79話 母なる海に抱かれて
「イーナ!大変だ!ケンタウロスの母親が難産だ!」
いつものように新生リラクリニックで診察をしていた私の元に、シナツが飛んできた。新しく街に移住してきたケンタウロスの一家。子供が生まれるのを機に、平和に暮らせる場所を探してきたとのことだった。
私達はその知らせを聞いた後、すぐに準備を始めた。難産が長引くと、最悪、子供が窒息死してしまう危険がある。せっかく来てくれたというのに、みすみす何も出来ないなんて、それこそ獣医師の名折れである。
「イーナちゃん!ケンタウロスさんの難産……なんて診たことないですよね……?」
ナーシェが不安そうな表情を浮かべて、こちらに聞いてくる。正直私だって不安だ。診た事なんてもちろん無い。
「そうだけど、そうも言ってられない状況だし、とりあえず行こう!行けば何とかなるきっと!」
すると、私達の病院に滞在していたリンドヴルムが話を聞きつけたのか、準備に慌ただしくしているこちらの様子をうかがいながら、声をかけてきた。
「俺も行く!荷物運びくらいなら出来るぞ!イーナ達の助けになりたい!」
「分かった!ありがとう!助かる!」
そう言うと、リンドヴルムはなんだか嬉しそうな表情を浮かべながら、気合いを入れるように声を出し、準備していた荷物を背負ってくれた。
シナツの案内で、私とルカ、ナーシェ、そしてリンドヴルムはケンタウロスの元へと急いだ。
現場に着くと、ケンタウロスの母親は激しい陣痛に襲われ、すっかり動けないようであった。父親がそばで心配そうな様子を浮かべ、必死に励ましていたが、私達が到着したことに気づくやいなや、こちらへと駆け寄ってきた。
「イーナ様!妻が!突然、陣痛が始まったのですが、時間が経っても、ずっと生まれる気配がなくて……」
「分かりました!すぐに診ます!」
そう言って、母親の元へと駆け寄った。
「お母さん、大丈夫!?」
私がそう聞くと、母親は息を切らしながら苦しそうな声を上げる。
「先生、この子を……この子だけは助けてください!」
「すぐに処置を行うよ!ナーシェ!ルカ!こっちへ来て手伝って!シナツと、リンドヴルムは申し訳ないけど、ちょっと離れてて」
モンスターとは言え、やはり女性である。こんな時ではあるが、ケンタウロスの母親にも配慮をして、私達はすぐに処置を行った。
「ごめんね、ちょっとだけ見せてもらうよ」
ケンタウロスの母親の下半身はやはり大動物のそれであった。これなら、ナーシェよりも、むしろ私の方が専門分野である。私がやるしかない。腕を十分に洗い、潤滑油を塗る。その間に、ナーシェ達に、母親の陰部周辺を十分に消毒をしてもらった。
「お母さん。ゆっくり深く呼吸して。ちょっと腕を突っ込むから我慢してね」
そう言って、私はケンタウロスの産道へと手を入れた。大動物の難産の際、まず一番最初に疑うのは、胎子の失位である。正常であれば、上胎向と呼ばれ、お母さんの背中側と、胎子の背中側が近い状態で産道を通る。産道と、胎子の大きさはほとんど同じと言われているため、胎子の向きが異常であれば、産道の通過が困難になり、結果、難産になるというメカニズムだ。
ケンタウロスの産道に手を突っ込んでいる感覚は、大動物のそれとよく似ていた。そして、手を伸ばすと、確かに胎子に触れる事が出来た。向きは横を向いている。スペースも十分にあり、なんとかこのままでも処置は出来そうである。
「よし、とりあえず赤ちゃんの向きは直せた!ナーシェ、ロープをとって!」
胎子の足にロープをかけ、牽引の準備が整った。ここから先は力仕事、リンドヴルムとシナツの出番である。
無理に引きすぎないように、慎重に引っ張って行く。胎子の状態を見ながら、微調整を繰り返して、牽引を続けていると、リンドヴルムが声を上げた。
「おい!子供が見えたぞ!」
「もうちょっと!もうちょっとだから!お母さん頑張って!」
私の励ましに、母親も、気合いを入れ直したかのような様子で、必死で呼吸を続ける。少しずつ、子供がその全体を露わにしていく。そして、牽引を続けた結果、子供がすぽっと母親の元から生まれ落ちたのである。
「生まれた!」
子供の状態をすぐに確認する。子供は弱々しくも、生きており、その姿を見た母親も一気に安堵の表情を浮かべた。
「良かったあ……本当に良かったあ……」
ケンタウロスの子供は、人間と言うよりも、馬や牛の子供という見た目に近かった。少し経つと、子供は足を振るわせながら必死に立ち上がろうとしていた。美味く立てずに、転んでしまうも、子供は何回も経つことを試みていた。
「頑張れ!頑張れ!」
その姿を見ていたルカが必死に、子供を応援する。そして、ナーシェも、シナツも、リンドヴルムも、その視線は子供へと集中していた。
「もうちょっと!」
そして、何度目かのチャレンジで子供は弱々しくも、確かに自分の四本足で立ち上がったのだ。その姿を見た皆は一気に歓声を上げた。父親は泣き崩れ、母親は安心したような様子で、子供を見つめていた。
「もう大丈夫だよ!あとはしっかり母乳を飲ませてあげて、何か異常があったら、すぐに呼んでね!」
私の言葉に、父親は、泣きながら感謝の言葉をただひたすらに繰り返していた。
………………………………………
「ルカ感動しちゃった!命の誕生ってすごいんだね!」
帰り道、ルカはキラキラした表情を浮かべ、私に話しかけてきた。
「俺も、お産があんなに感動するものだとは思わなかった!イーナのおかげだな!この街に来てから感動することだらけだ!」
リンドヴルムも、興奮した様子で声を上げた。
「そうだね、今日の処置が成功したのも、みんなのおかげだよ!ありがとう!」
私の言葉に、皆が笑顔を浮かべる。最初は、なにも救えなくて絶望することも沢山あった。だけど、こうして今となっては、私の力で、誰かを確実に救うことが出来ている。確かに私は前進している。今日の出来事は、そのように確信できた、私にとっても大きな出来事であった。




