4.当面の目的
光の届かぬ奈落の底で、レクシアは生き延びてしまった。いや、生き延びたと言うにはまだ早いのかもしれない。
なんとか、隠れられる場所を見つけて、レクシアはルッキネスと共に身を潜めていた。
紫色に輝く鉱石が、周囲を照らしてくれるだけで、暗いことには変わらない。
身体の痛みは、気付けば完全になくなっていた。先ほどまでは歩くことも、話すことすらも満足にできなかったはずなのに、完全に元に戻っている。自身で治療をしたわけでもないのに、だ。
レクシアは、目の前にちょこんと座る少女――ルッキネスを改めて視認する。
彼女は剣の姿ではない時は、服を着ていない状態の女の子だ。誰もいない奈落の底とはいえ、さすがに裸のまま連れ歩くのは気が引ける。
故に、レクシアは自身の羽織っていたローブをルッキネスに渡した。
今は、それに身を包んで素肌を隠している。
「どうしたの? レクシア、わたしのことをそんなに見て」
「! う、ううん、なんでも、ない。えっと、ルッキネスは……ずっと、ここにいたの?」
「うん、たぶん」
「たぶんって……」
「ずっとね、夢を見てたの」
「夢……?」
「そう、夢」
レクシアの言葉にルッキネスは立ち上がり、答える。
「暗くて、ずっと一人で、寒いところにいる夢。本当に、長い間一人だった気がする」
「一人……」
――サミ、シイ……。
レクシアは先ほど聞こえた声を思い出していた。
あれはルッキネスが発していたものだが、あの時はまだ意識がはっきりとしていたわけではないらしい。
本当にこんな地下深くに一人でいたのなら、『寂しい』の一言では済まないはずだ。
レクシアは同情しつつも、もう一つ気になっていることを尋ねる。
「ルッキネスは……さっき言っていたけど、『哭猫のルッキネス』、なんだよね?」
「? こく、びょう? なにそれ?」
「え……? あ、そっか。わたし達が、勝手に呼んでいる名前だもんね……」
レクシアは首をかしげる彼女に対して、一人納得する。
ルッキネスというのは、彼女の名前であることに違いないだろう。だが、『哭猫』というのは、あくまで人間達が付けた名前に過ぎないということだ。
(あれ……? でも、それだとルッキネスっていう名前も――)
「ねえ、レクシア」
「! な、なに?」
「レクシアはこれからどうするの?」
「どうするって……あ」
ルッキネスに問われて、レクシアは再び現実に直面する。
ここは未開拓の奈落の底――誰も、助けになど来るはずはない。
それに、レクシアは仲間に捨てられて、ここに落とされたのだ。膝を抱えて、蹲るようにレクシアは黙ってしまう。
メクウだって、レクシアのことは不要だと言っていた。今更、レクシアがいなくなったとして――探しに来ることはないのかもしれない。
「レクシア?」
「……どうしたらいいのか、私にも分からないの」
「どうして?」
「どうしてって……私、仲間に捨てられて、ここに、落とされた、から……」
ルッキネスに問われて、歯切れ悪く答えた。
帰る場所なんてないし、どうやってここから戻ればいいのかも分からない。
生き延びたのではなく、レクシアはただ死にそびれただけなのかもしれない。
「仲間……レクシアは友達に捨てられたの?」
「友達っていうか、同じ冒険者仲間、に。友達も、一緒だったけど……」
「そうなんだ。その子も、レクシアのことを捨てたの?」
「それは、分からない。でも、もう、いいよ。ここから戻る方法だって分からないし……」
「戻るって、上に?」
「うん、すごく深いところまで来ていると思うんだけど……」
「んー、わたしもここがどれくらい深いのか分からないけど、戻るなら上に行くだけでいいんだよね? レクシアが戻りたいのなら、上っていこうよ」
ルッキネスに言われて、レクシアは目を丸くする。だが、すぐに俯いて首を横に振った。
「無理、だよ。さっきの《クシュナ》だって、本当は私一人じゃ、倒せなかったんだから」
レクシア一人では、この付近にいる魔物は一体でも倒すことは難しいだろう。
レクシアに攻撃手段などなく、常に守られるだけの存在だったのだから。
今思えば、そんなレクシアの存在を許容してくれていただけ、パーティメンバーは優しかったのかもしれない。
「今はわたしがいるよ」
「……え?」
塞ぎ込むレクシアに対して、ルッキネスは手を差し伸べる。
「わたしがいれば、あんなの敵じゃないよ。言ったでしょ? あれはわたしの力だけじゃない――レクシアの力でもあるんだから」
「で、でも――」
「じゃあ、レクシアはずっとここにいたい? わたしは別に、レクシアがいてくれるならここでもいいよ」
「!」
レクシアは、再び声を詰まらせる。
ここにいたいはずがない――けれど、どこに行けばいいかも分からない。
(だって、私は……)
――メクウの役に立ちたかった。彼女が必要としてくれたのが、最初は嬉しかったのだ。
だから、足手まといになるのかもしれないと分かりながら、レクシアはメクウの求めに応じた。
友達として、《勇者》と呼ばれる彼女を支えたかったからだ。
(……あ)
そこでレクシアは、また一つの事実に気付く。
目の前にいるのは魔物の王――ルッキネスだ。
レクシアを含めた冒険者が探し求め、討伐しようとしている人類の敵の一体。
だが、彼女はレクシアに敵意を見せず、どころか一緒にいたいとまで言ってくれている。
もしも、そのルッキネスが協力してくれるというのなら……世界を救うことだって、できるかもしれない。
(でも、私にそんなこと……それに、仮に戻れたとしても、なんて言えばいいのか……)
レクシアには、戻れたとしてもどう彼女のことを説明していいのか分からなかった。
彼女がルッキネスであるのならば、多くの人間を殺してきた敵であることには違いないのだ。
今はレクシアに協力してくれているとはいえ、簡単に受け入れてくれるとは思えない。
「レクシア」
再び、ルッキネスに名前を呼ばれて、レクシアは顔を上げる。
彼女は真っ直ぐ、レクシアを見据えていた。
「レクシアはどうしたいの? わたしはレクシアを主だと認めた。だから、レクシアがどうしたいか聞かせてほしいの」
「私が、どうしたいか……」
そんなこと、すぐには答えられない。
けれど、否定することはできた。
「ここには、いたくない」
「じゃあ、決まり。レクシア、ここから出て上に行こう」
ルッキネスの言葉に、レクシアは頷いた。
当面の目的は――この奈落の底から抜け出すことから始めることだ。