187話 私が守る!
「イーナ様大丈夫かなあ……」
キャンプ地とした湖の畔に残されたルカは、空を見上げながらぽつりと呟いた。波立つことのない水面、雲一つ無い空、そして静かにそよぐ風、平和な風景が目の前には広がっていた。平和すぎるという現実が、ある意味では不気味さを醸し出していたのだ。
「大丈夫ですよ!なんたってイーナちゃんとミズチさんですから!それにルウちゃんとリンドヴルムくんもついていますし!」
ルカの様子を見たナーシェが笑顔を浮かべながら、ルカに近づきながらそう口にした。
「そうだよね!ありがとうナーシェ!ちょっと不安になっただけ!」
ルカは笑顔を浮かべながら、自らに言い聞かせるかのようにそう言葉を発した。直後、イーナから託された龍神の剣を、ルカは真面目な顔でじーっと眺めていた。
ルカだけではない。実のところ、ナーシェも心の中では理解はしていたし緊張もしていた。
わざわざイーナちゃんが自らの武器である龍神の剣を1本置いていったという意味。それだけリスクが伴うという今回の旅。もし、向こうではなくて、こちらに白の十字架のメンバーが来たら…… 私達は、イーナちゃんやミズチさん達無しで戦わなければならないかも知れない……
そう考えると、ナーシェとて緊張せずにはいられなかった。もし、ここが襲われたとしたら、ルカちゃんや私だけで飛空船を守り切れるのだろうか。だが万が一そのような状況に陥ったとして、そうする以外に手は無いのである。だからこそ、それをわかっているからこそ、ルカちゃんも緊張している。
なら、今の私に出来る事は、お姉さんとして出来る事は、少しでもその緊張を和らげることだけである。
「そろそろ戻ってくるかもしれないですし、ご飯の準備でもしておきましょうか?」
ナーシェはなるべくリラックスしたようにルカに向けて振る舞った。
「うん!イーナ様喜んでくれるかな!」
「リンちゃん!そろそろご飯の準備をするよ!」
今度はナーシェは、飛空船のそばにいたリンに向けて大きな声を上げた。テオと一緒に、飛空船のメンテナンスをしていたリンは、ナーシェの声を聞くと、はーいと元気よく返事をし、ルカとナーシェの方に向けて駆け足で近づいてきた。
途端、一気に吹き抜けるような風が、3人を襲った。思わず警戒するルカとナーシェ。そしてひいと小さな悲鳴を上げるリン。どうやら特に何かの魔法というわけでもなさそうである。ただ、森はざわざわと大きな音を立てながら、風に揺られていた。
「突風…… みたいですね!大丈夫ですよ!」
「びっくりしましたよ!本当に……!」
思わず安堵した様子で、リンがふうと大きな息を吐きながら言葉を漏らす。だが、ルカだけは1人、真剣な表情を浮かべながら、森の方を眺めていた。その様子にナーシェとリンもただ事ではないことをすぐに理解した。手を振るわせながら、ルカが持っていた龍神の剣をゆっくりと構えた。
――何かが来る…… 私にはわかる……
静寂の中、張り詰めた空気に包まれていた。次第に、がさがさという音が3人の耳に届くと、より緊張感が増していった。確実に音の主は近づいてきていた。
「……ルカちゃん……」
不安に押しつぶされそうな、か細い声を上げるナーシェ。そのナーシェにしがみつきながら、怯えた様子で森の方を眺めるリン。
直後、音の主が3人の前に姿を現した。イノシシのような生き物。ただ草むらからこちらに首を覗かせ、警戒しているのか、顔だけ出したまま、動かない。ただ、どうやら敵ではなかったらしい。その光景を見たルカもナーシェもリンをふうっっと大きく息をついた。
「何だ……動物じゃないですか」
「なんか可愛いですね!あの子!」
姿を見せた音の主の方へと近寄ろうとするリン。だが、ここで、ルカもナーシェもその動物に起こっていた異変に気が付いた。
首元をよく見ると、少し赤みがかっている…… それに、あの目…… イーナ様の元でモンスター達の治療してきたルカとナーシェだからこそわかった異常。
――アレは死んでいる……
「リン!駄目!」
ナーシェの叫び声に、思わず脚を止めるリン。えっ……と、驚きの表情を浮かべながら、リンはナーシェとルカの方を振り向いた。
「危ない!」
突如として、何者かが草むらからリンめがけて一直線に飛び出してきた。リンもここでようやくその者の気配へと気付く。視線を再び前に戻したとき、見えた姿は、先ほどまでの愛くるしい動物の姿ではなかった。
――人……? それに…… 手には…… 武器?
一気に、状況を理解したリンは、頭から一気に血の気が引いていくような感覚に襲われた。頭ではこのままではやられると言うことを理解していた。だが、身体が思うように動かない。そうしている間にも着実に、目の前にその男の姿は近づいてきていた。
「まずは1人……」
男は、そう呟くと、リンめがけて刀を振りかざしてきた。
――やられる……!
思わず、目を瞑ってしまうリン。こんな形で……終わりなんて…… 私死ぬのかなあ…… でも痛いのはやだなあ……
そんな事を思っていたが、なかなか斬られるような感覚はない。おそるおそると目を開けるリン。目の前には、先ほどまでいた男と……そして、ルカの姿があった。ルカは持っていた龍神の剣で男の攻撃を防いでいたのだ。
「ルカちゃん……!」
「リン…… 逃げて!」
必死の様子でリンに向けて叫ぶルカ。そのルカの言葉でようやく身体が動くようになったリンは、後方で固まったように、戦況を眺めていたナーシェの方に向けて、駆け寄っていく。震える脚を何とか動かし、必死に駆けるリン。そんなリンをナーシェは優しく抱きしめた。
「なかなか骨のある奴がいるようだな…… お前がイーナか?」
男は自らの攻撃を受け止めた小さな少女に対して、冷たく言い放った。男の不気味な声に思わずたじろいでしまいそうになったルカ。だがそんなルカを励ましたのは他でもない、大好きな人から託された龍神の剣だった。
――ルカなら出来る
ルカの心の中で温かい声が響く。大好きな人から頼られている。その思いを裏切るわけにはいかない。逃げてしまいたくなるような思いを断ち切るように、ルカは目の前にいる男に向かって声を上げる。
「イーナ様はここにはいないよ!私はルカ!イーナ様に変わって、私があなたの相手をします!」




