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3.魔物の王

 ――どれほど長く、落ちていったのだろう。

 レクシアは、目を覚ました。いや、覚ましてしまったというのが正しいのかもしれない。


「……っ、う、あ」


 あげられるのは、うめき声だった。

 落ちて即死していれば、まだ幸せだったのかもしれない。

 ズキズキと、全身が痛む。身体はあらぬ方向へと曲がっていて、骨が内蔵に突き刺さっているのか身体の奥で鈍痛が続く。

 痛い、痛い、痛い――ただ、その感覚が永遠に続いた。

 けれど、それを訴えることすらも苦痛でできない。

 太陽の光も射すことがないほどの奈落で、聞こえてくるのは『声』だった。


『オ、オオオオ、オオオオオ、オオオオオオ――』

『あ、アアあ、アア、ア、ア、ア――』

『イ、ギギギヒ、クギギヒ……』

「う、え、う……!」


 痛い、怖い、嫌だ――心の中に様々な感情が渦巻く。

 思い出すのは、自分が突き落とされたという事実と、友達に必要とされていなかったという事実。


(なんで、私、生きてるんだろう……)


 このまま落下して死んでいれば、どれほど楽だっただろうか。痛みで動けず、心の中に残るは捨てられたという絶望だけ。

 こんな奈落の場所に、メクウが来るはずはない。

 そもそも、メクウにとってレクシアはいらない存在だったのだから。


『オ、オオオオオ、オオオオオ――』

「う、ぐぅ、うぅ……」


 レクシアもまた、奈落の底で聞こえる声と同じように、うめき声をあげる他なかった。

 慟哭――もはや地上に戻ることもできず、レクシアはただ死を待つ存在。

 痛みだけがずっと続いて、動けない身体のままに、ただ魔物が巡回してくるのを待つだけだ。

 あるいは、出血によって死ぬことになるかもしれない。


(でも、もう、いいや……)


 助からないと分かっているからこそ、レクシアはひどく冷静になれた。

 ただ、今はすぐに楽になりたい……そんな気持ちしかない。

 聞こえてくるのは、同じような嘆きの『声』ばかりだ。


『オ、オオオオ、オオオ、オオ、オオオオ……』

『サミ、シイ……』

『オオオオオオ、オオオ……』

「……?」


 一瞬、聞き間違いかと思った。

 同じようにしか聞こえてこない呻き声の中に、『人の声』が混じっている。

 そんなはずはないのに、少女のような声がレクシアには聞こえたのだ。


(幻聴が聞こえるくらいなら、私ももう終わり――)

『ダレ、か、いるの?』

「……!」


 今度は、はっきりと聞こえた。

 こんな奈落の底で、少女の声がはっきりと聞こえたのだ。

 レクシアは、痛む身体を翻して、地面を這うように進む。

 自分の血で濡れた地面の上を引きずりながら、ズルズルと無理やり動き始めた。

 先ほどまでは全く動けないと思っていた身体が、どうしてか少し動くようになっている。

 痛みはそのままに、けれどどうしてか……その声がどうしても気になってしまう。

 ずるり、ずるりとレクシアは地面を這い続ける。――どれくらい進んだだろうか。

 やがて、レクシアは太陽の光の届かぬ暗闇で、紫色の光輝くそれを見た。


「け、ん……?」


 岩に突き刺さる、紫色の輝きを持つ直剣。

 こんなところに剣があるなんて――そう思ったが、ここは以前に人が住んでいた可能性のある地域であることを思い出す。

 ここにその痕跡があることは何ら不思議ではなかった。

 つまり、あの剣はかつてここに住んでいた人の物――


『あなた、誰?』

「え、けん、が……はなしてる、の?」


 満足に動かない口で、その事実に驚く。

 幻聴でもなんでもなく、その声は確かに紫の剣から聞こえていた。


『人だ、人だ、久しぶりの人……誰?』

「れく、しあ」

『レクシア、覚えた。レクシアは、わたしの主になってくれる?』

「ある、じ……?」


 剣の問いかけに、レクシアは首をかしげる。

 何を言っているのか理解できない――けれど、レクシアは気付けばその剣の傍に寄っていた。

 動かなかったはずの身体で、力なく剣に触れる。頭の中に響くように、声が聞こえた。


『レクシア、あなたは、わたしの主』

「あな、た、は……?」

『わたしは――』


 不意に、紫の光が強く輝きを放つと、そこに現れたのは、一人の少女だった。

 一糸纏わぬ姿で、紫色の髪色をした少女。猫のような耳に尻尾を生やした少女は、愛おしそうにしながらレクシアの血で濡れた唇に、自らの唇で触れる。


「――」


 突然のことで、レクシアの思考がフリーズする。

 何もかも理解が追い付かない。剣が話したかと思えば少女が現れて、その上口づけまで交わしたのだから。

 レクシアの血液で赤く染まった口を少女は舐めとり、無表情のまま告げる。


「わたしは、ルッキネス。よろしくね、レクシア」


 ――その名を奈落の底で聞くことになるとは、レクシアも想像していなかった。

 仲間に見捨てられた少女が出会ったのは、この世界を支配する魔物と同じ名前の少女だったのだから。


「る、きねす……!?」


 うまく回らない舌で、レクシアはその言葉を繰り返す。――人類の敵であり、人々が住むことができる地を汚染していく《魔物の王》。その一体が、《哭猫のルッキネス》だ。

 だが、少女の姿は伝わっているものとは似ても似つかない。

 五年前に魔法によって水晶に《念写》された姿は、漆黒の毛並みを持つ三つ目の猫だった。

 三つの赤い瞳を持つ姿が、数十メートルほど離れたところに映っている姿を確認している。――その水晶を使用したパーティは残らずに全滅してしまったが。そもそも、彼女は先ほどまで剣であった。


(そ、それに、いま、キス……? な、なんで……)


 レクシアはまるで理解が追い付かない……その時、


『クゥルルルルルル――』

「……っ!」


 周囲から特徴的な、高音が耳に届く。それは奈落の底で聞こえるうめき声とはまるで違う。レクシアも何度か、聞いたことのある声だ。


「く、しゅな……!」


 その魔物は、《クシュナ》と言った。見た目は数十センチほどの小さな虫。特徴的な鳴き声を持つ彼らは、群れで行動する。一体一体の戦闘力はそれほど高くはないが、群れは数十匹から数百匹で行動をする。――そして、彼らは『肉食』なのである。

 レクシアから流れ出る血の匂いで、クシュナが集まってきたのだ。彼らの鳴き声が、奈落の底に響き渡る。


『クゥルルル』

『クゥル』

『クゥルルルルル――』

「あ、う……!」


 レクシアには対抗する術はない――そもそも、生きているのも不思議なくらいだ。

 けれど、レクシアは本能的に目の前にいる少女、ルッキネスを庇うような仕草を見せた。……名前は同じでも、見た目は少女。そして、意思疎通もできる彼女を、レクシアは放っておけなかった。ルッキネスに触れた瞬間、


「いいよ、レクシアが望むなら」

「え……?」


 彼女の身体は紫色に輝き、再び《剣》の姿になる。それは、レクシアの手中へと納まった。

 すでに身体に力は入らないのに、剣となったルッキネスは見た目に反してどこまでも軽く、持ち上げることもできた。


『レクシア、わたしはあなたの力になる』

「ちから、って……そんなこと、いわれ、ても」

『もう、あなたも分かっているはず。『痛み』は、あなたの力』


 動揺するレクシアに、ルッキネスは言い放つ。

 脳内に流れる、レクシアの知らない情報。自らが使えるはずのなかった力を、レクシアは行使した。


「『ぶらっでぃ・にー、どる』」


 たどたどしく、レクシアはその言葉を言い放つ。

 彼女が這ったことによってできた血液の道が、落ちた場所にあった血液が――バシュンッと針の形になって周囲に飛び散る。

 無数の血液の針は、暗がりに潜むクシュナ達の身体を貫いた。鈍い音が周囲に鳴り響き、小さな断末魔が木霊する。


「こ、これって……」

『これが、レクシアの力だよ』


 レクシアの赤い血に交じって、クシュナの青い血が周囲に滴り落ちる。奈落の底で――少女は《力》を手に入れた。

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