茜岩谷の大岩へ
「おーい!シュメリルールが見えてきたぞー!」
先頭の馬車の御者を務めるガンザが叫んだ。俺とハルは顔を見合わせた。馬車の中の荷袋や箱を乗り越えて、御者席から顔を出す。高台からは、大きな河に沿って広がる、シュメリルールの白い街並みが見えた。
河はゆるやかに蛇行し、風車がゆったりと、風に回る。1ヶ月前にこの街を旅立った時は、こんなにも郷愁に駆られて眺める事になるとは思いもしなかった。
「リュート兄ちゃん、元気かな?」
ハルが、嬉しくて堪らないといった様子で目を細めた。
馬車は街道から馬車道に入り、倉庫街へと向かう。護衛のみんなは荷物下ろし、俺は最後に馬の世話をして、今回の旅の仕事はおしまいだ。
馬を商会の厩へと連れて行き、水をたっぷり飲ませてやる。商会の裏に回りお湯をもらって、硬く絞った布で身体を拭いてやる。ハルはブラシで鬣や背中の毛に絡みついたゴミを取り、丁寧にブラッシングする。蹄の手入れをして、飼い葉を飼い葉桶に山盛りにする。
首の後ろをポンポンと叩き、「色々世話になったな。お疲れさん」と日本語で言ってみる。馬はプイとそっぽを向いたあと、「しょーがないわね、また面倒見てやるわよ」とでも言うように、頭を少しだけ寄せてきた。
うむ、少しデレたな!
ちなみにハルに対しては、ルルルルルと甘えた声を出していた。それ求愛行動だよね?やめて!ハルくんまだ子供だから!
馬の世話を終えて馬車へと戻ると、ロレンが書類を持って走り回っていたが、俺とハルを見つけるとゆっくりと歩いてきた。
「色々、たくさん、ありがとう。また頼む」と言って、2人で頭を下げた。
「あと、幌、すまん」
俺が怪我した時に壊してしまった幌は、応急処置でなんとか持たせたが、きちんと修理しないと使い物にならないだろう。あとでリュートかじーさんに修理を依頼しよう。
「こちらこそ、ありがとうございました。すぐに帰りますか?」
俺たちが頷くと、「少し待って下さい」と倉庫に入って行った。
しばらく待つと、小袋を3つ持って戻ってきた。ひとつはオレがキャラバンに同行する費用として支払った、金貨を入れた袋だ。
「これはお返ししますね」
「それから、これは今回の旅の報酬です」
「最初は荷物を2つ、ラーザまで預かる依頼だと思っていました。でもあなた方は良い仕事をしました。2人とも、荷物から仲間へと昇格です」
ロレンはたぶんすごくいい事を言ってくれている。おそらく感動する場面だろう。俺は空気を読んで大きく頷いた。あとでさゆりさんの単語帳で調べてみよう。
ロレンは、「今度いつシュメリルールに来ますか?次の旅の打ち合わせがあるので、店に顔出して下さいね」
と言うと、また忙しそうに走って行ってしまった。
1番小さな袋にはハルの名前を書いた紙と、金貨が2枚入っていた。ハルは袋を握りしめて、
「ぼく、初めてお給料もらっちゃった」と嬉しそうに笑った。えっ、ハルくん、ロレンの言ってる事全部わかっちゃったの?ちょっと、お父さんに教えてくれるかな?
自分たちの荷物を持ち、護衛の面々にも挨拶する。みんなは1週間くらいはフリーとなるらしい。その後の事は、またロレンと相談して決めるそうだ。
3日後くらいにまたシュメリルールへ来る約束をして、リュートの工房の場所を教えておく。お互いにいい風が吹くようにと言い合って、クーを連れて別れた。
さて、まっすぐリュートの工房に向かおう!
リュートの工房のドアを開け、声をかける。大きな革製のエプロンをしたリュートが、飛び出して来てハルと抱き合う。
「リュー兄!ただいま!」
「ハル!心配した!無事で良かった!」
そう言ったリュートの視線が俺の方に向き、固まる。ああ、俺の頰の傷を見てんのか。今は傷口に当てていた布を外してある。
「ヒロト!無事じゃない!だから俺が一緒に行くって言ったのに!」
リュート、ムンクの叫びみたいな顔になってるぞ。
「大した事ねぇよ。もう治ったし」あとは傷口が完全に乾いたら抜糸して良いと、ロレンに言われている。
リュートは工房のドアに臨時休業の張り紙をして、自宅に馬を取りに行く。嫁さんに置き手紙を書き、取るものも取り敢えずと行った様子でシュメリルールを出る。
なんかやけに急いでないか?
貸し馬屋で小さな荷馬車と馬を借り、クーを乗せる。俺は荷馬車の方に乗り、リュートとハルが2人乗りだ。
ハルは終始ご機嫌で、旅の思い出ばなしを興奮した様子で話している。そして話し疲れてリュートに凭れて寝てしまった。
俺はクーに耳をしゃぶられながら、
「リュート、なにかあったのか?」と聞いた。悪い想像が頭を掠める。
リュートはウインクをして、「大岩に着いてからのお楽しみ」と言った。
その様子なら悪い話しじゃなさそうだな。俺はそれ以上聞くのも、なんとなく怖くて黙っていると、
「ナナミさんの手がかり、あったか?」と聞いて来た。
俺が首を振ると、そうか、とだけ言った。
やがて大岩が見えて来る。リュートが中から開けてくれると、白い毛玉が一目散に駆けて来る。
俺の腕に飛び込んで来たのは、雪豹らしき動物の赤ちゃんだった。ミュウミュウと鳴いて俺の胸に顔をこすりつける様子は、たいそう可愛らしい。地球の雪豹に比べると小さく、子猫より少し大きめくらいだ。
遅れてじーさんとさゆりさんが走って来る。ハルがさゆりさんに飛びついて、ただいまと言った。さゆりさんは、あらあらと少し涙ぐんで、おかえりなさいと言った。
俺がただいまと言うと、頰の傷を見て小さく息を呑む。
さゆりさんが「その傷どーしたの?」と聞くのと、俺が「このユキヒョウの子は、もしかして」と言ったのが、ほぼ同時だった。
なんか予想のずいぶん斜め上の出来事が、起きている気がする。ちょっと落ち着こう、と俺は深呼吸をした。




