126話 医療魔法が存在したなら
「お客様、こちらでございます」
ルウに案内された部屋は、屋敷の一番奥の部屋であった。私は、慎重に、失礼の無いようにそっと扉へと手を伸ばした。
「失礼します……」
案内された部屋の奥では、ガウンのような服に着替えたファフニールが、私の到着を待ち構えていた。先ほどまでとは大きく異なる、あまりに妖艶なファフニールの姿に、一瞬見とれそうになってしまったが、スウとルウの見事にシンクロしたような声に、私はすぐに現実へと引き戻された。
「お客様、よろしくお願いいたします」
「お客様、よろしくお願いいたします」
「イーナ。よろしく頼む」
ファフニールの言葉に、私は1回頷いて、早速問診へと入った。
「わかりました。では、まず聞かせて頂きたいのですが、ファフニールさんはどのような症状なのですか?」
「うむ、簡単に言うとな、思うように身体が動かないのだ」
身体が動かない。その症状で真っ先に疑うとすれば神経症状であろう。もしくは、筋肉の異常かもしれない。まだ、この段階では診断はとうてい難しい。
「その症状はどの位続いていますか?」
「昔から、突然に痛んだりする事はあったが、しばらくすると治まったりを繰り返してきた。最近のは特に酷くてな……」
「特に動かしづらい部分とかはありますか?」
「一番は足だな。近頃は歩くのも困難でな。スウとルウのお陰で何とかなっているものの、1人では普通に生活するのも難しくなってきてしまった。本当に2人には感謝の言葉もない」
「ファフニール様のお役に立てるなら、スウ、それ以上にありがたいことはありません」
「ファフニール様のお役に立てるなら、ルウ、それ以上にありがたいことはありません」
またしても、スウとルウは、見事にシンクロするかのように、言葉を繰り返した。私は、そのままファフニールに問いかけを続けた。
「しびれや痛みはありますか?」
「ああ」
――サクヤ、透視の力は使える?
――任せろイーナ
私には、ある意味で最もチートとも言える透視の力がある。現代医療の優れた点の一つとして、見えないものも見ることが出来るという点がある。この世界では、未だ使えない力。それを九尾の力を借りることで、私は見えない身体の内部を見ることが出来るのだ。そして、この力の優れた点は、レントゲンと違って、光源を必要としないこと。そして、レントゲンで見ることが出来ないものも見ることが出来ると言うことだ。
「どうした、イーナもう何かわかったのか?」
ファフニールは、私の様子をうかがうかのように声をかけてきた。
「ファフニールさん。私は人の治療は専門外です。ですが、何となくあなたを蝕んでいる病の正体はわかりました」
「おお。それで、私のこの症状は治るのか?」
「お客様?ファフニール様は?」
「お客様?ファフニール様は?」
再び、スウとルウの声がこだました。すっかり2人の話し方にも慣れてきた私は、かまわず話を続けた。
「もし、処置を望むというのであれば、問題は2つあります。一つは、ここでは処置が難しいと言うこと。そして、もう一つは、私が人間ではなく、動物の医者であると言うことです」
「詳しく聞かせてもらいたい。一つ目は言わんとしていることはまだわかる。だが二つ目は一体どういうことなのだ?」
ファフニールは、私が一体何を言ってるのかわからないと言った表情を浮かべながら、私に問いかけてきた。
「まず、黒龍の病気を診たことはないので、確証はありません。それはご理解ください。そして、おそらく、あなたを苦しめているのは神経の病気です。専門的な話になるので、詳しくは説明しませんが、身体の中には、神経と呼ばれる、筋肉を動かしたり、感覚を伝えたりする機能を持ったものが存在します。要は、身体の司令塔的な存在です。ファフニールさんの場合、その司令塔に異常が出ている。だから、身体を上手く動かせないといった症状が出ていると考えられます」
「ふむ……」
ファフニールは、何とか理解できているような様子で、私の話を真剣な表情で聞いていた。
「背骨の中には、脊髄と呼ばれる、神経の中枢が存在しています。そこに病気が発生していることで、上手く指令が身体に届いていない。あなたの身体の中は今そんな状態です」
「なるほどな。そこまでは理解した」
「ですが、お客様、まだスウには先ほどのお客様の言葉の意味が理解できません」
「ですが、お客様、まだルウにも先ほどのお客様の言葉の意味が理解できません」
「そう、まず一つ目の問題、先ほど私はあなたの身体の中枢の部分に異常が起こっていると説明しました。アプローチをかけようと思っている部分はファフニールさんの身体の中でも司令塔の部分です。それだけ、センシティヴな部分になります。ならば、それだけの環境が整った場所で、施術する必要があると言うことです。この環境では、アプローチをかけるのが難しい。ベネフィットよりもリスクの方が高い治療を取るというのは、無謀とも言えます」
「ふむ……」
ファフニールは私の言葉の一つ一つを聞き漏らさないように、真剣に耳を傾けていた。
「そして、もう一つの問題。それだけセンシティヴな部分にアプローチすることになるとなれば、やはり技術も必要になります。私は人間の神経の治療を行ったことはありません。と言うよりも、それをやってはいけない。それが私達のルールでもあります。そして、あなたは今、動物と言うよりも、人に近い体内構造を持っています。仮に環境が整ったとして、満足に治療を行う事が出来るかどうかと言われれば、自信を持って解答することはできないと言うのが正直なところです」
「なるほど」
医療は魔法ではない。そして万能でもない。だからこそ、少しでも成功率を上げる為に全力を尽くさねばならないし、無謀に手を出すべきでもないのだ。
「お客様つまりは、何が言いたいのですか?」
「お客様つまりは、何が言いたいのですか?」
「つまりは、最終的にはファフニールさんの判断となります。そこまでのリスクを取ってまで、治療をするのか。それとも、このままで様子を見るのか。そして、もし治療をするというのなら、ここでは出来ません。私達の国まで来てもらう必要があります」
「もしこのまま放置していたとして、治ることはあるのか?」
「絶対に無いとは言えません。ですが、症状から見ると、重症度は高いと思います。そうなると、自然治癒は難しいと思う、と言うのが私の判断にはなります」
「イーナ、少し考えさせて貰ってもいいか?」
「もちろんです。あなたの身体のことですから。ただし、一つだけ、もうすでにしてもらってるとは思いますが、安静は必須です。それだけは守って下さい」
ファフニールは黙って私に頭を下げると、そのまましばらくの間動かなかった。そして、再び、ファフニールは私に向かって言葉を発した。
「イーナ。もし良かったら今日はうちに泊まっていってくれ。わざわざ遠いところ来てくれたんだ。もてなしもしないで帰すと言うわけにも行くまい」




