64話 九尾覚醒
おお……神よ……
崩れ落ちた人々は皆何かに心を奪われた様子で、一心に祈りを捧げていた。今子の瞬間、この場所にいた人々の視線は一点に集中していた。
崖下に広がるダウンタウンの人々も、皆その瞬間を感じ取っていた。
そして、聖都シュルプの人々は皆確信していた。
救いの時が来たのだと。
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「イーナ様……」
「ごめんルカ、少しの間、目を瞑っていて。見たくないもの、見せてしまうかも知れないから」
こんな姿をルカには見られたくなかった。だけど、もう抑えることの出来ないような怒りで震えていた。それに、おそらくこれから見られる光景はルカにとって、あまりにも刺激的すぎると思ったからだ。
「大丈夫だよ。イーナ様がどんなお姿になったって、イーナ様はイーナ様だから……ルカ達のために怒ってくれてるの知ってるから……」
目を真っ赤にしながらも、傷だらけになりながらも、真っ直ぐな目で、私を信じてくれている。大丈夫。きっとルカなら、どんな私でも受け入れてくれる。
「シータ、ルート、来てくれてありがとう、ルカを頼む」
「おい、イーナ……」
「大丈夫、私1人で十分だよ。下がってて」
その光景を1人、笑みを浮かべながら見守っていたアマツは静かに呟いた。
「さあイーナ、覚醒の時だよ」
シータもルートも、九尾の言葉に、何も言わずにルカを連れて後退した。いや、下がらざるを得なかったというのが正しいのかも知れない。シータやルートを気圧すほど、それほどまでに、九尾は威圧感を放っていたのである。
すると議長の男が、必死の形相で叫んだのだ。
「ええい、お前達何をしておる!こいつは悪魔の手先に違いない!我がアレナ聖教会に害悪をもたらすものぞ……ただちに……」
――うるさい
九尾が議長をにらみつけるやいなや、議長の男は一瞬に炎に包まれた。断末魔の叫びを上げながら、議長の男は燃え尽きていった。周囲の皆は、何が起きたのか分からないといった表情で呆然とその光景を見ていた。
「大司教様!!」
ローブを着た十数人の男達が燃え尽きた大司教の元に駆け寄った。そして目の前の、大司教を一瞬で消し去った九尾に対し、敵を討たんとばかりに、一斉に炎の魔法を放ったのだ。一瞬で九尾は燃えさかる豪炎の中に包まれたのである。
「やったか……!」
だが、炎の中から、無情にも九尾は無傷で姿を現したのだ。ローブの男達はその光景に愕然と崩れ落ちた。確かに、彼らの魔法は強力であった。だが、彼らの目の前に居る九尾は次元が異なっていた。
――消えろ
反撃をする間もなく、ローブの男達も次々と炎に包まれていく。すると、あまりの衝撃的な光景に、先ほどまで跪いていた民衆達も、一斉に恐怖の表情を浮かべ、逃げようとした。だが、目の前の強大な力に、皆足がすくみ、逃げることが出来なかったのである。
「使徒様!違うのです……!我らは……」
――炎渦
すると、その声と共に広場の周りが一気に炎に包まれた。逃げ場を失った民衆の阿鼻叫喚の声が大きくなる。
「神よ……救いを……!」
「神よ……」
――都合の良い奴ら
九尾は目の前の腰を抜かした集団に向けてゆっくりと手を伸ばした。すると九尾の前に一匹の妖狐が立ちはだかったのである。
「ルカちゃん!」
ナーシェの叫びがこだまする。一匹の妖狐は震えながらも、力強い声で、九尾に向けて叫んだ。
「イーナ様!これ以上は駄目だよ!」
使徒でも悪魔でもなんでもいい。今は、この目の前に居る男達がどうしても許せなかった。
私の大切なルカを苦しめた奴ら。
先ほどまで、偉そうに、そして嫌らしい笑みを浮かべていた議長の男が何かを叫んでいる。そんな事すら私には煩わしかった。
「うるさい」
私がそう言うと、目の前の男は一瞬にして炎の中に消えていった。
本当はもっと苦しめてやりたかった。お前らに与えられたルカの苦しみはこんなものではない。
ローブを着た男達が次から次へとやってくる。次の瞬間、私の周辺は炎に包まれていた。だが、不思議と熱くはない。まるで、今の私の心のように、炎は轟音を上げ燃えさかっていたが、熱さは全くと言っていいほど感じなかった。
「やったか……」
男達の声が聞こえる。お前らに与えられたルカの苦しみはこんなものではない。本当にばかげている。
私は声のする方へ、一歩また一歩と、足を踏み出した。次第に奴らの姿が見える。
さっきまで、あんなにふざけた表情を浮かべていたのに、いざ自分たちがやられるとなると、そんな顔をするのか。情けない。本当に目障りである。さっさと私の前から……
「消えろ」
男達は次々と、炎の中に消えていく。最期の叫びすら私には煩わしかった。
そして、お前ら。上品なのは見た目だけで、性根はヘドロのように腐っている。私は知っている。いざ、追い詰められると、神だなんだと、本当に調子の良い奴らだ。
逃がさない。お前らがやったことだろう。最期まで責任は取れよ。
「炎渦」
追い詰められた奴らは、必死に神に祈っている。困ったらすぐにそれだ。
「都合の良い奴ら」
――おいイーナ……
――なんだサクヤ?
――そち、あやつらをどうする気じゃ?
――決まってるだろう。最期まで責任は取ってもらうさ。好きなだけやっておいて、困ったときだけ助けてもらおうだなんて、そんな都合のいい話が許されるか?
「イーナ様!これ以上は駄目だよ!」
ルカ……
「これ以上は、これ以上は……イーナ様がイーナ様じゃなくなってしまう!」
私が私でなくなる?
さっき大丈夫って言ったじゃないか。どうしてそんな顔でこちらを見つめる?
「イーナちゃん!」
ナーシェ、どうしてそんな顔を?
「イーナ!」
シータ……
「イーナ!」
ルートにまで心配されてしまうなんて……なんだかバカみたい
「ニャ!イーナ様!」
テオ、もう大丈夫、ごめんね
ニャ!ってなんなのさ、もう。気が緩むなあ。
「イーナ~~」
アマツ、こんな時でも、いつもと変わらないんだね。巻き込んでしまって、夜叉には迷惑をかけちゃったね。ごめんね。
みんなに心配をかけてしまって……私はまだまだ未熟であった。
――イーナよ、そちは良い仲間に恵まれたな
――それにしてもルカには情けない姿を見せてしまったなあ……やっぱ目を瞑ってて貰えば良かったかなあ
――大丈夫じゃろ。さっきルカは確かに言っていたぞ。どんなイーナでもイーナじゃと
――そうだね
気がつくと、周囲の炎は消えていた。まるで私の心を表しているかのように。そして、聖都シュルプに光が差したのである。その光は私の心を優しく包んでいった。




