5.レクシアの力
「でも、上に行くってどうすればいいのかな……」
レクシアはそう呟いて、空を見上げた。
しかし、望んだ太陽の光は見えない――いや、今がそもそも日中なのかも分からなかった。落下してから、どれくらい眠っていたのだろう。
どのみち、ここには月明りも届くようなことはない。
「道なりにいけば上にいける」
「そうなの? 道なりって……」
「こっち。ついてきて」
ルッキネスに促されて、レクシアは彼女の後についていく。
薄暗い奈落の底で、聞こえるのは不気味な声ばかりだ。
『オオオ、オオ、オオオオ、オオ……』
『ギ、グググ、グシュ、ギグ』
「……っ」
レクシアは身震いをする。
上にいた時ですら、レクシアには負担だった。
それなのに、今は奈落の底にて、まるですぐ近くで助けを求めるかのような声が延々と聞こえてくるのだ。
だが、ルッキネスは全く気にする様子もない――彼女は、何も感じないのだろうか。
「ねえ、ルッキネス」
「なに?」
「この声、あなたは怖くないの?」
「声?」
「さっきから、聞こえてきているよね?」
「もしかして、『オオ』みたいなのとか?」
「そ、そう、それ」
「別に怖くないよ。それと、これは声じゃないよ」
「……? 声、じゃない?」
レクシアの問いかけに、ルッキネスがこくりと頷く。
「うん。これは植物が発している音だよ」
「え、植物が、これを……!?」
それはレクシアにとって、衝撃的な事実であった。否、おそらくは人々にとって衝撃的なことだろう。
《嘆きのコルセスタ》と呼ばれる由縁でもあるこの声の正体は――植物が発しているというのだから。
「どうして植物が……?」
「そこまでは知らない。『人の声』の真似をしているらしいから、おびき寄せようとしてるのかも」
「そ、そうなんだ」
むしろ近寄りがたい雰囲気すら感じてしまう。だが、声の正体が植物であると分かると、幾分か恐怖は和らいでいた。
一番の恐怖は――ここがあまりに未知の領域であるということからきている。
レクシアにとっては、前を歩くルッキネスが急に頼り甲斐のある存在に感じられた。
(ルッキネスがいてくれたから、《クシュナ》も倒せたし……)
ふと、レクシアは先ほどの戦いを思い出す。
それは戦いとは、言えなかったのかもしれない。レクシアが放った一撃によって、クシュナは全て口刺しとなった。
『ブラッディ・ニードル』――剣となったルッキネスを使った時に、頭の中に流れ込んできた言葉。そして、レクシアはそれを自身の技のように扱った。
自然と身体に流れる魔力を使って、レクシアは自身の知らない魔法を使ったのだ。
――レクシアには、回復魔法を使う以外の才能は、ほとんどなかったはずなのに、だ。それに、もう一つ気がかりなことがあった。
「あの、傷のこと、なんだけど……」
「傷?」
「う、うん。私がここに落ちてきた時、すごい怪我をしていて……でも、今は治っているの。どうしてか、ルッキネスは分かる?」
回復魔法を使っていないはずなのに、気付けば普通に歩けるようになっていた。
レクシア自身、色々なことが起こりすぎて確認するのが遅れてしまった。
明らかに、普通の出来事ではない。
「それはレクシアの力の一つ」
「私の……?」
「そう。レクシアは『血』を武器する。それはもう分かってるよね? 血は当然、貴女の身体に流れているものだから、攻撃にも防御にも――そして、回復にも使える」
「か、回復って……だって、死にそうだったのに?」
「わたしと一緒にいれば、レクシアが死ぬことはないよ」
「え? どういう――」
『ギギギギギギギギギギギギギギギ』
「……!」
レクシアの言葉を遮るようにして聞こえてきたのは、劈くような鳴き声だった。周囲から聞こえてくる声とは違う――今度は、紛れもなく魔物のものだ。
すると、ルッキネスがレクシアの傍に近寄り、
「口で説明するより、実戦の方が分かりやすいよね。レクシア――わたしはあなたの力になる」
そう言って、彼女は紫の光に包まれ、その姿を剣へと変えた。
レクシアは、剣となったルッキネスを手に握る。
「じ、実戦って……」
『来るよ』
「――っ!」
『ギギギギギギギギギギギギギギギギギギ』
ルッキネスの言葉と共に、『それ』は姿を現した。否、すでに攻撃を仕掛けられている。
レクシアの目の前に迫るのは、巨大な刃。咄嗟に剣を構えて、レクシアはその一撃を防ごうとする。すると、目の前に『赤色の壁』が姿を現し、巨大な刃を止める。
「! こ、これって……」
『レクシアが防いだんだよ』
「わ、私がこれを……?」
『そう、分かるよね?』
ルッキネスの言葉に、レクシアは頷く。
『ブラッディ・ウォール』――自らの血液を消費して、血を凝固させて壁を作り出したのだ。
当然、レクシアの体内に流れる血液だけで全てを賄えるわけではない。
レクシアの血を混ぜた土が、壁となって目の前に現れたのだ。見れば、レクシアが握るルッキネスの柄から、出血があった。
手のひらから、ルッキネスはレクシアの血を得ているようだ。
『ギギギギギギギギ』
一撃を防がれたためか、『本体』が姿を現す。
細く白い骨のようなものが連なり、四本の脚で大地に立つ。
その顔もまた小さいが、鋭い牙が二本、生えているのが分かった。
レクシアはその魔物を見たことはなかったが、例えるのであればカマキリだ。
もう一本の腕を、カマキリの魔物は大きく振り上げる。
『ちょうどいい。レクシア、こいつで試そう』
「試すって……? ど、どうしたらいいの?」
『動かないで。そのままで』
「……!? そ、そんなこと――がっ!?」
ルッキネスの言葉に抗議する前に、振り下ろされた鋭い刃によって、レクシアの身体は吹き飛ばされる。
直撃しなかったのは、先ほど作り出した『ブラッディ・ウォール』が防いでくれたからだ。
だが、華奢な身体のレクシアは軽々と吹き飛ばされて、地面を転がっていく。
全身に走るのは、激しい痛みだ。
「ぐ、うううぅ……! い、痛い……っ」
『大丈夫だよ、レクシア』
「だ、大丈夫って……すごく、痛いよ……!」
『その痛みが、あなたの力なんだよ。さあ、立ち上がって』
「そ、そんなの……」
無理に決まっている。そう答えようとしたのに、レクシアの身体は痛みに反して――むしろ軽快に動くことができた。
「あれ、なんで……? もう、痛く、ない……?」
怪我はまだしているはずなのに、痛みは消失していた。
代わりに、ルッキネスの紫色の輝きが強くなっていく。
『あなたの痛みをわたしが吸収した』
「痛み、を……?」
『そう。傷もすぐに治る――そして、吸収した痛みは、わたしの魔力に変換される。それを使えば……』
「……もっと強い、攻撃ができる」
ルッキネスの言葉に続くように、レクシアは呟いた。
カマキリの魔物が、今度は両腕を振り上げる――鋭い刃がレクシアへと振り下ろされようとしていた。
だが、それよりも早く、レクシアは剣を振るった。
「『ブラッディ・ブレード』」
サンッと小気味のいい音が周囲に響く。
レクシアの剣から放たれたのは、『血液の刃』。
真っ直ぐ飛んだその刃は、カマキリの魔物の両腕と首を撥ね飛ばし、周囲に生える木々や岩壁も簡単に切断した。
その光景に一番驚いていたのは、レクシアであった。
「こ、これって……」
『ね? 実戦が一番早い』
「すごい……すごすぎて、どう、言ったらいいのか……」
『驚くことはないよ。これがレクシアの力だから』
「私、の……?」
『うん、そうだよ。この周辺には、まだたくさん魔物がいる。だから、これから少しずつ慣らしていこう?』
ルッキネスの言葉通りに、気付けばすぐ近くに魔物の気配があった。
レクシアはまだ自身の力を受け入れ切れていない――だが、状況は待ってくれなかった。
奈落での、強制的な『修行』が始まったのであった。