其の一
あたしはフツーの女子高生。
取り立てて顔がいいわけでもなく、スタイルが特別いいわけでもなく、県立では一番いい高校には入ったけれど、常に一番になるような秀才でもない。
TVに呼ばれるほど趣味に人生を捧げるヲタクさはないし、特に文才もないし、アスリートになれるほどの身体能力もない。
賞なんてのも、中学生の時に美術の時間に描かされた『交通安全ポスター』で銀賞を取ったことぐらいで、それ以外に記憶がない。
推しのアーティストを思う気持ちは負けないと思うけど、多くのファンは同じように思っていて、自分が一番想う気持ちが強いと思っているはず。中には、驚くほどに情報通がいて、どうやって情報収集しているのか教えて欲しい。
と、こういう自分が何故PCに向かって文章を書いているのか?
人間の記憶は、時間が経つと少しずつ書き換えられたり、微妙に変化すると聞いている。ならば、この全くもってただの凡人のあたしが、今でも夢か幻かと頬を抓りたくなるよう、自分に起こったことを、進路も決まって少し時間が出来たから、この間に書き留めておこうと試みている。
後ろで雑音がするが、それを無視する術は身に付いた。心配するでない。オッサンのこは書かないワケにいかないんだから、しっかり書いてやろうじゃないか。
しかし、“うるさい!!”とオッサンに何回言っただろうな~!?
どこの家でも見受けられる光景なのではないだろうか。
朝の時間との戦い。何故にこうも朝という時間の流れは早く、短いんだろう。朝早く起きたとて、“早く起きた”という妙な余裕からその動きはゆっくりになり、ギリギリに起きたとなれば、意地でも厳守すべき時間を見ながらマッハで動く。勿論、自分の動きを逆算して余裕のある準備をする人もいるだろう。が、女子高生というのは矢鱈と忙しいのである。
いや、“女子高生と一括りにするな”と反論のある人もいるだろうけど、ここは自分の頭の中だし。
「あんた、いい加減にしなさいよ、毎朝」
慌しく洗面所と部屋をドタドタと行き来する足音を聞きながら、既に付属のたれと辛子を混ぜた納豆に葱とちりめんじゃこを入れて再び混ぜ始める母親。毎日同じ光景、暫く言わずにいた母親がとうとう声を荒らげる。いや、“とうとう”と言うよりは、“定期的に”が正しい。
ようやく部屋から飛び出してキッチンに滑り込み、冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを取り出し、テーブルの上にあるマグカップに注いでレンジでチン!自分にとっての丁度いい温度で体の中に流し込み、水分補給完了。準備されている朝ご飯の前の椅子を引いて座り、勢いよく“いただきます!”
突撃するように味噌汁のお椀を手に取り一口飲み、具であるわかめが絡んだキャベツと油揚げを口に運び、味噌汁のお椀を一旦置いて、納豆の糸をクルクルと切っていきながらあっと言う間に容器を空にしていく。
納豆は別の容器に移して混ぜる人がいるのをTVで観たことがあるが、自分は納豆の結構厄介な粘りを、わざわざ他の容器に移して洗う手間を増やしたくはないし、ポリグルタミン酸を他に回すなら自分のお腹の中に運びたいので、容器の中で全てを終える。もし、他の容器に移して食べたほうが何かに効果がある、とエビデンスが立証されでもすれば移すかもしれない。が、今のところそのようなことは聞こえて来ないので現状で十分。
再び味噌汁に手を伸ばしまた一口飲んだ後、五穀入りのご飯を口に頬張る。ああ、この口に残る味噌汁の風味とのオマージュ。日常過ぎて口に出して表現するには至らないが、体感できる小さなシアワセ。日本万歳!
「ちょっと、もー行儀悪いから、頬張るのやめなさい」
母親に一瞥をくれるが、口に物を含んだまま反論しようものなら余計に文句を言われる、更にしつこくグチグチと。だから、“はいはい”とばかりに頷きながら時計の方に視線をやり、黙々と食を進める。
「高校生のクセに、そのバッチバチのメイクやめたら時間できるんじゃないの?」
「ちゃんとご飯食べるだけいいじゃ~ん」
とにかく急げ、近づくタイムリミット。
毎日、目の周りのメイクは入念だ。“もっと目が大きかったら、くっきり二重だったら、まつ毛が長かったら、そうしたらこんなに時間使わなくて済むのに・・・”と思いながら毎日約15分を費やす。恐らく、同じことを思いながら鏡とにらめっこをしている女子は少なくないハズだ。辛うじて髪の毛は真っ直ぐなストレートで、あまりドライヤーなどで伸ばさなくてもブラシで梳かすだけで済むことだけ助かってはいるが、それでも目の周りに時間を費やさなくても済んだら、あと15分は眠れるのに・・・
「高校生なんだから、そんなメイクしなくても」
「ん、ご馳走様~」
母親の言葉をスルーするようにお茶をぐーっと飲み干し、慌しく食器をシンクの中に運んで部屋へ戻る。だって、そうでもしないと“だったらお目めぱっちりの二重に産んでくれればよかったじゃん”という思いが増幅し、過ぎると怒りに変わってしまいそうだから、ここはサッサと退散すべし。
母親は、“もう”とため息を吐き、天気のコーナーの声に気づきTVのほうに目をやる。
「夕方雨~?洗濯物、また中に干さないと、はあ」
母親はこちらの反応を他所に、TVの天気予報を見て溜め息を吐く。
自分は余程のことがなければ朝食を抜こうとは思わないが、かと言ってメイクをやめるなんて言語道断で、一々そこを突っ込まれるとやはり鬱陶しい。ただ、携帯の目覚ましが鳴ってもすぐ消してしまい、スヌーズでも消してしまい、母親が起こしに来ても“起きてるって!”と言ったまま布団に包まり、最終的に時間を見て飛び起きるという毎日。それに関しては、自分に否があるので何も言うまい。
就寝が遅い原因も分かっている。勉強も然り、更には無料通信アプリやSNSだ。
学校の友達はあまり長く遣り取りをするタイプではないので有難いが、好きなアーティストで繋がる友人にはあらゆる年齢、職業の人がおり、その中でも同じ年代の友人と遣り取りをしていると、気がつくと結構な時間になっている。
正直、好きなアーティストの情報以外は他愛もない内容で、時には同級生や上級生、教師のネタもあれば家族の愚痴もあるも、そういった内容正直あまり興味のない話でそこまで時間を費やす程度のものでもないが、次々流れてくる情報やファンの呟きを楽しんだり喜んだり、時に怒ったり感動したりと忙しい。
だから、先に落ちてしまうと話に遅れてしまう不安があり自分から離脱できず、誰かが離脱するまで返信を続けているのが原因だ。分かっているけど止められない。
「行ってきまーす!」
「はーい、気をつけてよー」
母親の声も半分に鞄とサイドバッグを掴み、廊下を滑るようにバタバタと玄関へ走り、ローファーを履きながら飛び出して行く。よく母親に、“靴履きながら走って、よく転ばないわね”と言われるが、逆に、転ぶ?と思ってしまう。
結構築年数が経っているこのマンションにエレベーターは設置されているが、待っていられず階段を駆け下り駐輪場へ走る。お弁当の入ったサイドバッグを横にならないよう先に籠に入れ、鞄を雑に上から乗せ、隙間なく並んでいる自転車の中から、左右の自転車にガチャガチャとぶつかりながら引っ張り出し、勢いよく自転車に乗って漕ぎ出す。あちこちで見かける、上下にずらして駐輪するシステムぐらい設置して欲しいものだ。
まだまだ暑く、吹き出る汗を抑えられないこの状況で、中には半そでブラウスにニットのベストやカーディガンを着用する子たちもいる。口にはしないが、正直信じられない、というか、自分にしたらこの暑さの中にニットのベストなんて、自ら熱中症になりにいっているようなもんだ。一体、この“体質”というものの差は何なんだ!?
高校までは自転車で約15分。主要駅を越えるので、途中まで社会人やあらゆる学校に通う学生達が、同じ方向に、点滅信号の十字路では曲芸のように交差しながら、映像で観たことのある、昔の中国さながらに自転車が行き交う。
その中に時々中学の同級生を見かけることもあるが、一部とは手をあげて“おはよう”の合図をするも、何も見ていないかのようにスルーをする面々もいる。正直、気づいた瞬間からスルーするまでに密かに緊張しているが、元を糺せば相手の方がこちらをスクールカーストの中~下だと見ていたわけで、卒業したからと言って“陰クス”されていたことをチャラにも出来るほど出来た人間ではない。
多分、向こうは自分のことなんて気にもかけてないと思うが、されていた方は勝手にあの感覚が内側から蘇ってくるのだ。
あちらの方々は電車でもっと早く向かわないといけないので基本的にはかち合わないはずだが、まあ、遅刻も平気なタイプなのだろう。どうせ偶にしかかち合わないのだから、とにかくスルーすればいいだけのことだ。とは言え、かち合うことさえ本当はしたくない。
「あ、すーちゃん、おはよ~」
「あ・・・おはよ」
同じく自転車に乗り、にこやかに声をかけてきた自分と同じ制服に身を包んだ女子は、艶やかな黒髪をボンパドールにしてはいるものの、自分とは間逆の真面目な雰囲気。幼馴染の梨穂子。中学までは学校でも一緒にいることもあったし、同じアーティストのファンでライブの準備も参戦も一緒にするが、高校入学を期にスクールカーストの底辺なんかになるものかと突っ走り始め、戦闘服を身に纏い、メイクという名のマスクを装着し、振る舞いだって変えてやるんだと心に決めた時から、何となく学校では梨穂子と一緒にいるのが何となく・・・
「ツアー、楽しみだね~」
「うん。あ~あ、早くあちこち飛べるようになりたいな~」
「ホントだね~、羨ましいね~」
「取り敢えず、日程が試験とかその前後に被ってないこと祈るわ」
「ホントだね」
「それに、またチケ争奪戦。あの“チケットをご用意することができませんでした”って文面、何回見
なきゃいけないんだろ(泣) バイト出来ない学生は行ける場所決まっちゃうから、つら~」
「がんばろうね~」
「アリーナかな、ドームかな、もっとちっさい箱で、とかやってくんないよね。あ~お金貯めなきゃ
~・・・てゆーか、その前にアルバム出るってことじゃん。お金がー(泣)」
「アルバム楽しみだね~」
梨穂子は優しさが全身から滲み出ているようなタイプで、人が良くて誰にでも優しく、ふわふわした感じだが、頭は良くて勉強も出来る。
ただ、ちょっと地味・・・な感じ?と言うか・・・と、自分が言うか?
「あ、ちょっと急ぐから、じゃ!」
「え?あ、うん」
自転車を漕ぐスピードをアップし、徒歩の生徒たちの横をすり抜け校門を潜る。
― う~ん・・・何か、りーちゃんゴメン・・・
自転車を駐輪場に停めると常にやることがある。それは、自分に気合を入れることだ。
胸と腰の辺りで両手を軽く握り、「よし」と人に分かるか分からないか程度に頷き気合を入れる。
別に思い立ってし始めたわけではなく、高校に入学したら中学の時の自分とは違う自分になる、そう心に強く言い聞かせ、その日からの癖のようになっている。
本当は“女子”という生き物をとても面倒臭く感じている。自分が“女子”であるにも関わらず。
皆が仲良くすれば良いところを、気付いた時にはグループが出来ており、クラスの中で頓に目立つグループは、何故かマウントを取りたがる。しかも、何故かそのグループが何をしても誰も文句が言えない。
心の中で思うことがあっても、事を荒立てたくないし、そういうマウントを取りたがるグループは、理論的ではない理由を携えて力技で捻じ伏せにかかる。勿論、自分の中では何をしても無条件で承認されているような状況には疑問を持っている。例えそれが傍から見ると不条理なものであっても、威圧感や持論をもって承認される。不快感があっても、それに対しわざわざ声を挙げて意義を唱える女子もいない。
波風が立たなければ、自分に害が及ばなければ距離を置くだけなものを、その目立つグループはわざわざ周りを巻き込み、気に食わない女子のある事無い事を吹聴し、面白おかしく笑いにするのみの場合もあれば、排除しようと卑劣な行動に出る場合もある。
それに従属しない女子を放っておくだけの場合もあれば、新しいターゲットととすることもあり、それは運動能力や知能、能力の差などではなく、目に見えない、しかし明確に存在する不思議な差なのだ。
『スクールカースト』、この一言で意味が通じるのだから、作った人のセンスが秀逸と言うか。
中学生の頃は派手でもなく地味でもなく宙ぶらりんな位置にいて、勿論ハブられたくないという気持ちから良く見られたい願望はあったものの、特別可愛く何かオーラがある訳でもなく、面白い話や返しができる訳でもなく、流行に敏感という訳でもなく、運動神経も至ってフツーで、小・中学校の中では成績は良い方であった、とういことしかない中、何とかカーストの下の方からは脱したいと思考を巡らせてはみた。が、カーストには明確な基準がないワケだから、正直、明確な脱却方法はないのだ。
クラスの女子の様子を観察していて出した答えは、このクラスでカーストの下から脱却するには“理不尽なことを平気で正当化できるテク”を持つ、ということ。それが出来るかと言われれば、既に彼女たちのやっていることを“不条理、理不尽”と批判的な感覚を持っている時点で無理なことだ。
別に可愛いと思わなくても、“△△ってかわいい~よね~”“え~、○○もかわいいじゃ~ん”と褒め合い、“これよくな~い?”“うん、めっちゃいい~”と合わせることは自分にも出来る。でも、何が発端かは分からないが、ある子を指差して笑いつつノートはしっかり借りて得を取ろうとしたり、ある子に不快なあだ名を付けて反応を楽しんでいたり、あることないこと勝手に噂を作って言い回ったり、係りや委員もそうだし、体育祭に出場する種目を選ぶのに自分たちのやりたい事だけやって、面倒なものは反論しない人に押し付ける。
そういったことをして平気な顔が出来る程心臓は強くないし、ドラマやコミックなんかで知るカーストシステムとも違うかも知れないが、自分が実感したのはそんな形だった。ハッキリとハブられるなどではないが、要所でマウントされ、やりたくないことをさせられ、上手くいかないことには直で言って来なくても、コソコソしながらも聞こえるように文句を言ってこられ、それが彼女たちが原因であっても周りに責任を押し付けた。
すんなり環境に溶け込める女子にすれば、青空の下、丘の上の木の下で、そよぐ心地よい風を受けながら寝転がっていると、あちらこちらから森の動物がやって来て、思い思いに楽しく談笑したり遊んだりするうちに、何処からともなく聞こえる音楽に手を繋いで輪になって歌って踊り、楽しく遊んで陽が落ちてくると共に“またね”と手を振り、夕焼けを背中にそれぞれが充実した感覚で家路に着く、そんな穏やかな絵本を読んでいるようなものだろう。
しかし、そんな感覚を持てなかった自分は、結局地に足が着かないまま状況をナントカやり過ごそうと、面倒臭い“女子”という環境にいながら、一時は思考と身体のバランスが上手く取れなくなる時期もありながら中学生活を終えた。勿論、バランスが上手く取れなかったのはそれだけが原因ではなく、条件が重なってしまったというのが正しいが、これも一つの要因だった。
そういったことがあり、最初が肝心と、合格発表から高校入学までの短時間に雑誌を読みあさり、メイクと髪型のアレンジを練習し、入学式当日に臨んだ。
が、自分のいたクラスのマウント女子が来られないであろう高校を選んでそこに照準を当て勉強し、合格し入学に漕ぎ着けた高校は、同じくメイクバシバシの戦闘武装(きっと本人たちは好きでやってるだけ)で出没した女子の数はごく少数。いないわけではないが、寧ろ中学の時と逆で、違う意味で“浮いてる”とも思った。
それでも、一度そこまで武装してしまうといきなり引くことも出来ず、現在に至る。
正直、入学前は“いざとなったら一人でもいい”、そう腹を括った。つもりだったが、結局は「明るくいろんなことに興味がある元気なすばる」に徹し、オーバーリアクションなぐらいに反応し(ここに関しては、元々その素質はあるのだと思う)、それが功を奏したのか、そんなことしなくても出会えたのか不明だが、(多分)自分を受け入れてくれる、仲の良い(ともう言っていいのか?)クラスメイトが出来た。
自分にとっては、ようやく手に入れた承認を貰える場所故、この場所を失くしたくない。中学の時みたいな、漠然とした疎外感をもう感じたくない。
ただ、女子という生き物の性質上、いや、自分の経験上、幾ら表向きは仲良くしているように見えても、自分の悪口は陰で言われているかもしれない、突然ハブにされるかもしれないという思いはいつも頭の隅に存在し、友達と言いながら、まだ受け入れてもらえているかの確信が持てないでいる。
学校だけでなく、就寝寸前まで好きなアーティストのことで繋がっている友人たちも。 学校で、“友達”に「トイレに行こう」と誘われることに安堵を覚え、「トイレに行こう」と誘うと「行こ、行こ」の返事に安堵を覚え、お弁当を一緒に食べることに安堵し、コイバナや「ここだけの話なんだけどぉ」に安堵し、遊びや寄り道に誘われることに安堵し、体調悪そうにしていると「大丈夫?」と声を掛けられることに安堵し、内容に興味があろうとなかろうと、自分がそこにいることを“承認”されているような感覚を一瞬でも持てることに安堵する。
その為に、興味があろうとなかろうと、面倒臭かろうとなかろうと、共感できようとできなかろうと、その一瞬の“安堵”を感じられるのなら、自分の居場所を死守するために脳をフル回転させる。“いざとなったら一人でもいい”精神は何処行った?
入学して数ヶ月が過ぎ、今のところ自分が望んだ生活を継続することができているように感じている。最初は、結構どんな話でも聞けるじゃん自分、と思っていたが、しばらくして、そうではなくて、周りの子たちの話が十分興味深いことに気付く。それに気付いた時、この学校を選んで本当に良かったと思った。
その“学校の友達”には伝えていないSNSのアカウントがあり、好きなアーティストの繋がりのメインアカウントとは別に、ただ単に思う存分思ったことを呟くだけ。自分だと辿りつかないように書き込みをし、素のままの自分を曝け出し、それで救われているところがある。
そこでは、興味のある人をフォローするも、好きなことを書き込みたいのでフォロワーは求めていない。
なので、本アカウントでフォローが外された時のような、心臓がキュッと音を立てて縮みそうな感覚はないので気が楽だ。まあ、自分もそ~っとフォローを外すこともあり、自衛の為には外すのも外されるのもお互い様ではある。だと自分に言い聞かせてはいるが、自分が外された時は一瞬反応してしまう自分に“勝手だな~”と一瞬落胆する。まだまだ修行が足りない。
裏アカウントに関しては寧ろフォローされると“知ってる人じゃないよね!?”と書き込みを追って知人でないことの確証を得ないと不安になるので、フォローされないことを願っている。
本アカウントのほうは、年齢も文面からの推測でしかないこともあるが、同じアーティストを好きな“仲間”であり、ベクトルを同じくする仲間は、顔も素性も禄に知らなくても、リアルな“友達”とは違う“同士”と言うべきか。
中学生の時にMatterを使えていたら、気持ちを吐き出したり励まし合ったりしてもっとバランスが取れてあんなことにならなかったのではないか、という思いが時々過ぎるが、偶にMatterの中でのイザコザを見ていると、自分が巻き込まれる自信大ありなので、中学生の間はSNSの使用は禁止という約束で携帯を持たせてもらっていたのは正解だったように思う。
重い鞄とサイドバッグを自転車の籠から取り出し、走って下駄箱に向かう。上履きに履き替え、更に廊下を走り階段を一段飛ばしで駆け抜け教室に向かう。教室に入り、自分の机に荷物を置く。
「すばるー」
「おはよー」
毎日繰り返されるこの遣り取りに、密かに感喜。決してヘンタイではない。
学校で、自分を呼んでくれる人がいる、声を掛けてくれる人がいる、気に掛けてくれる人がいる、それを鬱陶しいと感じる人もいると思うが、自分にとってはそれが静穏なのだ。
「あー疲れたぁ」
帰宅して部屋に入るや否や鞄を勉強机の椅子に置き、制服のままベッドにダイブ。枕の部分に顎を乗せ、ぼ~っと、今日は何故こんなに疲れたのだろう?と思いながら、しばしの間、今日一日の記憶を呼び起こしてみる。学校終わりに塾へ行き、今日はお弁当を食べてから塾で勉強。うん、いつもの塾帰りだ。
「すばるー、忘れないうちにお弁当箱洗っておきなさいよ~」
「へーい」
母親の声掛けに、低いトーンで心ここに有らずな返事をする。枕に顔を埋め、毎日言わなくても分かっとるわい、と思いつつ反論する気力もなく、“面倒ぐじゃい”と呟き、“う~~~~~ん”の唸り声。
そんな中でもSNSが気になり、ベッドに這い蹲りながら鞄に手を伸ばし、鞄の中をゴソゴソと探り携帯を取り出す。こんな横着な姿、CUには見せられない。
見ると、LINKの未読が既48件の表示にまたベッドにひっくり返る。好きなアーティスト、デュオで、ファン達は二人の名前の呼び名から“CU”と呼ぶ。そして、その繋がりでできたファン友5人のグループだ。
このグループ、喜ばしい情報も多く提供してくれるが、どうでもいい一言二言の遣り取りで、あっという間にすごい数になる。SNSデビューの遅かった(と自分では思っている)ので、彼女たちのスピードで打つことは出来ず、あっという間に置いてきぼりになるのと、時折、あることないことの誹謗中傷が楽しそうに繰り返されることもあるので、ある程度遣り取りが止まったところでザッと読んで返信する。
― ん~・・・今読むか、後で読むか・・・あ・・しまった・・・
迷っている間にフッと指が触れてしまい、読まざるを得なくなった。こういう失敗は小さいわりに、結構落胆する。
― ・・・あ、あの子の悪口か。イヤな感じだな~、どうしようかな~・・・あ、何だ、もう話変わって
るじゃん、良かった~(汗)
指でざーっと会話を流し読みし、最後の十個程度のやりとりを読みコメントを書く。
「お弁当箱洗ってなかったら、またアレするから」
「も、わーかってるってー」
― ホントにマジ、あの“サムライ弁当”は勘弁(泣)
〔お母さんがうるさいから、またのちほどー(泣)〕
― 助かった・・・しかし、この子たちってマジで高校生?????学校行ってんの?
LINKの遣り取りの時間を見ると、授業中と思われる時間帯にも遣り取りが行われていることがある。
前のライブチケットの遣り取りで知り合い、誘われたことが嬉しくてLINKグループに入ったものの、次第に疲れを感じ出している自分にも気付いてはいる。かと言って、グループをさら~っと抜けられるのか?と聞かれればそれが出来るように心臓に剛毛も生えておらず、複雑な表情を浮かべ、文字を打つだけ打つと携帯をベッドに無造作に置く。
― はあ・・・何か余計疲れた・・・は、いかんいかん、サムライ弁当!!
“サムライ弁当”とは、以前読んだ漫画で似たようなお弁当を見たことから、自分で勝手に付けた名前なだけで、母親がそう言って作っているわけではない。
以前、たまたま弁当箱を洗わずに寝てしまった次の日、持たされたお弁当が、おかずを全てをご飯で包み、周りを全て焼き海苔で包んだバカデカい“おにぎらず”。
何時ものお弁当箱じゃないなと包みの感じでは分かったが、友達の前で開けて自分もビックリだし、友達には爆笑されるし、偶々塾でお弁当を食べる日で塾でもそれを食べるしかなく、塾では恥ずかしくて、人が来なさそうな建物の外の場所を見つけ、そこで爆弾のような“サムライ弁当”を食べた。あれはもう勘弁だ。
ようやく体を起こし、サイドバッグから弁当の包みを二つ取り出し、制服のままキッチンに向かう。
“サムライ弁当”はまだ母親の中ではジョークの範疇だが、母親がキレると何を仕出かすか分からず、自分にとってはキョーフなので、母親がジョークと捉えられる寸前で止めておかないと自分に降り掛かる。
高校に入りたての時、食事中も携帯を手にし、LINKやSNSを見たり返事をしたりしながら食事をし、幾ら母親が注意をしても、「無理無理無理無理」と強引に継続していた。
が、ある日母親の怒りが沸点に達し、無言で携帯を手から取り上げそのまま風呂場に行き、鍵をかけ暫く出て来なかった。驚いて母親の後を追い、鍵を掛けられた風呂場の扉を叩きながら携帯を返すよう、謝ったり罵ったり言い訳しながら呼び掛けたが、どのぐらい経ったかで出てきた母親は無表情のまま、何もなかったかのように濡れた手と携帯を拭き、携帯をこちらに手渡しキッチンに戻って行った。
手にした携帯は妙に温かく、母親が湯を入れたての浴槽の中に携帯を沈めていたことは容易に知れた。案の定、何度電源を入れ直しても画面は真っ黒で起動する様子もなく、頭を過ぎったのは、自分が属しているコミュニティから自分が知らないに置いてきぼりになり、ぼっちになること。怒りに震え、母親の元に怒りと悲しみで頭が混乱する中、母親に駆け寄った。
「ちょっと、何なの!壊れちゃったじゃん!」
「使えないようにしたのよ」
母親は無表情のまま、途中にした食事を続ける。
「って、どうしてくれんのよ!」
「別に」
「はあー!?マジであり得ないんですけど!」
「あり得ない?何が」
「大体、自分はいっつも物を大事にしろとかって言う癖に、あり得ないでしょ!」
「物による。それにそれはお母さんが契約してるわけで、お母さんが一生懸命働いて稼いだお金で買っ
たし、料金もお母さんが払ってるんだから、どうしようと勝手でしょ」
「や、それは・・・でも、別に水没させる必要ないじゃん!!」
母親は淡々と食事を進め、点いているTV番組が今はただの雑音にしか聞こえない。五月蝿い。何を言っても無視して食事を取り続ける母親に、キッチンの入り口に立ったまま怒りが震えに変わり、次第に目に涙が吹き出て来る。
「だって・・・これなかったら・・・困る・・・友達・・・」
「へ~、ないと困るんだ、携帯。携帯買う時に、食事の時は使わないって約束したよねえ?自分で“分
かった”って言ったんだよねえ?携帯代、お母さんが払ってるのにねえ?何のための約束?手に入っ
たら破っていいもんなんだ、約束って」
俯いたまま肩が震えるのを止められず、涙も鼻水もぐっちゃぐちゃ、頭の中も真っ白。何を言えばいいのか・・・何も浮かばず、ただ黙って立っているだけ。母親は箸を止めない。
「・・・お母さんには分かんない・・・」
「分からないね。食事しながら携帯をいじらないといけない理由も意味も分かりません。世の中の高校
生がみんな携帯見ながら食事をしてるとでも?自分のやりたいようにやりたかったら、自分で稼いで
自分名義で携帯買って、自分で払って下さい」
母親がこの口調で物を言う時は冗談は全く通じない。自分に非がある時だということは重々承知している。が、理性と感情の均衡が上手く取れず、頭の中がジンジンしている。どうしたらいい?いや、分かっている、何をすべきか、答えは一つしかない。何をどう捻ったところで、解決策は一つだと分かっている。問題は、自分の腹一つ。腹一つ・・・
「・・・ごめんなさい」
自分の主張に何の説得力もなく、また、自分の意見を通す交渉力の無さと勝手さを認め、悔しい気持ちに反発しながらもやっと言葉を搾り出すしかなかった。母親の発する、ひっくり返しようのない正論。グウの音も出ないとはこのことだ。
「あんたが携帯に執着するのも分からないでもない。でも、理由がどうのじゃない。約束というのは、
お互いの信頼の元に成り立ってんの。自分で言ったこととか取り付けた約束に責任が持てないなら最
初からするべきじゃない。約束をしたなら最後まで守りなさい。食事の時に携帯を触らない、その理
由は携帯買う時に言ったよね。それに同意したのは自分なんだから守りなさい。そしたら携帯、修理
に持ってってあげる」
結構な割合で無茶な持論をぶつけてくることもある母親だが、これに関しては母親の言うことが正しい。
約束したのは自分。その時は、そんなこと簡単って思っていたから。でも結局守れず、分かっているから何も言い返せない。“ごめんなさい”とようやく言うので精一杯。
母親がこちらに向かって手を差し出す。その意味を察し、使い物にならないただの機械の塊を母親に手渡す。
母親は立ち上がり、それを持って自分の部屋へ行き、すぐ戻って来て母親が自分の携帯のロックを解除し差し出した。
「友達に、携帯が壊れたからって連絡しておきなさい」
母親のその行動の意味が一瞬理解できなかったが、手が勝手に母親の手から携帯を奪い取り、すぐLINKにアクセスし、自分のIDを入力して、思いつく友達に、〔携帯水没(笑) 報告のみで離脱w〕と、それだけ送信し、ログアウトしてから母親に返した。
“(笑)”、文字ってなんてスゴイんだろう?今の自分、全く笑えないのに、これを送信しただけで、相手に今の気持ちは伝わらなくて済む。何時ものクセで“笑”と打ち、見た人はそれを“笑っている、苦笑している”ぐらいにしか取らないだろう。腹の中と文字は別に出来る。文明の利器に少し怖さを覚えた瞬間。
それから家での食事の時は携帯を触らない。母親がキレるからというのではなく、同じ失敗をすると、自分の学習能力の無さに幻滅してしまい余計に自信を失くすから。ただそれは皮肉なもので、お陰でTLが気になることはあるものの、どうでもいい話が継続されているのを一気にスルーすることも出来るようになったのも事実。
入浴を済ませ、タオルで髪を拭きながら部屋に戻り、扇風機のスイッチを入れてすぐに携帯を手に取る。LINKの未読数表示がいつもより少なくて、ちょっとホッとする。気合を入れてLINKのグループアカウントを開くと、既に彼女たちのグループの話は終息している。
姫芽奈なんて離脱したい時に離脱して、何か言いたい時には出没して、話について行けなかったらどうしよう!?なんて気持ちなんかないのだろう。
ベッドに横たわり、返信文を考える。しかし何も思い浮かばない。
〔お母さんうるさいから、今やっと全部読んだー(苦笑) 寝落ち寸前w〕
何とかそれだけを打ち、携帯に充電器を挿し、眠気により瞼の筋肉が重力に逆らうのに必死な状態で鏡を前に座った。同じアーティスト好きでも、こんなに疲れを感じてしまうもんなんだな、と最近はグループに入ったことを多少後悔もしている。
― やっばー、先に化粧水とかすべきだった~(泣)
慌てて化粧水を手に取り、コットンに化粧水をヒタヒタに含ませ、コットンを少しずつ捲りながら顔に貼り付けていく。
ああ眠い。世の中にはきっと、何もしなくても肌キレイな人なんて五万といるんだろう
― いいなあ・・
《・・・・か・・・・ねん・・》
― ・・・ん?何、今の?
何か空耳みたいなものが聞こえた。家には母親と自分しかおらず、隣の家の声が聞こえる時はもっとハッキリ聞こえており、どちらかと言うと囁きに近い。
― 気のせい、気のせい
自分に言い聞かせつつも、心臓は勝手に不安を訴える。恐恐としながら眼球を左右上下斜めに移動させ周囲の様子を伺う。何もない。何もない・・・?うん、何も見えていない・・・
煩い鼓動を落ち着かせようと自分に言い聞かせるが、全く収まる気がしない。少し前に観た、昔はよくやっていたという探検隊がジャングルや未開の地へ行くなどという番組のアレが頭に浮かぶ。あの人達は番組制作のために奥地へ行く度、こんなドキドキと闘っていたのかと思うと、命が幾つあっても足りなさそうだ、番組が作り物でなければ、だけど。
― うん、気のせい、気のせい
自分に大丈夫と言い聞かせつつも、この微かに聞こえた声から膨らむ想像の怖さたるや。不安が体内を充満する中、“何もない、何もない”と念仏のように呟きながら、顔に貼り付けたコットンを取り去り、出来るだけそろそろと動き、乳液を塗布。そろ~っとコットンを捨てようとゴミ箱に入れた時、目の端に付け睫毛のケースが目に入る。
― ゲ、つけまがあと明日の分しかないー、忘れてた!明日マジで買って帰らないと!
「あ~ああ~、元々睫毛長い子いいな~」
― はっ!今それどこじゃなかたった!いや、でも忘れたら困る
再度携帯に手を伸ばし、携帯メモに“つけま”と打ち込み、ベッドの上に携帯をそろっと置く。頭に巻いていたタオルをそろっと取り、そろそろっと髪の毛をタオルドライし始める。
どうしてこういう状況下にあると、そろ~っと動いてしまうのか。特に不快に感じる昆虫を捕まえる時は気配で逃げないよう、避ける時は突然こちらに飛んで来ないよう、未確認物体の時は悪いモノしか想像出来ないから。今は三つ目。
ある程度タオルドライをした後でそろ~っとドライヤーを取り出し、少し考えてから意を決し、”えいっ!”とコンセントに繋いで、ブオ~ン!と大きな音を立てて髪を乾かし続ける。
フッと先程聞こえた声が頭を過ぎり、一瞬背背筋がぞわっとするのを感じるが、気にしない、気にしない。
ある程度乾いたのを確認し、ドライヤーのコンセントを抜く。
《・・し・・・・・しゃ・・・》
再び聞こえた空耳に全身硬直。
― 聞こえた、聞こえた、何か聞こえた!
そろりそろりとコードを片付け、声が聞こえないようにと思っているのに、反面、どこかで耳を澄ましながら、不自然にそ~っと体を移動させ、ドライヤーを机の上に置き、ようやくベッドに腰を下ろす。
― ・・・はは、今日、ハンパなく頭疲れてたもんな~、疲れ過ぎかな~!?・・・早く寝よ
扇風機を足元に向け、携帯に充電器を繋げ、リモコンで部屋の電気を消し、タオルケットを持ち上げてそろ~っとベッドに滑り込む。
《・・・もた~・・・でやねん・・・》
― は・・・や、やっぱり何か聞こえる!どうしよ!どうしよ!マジで怖いんですけど!!・・・あ、携帯!!
襲われる恐怖の中、ゆっくりとタオルケットを持ち上げ、携帯の方へ手を伸ばす。真っ暗な中、机を上をそろ~っと手で探る。
― よっしゃ!
携帯を掴み、携帯を布団の中に引っ張り込む。
― てか、ど~しよ~・・・
携帯の画面を操作しながらも何をすべきかが分からず、軽くパニクっている。
― 検索?友達に連絡?何したらいいんだよ、ヲイ(泣)
《・・・なした・・・ぶわ》
― ひゃー!ひゃー!ひゃー!何かいる、何かいる、絶対いるー!どーしよ、マジで怖いって!あたし、
霊感とかないしぃ!只の悪夢だと言ってくれーーーーー!!
《・・・とかちゃうっちゅーねん》
― ・・・どうしよう、何かいる・・・幽霊!?妖怪!?宇宙人!?イヤ、どれもイヤ、百歩譲って○ブ
リの世界までだあーーーーー!!!・・・いやまて・・・まさかホントに○ブリの世界とかありか?
恐怖が勝って心臓が口から飛び出しそうな感覚を覚えつつも、自分を落ち着かそうと下らないことを考えてみる。恐怖が振り切ると、反動でこんな思考になることがあるのか。
意を決してベッドからそ~っと滑り出す。携帯の明かりで机の上を照らし、ペン立にある30㎝物差しに手を伸ばし、キョロキョロと周りを見渡しの声の元を探す。怖くて動けない。何故物差しを手に取ったのか、自分でもやっていることがよく分からない。
携帯の明かりで辺りをそろそろと照らすが、心臓の音が五月蝿くて集中出来ない。
― ・・・・・!
気のせいか、一瞬机の端に何か陰が見えた気がし、体が仰け反る。
― ど、ど、ど、ど、ど、ど、ど~~~~~しよ!?体が動かない。蛇に睨まれた蛙というのはこういう
感じか!?いや違う、そんなことどーでもいい!!
全身に恐怖が駆け巡る中、頭の中は関係のないことがグルグルと回り、もうただ中腰で携帯をどこともなく翳して物差しを持って立っているという、どういう構図なんだ、これは。
― あ!
再び左から右に黒い影が移動するのが見え、声にならない声をあげる。
― ひゃーーーーーー!!何かいた!いた!いた!いた!いた!
恐る恐る陰が見えたほうに目をやる。が、明かりがないと見えないのに、明かりを向けることが出来ず何も見えない。恐怖に包まれると、頭と体はこんなにもチグハグになるものなのか。
少しずつ暗さに目が慣れて、微かに机の上の物の形などが見えて来た。『暗順応』と言うのだと、少し前にネットで調べたことがある。何にでも名前がついているものだ。パンの袋を止めるプラスチックは『バッククロージャー』、高いところから見るように客観的に物事を見ることを『俯瞰』、次々調べていくとキリがない。と、今はそんなことどうでもいい。
またチラっと動く陰が見え、一瞬怯んで仰け反ったものの、その仰け反った瞬間に携帯の明かりが獲物を捕らえた。
「・・・・・@×&%$#!!」
《おぅわーーーーーっ!》
声にならない声を上げると同時にその物体も声をあげ、サッと姿を隠した。
― ひゃーひゃー!ひゃー!何ー?なにー?ナニーーーーーー!?
声を上げそうなのを抑えるために物差しを放り出して口を手で押さえ、息を潜めて目だけで辺りをキョロキョロと見渡す。こういう時でも、夜に騒いではいけないということを幼少期から散々言われ続けているが、今それを遂行するには、心臓の毛が剛毛でないと無理なのではないだろうか?
両手で口を塞いだまま耳を澄ますが、自分の鼻息しか聞こえない。逃げたゴキブリと格闘する時に似ている。
静かに息を吐いて気持ちを落ち着かせ、再び気合を入れて辺りを見渡す。が、次第に緊張と恐怖で疲労が来たのか、口を塞ぐことによる酸素欠乏によるものか、こんな時に一瞬フッと眠気が・・・
― !! いた!絶対いた!何、小人!?幻!?
眠気の一瞬の隙を突いて、ペン立ての陰にユラっと人型の陰。そろ~っとペン立てに手を伸ばし、恐る恐る横にスライドして除けてみるも何もなく、安堵半分落胆半分、止めていた息をふ~っと深く吐き出す。再びそ~っと息を吸い、覚悟の頷きをし、少しずつ見る範囲を机以外にも広げていく。携帯で辺りを照らしながら、何となくもう意地の域。
しばらく格闘するも何も見つからず、少し痺れを切らせてきた感。しばし考えを巡らせ、一度普段通りの行動を取ってみようと、椅子に座って携帯をいじりだす。
「う~ん、ここまで話進んでたら返信めんど~い。ど~しよ~」
LINKに表示される未読数を見て、少し大袈裟に独り言を言ってみる。チラッと横目で机の上を見るが何も見えず、ふん、と一息吐き携帯に視線を戻す。
― やっぱ夢か?・・・あ、やっとあの話終わってる。しっかしこの子たち、な~んでこんなにポンポン
言葉が出てくんのかな~?まあ、CUの話以外は別にどうでもいいんだけど、とか思ってみたら出て
来るか!?
《やったら、やめたらえ~ねんよな~、意味わからんわ~》
― のわ~っ!ほらほらほらほら、聞こえた、聞こえた、これだ、これだ、今度はハッキリ聞こえた!
で、どこ?どこ?どこ?電気点けたほうがいいのか!?
思わず椅子から立ち上がり、携帯の明かりでそこら中を照らして見渡し、何かが動く影を見つけ目を凝らすと・・・
― いたいたいたいたいた!いたーーーーーーーーー!
何故か、貯金箱にしている蓋付きの缶の淵に手を掛けぶら下がり、こちらに背中を向けた小さい人間の形をした物体がいる。物体だか小人だかはこちらの声に驚いたのか、手を滑らせて缶から落ちて尻餅をつく。
これがアニメなら爆笑でもしそうなものだが、この小さい人間のような物体が目の前に存在していることが、これは夢か現実か。
― 幻覚なのか宇宙人か何かなのか!?あたしは全くフツーの取り立てて特別なところは何もない女子高
生だぞ!?こんなあたしに何が起こってるんだ!?
爆笑どころか、リアクションどころではない。
息を潜ませながら、携帯を持つ手と反対の手をそ~っとその物体に近づけて行く。恐怖と高揚が入り混じり、とにかく心拍数が高く、あるわけないが、心臓破裂してしまうんじゃないかとさえ思えてしまう。
その鼓動のせいか恐怖のせいか、伸ばす手がぷるぷると震える。その生き物に手が届きそうになった瞬間・・・
― え?
物体の姿が消えた。思わず漫画のように目を擦り、同じ場所を凝視するも姿無し。
― え~~~~~~!?何今の!?
狐に摘ままれたような、アニメでも見ているかのような、目の前に起きた一瞬の出来事に思考停止。
鼓動が更に激しく打ち始め、口から心臓が出そうなぐらいドキドキ言っている。これが続いたら自分、死ぬのだろうか、と思う一方で、次第にどうすべきかと自問自答を繰り返し始める。
プツン、と何か自分の中で弾ける音がし、”もうどうせなら”で諦めてなるものかと、すぐに頭を振って気を取り戻し、相変わらず鼓動は煩いが、ギンギンに目を見開き、獲物を狙う動物のように身を潜めて辺りに視線を滑らせる。とにかく視線を滑らせる。只管目を凝らして当たりを探していると、ふと思った。
― ・・・話しかけてしまえ
「ちょっとー、出てきなさいよー。もう見たんだから隠れたって一緒じゃん。ちょっとー、聞こえてん
でしょー」
暗がりの中椅子に座り、携帯を操作しながら携帯の明かりだけで、年季の入った椅子のキコキコという音を立てながら左右に揺らす。我ながら、頭ぶっ飛んだなと思う。
《“聞こえてんでしょー”やてw》
― 来た!めっさ聞こえた!
声のする背中のほうを振り返ると、小さい物体がカラーボックスの上に置いてあるティッシュの箱を蹴っているのがぼんやり見える。
「う・・・うっわー、マジでー!?これ何、マジでーーーーーー!?お、オッサン!?」
好奇心に引っ張られるように椅子から立ち上がり、ティッシュの箱のほうに目をやりながらゆっくり近づく。小人がティッシュの箱を蹴る足を止めてクリっとこちらに顔を向けた。
《何見とんねん》
「喋った!」
一瞬仰け反ってしまったが、再びゆっくり顔を近づけてみる。そのままそのおじさん姿の物体は、またティッシュの箱のほうを向いて両手で交互にパンチし始める。箱に当たる音は聞こえないが、不思議な話、当たっている音が聞こえているような気がする。そこには確かにオッサンみたいな姿の小さい物体がいて、こちらの存在を無視するように一人でパンチを繰り出している。
― こっち見たし、反応したし! これ、随分前に聞いたことある、“小さいオジサン”なんじゃな
い!?いや、喋ったなんて聞いたことないし。小さいオジサンってこっちの存在なんて無視って聞い
たことあるのに、なんであたし見て反応するーーーーー!?
おじさんの姿をした物体は一瞥をくれるが、今度はティッシュの箱を再び蹴り始める。最初は何が起こっているのかが分からずただ見ているだけだったが、次第に自分を無視するおじさん姿の物体にイラっとしてしまい、手を伸ばしてティッシュの箱を取り上げる。
《あ、何すんねん!》
― て言うか、なんで関西弁?
《だから何やねん、邪魔すんなや》
おじさん姿の物体は顔を歪め、仏頂面ですばるを見る。
「小さいオッサン・・・」
《オッサンって何やねん、失礼やな》
― ゲ、意味分かってるとかって、何!?
以前TVで見た“小さいオジサン”の話を思い出し、訝しげに、でも興味深げに小さいオッサンを凝視する。
― いや、何か聞いていたのと違う気がする・・・何かもっとこう・・・キモカワ的扱いだった気がする
んだけど・・・でもこのオッサン、関西弁だし、ぜんっぜんカワイくない・・・
《かわいなくて悪かったな》
目の前にいるのは、聞いていたのとは違い、頭は禿げていなくてボッサボサ、上下緑に白のラインのジャージにスニーカー。いや、よれってる感じは一緒か。
― ジャージって・・・しかも、哀愁なんか漂ってなくて、何、この憎憎しげな顔・・・
《どういう意味やねん!》
「いや、そのまんまだし」
声がするほうに目をやると、小さいオッサンはいつの間にか綿棒を手に持ち、バットの素振りをしている。
― 何なんだこれは・・・
自分の目の前に起こっていることをどう捉えればいいのか。暗がりにぼんやり光る携帯の明かりに照らされる・・・綿棒で素振りをする小さいおじさん。これは夢か現実か。でもどう考えても自分は目が覚めているし、起きている。と言うか、自分がここに存在していること自体が幻なのか?いや、ここは3次元だと信じたい。
《何見とんねん》
― ・・・はあ?いや、見るでしょ、こんなのが目の前にいるんだよ!?
《何や、エラっそうやな。“こんなん”って何やねん、こんなんて。大体な、ワシが見えてるっちゅー
ことは、お前はクソガキっちゅーことやぞ》
― 何だ、その科学的に証明されなさそうなハナシは
《知らん。ワシは聞いたこと言うただけや》
小さいおじさんは笑いながら綿棒を無茶苦茶に振り回している。
《ま、差し詰めワシは“”妖精“的な?》
― “的な”を使うとか、一驚・・・ど~~~~~~いうこと!?
脳の奥からいろんな情報を引っ張り出そうと思考を巡らせている間に、小さいオッサンの姿が消えた。慌てて周りを見渡す。
「あっ!いたたたたたたたっ!」
左のほうから、頭皮に突き刺す痛み。”痛いーーーーーーー!!”と、咄嗟に自分が握ったものが髪の毛だと理解し、髪の毛が引っ張られていることを認識する。人間というものは、危機を感じるとこうやって咄嗟に回避や緩和の動作に出るものなのだな、と関係のないことが一瞬過ぎりつつ、引っ張られている先の辺りを何の確信もなく手の甲で振り払う。
「いーったいってばっ!」
フッと刺すような傷みが消えたので、一応小さいオッサンは手を離したのだろうとは思うが、引っ張られた範囲の頭皮がジンジンじわじわしている。
「ちょっとー!」
《ちょっとした挨拶や 笑》
コンコンコン!
― な、なに!?
「すばるー?何大きい声出してるの?何かあったの?」
― しまった・・・
「いや、何でもない!ちょっ・・・・と・・・・あ、足の小指、ベッドにぶつけちゃって」
「それならいいんだけど」
母親のスリッパの音が小さくなっていくのを息を潜めて確認しながら、その音がすっかり消えてから大きいため息を吐く。
― ん~~~~~~~~~
小さいオッサンを忌々しく思いながらも、この異常事態を理解してもらおうにも、母親に言ったところで信じるとは思えない。いや、自分でもまだ意味が理解出来ていないのに、“変な小さいオッサンがいる”と言ってみたところで、まともに取り合ってはくれず、信じてもらえないことにイラっとくるだけだ。
よし、と頷いて“オッサン出て来い”と念じながら、再び小さいオッサンを探し始める。
《なんや、それは人に頼み事する態度とちゃうんちゃう~ん?てゆーか、わし、ずっとおるけどな》
小さいオッサンの姿は見えず、おちょくったような口調の声だけがする。
― 何かムカつく
「へ~、どこに?ごちゃごちゃ言わないで出てきなさいよ!」
《〝出てきなさいよ!〟やって、知らんや~んw》
「はあ!?」
こっちの言い方を真似しておちょくってくる小さいオッサンに、次第にイライラ度が上昇。
《なあ、何か画面の数字、めっさ増えてんで。大事なだいじ~なお友達様からちゃうん
け》
ハッとし、ライト代わりに使っている携帯の画面を見る。
― あ、ホントだ。って、今それどこじゃないっつーの!
《あれ?大事なだいじ~なお友達様、見んでえ~の~ん?w》
― はあ~~~~~~~~?あんたが出て来なかったらとっくに見てるわ!
《お~お、めんどっくっさ、あ、めんどっくっさ》
― は?
あっちはこっちの姿が見えていて、こっちは姿が見えずに声だけ。不平等だ。理不尽だ。やってられない。気付いたら、ベッドに携帯を放り投げている。
《お、大事な大事な携帯様を投げよりましたな、こりゃ大事件ですなあw》
と、オッサンの声が聞こえたすぐ後に、ガシャン!と複数の物がぶつかり合って倒れる音がし、驚いて音のしたほうに目をやる。イラストを描くカラーペンが、ペン立てごと倒され散らばっている。よく見るとオッサンがペンを跨いだり、ペンの上を平均台のようにバランスを取って歩いている。すばるの視線など視界に入る様子もない。
「ちょっとぉ~、もう何なのよ!」
大きなため息を吐きながらも、取り敢えずオッサンを無視してペン立てを立て直し、カラーペンをガシガシと音を立てて次々入れていく。
《あ~~~~~~、何しょんねん!》
「それはこっちのセリフなんですけど!」
いけない、こんなのを相手にしていては。疲れ過ぎているに違いない、だからヘンな物が見えているのだ、聞こえているのだ、そうに違いない。サッサと片付けて寝るしかない。
片付け終え、携帯の未読をチェックする気にもならず、大きく一つ呼吸をし、携帯に充電器を繋ぐ。
《な~、そこのクソガキぃ》
― 聞こえない、聞こえない、無視、無視。これは夢、幻、錯覚、雨アラレ
《なあ、ガッキーってばよぉ》
― 何だ“ガッキー”って。いや、聞こえない、聞こえない
《ほぉ、無視か。ええ根性しとんな。ま、見とけよ~》
― ふん、な~にが。じゃなくて、無視、無視
《ホントにマジむかつくぅ》
オッサンのふざけた口調にガックリと肩を落とす。脱力と言うか、やや諦め感。ゆっくり顔を上げると、視界の端に見える。入り口の横に置いている、皮の貼られた木の椅子の上でクネクネと体を揺らしているオッサンの姿。恨めしそうに睨みつける・・・というより・・・
― 眠い・・・
携帯の画面を見ると、既に0時半を過ぎている。
― そりゃ夢も見るか・・・いや、面白いネタが出来た、そういうことだ・・・寝よ
眠気で重くなった体を何とか持ち上げ、タオルケットを持ち上げ、ヨロヨロとベッドの中に転げ込む。
暗闇の中、椅子の上でピョンピョン飛び跳ね続ける小さいおじさんの姿を感じたような気がしたが、無視だ、無視、気のせい、気のせい・・・
「ちょっ・・・なっ・・・なっんっだっこっれっはっ・・・(怒)!!」
何時ものように慌しく洗顔を済ませ、姿見の横にあるカラーボックスにある籠から化粧水を取り出そうとした時、目の前の光景に思わず声をあげてしまった。
― な、な、な、何だコレはーーーーーーー!?どういうことだよ、オイっ!!
目の前のカラーボックスの上には、切り刻まれた付け睫毛と思しき残骸がハラハラとばら撒かれている。刻まれてはいるものの、明らかに付け睫毛。見るも無残なその残骸を指で摘まんで持ち上げてみるが、どう見ても付け睫毛。
― ちょっとどーすんのよ、ストックないんですけど!?どう考えてもこれ、あたしじゃないよね!?寝
てたのにさ、夢遊病みたいに起きてやってるわけないよね!?あたしにとっては大事な戦闘服なの
に、無意識でだってこんなことするハズない!この怒り、どうすればいい、この感情!?いや、付け
睫毛!
付け睫毛の残骸を掻き集め、諦め切れないが使い物にならいなら捨てるしかない。この感情をどうしてくれよう?どうしようもない。ゴミ箱を引っ張ってきて、付け睫毛の残骸をサラサラと落としていく。
― アイツしかいない・・・ヤツだ・・・・
「オッサン、あんたでしょ!出てきなさいよぉ!!」
机の上や身の周りを鼻息荒く睨みつけ、イラついている勢いそのままに椅子に座り、脚を組んだ上のほうの足のスリッパを揺らしながら腕組みをし、睨むようにあちらこちらを慌しく目だけで見渡しオッサンを探す。
《“出てきなさいよぉ”やって 笑 何回言うたらわかんねん、わしはずっとここおるっちゅ~~~ね
んw》
声のする方を見ると、机の上の携帯の充電器の線を引っ張っている姿が見える。
「ちょっとヤメてよ!!」
充電器が接続されたままの携帯を勢いよく引っ手繰ると、オッサンの姿がフッと消える。
「あ~~~~~~~~~!どういうつもりよ!」
《はん?何のお話ですのん?》
「はああああ!?このつけまやったの、あんたでしょ!?」
《そうだす~、あてだす~w おお、ワシって潔えぇな~ 笑》
― あ~~~~~~ムッカつくーーーーー!
在らぬ方を向いてクネクネと机の上を歩いているオッサンの姿が目に入り、苛立ちながらも携帯の充電をコンパクトにまとめ、カバンに放り込む。
「すばるー!もうご飯食べないと間に合わないんじゃないのー?」
― は!マジか!も、くっそ!
自分でももう何をやっているのか分からない勢いで、いつものルーティンでスキンケアから着替え・・・
― ど~~~~~するよ、つけま無しとかどうするよ~~~~~!!有り得ないんですけど~~~~!!
と思ったところで無いものは無い。どうすることも出来ず、出来るところまでとにかく超特急でメイクを仕上げ、通学カバンとサイドバッグを抱えキッチンに走る。椅子の足元に無造作にカバン置き椅子に座る。
一口大のおむすびが3つと納豆、卵入りのお味噌汁、胡麻ドレッシングのかかった茹でブロッコリーがお皿の上に並んでいる。先にブロッコリーを幾つか頬張り、急いで咀嚼し飲み込む。終わると同時におむすびを一つ口に放り込み、更にお味噌汁に手を伸ばす。その姿は、大食い選手権鎖ながら。CUには絶対見せられないぐらい悲惨。
「メイクなんかするから時間が掛かるんでしょ~!?って、あら、今日はいつもとメイクが違う」
もの凄い勢いで朝食を捌いていくこちらの顔を覗き込むように見ようとする母親に、食べながら顔を背ける。
― 違うんじゃねーよ、違うんじゃねーよ、ないんだよーーーーー!!
いちいち反応しないで頂きたい。母親は、放っておいて欲しい時に反応をするので鬱陶しい。
「そっちのほうがいいな~。大体、メイクなんかしなくていいのよ、高校生は。今から肌に負担かける
なんて勿体無い」
― 放っておいてくれないかな、マジで
耳を閉じ、もう母親の言葉は入って来ない。3つめのおむすびを食べ終えたところでトドメに残りのお味噌汁を胃の中に流し込む。普段なら大好きな卵とお味噌とのコラボを堪能しながら食べるのに、最悪だ。勢いで食べ終え、椅子の音をガタガタ言わせて立ち上がり、ガチャガチャと食器を重ねてシンクに置き、床からカバンを拾い上げて玄関に走る。
「あ、ちょっと!」
置き忘れたお弁当を母親が持って玄関に来て、靴を履きながら歩いて玄関を開けかけている自分をを呼び止める。
「これ!」
「あ、サンキュ!行ってきます!」
お弁当の包みを引っ手繰り、サイドバッグにねじ込み、エレベーターがすぐには来ないのを確認し階段を駆け下りる。
「もう」
母親は呆れた表情で玄関の鍵を閉め、再びキッチンに戻って行ったことだろう。
朝の小テストを前に、登校するとすぐに勉強を始める生徒もいれば、廊下で談笑する姿もいくつか見られるものの、基本的には教室で何かしら小テストの為にチェックしている姿のほうが多数。
生徒の数が少なくなっている廊下に、鞄とサイドバッグを両手で抱えるようにして、俯き加減で足早に教室に向かう。ああ、気が重い。
“おはよう!”と声を掛けてくる隣のクラスの沙和と遙香に、取り敢えず“おはよう”と返すも、相手に聞こえるか否かが今は重要ではなく、今はとにかく顔を隠してそそくさと教室に向かう。お願いです、見ないで下さい。
教室の前に着き、大きく深呼吸をし、意を決して小さく頷いて教室に入る。自分の席に向かい、机の上にカバンを置く。
“すばるー、おはよー!”と、一緒に単語帳を見ていた真利子、千華、琴子がこちら気付いて駆け寄って来る。真利子は何かに気付き、すぐさま下から顔を覗き込む。
「や、今日、盛りが控えめじゃ~ん」
真利子の声に、千華と琴子も顔を覗き込む。
「ヤダ、なんだすばる、かわいー、珍しいじゃん」
ここは諦めて顔を上げ・・・ああ、ただでさえイケてないこの顔に、確実にイケてない落胆故の八の字眉毛。何とか隠そうと試みるが、掴まったタコが逃げようと悶えているような動きにしか見えない。
「いや~~~~~~、寝坊しちゃって~、ははは~~~~~。しかも、急いで来たから汗ハンパない
し、もうオッサンちっくでヤダ~」
気のせいか、抑揚のない下手な俳優の棒読みみたいになってしまう。
― ホントはあのクソオヤジのせいなんだけど(怒)
オッサンの姿が浮かぶ頭を横に振って振り払い、そそくさとカバンからタオルハンカチと汗拭きシートを取り出す。
「え、別にいーんじゃん?」
「え?や、そっかな~、ははは~。ちょ、トイレ行って来る」
「もうあんま時間ないよ?」
「うん、サッと行って来る!」
何時もは友達と一緒に行きたいトイレも、今は一人で行きたい。こんなにトイレに一人で行きたいと思ったことはないんじゃないだろうか?
― 何か裸見られてるみたいで、すげーヤダ。大体女子って、“そっちのほうがいいって”とか言いなが
ら、ホントは自分よりカワイイのとかイヤなだけだったりするもんなー
「いや、絶対そっちのほうがいいよ。すばるの奥二重、カッコいいのに」
琴子がキョトンとした表情でこちらを見ながら少し首を傾げる。か・・・可愛い。
― キミに言われても、ないぞ説得力。しかし、これまで見てきた感じだと、彼女には自分より可愛いの
がイヤ、というのがあるようには見えない。でもやっぱり説得力ないw
小テストが終わり、漸く朝から続くいろんな意味での緊張が解け、授業が始まるまでの合間、暫しの息抜き。
「え~、パッチリ二重のほうがいいに決まってんじゃん」
少しでも顔を見せたくないから、目を隠せない分、全体だけは凝視されないようタオルハンカチで鼻と口を覆う。マスクして来るべきだった・・・いや、そんな時間はなかった、あの衝撃事件。冷静に考えれば、つけ睫毛がなくてもそれ以外のメイクはできたハズだったのに、衝撃過ぎて時間を失くしてしまった。嗚呼、何と言う・・・
「う~ん、私は奥二重に憧れるもん」
琴子は丸い目にパッチリ二重、少し丸い鼻にポテっとした唇で、色も白く、髪も元々柔らかい栗色で瞳も少し茶色がかっているので、“キレイ”より“可愛い”で、可愛らしいと表現する以外他にないのがピッタリの造形。
「や~、あたしはすばるの言ってんのわかる~。あたしなんてメイク取ったら、目、糸だもん、糸!」
自虐的に、でも笑いに持って行く真利子。スゴい技だと思う。TVで芸人さんがそれをよくやっているのを見るが、それが出来れば楽しい中学生活が送れたのではないか、と不意に思ったりする。
「“糸”って!」
「いや、マジで埋没してるから!」
「埋没wwww」
爆笑。体が仰け反り、手を叩いている自分に気付き、再び慌てて口にタオルを当てる。
真利子は話を広げて笑いを取るのが上手く、それが逆にいき過ぎて疲れる時もあるが、いつも自分がマイナスと感じている部分を笑いに変えてしまうところは本当に羨望。それは自然に身についたものなのか、はたまた努力の賜物なのか・・・天然モノならどうしようもないが、養殖モノならどうしたらそんな技が身につくのかご享受願いたいぐらいだ。
「千華は時間いらなそーだよねー」
「え~、時間かかるってー」
「マジでー?」
「うん、5分はかかる」
「それ、かかってるって言わないし」
「いや、朝の5分は重要」
真利子は千華の肩に手を置き、真顔でうんうんと頷く。
― 5分で済むのかぁ、いいな~、奥二重、十分だよ。あたしの目がぱっちり二重だったら、目がもう少
し大きかったら人生変わってるよな~、絶対
千華は南国系美人のような造形で、奥二重であるも、自分よりも目が大きく、引き込まれそうなアーモンド型の目で、鼻筋は通っていて、ちょっと大人びた雰囲気を持っている。
「あ~、でも終わってる~、つけま切らすとか」
― 切らしたんじゃなくて、あのクソじじいがボロボロにしたせいだけど
「いーじゃん、別にそのままで。もう皆見てるし」
「自分が落ち着かないのー」
「わかるけどー」
教室の戸が開く音がし、自分たちを含めた席についていない生徒達がそそくさと席につく。何となく周りからじろじろ見られている気がして居心地が悪い。いや、居心地が悪いどころか、異世界に来てしまったような気持ち悪さ。嗚呼、早く帰りたい。今すぐ休校にならないだろうか?
サドルから半分腰が浮いた状態でペダルを漕ぎ、人や自転車をガンガン避けながら自転車を走らせる。疲れている時は何時になったら家に着くのか!?と思う帰り道、今日は違う意味で激しく遠く感じる。
やっとの思いでマンションの駐輪場に着いて自転車から飛び降り、早足で駐輪場に自転車を押して行き自転車を停める。
カゴの中のカバンを鷲掴みにし、エレベーターを待てず階段を飛ばし飛ばし駆け上がり、廊下を走りようやく家に辿り着く。鍵、カギ、かぎ!こういう時に限ってすぐに出て来ない。
― くっそ~!!
やっと鍵を取り出し、鍵穴に鍵を差し込んで回す。ただこれだけの簡単な行動さえも”何分かかってんだ!!“と自分を叱責したくなる。やっと鍵が開き、玄関の扉を勢いよく開け、急いで靴を脱ぎスリッパを蹴散らし自分の部屋へ滑り込む。
「出て来い、このクソおやじ!あんたのせいで、もー最悪!どこよ!」
部屋のあちこち見渡すが、オッサンの姿は見えない。
「あー、ムッカっつっくーーーーーー!!」
怒りに任せ、狭い部屋の中の物を除けたり持ち上げたり、ベッドの下や姿見の後ろを覗き込んだり。
― 一日怒りでエネルギーを費やしたこの損失をどうしてくれよう!?みんなと話してても裸でいるみた
いな恥かしさ、あんたに分かるか!?授業中もイライラしてたし、ずーっと一日イライラしてたし、
授業もぜんっぜん耳に入って来なかったわ!見つからない、見つからない、何処だ、何処だ、何処だ
ーーーーー!!
で、力尽きた。そのままベッドに倒れ込む。エネルギーを使い過ぎた。
「くっそ~!!!何なんだよ、あのオッサンーーーーー!!!」
怒りエネルギーは残っているらしく、うつ伏したまま思わず拳でベッドを散々叩きつけるが、再び疲れ果てて暫し静止。
「・・いないなら大歓迎。夢でも幻でもいい、幽霊だったことにでもしてやる、二度と出てくんな、バ
ーーーーーーカ!!」
ベッドカバーにうつ伏して叫ぶと声がくぐもる。自分の声と共に跳ね返る息が熱い。これは力一杯叫んでも近所に聞こえなくなるので、小さい頃からもうこれがスタンダード。しかし疲れた。
― ・・・あ~あ疲れた
外の音や声が聞こえる。ベッドにうつ伏したままじーっとし、外の音で状況を想像する。自分にとっての頭切り替えの手段の一つ。小さい子たちが遊んでいる声、車やバイク、商業車の走る音、鳥やセミの声、音を辿ると絵が出来上がり、嫌なことや考えたくないことがあると自然とこの手段を取る、これも癖だ。
― バイク・・・郵便か?子ども・・・ボールの弾む音・・・セミ・・・まだセミ・・・
「・・・あっつ!!」
飛び起きてみると汗だく。制服のブラウスが体に纏わりついて気持ち悪い、ベタベタだし、顔から髪の中まで気持ち悪い。それに気付かないぐらい怒りが充満していたらしい。エネルギーと体力の消耗に拍車を掛けたであろうこの暑さに気付かないとは、あんな幽霊か何か分からないような物体に右往左往する自分にガックリ。
取り敢えず扇風機のスイッチを入れてベッドに腰掛け、鞄からタオルを取り出して顔の汗を拭い、ブラウスのボタンを上から二つ外して暫し風に当たる。ある意味汗のお陰で涼しい。何だか皮肉だ。
「あー、喉渇いた」
汗が収まって来たところでようやく立ち上がり、導線を塞いでいた無造作に置いた鞄をベッドの上に置き、部屋から出た。
その夜は、それ以降オッサンの姿無し。やっと消えてくれたか?
次の朝、起きるや否や、第二の惨事を目にする。一瞬、何が置いてあるのかも認識できないでいたが、一気に脳を叩き起こして覚醒させ、じーっと目を凝らした。そして、視覚が場面を捉え、事の事態を脳が理解。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!」
声にならない声を上げながらベッドから飛び出て、目の前に起こっている現実を確認。カラーボックスにしがみ付いて、目の前の惨状に膝から崩れる。
カラーボックスの上で、繰り出し型のアイライナーがバラバラ事件。
アイライナーを摘み、バラバラに崩された芯を見つめ呆然とする。アイライナーの外側がなければ、これが何の物体か分からないレベル。まさか、自分がマンガのように膝から崩れる経験をするとは思ってもみなかった。こんなことをしている場合ではないのだが、茫然自失、そのまま動けず。
すると視界の左端に陰を捉えた。素早く視線をやると、寝転がったまま右へ左へ転がっているオッサンの姿。
「ちょっと!」
思わず手を伸ばしたが、フッと消えた。本来ならばそんなこの世のものではないモノが視界に入るだけで恐怖で、それが消えたとなると更なる恐怖を感じるハズだが、もう今は既にその段階にない。ただムカつく。
「何なのよ、あんた!」
怒り心頭で睨み付けならあちこち見渡すと、今度はオッサンがベッドの上でただゴロゴロと転がっている。勢いよく手に持っていたアイライナーの外側を投げつけたが、また姿が消えて、アイライナーの外側はベッドの上で跳ね、空しく向こう側に落ちて行った。余計にイラっとしベッドの上に乗るも姿はなく、振り返ると今度は机の上でスキップをしているオッサンが目に入る。吸い寄せられるように机の上に手を伸ばすが、また姿が消えた。それは差し詰め、ハエとの闘い。
《いやいや、ハエとは失礼やろ》
声だけが聞こえる。
「は?ハエと一緒じゃん!て言うか、ハエのほうがマシ!こんなことしないもん!何なの一体!?何で
こんなことすんのよ!!」
声のするほうに目をやると、オッサンが鞄の上で意味のわからない動きをしている。全く意味が分からない。
「どうしてくれんの、これ」
《どう?“どう”をするとは、何のことでござんしょなあ》
「ふざけんな」
《“ふざ”を蹴んなとは、こりゃまた何のことでござんしょなあw》
溜息。勢いの腰を折られ一瞬ひるむが、腕組みをし擡げた頭を起こし、じりじりと鞄のほうに近寄り、睨みを利かせて顔を近づけていく。
「あのさぁ、あんたと遊んでるヒマないんだけど。あれ、何のつもりよ!」
オッサンは同じ動作を続ける。
《何のつもりもトドノツマリもありまへ~ん》
訳の分からない動きをするのを突然止め、口元に手を持って行き、人間が人に耳打ちする時のような格好をする。慣習とは恐ろしいもので思わず耳を傾ける。
《・・・おもろいから》
「く・・・」
一瞬にして怒りが沸点に達するも、手を伸ばしたところで捕まえられるわけもなく、物を投げても当たるわけではない。この怒りの矛先を何処に向ければいいのか、心身共に激しくストレス。無意識に両手を握り締めた掌に、爪が食い込んで痛い。
《諦め悪いやっちゃなあw》
「はあ?くそオヤジ」
やっと搾り出した言葉がそれだという事実を自分の耳で聞きながら、打撃を与えるほどの言葉を捻り出せない語彙力の無さに顔が歪がむ。
《オッサン??クソガキに言われたおまへんなあw》
「何がクソガキよ、くそオヤジ」
《え?何言うてますのん?ワシが見えるっちゅーことは、オマエがクソガキやー言うたやんw 耳クソ
詰まりすぎなんちゃう?ああ、いややな~、きちゃな~w》
関西弁・・・何を言っているのか明確には分からないが、悪口であることだけはニュアンスで分かる。しかも、オッサンが腰を下ろして後ろに両手をつき、両足の裏で拍手するようにパンパンと叩いている。明らかなる挑発。
《頭回らんで落ちん込んでるとこ何やけど》
「落ち込む?ムカついてんだよ!」
《ツッコミ、はやっ。なかなかやるやん》
「はあ?」
《でな》
「何よ」
オッサンはゆっくりと立ち上がり、にへら~と不気味な笑いを浮かべる。普通に考えれば、この幽霊だか化け物だか意味不明な物体が不気味に笑ったとなったら超絶恐怖なハズなのに、何だこの緊張感の無さは。
《でな》
「だから何よ、早く言いなさいよ」
《・・・遅刻すんで》
言い終わると、オッサンのしてやったり顔。その瞬間姿がフッと消え、我に返り壁かけの時計を見ると、普段朝食を食べ終えてる時間。
― そうだった!今日、お母さん、早く出るって言ってたっ!
「や!ちょっ!あーも、ムッカつくっ!!」
踵を翻し、慌てて洗面所に走る。オッサンが、机の上でカニ歩きをしていることなど知る由もなく。
「あ、すばる、おはよ。また寝坊?」
真利子たち3人が寄って来て目の周りのメイクが施されていないのを見て、真利子が不思議そうに聞く。
「あ、うん、何かちょっとこう・・・最近ちょっと疲れてんのかな~、ハハ」
「すばるがノーメイクなんて今までなかったからさ~、大丈夫―?」
「あ、いや、うん。何て言うか・・・」
― ホント、マジで何て言うかよ、あのクソオヤジ!
「あ、生理痛、生理痛。今までなかったんだけど、生理痛で寝れなくてさ~。お母さんがそうだから、
遺伝かな~」
「え~、生理痛?あったしないから、わかんな~い」
実は自分も生理痛がないので分からない。元々思いつきでの嘘は下手なので、自転車をこいでいる間いろいろ考えて準備をしただけだ。これから毎月“生理痛”である演技は必要なのだろうか。いや、母親も軽い時もあると言っていたから、軽い日もある体で乗り切れろう。
真利子は毎日アイライナーを持参しているので、一時間目が終わったら借りることになった。まさか、小さいオッサンなどという妖だかバケモノだかに壊されたなどと説明したところで、現実味が無さ過ぎて言えない。
― おっと一瞬、イラっとが舞い戻って来た、ヤバイ
本当に申し訳ない、と両手を合わせ真利子を神様仏様とばかりに拝み、頭に浮かんだ疑問をぶつけてみようとフッと顔を上げる。
「ねえ、あのさ・・・小さいオ・・・オジサンって見たことある?」
「ん?見たことないけど、何か聞くよね~、それ」
琴子が軽く頷く。
「あたしもないけど、本とか出てたし、見てみたいけどね~。何か言うじゃん、見た目オッサンで、わ
けわかんないことしてるって」
好奇心旺盛な真利子は、そういった類の話への食らいつきがいい。有難い。但し、本気でワケわかんないことしてるし、最悪だから知らない方がいいかも、と思わずため息をつく。
「でも何で?もしかして見たとか!?」
「あ~・・・の、ちょっと昨日本屋さんでその本見かけてさ~、前もTVでやってたし、ちょっと興味
あってさ~」
「ふ~ん。あたしって霊とかそういうのってホント全く見えないからさ~、“見た”っていう人がちょ
っと羨ましい」
“あのオッサンは見えてもいいことないよ”と、一瞬声に出そうになり、口を噤む。
「でもあれ、霊とかじゃなくて妖精とかって言うよね?」
― え、千華、やめて、信じたくない、信じたくない、あんな妖精なんかいる訳ないし!!
オッサンの妖精って、マジでwwwww、と言いながら膝を叩いて爆笑する千華。
― 千華、その通り。“オッサンの妖精”なんて良く言い過ぎで、有り得ない
「あれってさ~、純粋じゃないと見らんないって聞いたけどさ~、そしたらあたしなんて絶対無理w
全部疑って見るもん、ほら、“事象には必ず理由がある”ってさw」
「それ、あの推理小説の受け売りでしょw」
「え、だってあたしのバイブルの一つだもん」
真利子がその言葉について力説を始める。
― あ、ガキってそーゆことか。素晴らしい、あたしは純粋ってことか、成る程そうか、欣々然
入浴を済ませ、軽くタオルドライしながら携帯を手に取り、椅子に座ってLINKのチェック。何時も気付けば鼻歌。
LINKの待ち受けがCUだから、その画像が目に飛び込んで来るだけでその時の気分の前奏が頭の中に流れ始め、鼻歌の時もあればしっかり歌っている時もある。乗ってくると声が大きくなり、母親からお叱りの声が飛んで来る。まあ、マンションだから仕方ない。
《へったくそ》
― まだいたのかクソオヤジ。ここは放置。あたしは忙しいのだ
鼻歌を歌いながらLINKのチェックを継続。
《耳障りやな~》
一瞬ムッとするも、ここで構うと無駄な時間を費やすこととなる。とにかくスルーし、自分のペースを維持。
《歌ならともかく、鼻歌で下手ってどない~》
オッサンの言葉に一瞬イラっとし、辺りを見渡しかけたが、すぐに携帯に目をやり気付かないフリを決め込む。落ち着け自分、気にするな自分、ハエが飛んでいるだけだと思えば・・・・・
《ブンブッブブン ドゥンドゥッドゥドゥン アッ ツクツクタンタッ ブンブブン タッ タタッタ
ブブブン タタッ ブブン ツクツクツクツク ブブンッタタ》
「うるさいっ!!」
只管続くオッサンの声に、LINKのチェックを挫折。辺りを見渡すと、ゴミ箱の側面を叩いてリズムを取りながら、レゲエ音楽のように揺れている。ああ、ウザイ・・・
「そうそう、ねえオッサン、オッサンが見えるのは、“ガキ”だからじゃなくて、“純粋”だからなん
だってー、やっぱりね~、そうだよね~、キャハ」
― フフン
《純粋?純粋て何ですのん?》
「は?純粋も知らないの?バッカじゃないの~」
ブンブブンと体を揺らしながらゴミ箱を叩き続けているオッサン。
― 聞こえてるクセに
と、オッサンの動きがピタっと止まり、くるっとこちらに顔を向けるように見上げる。これが小動物なら可愛いはずが、“癇に障る”とはこのことだ。
《“純粋”ぐらい知っとるわ。ハゲとんかっちゅーねん。てゆーか、オマエが純粋なワケないやろ、ア
ホけw そういうオマエは、“アヤアガン”って知ってるんか?》
「は?」
《“ムチモウマイ”はや?》
「ムチモウマイ?」
《“ヒップヒップ”はよ?》
「はあ?」
《え~、こんなんも知らないの?バッカじゃないの~wwwww》
口を歪め、こっちの口調を真似しながらサルのような動きでチョロチョロしているオッサンの姿が、とにかく気分を逆撫でする。“ムチ”の時点で、恐らく“無知”を意味するのだろうと推測すると、全て悪口でしかないだろう。しかし、明確な意味を知らない、悔しいが。そこまで広く深く勉強していない。痛恨の極み。
《ま、しっかりお勉強しよしw》
「うるさいっ!!」
いや、いかん、ペースに乗ったら。顔に出すまい、感情を出すまいと心頭滅却に徹する。オッサンは無表情のままツーステップでバックし、机と壁の間に入って行き、姿が消えた。
― 何かもう・・・ただ只管ムカつく(怒)
何か言い返してやろうと目を凝らして姿を探すが何処にも見当たらず、怒りを押し殺すことで頭いっぱい。結局、言い返す言葉が全く頭に浮かばずギブアップ。取り敢えず深呼吸。
― フン、別にダメージなんか食らってないし。あ~あ、面倒くさっ
オッサン探しを諦め、LINKのチェックを始める。LINKを見て、既に真利子たちとのグループトークが12溜まっていることに気付き、慌ててトークを前から読むが、既に終わって数十分経っている。
別のグループトークを見るとまだ会話は進行中で、会話の数が次々増えていく。CUのファン繋がりの方だ。
実は、自分が参加していない間にトークが進むと、自分が除け者になったような気分になるものの、反面、そのトーク内容に興味がない時は参加し切れないことに疎外感を感じてしまう。自分でも矛盾しているなとは思うが、事実だから仕方がない。
ポップアップで見える会話が、誰かの悪口を言って明らか楽しんでいるので、こういう時は入りたくない。もしかしたら、自分を外した3人のアカウントとかがあるかも、と思うことも無きにしも非ずだし、CUの大事な情報が自分にだけ流れて来ていないのではないか、という不安も何時も付き纏っている。
しかし、同じ高校生なのに、こんなに話す内容に差があるのかと思ってしまう。真利子、千華、琴子の会話の内容は、古典の“オモシロ活用記憶法”と題した動画だったが、ファン友の方はファンの誰かの悪口。
でも、ファン友の方は、ナンダカンダ言って自分では入手できない情報を教えてくれる貴重な場所。ここは棲み分けが必要。本当はそういうことが激しく苦手なのに、背に腹は変えられず何とかしがみ付いている。少しだけ自己嫌悪。そういう自分が嫌で、心機一転を図って今の高校選んだハズだったのに、学校だけなら・・・知らない自分が嫌で、その呪縛から逃れられない自分がいる。
― あ、そう言えば“アヤアガン”って・・・
今はそこについては考えず、オッサンへのリベンンジが先だ。アヤアガン、アヤアガン・・・何だかWiFiの繋がりが悪い!
次の朝、また買っておいた付け睫毛は無残に切り刻まれていて、アイライナーはリキッド、ペンシル関係なく使用不可の状態にされていて、数日同じバトルが繰り返され・・・結局敢え無く挫折。付け睫毛は諦め、アイライナーだけ学校の机の中にストックし、余裕を持って登校してトイレで毎日描いている。
「あんのクソオヤジ~~~~~!」
さて、これを記憶が変わらないようにどうまとめるか・・・まあ、文才はなくても、メモ的に残すことは出来るはず。
あ、そう言えばあの“アヤアガン”は後で調べたら“阿爺下頷”で、“分別のつかない愚か者”だった。おのれ、忘れてなるものか、クソオヤジ!思い出したらまたムカついてきた!!