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心から愛しております旦那様、私と離婚を致しましょう  作者: 菜ノ宮 ともり
season1:崩れ去る大切な日常
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最愛の人々との別れ

 




 いつもは聞こえてくる二人のメイドの楽しげな笑い声も今日は聞こえず、またそれを不思議に思い女主人の部屋に出向くものもいない。なぜなら知っているからだ。そして想像したがらない。いまその部屋での光景を目にしたくないのだ。

 大切なものを失ってしまうことから目を背けるために。





「……本当に、行ってしまわれるのですか」


 その声は少し掠れていて、振り返れば病人のように顔を真っ青にした私の専属メイドが唇を噛んでいた。


 顔を隠すための鍔の広い帽子を深く被った私の手を、リリがすがりつくように握ってくる。

 アメジストのような瞳は涙に濡れていて、その後ろにいるロロも唇を噛んで堪えようとしていたけれど、すでに大粒の涙が頬を滑り落ちていて、手はここから見ても痛いほどに握りしめられている。


「……あなたたちには、本当に申し訳ないことをしたわ。私なんかに仕えさせて、」

「そんなことはありません!〜〜っどうして奥様はいつもいつも…………っ!」

「リリやめなさい!旦那様に聞こえてしまうでしょう」


 ロロの嗚咽混じりの声が響く。それがあまりにも叫び声に近く、悲痛で、私はロロを手招きし、抱きしめた。

 温かいこの体に触れることはもうないのだと思うと、悲しさから腕に力がこもる。でもここで私が泣いてしまえば、ロロとリリにまた気苦労をかけてしまう。そう思いぐっとお腹に力をこめ、声が震えないようにしながら慎重に口を開いた。


「ロロ聞いて。リリもこちらへ」


 リリは躊躇うように視線を彷徨わせたが、私が腕を広げると、ぼろぼろと泣きながら飛び込んできた。


「こんな形になってしまってごめんなさい。ロロには聖女様が来られるまでの業務を任せることになるわ。よろしく頼むわね。……リリ。ロロに変わってメイド長はあなたよ。やってくれるかしら」


 二人とも凄い勢いで頷くから少し笑いが戻る。


 今日が、私がこの屋敷へいられる最後の日だった。


 旦那様に出ていくように言われてから三日、私はこの三日で最小限の荷物をまとめ、ロロへの業務の引き継ぎをし、そしてこの屋敷の人々の優しさを胸に染み込ませた。一生忘れないように。


 旦那様が聖女に求婚されることはまだ公にはなっていない。旦那様が私が出ていくことを待っているということなんだろう。私たちが完全に離婚するか、もしくは私が欠陥品だったと人々に知れ渡らない限りは旦那様が誹謗中傷を浴びるはめになってしまうのだから。


 妻を持っているにもかかわらず聖なる力に目が眩み聖女様に求婚した欲深き者だと。


 そうでは無い。旦那様は。決して、欲深い方ではないし、至らぬ私が悪かった、妻というにもおこがましい存在だった。


 そう、わかって欲しい。


「……旦那様は何も悪くないわ」


 囁いた瞬間ロロがかっと目を見開いて私の腕を掴んだ。


「どうして奥様はいつもいつもそう仰られるのですか!?旦那様が悪いに決まっているではありませんか、悪いなどという言葉だけでは足りません。正真正銘ドくずです旦那様は!」

「あんな方に奥様が傷つけられていい理由などないのです! 〜〜っどうして…………、旦那様に、奥様は勿体ないです。どうして旦那様は……」


 リリがずるずると座り込む。力の抜けたその腕を掴もうとするけれど、うまく手に力が入らず私も一緒に床に腰を置いた。


 二人のすすり泣く声だけが響く寂しい部屋。太陽の橙色をした光が部屋を包み、わずか手提げ鞄一つの荷物を照らしていた。


 今になって気づく。この部屋、いやこの屋敷に、私の荷物というのは限りなく少なかったということに。ドレスや装飾品、いつも使っているペンや燭台、ありとあらゆるものが、全て私のものではなかった。

 いや私のものではある。ただそれが本当の意味で私のものかというと、そうでは無い。


 私の身の回りのもの全てが、旦那様から頂いたものだった。


 整理をしながら初めてその光景を目の当たりにして、改めて自分の居場所がないことを悟った。私は明らかにここから浮いていたんだと。みんなにもきっとそう見えていたと。私はここに溶け込めていなかった。ここの一員になりたいと、そんな醜い欲を抱いていつまでも居残り続けていただけだったんだと。


 それを改めて目の前に突きつけられて、絶望に近い感情になった。私はもうここにはいられない。ここにいては行けないと、そう、語りかけてくるようで。


「…聖女様がいらしたら、業務の引き継ぎをお願いね。」

「……」

「聖女様はそんなことないかもしれないけれど、嫁いでこられて不安がられるがしれないから、二人が支えて差し上げて」

「いやです、私たちのご主人様は奥様だけ」

「二人とも、」


 こんな私に使えてくれてありがとう。いつも優しくしてくれてありがとう。あなた達のおかげでどれだけ救われたか分かってもらえているのかしら。いつも明るくて元気な二人のそばにいるだけで楽しい気分になれて、心が晴れて、贅沢な暮らしをさせてもらった。


 謝らないでください、何度そう言われても、私は何度でもあなた達に謝りたい。心から感謝しているから、そう思う。


 旦那様のことをそんな風に言わないで欲しい。全て私のせいだから。あなた達がそんな風に旦那様のことを見てしまうのも、本当は尊敬しているはずの旦那様に疑問を抱いてしまうのも、すべてはここに来てしまった私のせいだから、もとの二人に戻って欲しい。


 言いたいことは山ほどある。感謝を伝えたい、謝りたい、説得したい。言い残したいことは沢山ある。二人と一緒にしたかったこともまだ残ってる。だけど、それを伝える時間はもうない。今日中には馬車に乗らなければならないのだから。


「………………ロロ、リリ。

 ―――………元気で」


 最後に強く抱きしめてから腕を解く。半ば放心状態のリリをそのままに、荷物のもとへ歩き、それを手に取った。


「それではそろそろ行きます。お見送りはいいから、仕事に戻ってください」

「奥様……」

「ふっ……う、いやです奥様…」

「もう奥様ではありません。……それでは、……旦那様を、よろしくお願い致します」


 二人を部屋に残し私に向かう視線を断ち切るように扉を閉める。その扉が異様に重く、冷たく、手のひらに伝わる鉄の感触が嫌に鮮明で、しばらく張り付いたように動けなかった。


 それでも私がそこから離れたのは、レイが廊下の奥から歩いてきたからだった。旦那様の側近であるレイと顔を合わせるのには怖気づき、背を向けて逃げるように歩き出した。


「…………どのようなお花がお好きでしょうか」


 不意にそう声をかけられ、びくっと肩が弾む。何か言われることがあっても嫌味くらいだろうかと思っていたために、その質問に驚き頭を悩ませる。どういう意図なのか想像ができなかった。


「……お花、ですか?」

「はい」

「えぇと、ツツジが好きです」

「何色ですか?」

「白、とか……」

「持ち手に彫刻がある羽根ペンはどう思われますか?例えば指輪に宝石をはめるならば大きさはどのくらいがお好みでしょうか、それと具体的な宝石の種類も。奥様はスイーツはお嫌いでしょうか?いつもシュゼットのオーターは食されないようですので。フルーツはお好みのようですので、特にどういったものが美味と感じられるのかをお教え頂きたいです。あと出来れば……」

「あの、レイ?……じゃなくてラッセルさん?どうなされたのですか?」


 ぴくっとレイの眉が動き、片眼鏡(モノクル)の向こうの瞳が私をまじまじと見つめてくる。レイにしては動揺しているかのようなその動きに私は荷物を持ち直し真っ直ぐ向き合う。


「…出ていかれるのですか?」

「…はい」

「……いえ、そうではなくて……」


 レイにしては珍しく、何かを言い迷った。しばらく口元に指をあて、何かを思案するような顔をしていたけれど、少し時が経つと綺麗さっぱり解決したというような顔で私に向き直り、そして頭を下げた。


「行ってらっしゃいませ」


 私はこれからここを出ていく身のため出ていく人に対するその挨拶の仕方はおかしくはないのかもしれない。ただ無事に戻って来るようにとの願いを込められているとも言われているそれを、今後一生ここへ戻ってくることのない私へ向けるのはどこかおかしい気がした。言葉を選び間違えた、と言ってもレイにしてはおかしい。


 いつものレイらしからぬ不可解な行動に私は疑問を抱き、そっと近寄った。


 そしてそのおでこに手を当てる。熱くはない。むしろ私の体温が高いのか冷たく感じられた。レイは前髪を上げているため、額が手より冷たくても問題はないのかもしれないけれど。


 自分の額に当てられた私の手を、目線を上げて不思議そうに眺めていたレイは、私の手が離れないようにか、ゆっくりと頭を上げた。


「……?」

「…熱はないですね。疲れているんですか?」

「……いえ」

「そうですか。疲れていたらしっかり休んでください。息抜きも大切ですから。あ、そういえば言い忘れていたのですが、レイ……ではなくて、ラッセルさん、が好きそうな本を見つけたのです。書庫のカウンターに置いておきましたので、読んでみてください」


 訝しげな面持ちをしながらもはいと頷くレイに微笑んでから、頭を下げた。


「今までお世話になりました」

「……あの、奥様」

「それでは失礼致します」


 結えられもせず下ろしてある髪が翻る。もうレイの方を見ること無く歩き出した。そうでもしないと、この空間に残りたいという欲がまた湧き出してしまいそうだった。


 レイが好みのものを聞いてきてくれることは度々あった。ドレスや宝石、食べ物、家具、それら全ての好みを私に一度に聞いてきたこともあったし、そしてそれは次の週には完全に再現されていた。


 それがどれだけ嬉しくてありがたかったかレイには分かるだろうか。兄妹揃って私を支えてくれることがどんなに嬉しかったか。言葉では言い表せない。


 屋敷を出て、それから裏門をくぐり、そこに待っていた馬車に乗り込む。もうふりかえってはいけなかった。私は、ここに踏み入れることは許されない人物になるのだから。


 荷物は手提げカバン一つ。御者に預けるような量でもないため、申し出を断り中に乗り込んでから自分の膝の上に置く。


「行先はアルカディル伯爵家の別荘でよろしかったですか?」

「…………いいえ」


 旦那様のお声が記憶の中から蘇る。私の相手は面倒くさかっただろうに、私が話しかければ必ず何かしらの返答を下さった。それがたとえ君には関係はない、だとしても、一言二言の短い言葉だったとしても、私にとっては大事な一言で、忘れられない言葉になる。


 深く響く声が何度私の胸を震わせたことか。何度そのお声に、姿に、恋焦がれたことか。


 ……もう、視界に入れることすら叶わなくなってしまう。


「……フェンデル侯爵家にお願いします」

「え?ですが、伯爵様からは別荘へと」

「いいのです。どちらでも同じことですので、ご迷惑をおかけしない方に行きます」

「……そうですか…。……あの」

「はい」

「……泣いておられますか?」



 夕焼けのような色をした光が馬車の中まで差し込み、鞄の上に重ねられた手に覆い被さる。その手の甲にまだ乾ききらない水滴があることをリヴェーラは認めていたが、そっと目を閉じ次々と浮かんでくるそれを落としてから、静かに喉をふるわせた。



















 いいえ。
























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