パラヤさん訪問
毛織り物の工房や刺繍職人の店を覗いたが、パラヤさんらしき人はいなかった。ガラス細工の工房の場所を教えてもらい、向かう。
看板の出ていないその工房の前で、洗濯物を干しているキツネ耳の女の人がいた。女の人が振り向いた瞬間、俺とハルは同時に、
「おおー!」
と、感心したような、納得したような声を上げてしまった。
女の人は、さゆりさんそっくりだった。
「パラヤさん、荷物、手紙、お届け物」
つい確かめもせずに、名前を呼んでしまったら少し怪訝な顔をされてしまった。
パラヤさんは、ハルのポンチョの刺繍を見て、
「あ! それ母さんの刺繍よね? もしかして母さんの知り合いの人かしら?」
サラサスーン地方での刺繍の図柄は、母から娘、または嫁へと受け継がれていく特別なものだそうだ。三世代、四世代前の図柄も普通に伝わっていて、女たちは家族のポンチョや帽子をそれらの図柄で埋めていく。
さゆりさんは受け継いだ図柄を持たない分、様々な茜岩谷の動物や植物の刺繍を施してくれた。ラーナも大岩の家を訪れる度に、ラーナの家の図柄や、得意だという鳥の図柄を縫いこんでくれた。裾部分にはクーとハナを模した、ビークニャとユキヒョウが交互にいくつも並んでいる。
「へー! 母さんまた腕を上げたわね! コレなんの図柄なの? ラーナの鳥も良いわねぇ」
パラヤさん、荷物も手紙も俺たちの素性もすっ飛ばして、ポンチョの刺繍に食いつき過ぎだ。こういうところはじーさんの血だな!
「さゆりさんの手紙、まずは読んで下さい」俺が手紙を渡して言うと、ようやく我に返ってくれた。
「ごめんなさいね。座って下さいな」と、軒先にある、ひさしの下のテーブルに案内してくれた。冷たいお茶を淹れてくれて、手紙を読み始める。
「へぇ! ラーナに赤ちゃんが出来たの! リュートが父親ねぇ。ふふふ」
「あら! この図柄はユキヒョウなのね? へぇ! あなたがハルくんかしら?」
楽しそうに手紙を読み進めていたパラヤさんが、ふと俺とハルを見つめ、
「あなたたち、日本の人でしょう?」と、日本語で言った。
「さゆりさん、手紙、書いてあるか?」
「いいえ。でもあなたたち、母さんと同じ匂いがするわ」と言って、ふふふと笑う。
「あなたたちが、この世界のほかのどこかじゃなく、母さんの元に来てくれて良かった」
俺たちの大まかな事情を話すと、パラヤさんが言った。
「母さんはいつも笑っていたけど、時々寂しそうだった。私にはわからないけど、異邦人って、そう言う意味でしょ?」
パラヤさんは遠くを見るようにして、異邦人、という言葉だけ日本語で言う。
さゆりさんが自分の事を、異邦人と呼んだのだろうか。俺はハナを大岩の家に残して来た事は、俺たちの事情だけではなく、必要だったのかも知れないと思った。
それから俺たちは、昼メシをご馳走になり、リュートの子供の頃の話で大いに盛り上がった。リュートが聞いたら爆死しそうなネタばかりだ。俺の姉貴もそうだけど、姉って生き物はほんと容赦ないよな。
「ねぇ、そのポンチョ、一日預からせて貰えないかしら?」
そろそろ、と帰り仕度をしていると、パラヤさんが言った。
「私に刺繍を入れさせて欲しいの。母さんに見てもらいたいし、あなたたちと同じで、私も大岩の一員なの。旅の無事と、奥様に会えるように、とっておきの刺繍をしちゃうわよ!」
サラサスーンの刺繍はそういうものだ。家族の健康や幸せを願い、女たちは針を刺す。それこそポンチョに隙間がなくなるくらいに。
俺はありがたくお願いする事にした。俺とハルを大岩の一員だと言ってくれた事は、少し面映ゆいながらも嬉しかった。
パラヤさんは帽子を2つ持ってくると、手早く耳を付けてくれた。替わりのポンチョも貸りて、明日の夕方また訪れる事を約束した。
久しぶりの耳付き帽子をかぶって、ハルと2人はじめての街をブラブラと歩く。暮れ始めた街に、ふとなんとなく座りが悪いような、ホームシックに似た気持ちを抱いている自分に気づく。パラヤさんの言っていた、異邦人という言葉のせいだろうか。
帰りたいのは大岩の家なのか、それとも東京の家なのか。
人間という動物は、案外帰巣本能が強いのかも知れないな。巣へと戻れる能力を持たないくせに、歪な生き物だ。
道に迷いながらも、薄闇が残るうちには宿屋へと辿り着く。
宿は入り口近くに食堂があり、チーズとトマトの匂いがする。どちらもサラサスーンの料理には欠かせない。ハザンとトプルが奥の席から手を振って俺たちを呼んだ。
荷物を置いてから、と身振りで伝え一旦部屋に戻る。荷物を部屋に置き、井戸で手洗いうがいをする。一応、感染症予防のつもりで続けている日本からの習慣だ。この世界に俺たちの知らないウイルスや病原菌があったとしても、なんの不思議もない。
手洗いうがいのお陰なのか、俺もハルもハナも、この世界に来てから風邪ひとつひいていない。もっともうちの家族は、もともと全員が頑丈で病気とは縁遠いのだが。
食堂に戻ると、アンガーとヤーモも席についていた。食べ物もテーブルいっぱいに並んでいる。
「ずいぶん頼んだな」と声をかけながら席に着く。ハルは好物の「パロ」を見つけ、小さく歓声を上げている。パロはコロッケの中身に、スパイスの効いたチーズをたっぷりかけた料理だ。ジャガイモと小麦粉を混ぜて作るニョッキと共に、この地方の代表的な家庭料理だ。パンや米が流通するようになる前は、サラサスーンではジャガイモが主食だったらしい。
トマトもジャガイモも、乾燥に強い植物だからな。
他にも羊モツの煮込みや、緑豆をすり潰して平たく伸ばし、バターでカリカリに焼いた「カリポ」やチーズ入りの芋餅など、この地方の定番メニューばかりだ。
これは俺の野営中のメニューに対する、無言の抗議だろうか。野営中はどうしても作り慣れたものを作ってしまい、地球風の料理が多くなってしまうのだ。なんのかんの言っても、食の嗜好は習慣なのだ。食べ慣れたものが食べたくなる。日本人が醤油と米に執着するのと同じ事だ。
俺が落ち込んだり反省したりしていると、トプルが気づいて、
「ヒロトの料理はいつも美味いよ。ただ、みんな里心がついてるだけだ」
と、言って慰めてくれた。
次からメニューを少し考えよう。さて、反省はこの辺にして、美味しく頂くとするか。いつものメンバーの顔を見ていたら、いつのまにか寂寥感に似た気持ちも消えていた。
サラサスーン地方の名物料理は、どれもとても美味く、どこか懐かしい味がした。




