リトレルとリアム(2)
あれは、二年前の春のこと。
突然呼び出されたかと思えば、目の前には花婿姿の兄。
「どっ、どういう…」
「お前にも連絡を入れたんだが、何しろ国をまたぐ上にお前があちこちを移動するからな、その様子じゃ手紙はついていないか」
「にっ、に、兄さん、まさか、結婚するのか!?」
「あぁ」
顔を真っ青にして倒れかけたリトレルだったが、首を振ってなんとか正気を取り戻し、兄に詰め寄った。
「相手は!?」
「フェンデル侯爵家の次女だ」
「フェンデル侯爵家!?名門じゃないか!」
いや、それ以前にリトレルが気にしているのは、兄の性格のことだろう。兄は極度の女嫌い。どんな女性が嫁いでくるのかと思えば、フェンデル侯爵家の次女ときた。上の娘が嫁いでゆき、残る可愛い末娘。きっと親に可愛がられて傲慢な性格になっていることだろう、と想像をふくらませた後は、その後に起こりうる問題が頭に浮かんでくる。
きっと兄は妻を気にかけることは無いだろう。最低限のことはするとしても、愛を持って接することはまず有り得ない。なぜなら、あのリアム・リスト・アルカディルだからだ。それにフェンデル侯爵家次女は耐えられるのか……?いや無理だ…!!
「あぁぁぁなんっで相談してくれないんだ!」
「相談したところで国内にいることの方が珍しいお前が何を出来る訳でもないだろう」
「いやっ……そういう問題じゃ…」
「ご主人様」
リトレルが頭を抱えたところに、メイドが扉をノックし、声をかけた。
「花嫁様の準備が整いました。こちらの部屋にお連れしますか?」
それに初めに反応したのはリトレルの方だった。
「あぁ……そうしてくれ。せめてこれからでも挨拶をして、好感を持ってもらわないと…。あぁぁ…国内にいろとだけは言われないことを祈るしかない…」
リトレルの職は外交官。同業者の中でもリトレルはかなり活発に動く方で、隣国にいたかと思えば数日後そのまた隣の国へ移動していることは稀ではない。
もちろん世界中を飛び回るわけだから、危険は付き物だ。この国ではまだない感染症にかかる恐れもあるし、航海中に災害に見舞われてしまえば一溜りもない。
貴族が外交官であることは特に珍しいことではないが、異国の地へわざわざ降り立ち、その国の特色を調べるところまでするのはこのリトレルだけだろう。
そして当然そういった行動に好感を持たない者もいる訳で、リトレルはこれまでに様々な非難を浴びてきた。しかしリトレルの後ろ盾は他でもないアルカディル伯爵。兄が夢に向かって突き進む弟を守ってきたというわけだ。
「じゃあ、呼んでもらっても…」
「いや、ここには呼ばなくていい。式場に向かわせろ」
自分を遮り返事をした兄を、リトレルはしばらくぽかんと見つめ、辛うじて言葉を絞り出した。
「に、兄さんも会わないのか?自分の花嫁だろ」
メイドがおろおろしながら二人を見ている。リトレルはもうちょっと待ってくれ、と声をかけて、溜息をつきながら髪をかきあげた。
「……まさかとは思うけど、今の今まで一度も顔を合わせたことがないとか言わないよな?」
「ないな。少なくとも、向こうは」
リアムが真っ白な上着を羽織る。聞き入れる様子がないので、リトレルは仕方なく一人で兄の花嫁の元へ行くことを決めた。いくらなんでも結婚式前に親族誰一人とも顔合わせがないのはおかしすぎる。
「リヴェーラ嬢の控え室に連れて行ってくれ」
「え?で、ですが」
「俺一人で挨拶に行くことにする。さすがにそれぐらいはしないと」
部屋を出ようとしたその時、とてつもないオーラを背に感じて、リトレルはびくりと足を止めた。一気に部屋中に満ちる殺気。明らかに兄が自分の後ろで怒りに満ちているのが分かったのだ。
「な、なんだよ。挨拶するのがそんなにおかしいことか?」
「……お前がする必要は無い」
「あるだろ。兄さんの親族は俺しかいないんだから」
「いいから行くな。どうしてわざわざリヴェーラへの挨拶を禁止したと思っているんだ。お前が行ったら意味が無いだろう」
その言葉に耳を疑い、リトレルは首を振った。
「挨拶を禁止!?じゃあ、彼女は……結婚式前に誰からもお祝いの言葉を受けてないのか?そんなのあんまりだろ!女性にとっては結婚式は一生に一度の晴れ舞台だ。大切な一日にしたいって思ってるはずだろ」
「……だから家族と女は許可した」
「家族とおん…………は?」
今日だけで何度目になるのか。リトレルはすっかりほうけた顔で瞬きを繰り返す。一日でこんなに呆然とすることはこれから先ないだろう、など関係の無いことを頭の隅で考えつつ、兄から発せられた言葉を必死に受け止めようと頭をフル回転させた。
「女は許可した?…………じゃあ男がだめなのか?は?……なんで」
「……前々から思っていたんだが」
心無しか気まずそうにごほんと咳払いをして、リアムは腰に手をやった。
「…………夫より先に他の男が花嫁姿を見るのはおかしいと思わないか」
「……………………………………はっ?」
もはやそんな声しか出せなくなったリトレルの後ろでメイドが手を口に当てて、まあ!と歓喜の声を上げた。
彼女はリトレルよりも一足先に、リアムが花嫁への挨拶を禁止した理由が独占欲からだと気づいたようだが、リトレルは兄はこれまでに一切恋愛というものをしたことがなく、女性に独占欲はおろか恋愛感情を抱くことなどないことを前提としているため、その言葉の理解に時間がかかった。
しばらく時間だけが過ぎ、数秒にも数十分にも感じられる精神の格闘を終えたリトレルは、声を絞り出した。
「じゃあ……………………まさか兄さん、フェンデル家の次女のこと、愛しているのか?」
「……………………そうでなかったらわざわざ求婚などしない」
「求婚!?……陛下に言われて渋々の結婚だったんじゃないのか!?」
「誰がそんなことを言ったんだ」
ずきずきと痛む頭を抱えてリトレルがふらふらとソファに沈み込む。部屋は異様な空気に包まれている。リアムは僅かに頬を赤らめているのかいないのか、何を考えているのか分からないような表情で突っ立っているし、リトレルは青さを通り越してもはや白くなり始めているし、一部始終を見ていたメイドは声にならない興奮を体で表している。
静まり返った新郎の控え室、これほどまでに場面と人物の雰囲気が噛み合わないことなどあるだろうか。
念の為確認しておくが、本日は結婚式である。
それも、今までまったく女っ気がなかったアルカディル伯爵と、奇病が故に結婚相手が見つからなかった深窓令嬢フェンデル侯爵令嬢の。
「そろそろお時間です」
「分かった。リトレル、お前も早く会場へ向かえ」
それだけ言い残して、リアムは控え室を出ていく。リトレルはその後ろ姿を呆然と見つめた後、メイドを振り返った。
「…………式場へ」
「はい」
「案内してくれ……」
「はい!」
未だにうきうきと体を揺らしているメイドは、意気消沈としているリトレルのために扉を開けるのだった。




