80話 九尾の葛藤
ケンタウロスの出産の対応を終え、私は病院の中にある、私の部屋へと戻った。大動物の治療は体力勝負である。すっかり疲れ切ってしまった私は、自室に戻るとすぐになにをするでもなくベッドへと飛び込んだ。
天井を見上げてぼーっとしていると、今日の出来事を思い出した。新しく生命が誕生した瞬間に立ち会えたという感動、それは何事にも形容できないような経験である。
「無事に生まれて良かったなあ……」
独り言を呟くと、サクヤが私に話しかけてきた。
――そちがいきなり手を突っ込んだときは驚いたわい
「上手く行くかはわからなかったけどね……時間との勝負だから、ためらっていても仕方無いし」
――それにしても、感動するものじゃな。新たな生命の誕生というものは……そちもいずれ子を産むときが来るのかのう……その時が楽しみじゃな
「えっ……」
サクヤの言葉に思考が止まる。私が子を産む……理解が追いつかなかった。
――何を驚いておる。そちは九尾になったのじゃ。九尾の血をわらわ達の代で絶やすというのは困るじゃろ
冷静に整理しよう。私は九尾になった。そして、サクヤの憑依の力で女の子になった。うん。ここまでは大丈夫だ。問題はその先である。
「まって、サクヤじゃなくて、私……?」
すると、サクヤは拍子抜けした声で、答えを返してきた。
――それはそうじゃろう、そちの体じゃぞ、そち以外に誰がいると言うのじゃ?
「いやいや、その時はサクヤさんに……っていうのは……」
――どちらにしても、わらわはそんなに長くそちの体を借りられると言うわけじゃないからな、難しいと思うぞ
サクヤは少し笑いながら、私に言ってきた。まって、まって。じゃあ、リンドヴルムと仮に結婚するとしたなら……
うん、無理だな……べつに、リンドヴルムだから無理とかじゃなくて……心の準備にはもう少し時間がかかるよ。うん、無理です。
――ちょうどタイミング良く、おぬしも『ぷろぽーず』を受けているじゃろ。どうじゃ、イーナよ
「絶対無理」
――なんじゃ、なかなかに素直で、顔も整っているし、強さも申し分ない。好条件だと思ったがのう……
サクヤは残念そうに呟いた。私は慌ててフォローするように、サクヤに言葉を返した。
「べつに、リンドヴルムが嫌とかじゃないけど……」
――おっならば、そちも対象外というわけではないのじゃな!
サクヤは私の言葉に、声色を上げて尋ねてきた。近所のおばさんかと突っ込みそうになったが、その言葉はなんとか引っ込める。
「誰だから良いとか嫌とかじゃなくて!今は忙しいし!今度ゆっくり考えるよ!」
――楽しみにしておくわ
私は灯りを消して、真っ暗になったベッドの上で、宙を眺めながら、先ほどの話題の続きを考えていた。
サクヤはいずれ次なる世代を産むことを望んでいる。そして、それは妖狐にとって同じことであろう。何年か、何十年か先になるかは分からないが、私は九尾になった以上、そうしなければならないのであろう。
もうすっかりこの体にも慣れた。男であったときの感覚を思い出せなくなってきているのは確かである。だけど、だからといって、男と恋愛なんて、無理に決まっている。
そうなれば、恋愛ではない、結婚をする? そういうことを一切無視して、結婚相手の条件で言うなら、リンドヴルムはべつに悪い条件ではない。性格が無理というわけでもないし。
そんな事を考えていると、私の脳裏からリンドヴルムの顔が離れなくなってしまった。目を瞑っても、目を開けても、リンドヴルムのことを考えてしまう。寝ようと必死になるも、頭から離れない。
――それは恋じゃな
「違う!」
サクヤの言葉に、私は即座に叫んだ。男に恋だなんてあり得ない。あり得ないに決まっている。
――何故じゃイーナよ。何故男に恋をすることをそんなに拒絶するのじゃ?誰かを好きになるというのは自然の摂理じゃろうて
「だって、今でこそ九尾になったけど、元々は男だよ」
――それの何が問題なのじゃ。昔はそうであったかもしれんが、今、イーナはイーナであろう。誰と好き合っても問題は無かろう。
「そんなもんなのかな」
――今すぐにと言う話でもあるまい。ゆっくり考えればいいのじゃ。そのうち、誰かを好きになると言う時もくるじゃろ。もちろん今でも大歓迎じゃ!
「うるさい、もう寝る」
サクヤの言葉をシャットアウトするように、私は布団を被って、目を瞑った。それから、しばらくは寝られなかったのは言うまでもない。




