星空シート
マツは今夜はダンガリーではなかった。
ブルックスブラザーズのブルーのボタンダウンシャツにカーキのチノバン。
ロングヘアーはタオルではなくチューブに入ったスコアーでオールバックにまとめていた。
「南伊豆イチの星を見に行きませんか?」
夕方の波に乗り終え神社に向かうビーチにいた女性に声をかけた。
ノースリーブのシアサッカーのワンピースで手にサンダルを持ち
一人で波打ち際で波と鬼ごっこをしていた。
長いワンレングスの髪をかき上げた時の横顔がタイプだった。
「サーフィンお上手なんですね。部屋の窓からずっと見てたけど
もっと近くで見たくて出てきちゃった」
自分を目指してきてくれていたことを知ると俄然前のめりになり
星に誘ったという訳だ。
この稲森裕子は都内で輸入小物のお店をやっており、
3日間休みができたから一人でも海にむかったということだ。
オールバックのマツは赤いBMW 2002のハンドルを握り前方注視していた。
もちろん学生の身分でこんな外車に乗れるわけはなく、
裕子が東京から乗ってきた車をドライバー役でエスコートしているのだが、
高級外車になんて乗ったこともなく緊張で横も向けないのだ。
「別に事故らなきゃ擦ったりしてもいいわよ。リラックスして」
すっかり読まれている。約束した時間に車を乗り付けた裕子は
自分の方が数歳年上であることをビーチで悟ったので
端々に姉感を出すようになっていた。
ただマツの胸板の厚いワイルドな姿を見るたびに
女として守られたい感情が前に出て歳の差意識は薄れていく。
「やっぱり家のと違って左ハンドルは慣れないなぁ」
まあ言い訳としてはなくもない。
白浜から下田の町に行く途中峠を越える。
この山は海側に突き出た岬、
皇室の御用邸もある須崎だ。
岬方向に向かう舗装道路を外れ岬の先端まで車を進めると
民家もなくなり街灯もない暗闇が広がる。
がしばらくすると辺りは明るくなりまた暗闇に戻る。
その定期的な灯りの原因は爪木崎灯台だ。
「着いたよ。ね、すごいでしょ」
フロントガラス越しではよく見えなかったが
頭上には数え切れない数の星が気のせいか近く見える。
「すごい!降ってくるってこのことね」
「その通りほら」
海原の果てに向かって流星が走った。
とその後に灯台の明かりがあたりを照らした。
車から少し歩いたここは岩場でこの先は断崖絶壁だった。
恐怖心から裕子がマツの腕にしがみつく。
面白がったマツが少し押すフリをすると腕に抱きついてきた。
「いいねぇ。もっと押そうかな」
「もういいから」
周りは腰くらいの草が広がるだけなので風が抜けて行く。
裕子のワンレングスが風になびく。
クーラーの利いた車の中ではあまり立ち上がらなかった
トレゾアの香りが、本人自身の香りと夜の湿度と相まって
マツの本能の部分に働きかけてくる。
「本当にあさって帰っちゃうの?もう少しいてほしいな」
「週末は私がお店にいなくちゃいけないのよ」
灯に浮かび上がったマツはうつ向いて石を蹴っている。
「すねた子供みたい」
「うるさいなぁ」
マツは裕子を抱き寄せ、その力に身を任せる。
暗闇にそのシルエットも消えていった。