139話 黒竜は二度死んだ
「リンドヴルム……お前一体何を……?」
あきれたような表情を浮かべ、ファフニールはリンドヴルムの元へと向かった。
「ファフニール……なんでここに……?いや!これはだな!譲れない男の勝負というやつで……!」
先ほどまで真っ赤になっていたリンドヴルムの顔がみるみるうちに、血の気が引いて白くなっていく。ファフニールの姿を見つけたリンドヴルムは必死に言い訳をしようとするが、呂律が上手く回っていなかった。
「お前……こんな所まで来て……とんだ恥を晒しているようだな……」
ファフニールを前にした、リンドヴルムは明らかに挙動がおかしかった。大量に発汗し、身体はブルブルと震えているようだった。まさか……
「なんか、リンドヴルムの様子がおかしくない?もしかして……急性アルコール中毒なのかも……」
「なんですか?その……急性アルコール中毒って?」
冷静な表情をうかべながらルウが私に問いかけてきた。だけど、もしそうなら、そんなにのんびりしてもいられない。私は焦りながら、ルウ達に説明をした。
「酒の飲み過ぎで、身体の中のアルコール濃度が高くなって、吐いたり最悪死んでしまうこともあるんだ!急がないと……!」
そう言って、すぐにリンドヴルムの元に向かおうとした私であったが、ちょうど動こうとしたときに後ろに引かれるような感覚を覚えた。私の服の裾をスウとルウ、2人が引っ張っていたのだ。そして、ルウはそのまま表情を変えずに、冷静に口を開いた。
「今は近づかない方が良いですよイーナ様」
「このままここにいるのが賢明です、イーナ様」
「どうして!?あんなに顔が青くなって、震えているのに!?明らかに普通じゃないよ!」
「大丈夫です。リンドヴルム様は、いつも通りです」
ルウが、淡々とそう言い放った。私も一旦冷静になり、もう一度酒場の方を見る。あれ……?ファフニールさんまで震えている?それに、なぜかシータまで顔が青くなり、ガクガクと震えているようだ。
何かがおかしい…… そうだ、いつもあんなに賑わっていた酒場が、シーンとまるで何かを恐れているように、息を潜めている。まるで、この場所だけ、時が止まってしまったような感覚である。
静寂を引き裂いたのは、ファフニールの怒声であった。衝撃波のような怒声が、一気に街中に響き渡った。
「この大馬鹿ものめ!!!!なぜ、スウやルウ、それにイーナ達だってずっと働いているのに、お前はこんな街中で顔を真っ赤にしてどんちゃん騒ぎ!!!それでも黒竜のプライドはあるのか!!リンドヴルム!!!」
「ち、違うんだ!ファフニール!!」
「一体何が違うんだ?リンドヴルム?」
「お、おい……!シータ!お前からも!説明してくれ!俺達は仲間だろ!」
リンドヴルムは必死にシータへと縋った。突然の名指しにシータは慌てた様子で、口を開いた。
「どうして俺に振るリンドヴルム!お前はバカか!」
「どうしてもこうしても!今日誘ってきたのはそっちじゃないか!」
「それは、お前が飲みたいって言っていたから……!」
リンドヴルムとシータの言い合いはエスカレートしていった。ナーシェもルカも、それにスウとルウも、ため息をつきながら、あきれた様子で2人のやりとりを眺めていた。もちろん、私もである。
気が付けば、酒場にいた他の客達はそそくさと何処かへ消えていた。誰もいなくなった酒場で、リンドヴルムとシータの声が空しく響き渡る。そして、そのやりとりを間近で見ていたファフニールの震えは、どんどんと大きくなっていっていた。
「お前達、本当にいい加減にしろよ……」
ドスのきいたファフニールの声が、静かに酒場にこだまする。私ももう見てられなかった。さっさとこの場を立ち去りたいところではあったが、ファフニールの様態を見守らなければならない以上、目を離すわけにはいかない。
いつものように冷静な表情で、その光景を眺めるスウとルウ。その隣ではルカとナーシェが、ファフニールの迫力にすっかり怯えてしまい、特にルカは、身体をブルブルと震わせながら、今にも泣きそうな表情で、ファフニール達の方を見ていた。
その夜の出来事が、しばらくの間この街で噂されることになったのは言うまでもない。酒場に悪魔が舞い降りた、ある日の出来事であった。シータは完全にとばっちりであったが……。
「全く……リンドヴルムはいつまで経っても成長しないのだから……」
私は苦笑いをしながら、すっかり落ち着いたファフニールに語りかけた。
「まあまあ…… それに、さっきの様子だと、もう大分治っていそうだから!すぐに、戻れるようになるよ!」
「本当に…… 世話になったなイーナ。あのバカのこともよろしく頼むぞ……」
「それにしても、イーナ様はリンドヴルム様のどこが良いのでしょうか」
「ええ、イーナ様ならもっと良いお方がいるでしょうに。どうしてリンドヴルム様と結婚なさるのですか」
スウとルウが、間髪入れずにそう口にする。
今なんて言った??
私の聞き間違いだったら良いのだが……
「ごめん、スウ、ルウ、もう一度言ってくれない?」
「ですから、どうしてイーナ様はリンドブルム様と結婚なさるのですか?まあ確かに、お強いですし、面白い方ではありますけど……」
「まって、私、別にリンドヴルムと結婚はしないよ?なんでそれを?」
「リンドヴルム様が声高々に言い回ってましたから。イーナ様がヨルムンガルド様達の争いを鎮め、ちょうどお休みしているときに。黒竜の里の皆はそう信じてますよ」
ルウが、苦笑いを浮かべ、何処かほっとした様子で、そう口にした。
「イーナちゃん……?」
今度はナーシェが、私の様子をうかがうように、口を開いた。もう黒竜の所に行けないじゃん……どんな顔して行けば良いんだ……? そんな言葉が、ずっと私の頭の中をぐるぐると回っていた。その後、彼の名を呼ぶ声が、再び街中に響き渡ったのは言うまでもない。
「リンドヴルム~~~~!!」




