54話 神話の中のわたし
「いくつか、可能性は考えられるけど、一番可能性が高いのは乳熱だと思う」
乳熱
低カルシウム血症による起立不全が主徴である代謝性疾患。分娩後は体内の恒常性が機能不全になりやすく、乳中へカルシウムが急激に移行するなどして、血中からカルシウムが不足すると発症する。
そもそも体内ではカルシウムは様々な役割を担っている。例えば、骨を構成する成分であったり、神経伝達物質であったりである。カルシウムが足りなくなると、そういった機能が破綻してしまうというわけである。
「要は足りないって事だから、補えば大丈夫」
薬は沢山飛空船に積んできてある。あまり状態が悪化している場合は治らないことも多いが、軽度であればカルシウムの投与で予後は良好である。まずは症状が軽い奴からやってみるか……
「おじさんにちょっと手伝ってもらいたいことがあるんだけど……」
牛や馬に治療をする上で一番重要なのは、保定をいかに上手くするかと言うことである。人間であれば『我慢してください』といえば、少しの痛みくらい我慢してくれるが、動物はそうも行かない。注射を打って、牛が暴れては治療どころか、こちらの身に危険が及ぶ。保定8割と言う言葉があるくらいだ。
牛の扱いは私よりもおじさんの方が絶対になれている。おじさんに牛の頭絡を引っ張ってもらう。
「あ、あそこに連れて行って!」
村の近くにある鉄の策の近くまで、牛を誘導してもらう。鉄に頭絡を結びつけて、保定を行う。シータにも手伝ってもらって、保定は終了した。
牛に気付かれないように注射針を首元まで近づけると、静脈に向かって一気に針を差し込む。そして、ゆっくりと時間をかけながら薬液を投入していった。
「これで大丈夫、ちょっと様子を見てみて、治らなかったら違う治療法を考えよう」
そんな作業を何度も繰り返す。立てない子は、歩かせるのも困難であるため、多生強引ではあるが、その場で注射を行う。一連の作業が終わる頃には辺りもすっかり暗くなっていた。
「ありがとう、イーナ。これで治ってくれると良いのだが……」
「そうだね……後は、改善するとしたらエサの改善はした方が良いけど……」
大事に育てられているのは重々承知してるが、見たところやはり質の良いエサとはとうてい言えないというのが正直なところである。私の言葉におじさんは少し困ったような表情を浮かべる。
「そうしたいのはもちろんなんだが……どうしてもエサのお金を考えるとな……」
経済動物である以上、仕方無い部分はある。私がそんな事を思っていると、沈黙を破るように、シータが叫んだ。
「おい、イーナ!あいつ立てなかった奴じゃないか?」
シータが指を差した先には、さっきまで立てなかった牛がいた。今は大きな身体を4本脚でしっかりと支えて立っている。どうやら治療が成功したようだ。私はふーと息をなで下ろした。
するとおじさんは先ほどまでは異なり、明るい表情を浮かべ叫んだ。
「イーナ!治療してもらえたこと本当に感謝する。そんなに多くはお礼は渡せないが、せめて村でもてなしをさせてくれ!」
「お礼なんていらないよ!それよりも、しばらくこの村の近くで滞在しても大丈夫?牛の様子も見たいし!」
「そんな……本当に良いのか……!わかった!気の済むまでいてもらってもいいぞ!」
その夜、おじさんは私達のもてなしパーティを開いてくれた。村の人々も次々と参加し、村全員でのお祭りの様な雰囲気だ。
「それにしても、愉快な奴らだな!ただの人間ではないとおもっていたが……まさか、しゃべる猫まで引き連れているとは!」
ルカもテオもすっかりと村のみんなになじんでいた。とりあえずはこの国でも受け入れてもらえたようでよかった。特に、テオはしゃべる猫ということで、なかなかに人気を博しているようだ。ルカの正体はまだばれていないらしい。ここはばれない方が後々のためにもいいだろう。
「お前さん方、白の十字架ではないのだろう?」
「そうだけど……なんでそんな事を聞くの?」
昼間も言っていた白の十字架。果たして、この国とどんな関係があるのだろうか。肉を頬張りながら、私はおじさんに聞き返した。
「そりゃあ、お前さん、ある意味この国で一番権力を持っているのは白の十字架だからな!聖教会直属の医者となれば、誰も逆らえないさ!」
「白の十字架は聖教会の医師だったのですか……!?しかも聖教会直属……!?知りませんでした……」
ナーシェもそこまでは知らなかったようである。それはいいとして、なぜ、白の十字架が連邦の内部で医療を広めているか、私はそこに引っかかった。が、今考えても仕方ないことである。
「おじさん、アレナ聖教について、教えてもらいたいんだけど……」
「お、イーナよ!お前さんアレナ聖教に興味があるのか!ならばこの国に伝わる神話を話そうじゃないか!」
そういうと、おじさんはゆっくりと話し出したのである。
世界の始まりの日の話だ。
唯一神アレナは、10人の使徒と共に、方舟でやってきた。
そして、唯一神アレナは、世界を創造した。
そして、創造した世界を10人の使徒に管理させた。
黒竜は大地を造り、鯨王は海を作った。
鳳凰は空を護り、霊亀は陸を護った。
麒麟は雷を生み出し、妖狐は炎を生み出した。
大神は風を吹かせ、狒々は緑を芽吹かせた。
夜叉は闇を生み出し、大蛇は死を司った。
10人の使徒はアレナの居ぬ世界を主の帰りの時まで守り続けている。
「と、まあこんな感じだ。あくまで、言い伝えよ言い伝え!」
「そうだね……おじさんは信じてないの?」
私の問いかけに、おじさんは笑いながら続けた。
「もし、本当に神様が居るのなら、この国はこんなに貧しくはなっておらんよ!まあ都の方では熱心な信者も居るようだがな……明日の生活も保障してくれない神様よりは、牛達の方が俺達にとってはよっぽど神様だ」
どうやら、アレナ聖教国の中でも、全員が全員熱烈な信仰を持っているというわけではないらしい。特にこの村は、外れの方にあると言うことで、むしろその影響が薄いのかも知れない。
「それにしても、しゃべる猫までいるとは、本当に神話の中の使徒達もいるのかも知れんなはっはっは!」
おじさんは高らかに笑った。私もなんとか愛想笑いを浮かべる。それにしてもだ、
「ナーシェどう思う?」
「そうですね……神話にしてはなにやら出来すぎているような気もします。気にはなりますね……」
ナーシェも私と同じく、神話の内容に引っかかるものがあるようだ。
妖狐は炎を作り出し……確かに九尾の神通力の力は炎や氷を生み出すことが出来る。
これはもっと調査してみる必要がありそうだな。




