107話 水の魔法
「街から少し離れた南の森、そこいらで魔獣の目撃情報が多発している。襲われる者もでている始末。犠牲者こそいないが時間の問題さ。あんたらが代わりにやってくれるというのなら報酬ははずもうじゃないか」
店主のおばあちゃんにもらった地図を頼りに、私達は魔獣と呼ばれるものの方向へと向かった。次第に家々の感覚が開き、緑が多くなっていく。気がつけばすっかり、森のような風景へと代わっていた。
「こんなのどかそうな場所に魔獣かあ……」
「イーナちゃん、あの看板……」
ナーシェが示した先には、木で出来た看板がぽつんと立っていた。よく見ると、大きな爪痕のような傷が看板の表面を抉っている。『モンスター出没注意!』と書かれたその看板は、今まで見たどんな看板よりも説得力に包まれていた。
「よくできた看板だねえ~~」
「これ、モンスターのせいなのかな……?」
確かに、これだけの威力ならば、人間にとって脅威となり得るのも無理はない。討伐対象になってしまったモンスターは、気の毒と言えば気の毒だが、そんな事を言ってもいられないのはわかっていた。
「イーナちゃん……」
ナーシェは不安そうな様子で、私の名前を呼んだ。だが、次の瞬間、気合いを入れ直すかのように、自分の頬を両手でぱちんと叩くと、私の方に力強い視線を送った。
「イーナちゃん!今回のモンスター!私にやらせてください!」
ナーシェの提案に、皆が驚く。私もそんな台詞を、まさかナーシェから聞くことになるとは夢にも思わなかった。
「ナーシェ……いくらなんでも、そんなに焦らなくても……」
私の静止を振り払うように、ナーシェは語気を強めて言葉を続けた。
「いえ!私はいつも守られてばかりで!みんながぼろぼろになってるのに、私1人安全なところで!私もみんなと一緒の所に並びたい!」
「ナーシェ……」
「ナーシェ!ルカも一緒に戦いたい……!私だってイーナ様や、アマツ達と一緒に!」
ナーシェに触発されて、ルカまで、そんな事を言い出した。
「ルカちゃん……わかった!一緒にやろう!私達の力で!この試練乗り越えよう!」
――イーナ、任せてみたらどうじゃ?
サクヤが優しい声で、私へと語りかけてきた。正直、特にルカに対しては、心配という気持ちしかない。だけど、ここで仲間を信じてみるというのも必要なことなのかもしれない。
「今後、戦力は少しでも多い方が良いからね~~私も賛成~~それに、戦い慣れしていない、ナーシェが使った方が、魔法武具の威力というのもわかるしね~~」
アマツの言葉に、ナーシェとルカは明るい表情に包まれた。思い返せば、私もいつも無理をして、そのたびに、ナーシェやルカに助けてもらってきた。一杯心配もかけてきただろう。だったら……
「ナーシェ、ルカ。がんばってね」
2人を信じることを決めた。きっと、2人なら大丈夫。
ナーシェとルカについて、私達はさらに歩みを進めた。次第に周辺は不気味な静けさに包まれていった。いつどこから何かが飛び出してきてもおかしくないような雰囲気である。
「ナーシェ」
「うわあああ!びっくりしました!酷いです!心臓が止まるかと思いました!」
私の呼びかけに、ナーシェはオーバーリアクションで返してきた。ナーシェもよほど緊張していたのだろう。よく見ると、身体には汗が滴っていた。
「ナーシェ、大丈夫だよ!ルカもついてるから!」
一方のルカはというと、全然平気な様子である。逆にどこからそんなメンタルの強さが来るのだろうか、そう考えていたときである。
「おい、ナーシェ……」
ルートがささやいた。
「なんですか!ルート君!驚かせようたって、もう同じ手は通用しませんよ!」
だが今度は冗談ではない。ルートに続いて、皆もそいつを視界に捉えた。
森を抜けた少し見通しのよい草原。明らかに、異質な奴がいるのがわかる。なんだあれは……?
「ケルベロス……!?」
ナーシェが呟いた。そう言われると、頭が確かに3つある。赤い頭、青い頭、そして黄色い頭、見た目からも明らかにやばそうな奴だというのは一目瞭然であった。
「ナーシェ、ケルベロスのこと、何か知ってるの?」
「あいつの頭の色、よく見ると3色ありますよね?それぞれ炎と氷、雷の魔法を使うと言われている、精霊種にも匹敵するほどのモンスターです。性格は獰猛で、イーナちゃん達みたいにコミュニケーションで、どうこうするというのはまず無理ですね……」
説明だけ聞くとえげつない。果たして、ナーシェとルカだけで、大丈夫なんだろうか?そう思っていた矢先、先に動いたのはナーシェであった。
「イーナちゃん達はそこで見ていてください!」
「待ってナーシェ!ルカも行くよ!」
ケルベロスは近づいてくる2人に気付いたようで、威嚇のような低いうめき声を上げながら、2人の方に視線を向けた。距離がだんだんと詰まっていく。さて、果たして魔法武具の威力とはどんなものなんだろうか?
――魔法武具の使い方その1。魔法武具はそれぞれの魔法の力のこもった魔鉱石から出来ている。魔力を持たない、人間が魔法武具を使いこなすためには、術式が重要だ。さあ、唱えて……
店主のおばあちゃんから教わったとおりに、短剣の形をした魔法武具を握りしめたまま、ナーシェは静かに口を動かした。
「水の精霊、ヴィーナスよ。我、汝の加護の力を欲さん。水の加護の力、我に授けたまえ」
その言葉と同時に、ナーシェの足元からシャボン玉のような水滴が、一つ、また一つと浮かび上がってきて、次第に身体の周囲で塊を形成し始めた。
「すごい……」
ナーシェ自身、その光景を信じられないといった様子で、身体の周りで、宙に浮く水滴を眺めていた。
「ナーシェ!危ない!」
そんなナーシェの隙をケルベロスは見逃さなかった。太く強靱な足で一気にナーシェに向かって距離をつめる。
やば……
ナーシェがそう思った瞬間、目の前が赤い閃光に包まれた。
ナーシェへと迫ったケルベロスはその閃光にひるみ、距離をとった。態勢を立て直し、また威嚇するような低いうめき声を上げながら、ケルベロスはナーシェとルカの方をじっくりと見ていた。
ナーシェはちらりと横を見た。ナーシェの視線の先には、ケルベロスに向けて手を伸ばしたルカが立っていた。ルカはナーシェの方に笑顔を向けて、一言呟いたのだ。
「ナーシェ、あんまり油断してるとルカが美味しいところ持って行っちゃうよ!」




