其の三
「メイクする時間減った分、ちょっと余裕なんじゃないの?」
うちの母親は、いちいち人の顔を見て突っ込む。激しく鬱陶しい。母親が嘲笑しているのが分かるのが腹立たしいが、言い返す言葉がない。
どうせ付け睫毛を購入したところで、あのオッサンにまたズタズタにされてしまうなんて言えるワケがない。取り敢えず、学校にアイラインペンシルだけ置いて来たものの、朝学校でそんなことをする時間があるワケがない。
「急いで食べるより、時間掛けて食べる方が体にいいんだから」
― ああ、ホントに鬱陶しい。わかってるって、そんなこと。社会人になったら、いや、大学合格し
たら絶対クッキリ二重にするし
時計を一瞥し、やや慌てて最後の胡瓜の糠漬けを口に運び、モグモグしながら椅子から立ち上がり食器を重ね、シンクに運ぶ。
うちの母親は食事のマナーに煩い。口に物を入れたまま動くなと散々言われてはいるが、分かってはいるが、こちとら時間がないのだ。なので、指摘をされるとイラっとする。
後頭部にぶつけられる母親の嫌味を背に、テーブルのお茶の入ったマグカップとお弁当を取り上げ、早足で部屋へ戻る。
確かにメイク時間減った分の余裕はあるが、一度聞けば十分なものを、母親はシツコイ。
「すーちゃん、おはよ」
「あ、おはよ」
梨穂子が後ろから追いつき、自転車で並走。何時も通りの光景。
「すーちゃん、昨日浮上して来なかったね、珍しい」
「へ?ああ、うんちょっと・・・」
昨日はそれどころではなかった。本来なら、あちらで開催されたCUのファンミーティングレポをMatterで追いかけ、拡散したりしていたはずだった。CUが母国で行っていたファンミーティング、自分達にとっては高額過ぎて払えない、行けるはずのないファンミーティング。
が、昨晩の母親からの濃ゆい、濃厚過ぎる話で、頭はパンク状態で、英語の小テストの勉強も出来ず、今朝の小テストは諦めた、という状況。浮上なんてできるワケなかったのだ。何せ、韓国ドラマばりのことが身近で起こっていたのだから。
― 珍しいでしょ。珍しいんです。CUのことが頭に過らないぐらい、膨大な量の未知の情報を頂
き、未だに整理ついていない状態でございますから
かと言って、人に話すような話でもない、話せる話でもない。如何せん、自分が整理できていないのだから。
「しかしさ~、いいよな~、お姉様達はお金あってさ~、現地のファンミに参加とか、夢のまた夢
だよ~。学生じゃお金出せない」
「大学生の人は行ってた人いたみたいだよ」
― ナント、大学生は払えてしまうのか、羨ましい限りだ
早く大学生になってバイトして参戦したい、席に当たり外れがあるからそれに耐え切れるだろうか?いや、参戦できるだけシアワセ、Cはカワイイ子好きだから、参戦したファン層見てイベントの料金の高さに気づくだろう、などと何時も思っていることは、あんな話が頭の中を巡っていても、それこそ“朝飯前”程度に口にできる。
しかし、今日はちょっとこれ以上は話合わせられない気がする。
― ゴメン、りーちゃん 泣
「次のチケ争奪戦は頑張ろうね」
「そだね。じゃ、また帰ったらファンミ、チェックしとく~。じゃ、小テストの勉強できなかった
から急ぐね」
「あ、うん」
自転車の速度を一気にあげ、学校に向かう自転車をゴボウ抜きで走り抜け、学校の駐輪場に向かう。
梨穂子は何時も、サッと背を向ける自分に優しい笑顔で手を振ってくれているのを知っている自分、激しく性格が悪い。背中が罪悪感でざわざわする。
掃除、終礼を終えると、生徒達も次の行動を頭に置いて教室を出る用意をする。
自分の通う高校は文武両道と質実剛健を掲げ、部活動も活発で、学校行事も生徒達が主になって積極的に行っていて、放課後の校舎内は部活動の掛け声や発声、楽器や音楽の音で溢れかえる。
真利子以外は時間に縛りのない文化部に所属しており、今日は真利子の部活が休みで、真利子の周りの椅子に座り、暫しの雑談。
「あ~・・・あ、坂﨑!ちょっと・・・」
先ほど教室を後にしたはずの担任の水野が腕組みをし、右手で顎を摩りながら教室を見渡し、真利子の姿を確認すると苗字を呼ぶ。
四人で顔を見合い、一斉に水野の方に顔をやる。
自分を指差して確認をする真利子に、水野が自分のほうに呼び寄せるジェスチャーをするので、真利子は驚いた表情のまま立ち上がって戸口の水野の方へ向かい、同様に何だろうと思いながら、三人で真利子の背中を見送る。
「何だろ~?水野、顎触ってたよ」
「だよね、何だろ?」
「でもまあ、真利子が何か注意されるようなことするとは思えないけど」
「だね」
担任の水野は自分では気付いてはいないが、良い話でない時は顎を摩ることを先輩から聞いて知っている。これまでもそれが外れたことはないが、何故に真利子・・・
「う~ん、まあ、水野って注意はするけど理不尽に怒ったりしないし、何か聞きたいことあっただ
けなんじゃん?」
「そだね・・・あ、ところでさ~、来月うちの叔父さんのお家にカナダから留学生が一年間来るこ
とになったの~。それでね~」
幸い、この学校に来てから、生徒が叱責されている姿を殆ど、いや、皆無と言っていいほど見たことがない。態々派手に校則を破るような生徒もいないし、騒いでいると言っても授業が始まるとすぐに収まるし、精々忘れ物をしたか廊下を走ったかで注意を受けるか程度。なので、左程気にもせず。
琴子の叔父さんの家では毎年留学生を受け入れているらしく、ウェルカムパーティーをするので来ないかというお誘いの話。
ウェルカムパーティーなんて聞いたことはあっても、実際に参加したことがないし、CUの影響で、韓国や中国、米国関係のニュースはよく読むものの、カナダと言えば、メープルシロップとナイアガラの滝、ネイティブインディアン、トーテムポール、杏ちゃんの行っている大学の名前ぐらいしか知らないので、ちょっと興味津々。
「お~、ウェルカムパーティー!」
千華が少し興奮気味に話に乗り、興味が止まらず、そのカナダ人が何歳なのか、どんな容姿なのかなど、次々琴子に質問を繰り返していく。
琴子はおっとりして見えるのに、聞かれたことには端的に、的確に無駄なく説明していく。言葉のチョイス、並べ方、つまり表現力に無駄がなく、とてもイメージしやすい。どのようにしたら、こんな風に伝え上手になるのだろう。
千華も、よくこれだけ聞きたいことが出て来るなと思う。自分が思いつかないようなことに気付くし、聞いていると“なるほど”と思う。
この三人は、いろんな部分で自分よりずっとずっと秀でた物を持っている。一緒にいると、自分の足りない物がよく分かる。と言っても、人には得手不得手というものがあり、真似をして自分の物にしていけることならともかく無理なこともある。そこはもう指を咥えて見てるしかないのだが、コンプレックスを感じる反面、この三人を“友達”と呼べることは自分にとっては歓喜の極み。恥ずかしくて声に出すことは出来ないけど。
「ちょっと、聞いてよーーーーー!!」
真利子が憮然とした顔付きで、机の間をすり抜け小走りに真っ直ぐにこっちに向かって来る。声の調子だけではなく、雰囲気だけで凄い勢いを感じるのは、余程のことがあったのだろう。
滑り込むように椅子に座ると、息せき切ったように話出した。
「ちょっともう憤激なんだけど!て言うかもうワケわかんないんだけど!」
「まあまあ、聞くからさ~、落ち着いて。で、どうしたの?」
「それがさ~・・・」
水野に呼ばれ、廊下の端のほうに行き、腕組みをして落ち着きなく顎を摩る水野は開口一番、“あの~・・・坂﨑、お前、イジメとかしてないよな?”と、オブラートに包むこともなく、真利子に直球を投げて来た。
突如過ぎて、簡単な言葉であるにも関わらず、一瞬水野の言う意味が理解出来ず、“はあ?”と返したまま開いた口が塞がらず。
「あ、いや、入学してまだ半年強だが、坂﨑は目立つし口もちょっとキツイけど、基本真面目だし
正義感強いし、ムードメーカーだし、そんなことするタイプとは俺は思ってないぞぉ!」
再びの“はあ!?”は、水野の言葉への怒り。何とデリカシーのない担任。フォローしながら言葉を発しているつもりだろうが、全く出来ていない。真利子が怒るのも当然というもの。
真利子の反応に自分の発言が拙かったことには気づいたらしく、自分の発した言葉をどう収めたらいいか焦りを見せる水野に詰め寄り、態々呼び出してディスる理由を追求。
丁寧な言葉で詰め寄られ、“悪かった”とその場を早々に立ち去りたそうに苦笑をしているも、真利子がそれを許すわけがない。
「先生、人を疑うなら、その根拠を言うべきなんじゃないですか?“悪かった”で済む話じゃない
と思いますけど?しかも、あたしの悪口付きで」
「え、いや、悪口なんて・・・いや、申し訳ない」
うろたえる水野に更に詰め寄り、聞いてきた真意の説明を要求。真利子が水野の真似をしながらやり取りを再現してくれるので、水野のうろたえ具合がよく分かる。
― 真利子には申し訳ないが、水野のうろたえ度が愉快すぎるw
そして、まだ明確なことではないからと説明を拒む水野に、失礼発言の発端を追及するも、本当に全く水野も詳細が分かっていないようで、“詳細が分かったら説明する”の一点張り。
これ以上は無理か、と思ったが、ピンと来た真利子が一人のクラスメイトの名前を出すと、嘘が下手な水野は狼狽。自分の反応に気付いた水野は、取り敢えず黙っていて欲しいと懇願。
納得はいかないが、水野もよく分からないと言っている中、これ以上詰め寄っても仕方がないと思い、取り敢えず引き下がったそう。
その真利子が出したクラスメイトの名前は加藤美桜。彼女は休み時間でも一人本を読んでいるか図書室にいることが多く、地味で大人しいと思いきや、時に驚くほど積極的に話し始める時があり、クラスではちょっとした不思議ちゃんポジションにいる。かと言って、別に誰かがいじめているのを見たことはないし、悪口を言っているのも聞いたことがない、というよりも、話題にもならないというのが実際。
高校入学して約半年、加藤美桜が少しずつ休みがちになり、家族からの連絡で体調不良が続いているということを担任から聞かされていたので、クラスメイトも余り気にもせずにいたのだと思う。それが悪かったのか?それとも、本当に誰かがいじめていて、そのせいで次第に学校に来なくなったのか?
「え?加藤さん?」
「しー!」
思わず声を上げる千華に、まだ残っている他の生徒が気付いていないかを確認し、真利子が声を潜めるよう促す。
何でも、体調不良と言って休んでいたハズが、水野のニュアンスからだと、クラスメイトが加藤さんをいじめていて、それで学校に行けないと言っている、とも取れる。加藤さんが真利子の名前をあげたのか?それとも、聞かれたから適当に真利子の名前をあげた?
「真利子が加藤さんと絡むとこなんか見たことないけど、何でだろ?」
「でしょー!?正直、数えるほどしか喋ったことないってば」
真利子も腕組みをしたまま頭を横に振る。真利子が思い出せないものを、周りの自分たちが思い出そうとしても、全くもってさっぱりまるっと記憶にない。
「何で真利子なのかなあ?というよりも、水野も確信がないということは、何人かあと、誰の名前
上がってるのかな?それとも、明確に“誰”とは言ってないのかな?」
琴子が何気に言うと、真利子は冷静に言い放つ。
「水野も誰かは言わないけど、他にもいるっぽい口調だった。まあ、同じように聞かれた子が同じ
ように文句言ってるのが回るハズだから、それでそのうちわかるでしょ。でもそこじゃない、他
が誰でも関係ないわ。何であたしの名前があがったかよ」
真利子はこういうところがカッコいい。自分ならきっと、他の名前が気になって仕方ない。それこそ、その他の子が原因なのでは?ぐらい思っていると思う。“他が誰でも関係ないわ”って、カッコ良すぎで”惚れてまうやろ~!”だ。
「で、その話の感じだと、水野は真利子は違うと思ってるってことよね」
「何か悪口言われた気はするけど、取り敢えず」
「悪口?」
「“入学してまだ半年ぐらいだが、坂﨑は派手だし口もちょっとキツイけど、基本真面目だし正義
感強いしムードメーカーだし、そんなことするタイプとは俺は思ってないぞぉ“だってー。一言
一句間違えずに記憶してやったわ」
真利子は鼻息を荒くしながら、口を尖らせ忌々しそうに水野の口真似をする。
「爆笑wwwww」
「ちょっと千華ぁ、笑い事じゃないんだけどぉー」
真利子は千華の両肩を掴みゆっさゆっさと揺らすが、千華は首をガックンガックンさせられながらもヘラヘラ笑っている。
「いや、やっぱ理系って、いや、水野って気を遣ってるつもりでそれって最悪w」
「だよね、後半部分だけでいいのに。あれでは結婚できなさそうだよね」
「ホント、失礼千万。ずっと一人でおれ!」
大好物の米粉グラタンを黙々と食べながら、ちらつく今日の話を思い出している。
ふと気づくと、グラタンが既に半分に減っていることに驚く。
― いかんいかん
うちの学校にいじめがないと言い切れないとは思うが、今のところ、そういったことを耳にしたことはないし、自分も見かけたことはない。そういった不穏な空気を感じたことはない。気が合う、合わない程度でいじめと言うか?
気を抜くとまた思考に捉われる気がしたので、グラタン、豆・海草・野菜のサラダを交互に口に運ぶことに集中する。母親はこちらの何時もとは違う様子は感じているものの、敢えてそれ以上突っ込まずに様子を見ているのが分かる。珍しい。
― いい、いい、そのまま放置しておいて下さい、お母さん。お母さんが突っ込んでくると面倒くさ
いから
「ね、あれから花房さんには会ってないよね」
― あ、そっち
「うん」
一度待ち伏せ的な感じはあったが姿が見えた瞬間に即効逃げたし、足音に気づかず後ろから声掛けられた時は、お母さんに怒られるから話さないと言い切ったし、それからは姿見ていない。
どうやら母親もハナフサさんと出くわしたらしいが(多分、待ち伏せだろうけど)、突っぱねたそう。まあ、本命の母親に出くわしてキッパリと断られ続けたら、そのうち諦めるだろう。恐らく、母親もイラつきながら突っぱねただろうから。
正直、また何か手土産を持っていたので、どこぞの人気の何かだと思うと惜しいことをしたとちょっと思わないワケではないが、母親の鬼の形相と引き換えるには代償が大き過ぎる。
残りのグラタンを口に運び味わいつつ、ちょっとした溶けるような幸福感に包まれるも、何となくスッキリしない気分の中にいる。
真利子から聞いた、加藤さんの“イジメ”だという訴え、どういうことなのか。
食事を終え部屋に戻り、携帯に手を伸ばしベッドにダイブ。仰向けに寝そべり、携帯チェック。LINKにはまた50以上のやりとりを示す数字。短文小刻みの遣り取りなため、少しの遣り取りでもあっという間に数が増す。
何時もなら、この数字はCU関係のグループの遣り取りと思われるが、今日はそちらではないことが容易に想像出来る。
さっきまで真利子と千華の遣り取りが殆どで、その流れをサラッと見ると、内容はやはり加藤さんの話。真利子も記憶を掘り起こそうと試みているようだが、やはり何も出て来ない様子。
LINKのIDを教えられ、加藤さんと一瞬だけ遣り取りをしたという画面のスクショもあげてくれるが、確かに大した遣り取りでもない。
当然のことながら、自分の名前を出されたことに苛立ちを見せている真利子。琴子はオンラインにいないらしく、自分と同じ後からまとめて見たかもしれない。
― しかし真利子って、怒ってても冷静に水野に言い返してるんだもんな~。自分だったら・・・無
理だろな~・・・先生か~・・・先生ってな~、先生って言っても普通の人間だからな~、ぜー
ったい好き嫌いあるよな~。いや、今までもあったな~。つっても水野はそういう素振り見せな
いし、真利子に言い返されてもあんなんだし・・・もしあれがあたしだったら、水野はあたしの
話をちゃんと真利子みたいに聞いてくれるのかな?決め付けて言って来るかなあ・・・あたし、
あんまし先生に好かれた記憶ないしな~・・・ま、、先生なんてどーせ・・・
《うるさいねん!》
― ・・・出た
携帯を触る手を止め、諦めの溜め息を吐き両手をバタっと投げ出す。
《なんや、ぐちぐちぐちぐちぐちぐちぐち》
「自分の部屋で何したって関係ないじゃん、居候のクセに」
ベッドの上に大の字に横たわったまま、小さいおじさんに言い返す。
《誰が居候やねん。わしやって、あっこにずっとおりたかったわい》
「あっこって、どこよ?」
《わしの木が立っとったとこや》
「?あんたの木じゃないじゃん、他にもあんたみたいなのがいたって言ってたじゃ~ん」
《わしの住処やねんから、わしの木やん。お前やってここはお前のオカンの家やのに、自分の家言
うやんけ、屁理屈か?》
「はあ?屁理屈ぅ!?」
ベッドから跳ね起き、勢いそのままに部屋中を見渡し、オッサンの姿を探す。見つけたところで捕まえられるワケもなく、物を投げて当たるでもなく、どうにも出来ないのを分かっていても、イライラさせられと思わず探してしまう。
《ケツの穴が小っちゃいねん、いちいちしょーもないとこで引っ掛かかんなや》
「もーうるさい!あんたに構ってる暇ないの!!」
オッサンの姿を探すのを諦め、再び携帯を手に取りベッドの上に転がる。何と不毛なことに時間を費やしてしまったことか。いや、どうして自分はこんなことを繰り返してしまうんだろう。
《食べてすぐ寝転がっとったらブタんなるぞ~ 》
「ブタ・・・」
― だめ、相手にしない、こんなのの相手してたら頭おかしくなる
携帯を触りながら遣り過ごそうと試みるが、オッサンが次々と矢継ぎ早にワケの分からないことをつらつらと連ねる。誰か止めてくれないだろうか。
オッサンはひゃっひゃひゃっひゃと笑いながら、腰に手を当て左右に腰を振っている。
「もう、何なのよ、さっきから!」
《やから言うとるやん。いちいち引っ掛かり過ぎやねん、こんぐらい笑いに持ってけや》
イラっとしながらふと机の上に目をやると、ペン立てを両手で押しているオッサンを見つける。ペン立てに顔を近づけオッサンを睨みつけるが、オッサンは全く眼中にない。頭に一瞬、小突いてペン立てを倒してやろうかという思いが過ぎるが、止めておく。
言い返したいが何も浮かばず、頭の中にもやもやと煙が巻く。
― 笑いに持っていけるなら、とっくの昔にできてるっつーの
しかも早口で関西弁で、途中何言ってるのかわからない部分もあるけど、イヤミとか悪口だろうことは推測できる。一体どうやったらこんなに次々思いつくのか。
ただ、ここまでハッキリと言われると、逆に思いっきり言い返せる。実際は何も思い浮かばないけど。
自分が小学4年生の頃、突然クラスの女子の様子に変化が現れた。
その時迄でも嫌な子や苦手な子はいたが、それでも何となくまだ“クラスは仲良し”という雰囲気ではあった。が、青天の霹靂。変化が現れた理由が全く分からず、困惑した記憶。
男子も女子も気の合う子たちで遊んでいた気がしていたが、ある日、クラスメイトの女子A、B二人に“ちょっと、ちょっと”と手招きされる。何も考えずに二人の元に行き話しを聞いてみると、他の女子Cの名前を出し、自分たちのことを何か言っていなかったか、と聞かれた。
全く聞き覚えのない話だったのでその旨を伝えると、“あ、じゃあいい”とだけ言われ、それ以上のことは何もなかったものの、それだけ聞かれて追い払われたような不快感を感じた。
どうやら何時の間にかA、BとCは仲違いしていたようだが、理由は知らない。そのうち気がつくと、女子の中で何となくグループのようなものが出来ていて、“皆仲良し”を望む自分としては意味知れぬ不安が募った。
ただ、まだ自分と仲良くしている子や自分と似たようなタイプもいたので、不安が募り迷いが生じる中でも何とか学校生活を送ることが出来た。
次の学年に上がる時にクラス替えがあり、クラスの中を見て、表向きには見せはしないものの不安が過った。
仲の良かった子は別のクラスになり、以前から苦手だった子が再び同じクラスになるだけでなく、日が経つに連れそれぞれグループが出来ていき、自分の立ち位置が不明瞭に。
その当時家の中では、父親が仕事に行かず(仕事が来たら出向く、というスタンスにしか見えなかった)、出かければパチンコで母親がイライラしていることが増え、携帯は中学に上がるまで禁止であったこともあり、家でもテレビを見る気にもなれず絵を只管書いていたり、本を読んだりして遣り過ごしており、今考えるとどう見ても不安定。
そうするうち、何となく一緒にいる子とも話が合わなくなり、話が合う子は既に違うグループにいるものの自分がそこに入る余地はなく、何となく気持ちが孤立していく。この孤立感は、孤立していない、孤独ではない、という感覚から引き離すのにかなりの労力を必要とする。
自分が理想とする“皆仲良し”のクラスは他に存在しており、自分がそのクラスに選ばれなかったことへの落胆と羨望の気持ちは五、六年と引き摺り、それでも何とか学校生活を送れたのは、成績が良かったことと、部活動は楽しかったから。
中学になるとその形は一層明確になり、何も考えなくてもすんなりグループの一員になれる子、なれない子、そしてグループなどというものに全く興味のない子、入学して暫く経つとあっという間に出来上がる不思議なシステム。
そして自分は中学になって、何となく宙ぶらりんな状態になった。最初に何となく一緒に昼を食べるようになったグループで、気が合っているかどうかもよく分からないまま、何となく話を合わせていた感じ。
クラスの一人一人と関わると、本当に話の合う子は別のグループにいたり、でもその子がいるのはクラスでも目立つグループだったりで、まず自分はそこには入れない。
次第に、一つのグループのDという子が同じグループの子の悪口を言いに来て、拒否する理由もなく、何より頼られることが嬉しく話を聞くことを厭わなかったが、またそのグループのEという子が悪口を言いに来るので一応話を聞く。自分は何も言わない、うんうんとただ聞くだけ。それに対して何か言えば、“すばるも言ってた”と言われる可能性があるからだ。妄想ではなく、実体験による。
グループ内の悪口を聞かされる時には、時には自分の悪口も言っていたという話まで聞かされ、そうして自分の言い分を信用させようと画策しているであろうことは次第に理解したが、結局は自分は捌け口にされてるに過ぎないにも関わらず、ただ話を聞き、吐き出してスッキリして立ち去る彼女たちの背中を見送る。
彼女たちもそのグループでいる時は、キャッキャキャッキャと楽しそうに戯れ、同調し、その間はこちらにも“あなたはあたしたちとは違うのよ”目線を送って来る。
グループでケンカが起こり、爪弾きにされた子が逃げて来るのはいつもこちらで、誰も拒否もしないので受け入れるも、今度は自分が爪弾きのような形にされ、自分もまた別のところに入れてもらう、そういったことの繰り返しに気持ちが振り回され、いつも宙ぶらりん。それでもそれを回避出来なかったのは、嫌われたくないから、それだけ。
言いたいことをハッキリと言えたらどれだけ楽だったのだろう?りーちゃんが同じクラスだったら、こんな思いをしただろうか?なぜ中学でも、なかなか仲の良い部活の子と同じクラスになれなかったのだろう、何かの陰謀か?と何度思ったことか。運の無さをどれだけ嘆いたことか。
一緒にいる子たちはいるものの、何となく何時も気持ちが宙ぶらりんで、時折、クラスの男子と話をする方が楽に感じることもあった。
あっちこっちに属することになりながらも大きなイジメがあるわけでもなく、クラスの女子全員からハブにされているわけでもなく、ただ何か面倒なことがあるとこちらに押し付けては来られたり、何か自分たちと違うところを見つけてはコソコソと嘲笑されたり、嫌われたくない気持ちから言いたいことを言えないまま過ごす居心地の悪さから、クラスの男子と話をすることも増えた。
そしてある日、理解してくれていると思っていた担任から驚愕の言葉を受ける。
「自分だけは違うとか思わないことね」
自分に向けられたその言葉に凍りつき、一瞬にして担任がヒーロー物に出てくる真っ黒い敵のように見えた。
別に自分だけ周りとは何かが違うとは思っていない。それでも、気にかけてくれて声をかけてくれていたから、気にかけてくれているように見えたから自分の気持ちを預けているつもりだっただけに、その衝撃は言い表せない。
担任は何が気に食わなかったのだろう。他の女子もフツーに男子と話をしていたのに、自分だけそのように言われるのはなぜだったのだろう。
それまで理解をしてくれていると思い、自分の思いや家のことまで話してきた担任に、何の前触れもなく、言葉の真意も説明されることなく、ただ放たれた言葉に絶句。こちらの話に相槌を打っていたのは何だったのか。
それから担任には、何を聞かれても必要なこと以上は話さなくなった。自分のことばをどんな風に捉えられてしまうのかと思うと、戦慄が走る。
そんなことはこの“女子”という空間の中だけで、それさえ我慢すれば、やり過ごせばと思っていたのに、よりによって担任まで・・・ああ、そうか、担任も“女子”だった。改めて思い出してみると、担任は年齢は結構年配だったが、“女子”だったんだ。
担任への信頼も持てなくなり、クラスの中では明確ではないが確実に存在するカースト女子の中で、拠り所のない状態で生活を送る中、幼馴染の梨穂子以外で救われたのはやはり部活。
バスケには一生懸命打ち込んだし、楽しかったし、でも残念ながら3年間、部員の仲の良い子とは一度も同じクラスにはなれなかったが、部活に行けば救われた。
その子たちとは進学も全く違う高校となってしまったものの、今でも交流はあり、楽しくなかった中学の思い出の中で、本当にあのバスケ部に所属していて良かった。
今もグループは存在するし、自分も何時も三人と一緒にいるが、中学のような感じはない。ある意味、中学のバスケ部のような感覚に近く、真利子、千華、琴子がいてくれるからそう感じているということではなく、皆それぞれ目標を持って先に進んでいるからか、陰のようで表立って人の容姿や井手達に対して嘲笑したり蔑視したりといった様子は感じられない。勿論、言動や行動が変わっていて周囲を不快にする人に対しては奇異の目を向けることはあるが、それは逆にスルーし難いくて然りじゃないだろうか。
(嫌われたないから言いたいこと言わへん。で、裏で文句言う。オマエもどないやねんってハナシ
やな)
「は?」
(その担任とやらにやってたことって、お前の好かん“女子”っちゅーのがやってたことやん)
― ・・・いや、違うし・・・は?何でそうなるの!?
(本人らにはよう言わんけど、担任に愚痴ってたんやろ?)
「いや、愚痴じゃなくて相談!」
(けど、担任は“愚痴”と思たんやろ?どうせオマエのことやから、“だって”“でも”で、担任
の提案とか拒否しまくって話にならんかったんちゃうん)
― ・・・相談と思われなかった・・・言い得てミョーだ。なるほど、そうか、愚痴か。
確かに、そうかもしれない
(“先生”っちゅーてもただの人間や。捉え違いっちゅーもんもあんねんやから、その加藤って子
にもアリやろ)
― 当然あり得る
(ほんなもう考えたってしゃーないしゃーない。取り敢えず煩いから早よ風呂でも行っとけ)
― そうだ。取り敢えず落ち着こう。憶測は良くない
以前、CUの兄グループに分裂騒動があり、あることないこと憶測が飛び交い、ファン同士が文字で罵り合っているのを見て本当にみっともないと思った。しかも、オバサン年齢のファンがずっと年下のファンに噛み付いたり、まともに遣り合っていて、外野ではあったが、本当にみっともなかった。恥ずかしくないのか?と。
それに、自分が憶測で嫌な思いを経験したことがあることもあり、自分はこれから絶対にそういうことはしないと心に誓った。
(大袈裟やなw)
― このままだと、よく分からないまま加藤さんに嫌悪感を持ってしまいそう。事実が解かるまでこ
れは置いておこう
(聞いてへんのんか~い。ま、うるさないんやったらえーわw)
それから数日して、クラスの一人が職員室に行った際に聞こえたという話が回って来た。
何でも、加藤さんの母親から連日電話が入るらしく、水野と学年主任がその対応に追われていると。
水野は相手の話を聞いて相槌を打ちながら、時々メモをしたり、宙を見て眉を顰めたり、大声を出されているのか受話器から耳を放して仰け反ったりしており、傍から見ると、耳に良い話ではないことは見て取れたと。
暫く様子を伺っていると、どうも加藤さんの方はLINKの遣り取りを見せるワケでもなく、一方的に母親が言いたいことを捲し立てて水野の言おうとすることを遮って、水野がなかなか最後までことばを発することが出来ない状況らしい。
加藤さんが数名の名前を挙げるのを、水野は其々に確認したが加藤さんが言うようなことは特に聞かれなかったことを伝えると、咄嗟に受話器を耳から離し、その様子から、恐らくかなり怒鳴られているのだろうことが予想される。
そして、電話を切った後に、水野と学年主任の話すのを聞き、概要を理解した、と。
加藤さんが不登校になり始めてからの主張としては、“クラスメイトからいじめを受けたから行きたくない、でも学校には通いたい”というもので、最初は別室登校をという話し合いをし、それを認めて施行していたが、次第に時間にも登校できなくなり再度不登校に。
彼女の言い分としては、“いつクラスメイトに会うか分からないし、会ったら何言われるか分からないから別室でも行きにくい”と。
更なる要望として、放課後登校をさせろということであったが、学校側としても流石に放課後で全てを補うことは困難であることを伝えられたらしい。
それは自分たちでも無理だろうと思う。私立ではないし、御目溢しには限界があるだろう。出席日数、提出物、テスト等々、クリアしなければならないものがあるワケで、別室登校ならまだ、別室で出席、課題の遂行と提出、テスト、これらはクリアできるが、放課後なんぞに7時間分の授業なんかした日には帰宅は深夜、学校だって閉まる。どう見積もってみても無理だ。
その上、“いじめ”加害者に対して断罪しないのであれば弁護士を立てる、とも言っているらしい。
“うちの学校は、わりとこういうことは少ないんだけどな。しかも弁護士って・・・”とため息混じりに水野が言い、学年主任はそれに頷き、その様子は生徒から見ても疲労感漂っていたらしく、考えるとちょっと気の毒に思う。
自分もまだ1年生も終えてはいないが、中学と比べると雲泥の差で過ごしやすい。
学校での居心地悪さを経験している自分としては、加藤さんにとって何か居心地の悪い何かがあるのだろうと頭では分かる。
ただ、真利子は何もしていない。そもそも接点が無いし、用事でしか関わっているのを見たことがない。もし、加藤さんが真利子のことが気になっていて、一人でいるところを真利子から声を掛けず、絡んでいかず、それが原因だと言われたら、それは加藤さんのただの我が侭なのでは?
しかも、名前があがっているのは真利子だけでなく、他に数名男女の名前があがっていることが分かっている。この数名は、クラスの中では目立つタイプばかり、というところでは、女子の中のあの気持ち悪い感じ、というワケではない気がする。
全ての授業を終え掃除も終わり、ホームルームを速やかに終えて次の行動に移りたい生徒もおり、担任が戻って来るのを待つが、水野は何時も来るのが遅い。
分かっている。先生達も授業や担任だけをしていればいいワケではなく、いろんな仕事を抱えているのだろう。先生の諸事情もあるだろう。
が、しかし、他のクラスから各々が飛び出して行く足音を聞くと、やはりどう甘く見積もっても水野は来るのが遅い。何故他の担任みたいに早く来られないのか。
というのも、これまで帰りのホームルームなぞ、往々にしてそんな重大な話はなく、何かの序でに言ってくれればいいのでは?程度の内容しか聞いたことがない。
ところが、今教室に足を踏み入れた水野の周りには、何となく重苦しい空気が漂っているように見える。
― ホームルーム、すぐ終わるよね、じゃなくて、何時も通りサッサと終わってよ~
「ん~、ちょっといいかー。あ~の~、あれ、加藤さんのことなんだが・・・」
水野もとうとうクラス全員に聞くぐらい行き詰ってしまったのか。
クラスがざわつき始め、それぞれに顔を見合わせたり、水野の次の言葉をただ待つなど反応は様々。
そしてこのざわつきは、加藤さんの名前が出たことに、ではなく、職員室での水野のやり取りは静かに回っているので薄っすらは知っているも、こんな直球で水野からクラス全員にまとめて投げ掛けたということにだ。
当然自分たちも顔を見合わせた。真利子の露骨な不快そうな表情、然りだ。
「加藤さんが学校に来なくなって暫く経つが、まあ、未だ学校には来られてない。加藤さんとは話
ができてなくて、まあ、家族とは話をするんだが・・・でまあ、こちらで解決出来る事ならと思
ってたけどそれも頓挫してるんで、ちょっと皆にも協力を仰ごうと思ってだな」
― え~、フツーそんなこと言ったら、ホントにイジメがあった場合だったら、加藤さんが余計に学
校来にくくなるパターンじゃないの~!?水野って・・・
「て言うか、加藤さんが学校に来ない、そのための解決ってどういう意味ですかー?」
「あ、いや、うん。ここにいる何人かには確認済みのことで・・・でも、どうも加藤さんの家族の
言うことに匹敵することが見つけられなくてだな、先生から見えないことが皆からは見えること
もあるかと思って、ちょっと聞きたいんだ。皆から見て、加藤さんってどういうクラスメイトに
見える?」
水野なりに直球を避けているつもりのようだ。個人にはイジメの存在を匂わせていたのが、加藤さんがどういう人かというところに絞ってきた。水野にしては上出来なんじゃないだろうか。
「誰かいないかな~」
みんな“どういうって・・・”といった雰囲気。
それはそうだろう。特に誰かといるところを見たことはないし・・・と言うよりも、実のところ自分の中での加藤さんは“不思議ちゃん”なのだ。
「おいおい、喋ったことぐらいあるだろう!?」
沈黙が続く。何でこんなことに時間割かれてるんだ、という雰囲気を醸し出している者もいるのが見て取れる。
「竹内さんはどう?」
「え、私ですか?いや~、確かに選択で一緒のはあるけど、正直喋った記憶が少な過ぎて・・・」
「山下君はどう?」
「え?う~ん・・・その、ちょ~っと不思議ちゃんっぽいところはあったかな・・・」
― あ、同じだ
「え、それはどういうとこで?」
「あ~、一回だけど、図書室に行った時にスゴいブチ切れてて」
「ブチ切れる?加藤さんが?」
「そう」
山下君もその場に遣り取りから理解したとのことで、それは次の通り。
何でも、加藤さんが机の端の席を取るのに定規を置いて場所を離れ、本を持って戻って来たら2年と思われる先輩が定規を横に除けてその席に座っていたことに激怒したと。加藤さんがブチ切れた様子で2年に一方的に噛み付いていたので、結局先輩二人が別の席に移動したと。
ただ、席は他にも空いていたし、どうしてもその席に座りたかったらもっと存在感のある物を置いておいた方が確実なのに、一見忘れ物のように見える定規を置いておいて、除けて座ったからと言って先輩にブチ切れて、見ていて意味が分からないと山下君は感じたと。確かにその通りだ。
「は~・・・なるほど、ありがと。ほかにないか?」
「あ、そういうので言うと、そう言えば」
「お、何だ、長瀬?」
「“加藤さん”って呼んでも返事ないから無視してんのかと思って・・・」
聞こえていないのかと思い、後ろから肩を軽くポンポンと叩いて名前を呼ぶと、飛び上がるみたいに激しく驚いて叫ばれたらしく、その時一緒にそれを目撃したらしい綾乃と“ね”と目を合わせ、二人で頷いている。
数名の生徒の中に、話を聞いてうんうん頷いている姿がある。他にもどうやら何かしらのエピソードがある様子。
― あたし、何かあったかな~・・・?う~ん、思い出せない・・・
すると今度は、水野がみんなに加藤さんとLINKをやっているか否かを聞き始める。
「先生、それ重要?ていうか、何でそんなこと聞く?」
「う~ん、それはだな・・・」
水野がごにょごにょと濁そうとするので、そこに間髪入れず理由を述べるよう催促するクラスメイトが数名。それもその通りだ。
このクラスに、“人に物を聞く時はまずは理由を述べよ”という男子がいて、最初は面倒なヤツだなと思っていたが、幾度かそれを耳にしている間に、それも理解するようになった。というより、寧ろ最近は自分もそういう感覚になってきている。
結局、加藤さんと何か遣り取りをしてトラブルが生じたことがあるかを知りたいと説明され、“はあ?”といった声がそこここで聞かれる。
「先生、そこが重要なんであって、説明ざっくり過ぎ」
「や、う~ん・・・」
「ていうか先生、もうあたしとかそれ聞かれてるし」
真利子が不貞腐れたような様子で突っ込む。
「何聞かれたの?」
「それがさ~」
聞いてきた坂本君に真利子が勢い込んで話そうとすると、水野が慌てたようにその会話に割って入った。
恐らく、水野はあまり波風を立てたくないものの、真利子が水野の意図とは違う形で話を持って行ってしまうだろうと踏んだのだろう。遠回しに事を運ぼうとして、逆に怪しまれていては元も子もないのに。
口が達者であったり、理路整然と話をするクラスメイトも少なくないのだから、真正面から話をした方がいいのに。
とどのつまり、クラス全員にこの話をし始めた時点で概要は伝えないといけないワケで、水野はその腹を括ってのことではなかったらしい。何とも・・・
皆は概要を聞き、LINKを交換したか否かについては数名が挙手。ただ、よくよく聞くと、入学してすぐ全員が加藤さんから聞かれ、教えた子とそうでない子がいて、最初の方に少し遣り取りをしたのみで、真利子の主張と皆同じ。
「て言うか、この間名指しされたメンバー一人一人聞いて、それで“ない”ってったら、それは全
員に聞いたって“ない”だよ、先生」
真利子と同じく個人的に聞かれたらしき森田君が水野に釘を刺す。
「それにさ、休んでるからって加藤さんの言う方が正しいっていうのもおかしくない?」
「や、そうなんだよな。いや、分かってるんだよ。私は皆を疑ってるわけじゃないんだ」
水野が困ったように首の後ろを摩っている。
回ってきた話からも、随分と参っているのであろうことが推測されるし、本当に困っているのだろう。とは言え、水野は実際どう思っているのか?
「先生、俺、加藤さんのこともよく知らないし、聞かれても答えられることないんでもう部活行っ
ていいっスか?練習試合、近いからさ」
「あ、おお、悪い悪い。じゃあ、これで終わり」
― 松本君、GJ!ありがとーーーーー
「何なの、加藤さん。本当にいじめられたって言ってんのかな!?みんなさ、やっぱあんまり関わ
ってない感じじゃん」
「そう言えばさ、マジでみんなにLINK聞いてたんだね、ビックリ。ま、あたしは教えなかった
けどね」
「そうじゃん!え、よく断れたね。断りにくくない!?」
「だって、クラスメイトになったっていうだけで教えるのって、何かさ~。そう思うと、真利子は
優しいよね」
「え、だってさ~、入学したてで聞かれると、逆に断りにくくない!?」
真利子は結構ハッキリと意見を言うほうだが、面倒見の良い優しさを持っているので教えてしまったワケで、そう考えると加藤さんの真利子に対してのこの仕打ち。どういうつもりなのか。
「あたしも教えてないよ~」
― おお、琴でも教えてないのか
「え、どうやって断ったの!?」
「親から“よく知らない間は教えないように”って釘刺されてるからゴメンねって」
「なるほど~。“クラスメイト”って枠、ネックだわ~」
真利子が腕組みをして左右に頭を振る。確かに、クラスメイトなんだから、隣りなんだから、家族なんだから、兄弟姉妹なんだから、親戚なんだから・・・この枠があるというだけで、あらゆることを断りにくくなる不思議な括り、“柵”。
「あ、あたしは教えたけど、最初の頃ちょっとあいさつ程度に遣り取りしただけで」
― 実はLINK聞かれて嬉しかったとか言えない
自分は“柵”などではなく、クラスメイトとなった子達にLINKを聞かれ、友達が増える感覚が嬉しかった。小学生の時も中学生の時も、“友達”に関しては苦労をしているので、LINKに名前が増えるのが嬉しかった。
ただ今回のことで、いくらクラスメイトとは言え、大して関わりや必要性がないのに教えてしまうと、こんなことになることも生じる可能性があるとすれば、教える、教えないの判断はクラスメイトであろうとも考えるべきなのだと学んだ。真利子の犠牲の上で、申し訳ない。
「まあ、クラスメイトに聞かれたらちょっと断りにくいよね。でも、名前挙がった子とそうでない
子の差って何なんだろう?」
琴子が首を傾げ、真利子は腕組みをし、長く“う~~~~~ん”と唸りながら考え込み、千華は携帯の電源を入れ、何かし始めた。
仮に本当に加藤さんをいじめた人がいたとして、そのいじめの首謀者が明るみに出て謝罪をしたとして、でもまた学校に来られるようになるものなのだろうか。
真利子のように、加藤さんに濡れ衣を着せられたクラスメイトにすれば、加藤さんという存在は信用できないのではないだろうか。自分はそんなに器が大きくないので、もし真利子と同じ立場であったら、容易に受け入れられる気がしない。何かあった時にまた濡れ衣を着せられるかも、という感覚がすぐに消滅するとは思えない。
水野の口調から、加藤さんは退学もしくは休学、転学という選択をしておらず、HRで全体に話をするということは、加藤さんはこの学校に登校したいと思っている。学校に来たいと切望する割りには、来た後のことを想定しての言動行動同をしていないように見える。理解不能。
そんなことを思いながら普段と変わらない学校生活を送っていたが、少し気になったのは水野が何となく弱っていっているように見えたこと。
顔色もあまり良くなく、授業中もミスが目立ち、ココロここに有らずな様子。大丈夫かと聞いても“大丈夫”としか言わず、そのくせ覇気が感じられない。
立てばひょろひょろチンアナゴ、座ればぼってりブロブフィッシュ、歩く姿はずるずるキンアンコウ。どう見ても大丈夫ではない。
元々、飄々としている印象の強い水野だが、ここまで来ると何もないワケがなく、流石に生徒としても担任がこんな様子では、授業もまともに進んでいくのか不安を感じる。
しかし、こういうことを放っておかない人というのはいるもので、その理由は何処からともなくサラっとやって来て耳に届く。その原因は、加藤さんだ。いや、正確には加藤さんの母親だ。
何でも、加藤さんの母親が、娘がいじめを受けたと言っているのに何も対処をしない、と担任と学校、市を訴えると言っているのだそう。
それに対し、学校からは結構遠いにも関わらず、学校が終わってから、ある日は学年主任、ある日は教頭と共に加藤さんの家に出向き話をしに行っても、出てくるのは母親のみで門前払い。毎日加藤さんの母親からの電話攻撃で、遣り取りは堂々巡り。それに疲弊してしまっているということだ。
― それってモ・・・いやいや
これはあくまでも聞いた話で、事実確認をしたワケでもない又聞き。それだけで判断するのは賢明ではない。
が、真利子は人をいじめたりなんて絶対しない。仮にも、夢は科捜研に勤めることで、それこそ事件や事故などの真実を突き止める為の機関。それに、普段一緒にいても正義感の強さを感じるのに、関わりが殆どない加藤さんをいじめるなんて有り得ない。
「千華、何してんの?」
「ん?いや、友達にさ、加藤さんと同じ中学の子いるんだよね~。ちょっとどういう子なのか聞い
てみようかと思ってさ~」
「何か結構遠くから来てなかった?てか、どこの中学から来たとか覚えてんの?」
「うん、自己紹介の時聞いたの覚えてる、全員」
「お~、ちゃんと自己紹介聞いてるところがスゴイ」
― 女子のは覚えてるけど、男子は覚えてない子もいるな~
「じゃ、後は返事待ちということで行こっか」
「ん、ヨロシク」
放課後は学生が日常的に聞く、掛け声や楽器の音などの様々な音が響き渡り、あらゆる音が混ざっているにも関わら、雑音というよりは学生としての活動の音、差し詰め“放課後のBGM”といったところか。
不思議と“煩い”と思うことはなく、寧ろ、テスト前の部活がない静かな放課後のほうがシーンとして違和感さえ感じる。あれだけ大きな声や音が響いているのに、不思議だ。
そして、自分たちもその中に混じりに教室を後にする。
その夜、四人のグループLINKに千華が挙げてきた話。
加藤さんは小学生の時からちょこちょこ休むことがあり、中学に入り、中一の時は多少休むことはあっても登校していた。が、中二の夏休み以降に斑に休むようになり、内申に響くということで別室登校をしていた。
中三の時も一学期の5月頃からまた同じ状態になり、別室登校続ける。
その理由はクラスメイトからのいじめだと母親からの訴えのみで、担任や副担、保健の先生などが本人に聞いても、そこについては何も言わない。
実際クラスメイトの誰も身に覚えがないという状況であるも、母親からはその訴え一点張りで、母親も詳細を言わない。
当然、学校は体裁というものがあるから、仮にいじめがあったとしても隠す可能性は否定できないが、千華の友達曰く、まず加藤さんと関わっている子があまりいなかったことと、普段の生活を見ていてもそういう現場を目撃したことはないし、噂も聞いたことがなかったそうだ。でも、それは現状と似たような状態だ。
学校からは、クラスの中で話し合おうにも詳細が不明だと困難であるものの、取り敢えずは加藤さんからの要望があれば、沿えるような対応を考えることを伝えた。が、結局、別室登校を続けて卒業。
ただ、千華の友達の心象として理解不能だったのは、“いじめられた”と言う割りに、名前が挙がった子とすれ違っても、逃げ隠れするでもなくケロっとしていたことだったと。
そして、千華の友達やその周りの子たちの加藤さんへの印象は、一見大人しく地味な雰囲気である一方で、会話をすると話とは関係ない部分に引っ掛かって話の腰を折り、人の間違いを一々訂正してくるし、冗談が通じず空気は読めない。
人には直球を投げるのにも関わらず、自分が直球を投げられると激しく不快感を示す。自分の興味の強いことには、授業中でも先生に次々質問をして授業を止めてしまったこともあり、自分の意見があるのかと思えば、「何でもいい」「決まったのでいい」と言いう。にも関わらず、後から担任に母親から「娘は嫌だったのに無理やりさせられたと言っている」といったようなクレームが入る。
体育では苦手どころか、球技ではキャーキャー叫びながらボールから逃げる為ゲームにならず、マスゲームでは何時まで経っても流れを覚えられず足を引っ張る。
小学生の時から給食を食べるのが遅い為、同じ班の生徒は加藤さんを置いて掃除を始め、後ろに追いやられた机に挟まれ給食を食べ、掃除に参加する時間もなく終わる。また、特に掃除に間に合わないのがトイレ掃除の番が回ってきた時で、トイレ掃除が嫌なのでは!?と問い詰めたところ泣き出し、そしてまた母親から担任にクレームが入り、だから席替えの際、加藤さんと同じ班になるのを嫌がったクラスメイトもいた。
そこにつけて「いじめられている」との発言に、クラスメイトも寧ろ自分たちが迷惑を被っていると感じていたが、予測不能の言動、行動を繰返し、挙句に加害者扱いされるのであれば、“触らぬ神に祟りなし”の状態であったと。
その傾向は中学に入っても変わらず、昼食はお弁当で自分の好きな物しか入っていなかったからかサッサと食べられていたようで、一人で食べてすぐ図書室に行き、掃除の時間になると戻って来て、別室登校でも、昼食を食べ終わると図書室へ行っていたそう。中学では、一応掃除はしてたらしい。
別室登校していると、教室の子とかに会いたくなさそうだから、あまり別室から出なさそうな気がするのは、自分の勝手な思い込みか。
― 何だ、これは!?かなり変じゃない!?・・・というか、千華もよくこれだけの情報打ったな~
《わ~ お疲れサマ 千華~》
《てかさ これって昔からなんじゃん》
《結局友達とは電話でしゃべったんだけどさ いや~ビックリだったわ》
《ちょっとヤバい子だよね》
《でも ここまでじゃないけど 小学校の時に不思議ちゃんはいたな~》
《当然 友達からだけのエピソードじゃないんだよね?》
《もちろん!これでも凝縮したんだから》
《え もっとあるの?》
《うん ドン引き》
《これ 腹立ってもいい!?》
《許す!!》
それから暫し遣り取りをし、千華と真利子が水野に話をしてみるということで話を終えた。
ただの不思議ちゃんならまだしも、自分の勘違いなのか思い込みなのかも不明だが、前から同様の行動パターンで、それでいてクラスメイトを加害者扱いできる感覚。
確かに、“いじめ”というのは受け取る側が“いじめ”だと感じたらそうだというのは理解できる。加害者に加害者意識がなく、“いじっただけ”“からかっただけ”と言って認めない者たちがいることも承知している。そういうクズ(敢えてここは“クズ”と呼ばせて頂く)のせいでもがき苦しみ、恐らく思考も感情もプッツリと切れてしまい最悪の決断をするに至ってしまった子たちも多くいるのは事実だ。
だがしかし、今回に限ってはまず加藤さんと加害者扱いされた子たちとの間の接点が少ない。陰でと言われたらそこまでだが、誰かが加藤さんをいじっているのを見たことがなく、まず加藤さんへの悪口どころか加藤さんについての話も耳に入ってきたことがない上に、千華から回ってきた話。
これは、加藤さんがただの不思議ちゃんで終われる話ではない。
今回は、加害者扱いされた子たちは被害者に成り得るのではないか。勿論、真利子以外の子たちのことをよく知っているワケではないが、名前が上がった子たちはクラスの中では目立つ面子だが、各々は普段一緒につるんでいないにも関わらず、陰で結託して一人を攻撃しているということになる。更に言うと、クラスの数名が個人的に、各々が同時に一人をいじめていているということになり、現実的でなさ過ぎる。
(ゴチャゴチャうるさいねん)
― あんたの相手してる場合じゃないの、こっちは
(忙しそうにしても、オマエのことちゃうやん)
― ・・・そんなことわかってるし
「てかさ~、あたし、ただ考えてるだけじゃん。なのに、“うるさい”とか言われる意味わかんな
いんだけど」
(何時や思てんねん)
「何時・・・のわ~っ!!」
時計を見ると既に23時。既にLINKを終えてから優に一時間は経っている。
― まだお風呂入ってない!明日のミニテスト!CUの情報追えてないっ!
(最後のはいらんやろ)
「はあ?情報は常にアップデートされてるんだよ!?」
(あっぷでーと?なんじゃそりゃ?知らんしw)
「更新されてるってことよ」
(だから知らんし、言うとるやん)
― ・・・あ~・・・どうでもいいってことね(溜息)
どちらにしても、入浴があまり遅すぎると周りに迷惑だと散々母親に言われてきているので、煩いのも面倒だしで、取り敢えず入浴を優先することにし、ミニテストは・・・
― 明日のは今までやった分で間に合うことを願う。CUのはお風呂でチェックするか
(湯船にドボン!)
「しないから!」
次の日、朝のミニテストを終えた後、千華と真利子の二人で水野に伝えに行った。
何となく勢いで自分も行くものと思っていたが、琴子の“ぞろぞろ行くのも何だから”の言葉にハッとした。
こういう時、友達や同じグループというだけで何となく一緒に行くものと思ってしまうが、自分は当事者でもなく、自分で関係のある情報を得たワケでもない。
自分が真利子や千華の立場なら、正直一緒に来てもらったほうが心強いが、真利子と千華だ。どう見ても自分より英明果敢。情報を的確に水野に提供しつつ、自分の意見も伝えることが出来るだろう。人数多く行って水野を囲み、ほかの子たちの目に留まるよりスマートだ。その判断を即座に出来る琴子も、頭だけじゃなくて人間としても聡明。
こうやってその場や状況の判断の仕方を、友達を見て学ぶ毎日。彼女たちはそれを既に身に付けているワケで、これは一体何の差なのだろう?元々の能力?家庭環境?出会った友達や先生たちの違い?考えたところで、今の自分が発展途上過ぎて分からない。
取り敢えず、彼女たちのような友達に出会えたことに感謝。彼女たちは自分の前を歩きながら更に成長しているワケだから自分が追いつくなんてことは無理だけど、彼女たちの良い部分を吸収して、せめてすぐ後ろを歩けるぐらいではいたい。
千華と真利子が戻って来たのは授業が始まるギリギリだったので、次の休憩で話を聞いた。部屋移動の授業でなくて良かった。
「どうだった?」
「それがさ~・・・」
千華と真利子が水野に話をしたところ、唖然とした表情で聞いていたらしく、どう見てもそんな風には内申には書かれていなかったのだろうと容易に推測された。が、この話は一旦水野が持ち帰り精査するので、口外しないようにと言われたとのこと。
真利子は、濡れ衣を着せられたのは自分だけではないのに、同じ目に遭っているクラスメイトをそのままにするのかと食い下がったが、一旦水野のほうで“事実確認をしてから”と言われると、確かに生徒から聞いた話だけを鵜呑みにする教師というのもどうかと思い、渋々承諾。ただ、内申にあの大事な部分えをどのように表現して書かれていたのか、事実をどのような表現で捻じ曲げられていたのか、その部分が仮に水野の中で明確になったとしても、プライバシーの問題で自分たちに報告されるワケがない。
「モヤモヤが残るな~」
「残るね~」
― でも、水野ってそういう先生なんだ。目立ってる子の言うこと鵜呑みにしてた、中学の菅野と大
違いだな
「ま、水野の対応次第で水野がどういう人間なのか、信用に値するのかどうかが分かるね。揉み消
してなかったことにされたら許さないからね」
「真利子・・・本当にあたしらと同い年?」
「はあ?」
「あたしらより十年ぐらい長く生きてそうな発言w」
「よく言われるw どうせ老けてますよ~だ」
“人は、言った方は覚えてなくても、言われた方は覚えているもの”
どこかでその言葉を耳にし、中学の担任は自分に言ったことを覚えてないのだろうと思うと腹立たしさもあるが、もう会うことも無いと言い聞かせ、過去に固執しないよう、思い出さないようにして来たが、水野の対応は“先生なんて皆一緒”という自分の感覚を、少しではあるが緩和してくれたような気がする。
勿論、全ての先生がそうだったワケではない。が、あの菅野の言葉で、“教師”という存在を、人として正しくあること、公平であることを、信じていたかった微かな希望も一気に壊されてしまったことは事実。
それを考えると、不謹慎かもしれないし、ターゲットになってしまった真利子には申し訳ないが、加藤さんのこの件で水野の対応を知ることが出来たのは、自分にとって微かな希望だ。
入浴を済ませ、タオルドライをしながら部屋へ戻り、そのタオルで髪の毛全部を包んだ後、椅子に座り椅子のまま姿見の前に異動し、念入りにスキンケアをし始める。
十分施した後そのまま暫しタオルドライを続け、机の横に引っ掛けているドライヤーを取って乾燥を始める。
― ・・・中学・・・今ってすぐ情報って回るよな・・・あの子たちが誰かにあたしのことを聞かれ
ても、きっと悪いようにしか言わないだろうな~・・・あの子らの学校の子とか会うことないと
思うけど、どこで繋がってるかわんないし・・・いや、でもあたしはもう中学の時とは違うもん
「あちっ!」
ボーっと考えながらドライヤーを当てていると、髪を触っている手の甲にドライヤーの先が当たった熱さで我に返る。
(アホちゃうw)
「でた。何よ、アホって」
(中学の時とは違うもんw)
― あーーーーーーーーー、うるさいっ!
半乾きの髪を、苛立ちの勢いのままドライヤーをブンブン振り、小さいおじさんの声をかき消すように乾燥を続ける。
― 違うんだから!・・・でも・・・今あの子らと会ったら・・・いや、・・・いや、でも姿見たら
隠れるかな~、やっぱし。でもさー、あたし別にあの子らに悪いことしてないし、あの子らの悪
口とかも別に人に言ったことないし、別に嘘ついたことないし、ただ単に波長が合わなかっただ
けじゃん・・・でも、あの蔑んだ目とどうせ変わらないだろうし、やっぱ無理かな~、遭遇した
くないし、自分の存在を新たに知る人と、あの子たちが出会わないことを願うわ。しかし、ホン
トにマジで意味分かんない、加藤さん。どういうつもりなんだろう?水野、確認出来たとしたら
どうするんだろう?いや、加藤さんのほうがしらばっくれるかな~・・・
何かオッサンの声が微かにするが、ドライヤーの音でよく聞こえないので、“ざまーみー”とココロがほくそ笑んでいる。
技術が進んでも、一応進化はしていても、このドライヤーの音というのは相変わらず煩いもの。でーもー、今この部屋では非常に有り難い。
― さて・・・
思わず出る溜息。大体次が想像つく。もたもたとしたところで数分にもなるワケはないので、ここは潔く、仕方なくドライヤーを片付け、椅子に凭れ踏ん反り返る。
「あたしが何考えてようと勝手でしょー!?」
― 先手必勝
思わず小さくガッツポーズ。
(あ~?)
「大体さあ、いろんなことが勝手に頭に浮かぶんだから、仕方ないでしょー!?」
(勝手に浮かぶ言うけどな、お前、脳ミソあんねやろ。 “考えんのめんどいからや~んぴ”とか
ないんかい)
「そんなの簡単にできたらやってるし」
(やろうとしてへんだけやんけ)
オッサンがこちらを挑発するように両手を挙げてゆらゆら揺れている。この姿にイライラさせられる。人をイライラさせるのの天才だ。天性の・・・いや、この意味不明な存在に天性も何もない、只のイライラさせる物体だ。
「あたしの部屋なんだから、何したっていいじゃない」
(オマエこそ大体なあ、自意識過剰やねん。誰もオマエのことなんか気にしてへんわい。卒業した
後なんかみんな自分の生活しとんねんから、仲良くなかったら態々声掛けへんわい。オマエもそ
いつら見ても声掛けへんやろ~ 笑)
― ・・・イイエテミョー・・・
確かにそう。今でも朝、電車通学の高校に通っているのに、どう見てもこの時間に駅に向かっている時点で既に遅刻なのだろうと思われる彼女たちを偶に見かけることがあっても、自転車であることをいいことに、気づかれないようにソソクサと去っている。
― いやでも、自分を見てまたちょっと小バカにしようとか・・・
(いやだから~、そいつらの生活に既にオマエなんかおらへんって w)
― ・・・それはそうなんだけどさ~・・・けど、言い方酷いくない!?
(面倒いやっちゃな~。なんや、構って貰いたいんけ)
「構ってって・・・」
(そーやろー?結局声掛けて欲しいんやん、好かんヤツらからでも。“わ~、元気ぃ!?”とか、
あわよくば“何か変わったね~”とか言って欲しいんちゃうんけ。あかん、あかん、やめとけ、
自分から声掛けられんねやったらやめとけ。オマエやって、どうせ気にもならんヤツ見ても声掛
けへんやろ~、そんなんずっこいわ)
オッサンがこちらに背を向けお尻を左右に振って茶化す。
気づくと目を瞑り、腕組みをし、オッサンの言葉にう~んと唸っている自分がいる。
正直、間違っていない。寧ろ“図星”だ。もう既にそう感じていることも、オッサンには聞こえているだろう。
頭ではオッサンの言葉の意味を理解しているが、感情レベルで受け入れられないこの気持ち悪さを説明出来ない。
真っ向から反論したところで、結局は図星なので返す言葉は薄っぺらくなるだろう。そ
うすると、確実にオッサンから千倍返しを食らうこと間違い無し。
高校に入って自分を変えようと突っ走って来たものの、結局は無視をされても平気な程
にはふっ切れていない。こんな短期間で、視界に入っているのに声を掛けられないことの寂しさに慣れる心臓の強さは持っていない。無視のほうが無関心よりマシという感覚も理解出来ないし、無視も無関心もどっちを取っても、自分にとっては苦痛以外の何物でも無い。
努力をしなくても好かれる人がいれば、自分は努力をしないと好かれない部類。自然体で好きなように振舞って好かれる人がいれば、自分はどれだけ人に合わせてみてもその人のようには成れない部類。
自分だって誰からも好かれる人気者に成りたい、でも成れない。いつも話の中心で周りには人が沢山、そんな子に成りたい、でも成れない。そういう子を羨望の眼差し、いや、妬みに近い羨ましい気持ちで横目で見てるだけ。またいつ、自分から人が去って行くのだろうといつも何処かで不安を感じ、いつの間にかその場を楽しむより、人の一挙一動、一言一句を観察する癖がついてしまっている。
次第に“人に好かれたい”よりも“人に嫌われたくない”が強くなり、自分の言動、行動が人に合わせたものになり、何が正しくて何が間違いなのが判らなくなっていく。
面白くなくても笑う、思ってなくても同調する、でも、あまり大っぴらに笑わない、激しく同調もしない。何故なら、合わせて笑ったのに、合わせて頷いただけなのに、“すばるが笑ってたよ”“すばるが言ってたよ”、と自分が盾に使われた経験が抜けないから。
“自分はそんなこと言ってない”と反論したところで、先に出た情報を覆すにはそれ以上の確かな証拠が必要で、中途半端な位置にいる自分には、その子たちを敵に回してでも出来るといったことではない。結局は先に言っちゃえるもん勝ち、仲間が多い者勝ち。
― “構って欲しい”・・・いや違う。“構って欲しい”よりも、自然体の自分でいても楽しく過
ごせる場所が欲しい・・・これだ、全くの図星じゃない!
(ほんでもって、中学ん時と違う自分、見て~、楽しく過ごしてる自分、見て~、ってかw)
オッサンの言葉に、思わずついていた肘が膝から落ちる。
― や、そう、スゴくありがたいことに、今学校には過ごせる場所がある・・・何だかどうでも良く
なってきたw 確かに、変わったねと言われたいところはあるが、別にあの子たちに会いたいワ
ケじゃないし、多分話すことも特にないな
(ほんでやな、構ってちゃん)
― じゃないし!
(その加藤さんとかっちゅうのが嘘ついたかとか知らんけど、取り敢えずマリちゃんの疑いが晴れ
たらえんちゃうん)
― 真利ちゃん・・・いろいろ突っ込みどころが
「や、ま、そうなんだけどさ~・・・」
とは言っても、ここまで拗れさせた加藤さんがどういう意図を持って、あることないこと並べ立ててクラスメイトを悪者扱いにしたのか、どうしたらそんな思考が生まれるのか、気にならないワケがない。
寧ろ、加藤さんのような人がいる、ということを今回知ったことで、これからも当然似たような人が出て来ないとは言い切れない。自分としては、真相を知りたい、と思うのは愚問なのだろうか。
オッサンが手を後ろに回し、こちらの顔を下から覗き込むように見上げる。
「ちょ、うざ」
思わずオッサンを手で払う。
(ま、なるようにしかならへんやろ。最後まで理由なんか分からんこともあんねや。てか、かまっ
てチャン)
「違うってば!」
(い~まな~んじっ?)
「は?」
― ゲ・・・・・・激しく睡眠不足確定・・・
(お肌に悪い生活しとりまんな~。しかも学習能力ナシっ!)
「うるさいっ!誰のせいよ!もう、歯磨き!」
(え~、寝るのぉ?)
「寝るわ!明日も学校だっつーの!」
(え~、折角かまってチャンと遊ぼ思たのにぃ)
「うるさいっ!」
オッサンが机の上で仰向けに大の字になり手足をバタつかせているのを横目に、忌々しく思いつつも、せざるを得ない生活習慣を果たしに部屋を出る。
― 肌荒れたら責任取れよ、オッサン!
(そ~れはじ~こせ~きに~んw)
朝から険しい表情をしていたようで、母親に指摘されるも、“何でもない”と言って朝食を只管黙々と食べ続け、その様子を怪訝な表情で見ている母親に気づかず。
― アイツ、どうやってペンなんか使ったんだ!?てゆーか、そういう問題じゃないから!!
一瞬噛むのを止め、大きく鼻息を吹き、また黙々と食べ始める。
母親からの視線に気づき、“や~、朝から玉子焼きとか景気がいいねぇ”などと、普段言わないようなことを発したものだから、余計に怪訝な顔をされる。
母親は首を傾げるも諦めてくれたようで、キャベツの糠付けに箸を伸ばし口に運ぶ。心地よい音がテレビの朝の情報番組の音を掻き消す。
その音に引っ張られ、自分もキャベツの糠漬けに手をつける。水分が少し抜けてしなったキャベツの糠漬けが、風味と音とで二重の味わい。一瞬表情が綻ぶ。
― くそー、オッサン、腹立っつー!
朝起きた時の出来事を引きずりながら、自転車を学校に向けて走らせる。
朝目が覚め、ベッドから起き上がり不意に視界に入った机の上。
机の上いっぱいに『かまってチャン』と書かれている横に、キャップがされないまま放置されているマジックが放置されている。
それを見て一気に目が覚め、指で文字を擦るもやはり油性マジック。キャップされず放置されたマジックが使えるか試すがかすむ。
辺りを目を見開いてオッサン探し漁ったが見つからず、ふと目をやった時計の針に驚き、タイムリミットを優先せざるを得ず、ブツブツ文句を言いながら用意をして今に至る。
― 何で字が書けるんだよ!しかも、油性って消えないじゃん!しかも、キャップ蓋開けっ放しと
か、ふざけんなーーーーー!
オッサンに対する苛立ちの勢いでペダルを漕ぐので、次々と前を走る自転車を追い抜いて行く。決して自分勝手に競争しているワケではない。
学校に近付き、次第に自転車、徒歩の生徒たちの姿が増え、自然とそのスピードを落とさざるを得ないが、だからといってそのイライラもクールダウンされるワケではない。
ぶつけるところが無いと、体の中にイライラが充満するものなんだな、というのを改めて実感する。誰にも言えないのもストレス。
今日一日、取り敢えず何時も以上に授業に集中しておかないと、ふとした瞬間に思い出して、頭が幾度となく沸騰してしまいそうだ。
― ハゲそ・・・
流石に学校で時間を過ごすうちに怒りが諦めに変わって来たが、帰宅後にあれを消さないといけないのかと思うと、余計な仕事を作ったオッサンにやはりムカつく。
家に着き、大きな溜息を吐きながら鍵を取り出し、勢いで思わず鍵が手から滑り落ちる。
カチャン!の音に余計イライラする。どうしてこういう時に限って落としてしまうのだろう。
“もー!!”思わず出る声と共にしゃがんで拾い、やっとのことで鍵を開け、ゆっくり閉まろうとする扉に抵抗して無理やり引き寄せ、扉が閉まるのを認識したと同時に鍵を掛ける。気持ちも扉のように重い。
靴を脱ぐのも、足にへばり付いているのかと思うぐらい、こういう時に限ってスムーズに脱げない。溜息。
矢鱈と重く感じるカバンを持ってヨタヨタと部屋へ向かい、何もないことを願いつつ戸を開ける。
入り口からでも見える、机の上の落書き。
朝見たモノは見間違いなワケもなく、消されているワケもなく。
再び溜息を吐き、諦めて部屋へ入り、ベッドの上に鞄を放り投げながら机に近寄る。
取り敢えず文字を指で擦ってみる。ティッシュを取って擦ってみる。定規で擦ってみる。はさみで薄っすら擦ってみる。
― あ、傷になる・・・当然か
定規で擦ると、ちょっとずつ削れていく感覚がある。これを繰り返すしかないか、と思いながら少しずつ削り、少しずつ溜まるマジックの黒い粉をティッシュで拭き取りながら、それを繰り返す。
段々無心になり、薄っすらぼんやり残る文字は取り敢えず無視し、ただただ削っていく。
― うわっ!
突然の大きな音に思わずビクッと肩を竦める。
― あ、そうだ
最近、オッサンに邪魔されること必至なので、一旦家に戻ってから塾へ行く時は、家を出る10分前にアラームを設定しており、鞄の中に入れたままの携帯のそのアラーム音。
椅子から立ち上がり、携帯のアラームを消し、定規をペン立てに戻し、ティッシュをゴミ箱に捨て、何事もなかったかのように塾に行く準備を始める。
(で~~~~~~、つまらんのぉ)
「はああああああああ?余計な仕事作ってくれて、すっごい迷惑してるんだけど」
(何言うてんねん。構ったってんねや 笑)
― はあああああああ!?じゃなくて、じゃなくて、じゃなくて!いかん、いかん
「ふん、慌てさせようとしたってその手に乗らないし。人の慌てるの見て楽しむなんてさ、趣味
悪!さ、塾、塾」
サッサと鞄に塾の用意をし、着替えることは諦め、鞄を持ってキッチンに向かう。
(ちぇ~~~~~~~~っ!つまらんのぉ)
― してやったり
何となく聞こえたオッサンの声にほくそ笑む。
が、帰宅後に再び机の上の落書き消しに時間を取られ、CUのことも加藤さんのことも考える余裕なく、只管格闘する時間が待っていることが頭から抜けている。
(頭空っぽやと静かでえ~わ~ 笑)
相変わらず教室の中には加藤さんは不在で、出席を取っても返事が無いことが通常で、誰も加藤さんの姿を校内で見ることもなく、一瞬はあちらこちらで憶測を呼び、話にその名前も出ることはあったが、二週間も経つと、次第に誰の口からも名前も出なくなる。
自分も最初は気には掛けていたが、他のクラスメイト同様で、それまでと変わらず、好きなアーティストのライブのチケッティング、時々起こるオッサンの悪戯に翻弄され、更に忙しく日々が過ぎて今に至る。
「お~い、じゃ、終礼始めよ~」
掃除も既に終え、水野が教卓に向かいながら、教室を離れる準備万端の生徒に声を掛ける。
毎日毎日そんなに伝達事項があるのか、面倒なので別に毎日終礼しなくてもいいのではないかと思うこともあったが、小学校に上がった時からあって当たり前のこの慣習を、“面倒なのに何でこんなの続けるの?”と聞くこともなく、ただ受け入れている。きっとこんなことは沢山あるのだろう。
水野が幾つかの伝達事項を伝えた後、“後もう一つ・・・”と、これまでの伝達事項とは違うトーンで加え付ける時点で、少し言い難いか、内容が込み入っているか、若しくは長いか、といったものであろうことが推測される。
「え~、あの~、あれだ。加藤さんのことなんだけどな~」
やはり内容が込み入った話だ。
教室の中は特段ざわつくことも無いものの、“また?”と言わんばかりに顔を見合わせるクラスメイトはおり、自分も思わず一番席の近い琴子と顔を見合わせる。
とは言え、動向の如何は知りたいし、決着が着いたのなら早く教えて欲しいので、これについてはウェルカムだ。
そして、水野が放った言葉に一同唖然。“は”と請えに出たり出なかったり。
それは唐突で、急転直下、光芒一閃、どういうことなのか。置いてけぼりを食ったような感覚だ。
何でも、加藤さんの家族から連絡があって、加藤さんが転校することになったとのこと。― 転校!?
クラスメイトを巻き込んでまでの、あの“いじめられた”劇場は一体どうなったのか?
結局、“いじめられたから転校”なのか、“言っても対処してくれない学校を見限っての転校”なのか、“いじめと思い込んでの実態ナシで恥ずかしくて登校できないから転校”なのか。
「先生、転校って、いじめられたとかってのはどうなったの?」
― 三浦君、聞きたいことを、ありがとう!!
「そうだよ、先生。あたしも名指しだったんだよ?」
「俺も~」
「あたしもです」
真利子とその他名指しを受けた人が援護射撃。
「いや、それが突然そう連絡があって、私も何がなんだか・・・」
本当に“何がなんだか”だ。水野も本当に分からないようだ。その一方で、先日の様子よりもやや安堵したような様子も見えないワケでもない。この困惑は、自分たちにどう説明するか、の困惑か。
「はー?有らぬ疑いかけられて、こっちは気分悪いのに、突然何それ?」
クラスがザワつく。当然だ。
結局、“いじめ”だと主張する物は何も見せてもらえず、最後まで加藤さん本人とは話をさせてもらえず、学校側が裏づけを取りたいからと言っても、証拠らしき物も何も見せてもらえなかったそう。
そこで、いじめではなかったということかと聞くと、そうとは言っていないが、加藤さんが突然転校希望を言い出したとのことで、家族としては加藤さんの気持ちを尊重したいということのようだ。
そうなると、クラスを掻き回すだけ掻き回して、濡れ衣を着せられた人たちは嫌な思いをさせられて放置ということか。弁護士を立てる、と言っていたのはどうなったのか。
「いや~、まあそうは言っても、もう学校には来ないって言うし・・・」
水野は手を拱いてう~んと唸っている。数学の答えを出すのは得意なクセに、こういったことになると提案等々を出して来ない水野。時々垣間見える、如何ともし難い頼りなさ。
とは言え、あれこれ持論唱えて生徒の話を聞かない傲慢な先生よりマシではある。
「先生に言っても仕方ないってことだよね。もういいんじゃない?僕らでは理解不能な子だったっ
てことだよ、加藤さんは」
「な~んか、後味悪~い」
「でも、こういうことってスッキリ終わるなんてないんじゃないの?」
「まあ主観だからさ。とは言っても、本当に“いじめ”と言われるほど関わってもないのにさ。て
言うか、先生、あたしたちが本当にやったとは思ってないよね!?」
「や、そこはもう・・・」
水野は、そこについては一生懸命否定するために言葉を連ねる。端々に、名前があがった子たち、加藤さんのどちらをも悪者にしないようにしたい感が漂う。
きっと水野はいい人なのだろう。まさか、こちらの肩を持って、今更もう来ないであろう加藤さんの耳に入ったら困る、などという算段もないだろう。
が、しかし、こういう状況では、被害者にされたこちらの肩を持った発言をしてくれてもいいのでは?と思うのは浅はかなのか。しかも、そんなことを言ったりするクラスメイトは一人もいない。
思わないのか、思っても言わないのかは不明だが、どちらにしても、何と物分りのいい、デキた生徒ばかりなのだろう。勉強になります。
「ただその、言うように“主観”は其々で・・・と言っても結局お母さんとしか話出来なかったん
だけどな」
水野は目を瞑ったまま、一人うんうん頷いている。何を思って頷いているのか。
― デキたクラスメイトばっかりで良かったね、センセ
「まあ、じゃあ、もう言っても仕方ないですよね」
「じゃあ、先生、もう終礼終わりでいい?早く行きたいんだけど」
「お、うん。じゃあ、皆其々の場所で頑張ろう」
「はいはい。さようなら~」
― マジか~、あんなに考えたのに、そんな結末?マジか~
部活の為にサッサと教室を飛び出す子たちは目に映っているものの、自分は話の流れに気持ちがついていかず、自分だけ置いてけぼりな気分。納得はいっていない。
「先生!」
千華が教室を出たばかりの水野に駆け寄り声を掛ける。その声に現実に引き戻され、思わず自分も吸い寄せられるように机を避けながら水野の元へ走る。同時に、真利子も琴子も走って来た。
「で、結局中学に確認したの!?」
「ああ」
「で?」
「“で?”」
「じゃないでしょ。どうだったの!?」
「あ~、うん。まあ、確認はした。確認した後でお母さんと喋った。数日後、転校すると連絡があ
った。以上、という感じ?」
「“という感じ?”じゃないよ、何それ!?」
「いや、本当にそういう感じで」
「まあ、個人情報のことがあるから、何か遣り取りがあったとしても詳細は言えないよね」
「や、ま、そうなんだけど、本当に実際それだけだったんだ」
嘘をつくとバレバレな水野だから、恐らくそれは本当なのだろう。
「ま、それならこれ以上聞いても何も出て来ないよね」
「こっちも狐に摘まれたみたいな感じで・・・本当に申し訳ない」
そう言われてしまうと、こちらも何も言いようがない。真相は闇の中、ということか。何だか気持ち悪い。
「これで終わりと思ったら大間違いなんだから」
水野がその場を去ると、千華が呟いた。
「へ?」
「そのうち真相分かるかもよ」
「え、どうやって?」
「んっふっふっふっふ」
「どういうこと?」
「この間話聞いた子、中学の時の被害者」
「な、なるほど」
「弁護士立てるかもって言ってるらしいと伝えたら、“今度こそ!”と息巻いてたらしい」
「ま、気持ち分かる」
真利子が腕組みをし、ウンウン頷いている。その頷きの重みたるや。
季節は秋も半ばを過ぎているのに、なかなか秋の気配が感じられない気温の中、止まった時に出る大量の汗を避けるためにややゆっくり自転車を漕いで帰宅。それでも結局、自転車置き場に着いて自転車を止めるとドッと吹き出る汗。嫌気が差す。
籠から鞄と手提げを取り出し、エレベーターに乗り家の玄関前に着き、鍵を取り出すまでの行動も鬱陶しく感じる。ブラウスやスカートが纏わり着くような感覚から早く解放されたい、と毎日この状態になると思う。
― あ~もう、これだから汗かきって最悪!
イライラしながら玄関を開けて静かな家の中に入り、鍵を閉め、だるそうに靴を脱いで上がり、椅子に荷物を置いてベッドの上に寝転がる。
― な~んか疲れた・・・
一体何だったのか、あの騒動は。
そもそも、加藤さんが本当に“いじめられた”と言うなら、どこかそれを小耳に挟んだり、目撃したことがあっても可笑しくないのに、全く見たことも聞いたこともない。
入学してまだ一年も経っていないが、少なくとも真利子はそういうタイプではない。どちらかというと、皆に声を掛けるタイプだし、だからLINKのIDだって聞かれてサラッと教えたのだ。
他の子たちも観察してみたが、往々にして人当たりがいい。人を貶したり、蔑んだり、そんな言葉一つも発するのを見たことがない。自分からしても、ちょっと羨ましくなる人種だ。
確かに、もう転校をするということで話は終わるのだけれど、自分は疑われる方に名前を連ねることはなかったけれど、真利子の名前があげられたのは許し難い。
(ねちっこいな~)
「は?」
気分を害する声が脳を刺し、一瞬にして遮られる思考。
「ねちっこいって何よ」
(ねちっこいは、ねちっこいやろ~。もう終ったんやし、オマエの無い頭で考えてもしゃ~ないや
ろ~)
「ふん!放っておいてよ、あたしが何を考えても勝手でしょ」
(“あたしが何を考えても勝手でしょ”w)
― ムカつく
オッサンに本気にならないよう、大きく深呼吸をして抑制を試みるが、歯の奥がギシギシ言うのが自分でも聞こえる。
(大体な~、オマエしつこいねん。終わったこと何時までも、グチグチと)
「そんなの、聞こえるそっちが悪い」
(はあ?オマエのアホみたいな呟き聞こえるこっちの身にもなれっちゅーねん。覚えとけよ、寝て
る間に睫毛抜いとったるからな)
「はー!?そんなことされる覚えないし!」
慌てて四方八方を見渡し、オッサンを探す。と、探したところで何もできないが。
― てゆーか、あっちはホントに出来るから困るんだよな~、このクソオヤジ!
(ねちこいお前が悪い)
漸く見つけたオッサンの姿。窓の下枠の上をスキップしている姿がレースのカーテン越しに見え、余計苛立ちを募らせる。
(考えてもしゃーないこと考えてる間あったら、ほかにやらんなあかん事あるやろ)
「はあ?」
(学習能力、ないな~w)
「あ!」
慌てて手提げに啓子さんの家へ向かうべく必要な物を突っ込み、慌しく部屋を後にする。
― あれで気づくとか、屈辱!
季節は徐々に変わりつつあるも、いつもの授業風景。何ら変わりなく、いつものように淡々と授業が進む。加藤さんの事は本当に終わった事かのように、クラスの中でも朝からその話をしている生徒の声は聞こえて来ない。
昨日、少し遅れたことを啓子さんに詫びつつ、休憩タイムには加藤さんの話を少し意見を聞いてみた。
啓子さんは気持ちを理解してくれた上で、世の中には理不尽なことが沢山あり、理解できないことも納得できないことも沢山あり、それでも日々は過ぎていき、“二十歳過ぎたらあっという間、三十過ぎたらあっという間、四十過ぎたら”あ“どころかたちどころに日々が過ぎ、五十を過ぎたら余程印象深いことでなと覚えてない、なので、自分が本当に解決が必要なこと意外のことを考えて時間を費やすのはもったいない、と助言をくれた。
「啓子さん、その、二十歳過ぎたら、の後がちょっと意味わかんないんだけど・・・」
「それはその時が来ないと分かんないわよ~。でも後から、“そういうことか~”ってなるから」
「ふ~ん・・・でも、“考えないようにする”っていうのが難しい・・・」
「慣れよ、慣れ。何か悶々と考え始めたら、“いや、今考えても仕方ない、仕方ない”って言い聞
かせて、別の事考えるクセをつけるの。そうね~、すばるちゃんならいいのがあるじゃな~い、
CUの事考えるように思考を仕向けるの」
「どうやって?」
「どうやって?そりゃ~・・・はい!Uと道端で会ったらどうする!?」
「え?え?え?や、それはホントにマジで声出なくて固まるって!Yと道端でバッタリ出会って密
かに仲良くなってとかー、最後にはプロポーズされて泣いてとかー、キャー!」
「それでいいのよ~」
「いや、今のは啓子さんがそう仕向けてくれたから・・・」
「やっていれば自分でできるようになるわよ」
啓子さんがパネルを元に戻す。
― ふむ・・・
「啓子さん、てゆーか、妄想じゃないし!」
「あ、ごめ~ん、あれは希望願望よね~」
「絶対するんだからー!」
「そうね~、そうね~、夢持てて羨ましいぃ~、おばちゃん、もう無理だもん(泣)」
「さ、時間は有効に使わなきゃ~。はい、じゃあそろそろ休憩終わり~」
啓子さんのパンと叩いた手の音に、ハッと目が覚めるような気分になるのは何故だろう。一瞬にして、啓子さんに提示された長文に意識が向いた。誰が考えたのか、簡単でお金も掛からない、素晴らしい方法だ。
そして数日経ち、千華から送られて来た報告書。
中学で被害に遭ったその彼女は優秀だった。どこから引っ張って来たかは知らないが、いろんな情報を集め、繋ぎ合わせ、空白を埋め、しっかりパズルを完成させて来た。職人だ。素晴らしい!ブラボー!テダナダ~!ふぁ~びゅらす!とれびあ~ん!!
と、文章を読むにつれ、益々ワケが分からなくなってしまった。
簡単にまとめると・・・
○病院で診断書を書いてもらったが、弁護士から「これでは学校を訴えることは難しい」と言われた
○加藤さんの母親はその病院とも遣り合ってしまい、ドクターショッピングを続けたが、思うように
は進まなかった
○とある病院で出会った先生がとてもいい先生(?)で、加藤さんも加藤さんの母親もその先生に心
酔し、その先生の提案に乗って、今の学校に通い続けるよりも転校を決めた
ということらしい。
そして、これは出所がどこなのかは分からないし、まさか病院が守秘義務を怠るとは思わないから、どこまで信憑性があるのかは不明だが、何度も聞いたことのある、でもよくは知らない言葉が目に留まった。
― 発達障害・・・
確か小学生の時に、クラスに診断を受け、通級に通っている子はいた。でも、授業中に座ってられなかったり、突然歌い出したり、何か思い通りにならないと泣き出すとか、全然喋らないという子だったりはいたが、その子たちは授業についていけていなかった。
加藤さんはうちの学校に合格しているのだから、自分で言うのも何だが勉強は問題なかったはず。登校している時も、皆と大人しく授業を受け、授業を乱すような様子はなかった。
検索をかけても、コミュニケーションが苦手、この部分なのか?とは思うも、ネットの中は情報が多すぎて、同じようなことが書いてある部分も多すぎて、自分の中で落とし込むことができず悶々。
頭の中が、どこから手を付けていいか分からないぐらい散らかっている部屋の中でボーゼンとしているような、そんな状態の時、真利子のLINK。
《ちょっとこの子の執念?》
《情報収集能力?》
《スゴ過ぎなんだけど!?》
《トモダチになりたい!》
《マリコ そこwwwww》
どうでもよくなってしまった。
― 真利子の将来の希望は科捜研のハズなのに、それでは警察か探偵じゃんw
いや、そういうことではなくて、この子たちと画面上で遣り取りする中で分かったのは、被害者の真利子も、千華も琴子も既に気持ちの切り替えができていているということ。あーでもない、こうでもないと未だ考えているのは自分だけ。尊敬する。
うん、加藤さんが発達障害だろうとなかろうと、もうどうでもいい。突然転校を決めた理由が分かったから。
どうして“いじめだ”などと言ったのかは、この報告を読む限り、多分、どこまで行っても理解はできない気がする。だって、全てにおいて理解不能なのだから、そこに費やす時間がもったいない。
(流石マリちゃん、ちーちゃん、ことちゃんやな)
「は?」
(ど~せ闇雲にあ~でもないこ~でもないいうてぐるっぐるして、抜けられへんねんから、マリち
ゃん、ちーちゃん、ことちゃん様々やろw そして、ワシ様々やな)
「は?オッサンは関係ないじゃん。てか、馴れ馴れしく呼ぶのやめて、あんたの友達じゃないんだ
から、気分悪い」
(は?考えんでえ~ようにしたったやんけw それに、なんて呼んでもワシの勝手じゃ)
― ああ言えばこう言う・・・いかん、いかん、オッサンなぞにまともに取り合ったら・・・あ、そ
うか、オッサン、加藤さんと同じかw
(はあ!?)
「別にぃ~w」
これは、後々偶々TVで紹介している番組があり、とあるタレントさんがカミングアウト的に説明をしていたり、その他数人の人の説明も聞いたけれど、結局、明確にはわからなかった。
ただ、加藤さんのように理解できないことを言う人と出会ったら、理解しようとはせず取り敢えず距離を取る。そして、誰でもすぐにLINKのIDを教えない、ということだけは心しておこう、と思ったな。