを感じていた。
「そろそろ俺たちの職場が見える頃かな…あぁあれだよ」
リトレルが指さした先には、赤みを帯びたレンガ造りの一際大きな建物がある。後ろからではよく見えないけれど、港に面しているようだ。その奥には何席も異国の船が泊まっているのが見えた。
「……あれが…」
思わず身を乗り出した私を、リトレルが慌てて支えた。
「おっと、そろそろ検問にかかるから、頭は引っ込めて」
意外と好奇心旺盛なんだね、と笑われて赤面する。自分で好奇心が強いと思ったことは無いが、今人生で一番わくわくしている瞬間なのかもしれないとも思ってしまう。
「あ、あの、検問って」
席に座り直して聞くと、リトレルが親指で窓の外をさしながら言った。
「建物から伸びるあの通路、あそこで外部からの訪問は検問を受けるんだ。何せ、ここでは、様々な国からの使者がやってきているからね、身元のしれない者が侵入して問題が起こったら、国同士の摩擦の原因となってしまう」
他にもこの場所についての説明を聞いているうちに、私たちが乗る馬車もその検問を受ける番になった。
開いた窓から一人の男性が顔を覗かせる。縮れた黒い毛に、焦げ茶色の瞳をもつ。色彩的には珍しくないけれど、異国の血を感じるような掘り深い顔立ちをしている。
「ようこそ貿易の街ルーランチェへ。どちらから…おや?」
被っていた帽子の唾を上げ、目をまん丸くさせながらリトレルをまじまじと見つめた。何かあったのかと私が硬直していると、突然男性が笑い声をあげた。
「リトレルじゃないか。なんだお前、わざわざ検問通りやがって。いつも通り侵入してくればいいだろう」
と言いながらなんと、リトレルの頭を拳骨で思いっきり殴った。鈍い音がひびき、リトレルの艶のある茶髪がぐしゃりとつぶれる。
私は唖然と口を開けてその男性と、頭を押えて悶えるリトレルを見ていた。
「いったいなぁ… 。今日は女性も一緒なんだ。あんな危険なルートで行けるか。ていうかそのルートの一番の危険はお前なんだよジャック。侵入者には拳骨だとか言うけど、ちゃんとこっち通ったって殴るんじゃないか」
「女?おお!?リトレルが女連れて帰ってきた!おいお前ら!リトレルが女作ってきたぞ!」
「やめろ!!」
ジャックの呼び掛けで、奥の方にいた男性たちもこちらに駆け寄ってくる気配がある。なんなら二メートルはあろうかという壁から飛び降りてまで駆け寄ってくる姿も見えた。
私がそれに焦り、リトレルはジャックの髪をつかみ、ジャックは何故か大笑いしながら私に銀紙に包まれた何かを投げて寄こしてくる。訳の分からない状況の中で、リトレルが声をはりあげた。
「リヴェーラは長旅で疲れているんだ、あとで説明するから、とにかく通してくれ!あと、あいつら止めとけ」
とだけ言ってぴしゃん!と勢いよく窓を閉め、カーテンまでも閉じてしまう。それによって何か言いながら窓を小突いていたジャックの姿も見えなくなった。その後すぐに馬車が動き始める。どうやら検問を抜けたようだ。
「すまないリヴェーラ騒がしくて……。ここに居るやつらは全員血の気が多くて大体あんな感じなんだ…もし嫌だったら抑えるように言うから、遠慮なく言って」
「…」
私はしばらく呆然としていたけれど、まだぐしゃぐしゃなリトレルの頭を見ていると、笑いが込み上げてきた。
くすくすと笑う私を見て、リトレルが一瞬硬直して、そのあと安心したように笑った。
「ううん、私、こういうのは好きよ。楽しいわ」
浮かんだ涙を拭っていると、ジャックから何かを受け取っていたことを思い出した。
「あぁ、ジャックのやつ、リヴェーラの体調が良くないことに気づいたんだろうね、開けてごらん」
言われた通りに銀紙を開くと、中から少し溶けかかったチョコレートがでてきた。
「……まぁ」
「騒がしいし直ぐ拳骨するけど、悪いやつじゃない。ジャックなんかは人の様子で色々なことに勘づけるから、検問やってるんだ」
あの一瞬で、私の体調に気づいたというのか。しかも、リトレルと笑い合いながら。
「ここでは適材適所。その人自身がもつ力にふさわしい場所を提供する。それが貿易の街ルーランチェ、最高の商談の場、アンバーミッドハウスのあり方なんだ」
アンバーミッドハウスというのは、私が働くことになる職場の名前なのだろう。その場所について語るリトレルの顔は生き生きとしていた。きっとここを心から愛し、ここで働く自分を誇りに思っているんだろう。
馬車が止まり、リトレルが立ち上がった。
「入口に着いたみたいだ。降りよう
「ええ」
リトレルの手に導かれ馬車をおりると、私の身長の何十倍かと思われる大きな入口があった。恐らく人間だけでなく交易品やあるいは馬車丸ごと通る主要入口なのだろう。
大勢の人でごった返しているけれど、リトレルは私の手を掴んだまま堂々と真ん中を突き進む。
「おや?リトレルじゃぁないか、久しぶりだなぁ、どこへ行ってたんだ?」
「やぁヤムじぃ、帝都に行ってたんだ。あとでミルク、分けてくれよ」
「お、帰ってきたのかー!あとで一杯やろうぜ、いーい酒が入ったんだよ」
「あぁ!また後でな!」
その後も進む度に多方向から声をかけられ続ける。リトレルに声をかけてくるのは老若男女、人種も何も関係なく、とにかくリトレルを見つけた人から順番に声をかけていってるという様子だった。
「友達が多いのね」
「まぁ、友達というか仲間かな?商売仲間」
と言いながら私の背後に手を回し、近くを通った台車から遠ざけた。自然な流れで行われたそれに確かに貴族令息らしさを感じたけれど、彼の場合素でやっているのだろうと思う。
「いつからここに出入りしているの?」
「十の時。父に連れてきてもらってからこの街に魅了されてな。それから六年間通いつめて仕事を貰って、十六の頃からは外交官見習い」
「…そうなのね」
父、という単語が出てきて驚いた。先代アルカディル伯爵、伯爵夫人は、旦那様が十六の頃、つまりリトレルが十四の頃に事故で亡くなっている。旦那様はこの話をすごく嫌がっていたけれど、リトレルはそんなことないのかもしれない。
どっちにしろ、あまり深く掘らない方がいい所だろう。
「私はまずどんな仕事をしたらいいのかしら」
「まずは簡単な書類仕事かな。それでアンバーミッドハウスについて把握してもらって、その後は徐々に俺の補佐官として仕事を渡していく予定」
「わかったわ」
頷いた時、リトレルの足が止まった。人混みから抜け、いつの間にか綺麗に整えられた一角に来ていたようだ。装飾の多さからして応接室などが並ぶ場所だろうか。何人か珍しい服装をした人々が、部屋に通されている。
リトレルが足を止めたのはその部屋が並ぶ通路のさらにおく、金色の貝殻の形をしたドアノッカーのついた、茶色の扉の前だった。
「ここが俺の仕事部屋だよ。まだ外交官としては駆け出しだから、他の職員たちとは少し離れた所の部屋を貰ってる。ここでリヴェーラも働いてもらおうと思ってる。こんな隅の部屋で悪い」
と言いながら鍵を差しこみ、ギィと重たい音ともに扉が開いた。
まず目に飛び込んできたのは、真正面にある大きな窓。かなり開放感があって、その向こうには海が広がり、大きな異国の船が泊まっていた。
「港が真下にあるんだ。太陽の光が眩しいのは難点だけど、船が行き来する所がちょうど見える部屋なんだよ」
二人で部屋に入り、リトレルはその窓を開けに行く。私はその間にぐるりと部屋を見回した。恐らくリトレルのものだと思われる机の真後ろには本棚があり、ぎっしりと本が詰まっている。中には外国語で書かれているものもあり、読めないものもいくつかあった。少々ホコリを被っているのは、王都に出ている間手入れされていなかったからだろうか。
そしてその机から見て左手に、あまり荷物の置かれていない小ぶりの机と椅子が置かれていた。
窓が開けられたのか、勢いよく風が吹き込んでくる。
「小さな部屋だけど、俺は気に入ってるよ。いい部屋だろう?」
「……ええ、とっても」
思わず微笑んだ時、誰かが部屋に走り込んできた。
「リトレル、帰ってきてたのなら教えてよ〜!おかえりなさい、会いたかったわ!…あら?」
まず印象的だったのは目が覚めるほど鮮やかな金髪。そして大海原のように深い藍色の瞳。可愛らしい顔立ちをした女の子が扉の向こうに立ちすくんでいた。
白い肌によく映える青色のワンピースを着ていて、長い癖のある髪を高く一つに結っている。
真ん丸な目でまじまじと観察されているようだけれど、不思議と不快感は感じない。
目を引く美人ならいくらでもいる王都から来た私から見ても、目を奪われる可憐な容姿をしているからか。
「あらあらあら、初めまして〜リトレルの恋人かしら?」
リトレルの恋人かしら?とちょうど思っていたので、まったく同じ台詞を言われて面食らってしまう。
「恋人じゃないよ、ツェツィー、ノックくらいしてくれ。リヴェーラ、彼女もここの職員で、ツェツィーリエ・コンバットだ」
「初めまして、リヴェーラ……」
体の芯が震えあがった。喉から飛び出しそうになった名前を呑み込む。この名前を名乗ることはもうない。そう決めていたのに、自然と、当たり前のように紡ごうとした。
これが私の名前だと、言いそうになった。
リトレルが少し息を呑み、強ばった私の肩を抱く。
「…リヴェーラ・フェンデルと申します」
「俺の補佐官候補として帝都から付いてきてもらったんだ。あまり迷惑はかけるなよ」
「…ええ、大丈夫よ」
ツェツィーリエも違和感はあったと思うけれど、何も言わずに微笑んでくれた。それが申し訳なくて、動揺したことで震えている手を握りこんで、目を逸らした。
その時、ぽんっと私の頭に手が乗る。
「大丈夫よ〜、あなたも大変だったのね。いつでも守ってあげるわ。頼ってね」
「…え」
優しい笑顔がすぐ目の前にある。偽りでも、お世辞でもなく、ツェツィーリエは本心から大丈夫だと言ってくれていた。彼女は私と同じくらい、もしくは年下なはずなのに、なんとも言えない安心感が生まれる。
目頭が熱くなったのを、俯いて隠す。
「あ、ありがとう…」
「ツェツィー…彼女、侯爵令嬢だから…」
突然両手で頬を掴まれ、まじまじと顔を見られた。
「あらそうなの?どうりでとっても綺麗な人だと思ったわ〜。このお肌!なんて綺麗なの〜。お顔もそうだけど、立っている姿もとっても綺麗よね。私の夫も貴族なのよ。破門済みだけど」
「け、結婚されてるのね。コンバットってことは、コンバット男爵家の…」
「そうそう!リヴェーラご存知〜?そこの次男を射止めちゃったのよ〜。とってもかっこいいのよ、あとで会う?」
「ええ、ぜひ」
「ツェツィー、だから、侯爵令嬢だから……」
まだまだこの小説完結しませんが、新しく連載を始めました…。
*かなり前に完結させて出し惜しんでいたものなので、連載に支障は出ません。
もしよろしければ覗いて見てください〜。私の大好きな重めな話です笑
・心の声が聞こえる公爵様と、本性を隠した私が結婚した話。〜実は公爵様に筒抜けでした〜




